第15話〜好敵手
「とっと……」まだ、高い所にいたときの恐怖が抜け切れず、力なくよろけた私を彼がしっかりと支えてくれる。
彼、と言うか他人に体を触られたりするのは好きではないのだが、そうしないと立っていることは出来そうにないので我慢しよう。
「大丈夫?」
そう私に少し困ったような笑顔で聞いてくる彼がたまらなく憎い。私がもし憎しみで人が殺せる能力を持っていたのなら、きっと彼は真っ先に死んでいるだろう。もしかしたら、私が私を殺すほうが早いかもしれないが。
だいたい、こんな事になったのも、彼の提案した勉強会なんてものに行ったのが悪いのだ。それ以前に、私がこんな能力を持っているから悪いのだ。そうだ私なんて産まれてこなかったらよかったのだ。
結局はいつもの自己完結。そう、すべては私が悪いのだ。
実のところ、少しはこのイベントに期待していたのはある。楽しいものになってくれればいいな、と思ったこともあった。だがしかし結果はこれだ。結局、私は恋さんにつれまわされる彼をずっと見ていただけで、ちっとも面白くなかった。
別に彼と遊びたかったわけではないし、花梨ちゃんと話すのもつまらなくは無かった。しかし、なぜか恋さんと楽しそうにしていた彼の横顔を見て、心がチクッと痛んだだけ。
これは俗に言うアレなのかもしれないが、今はそうではないと思っていたい。
なぜなら私が愛した人は私が愛せば愛すほど、遠くに離れていってしまうのだろうし、何より、私が好きになってしまえばきっと不幸になるのだろうからだ。
だからこの気持ちは、心の奥にしっかりと鍵をかけてしまっておこう。
「黒須さん?」
彼の心配そうな声に、顔も見ずに一度だけうなずく。早く彼から離れなくてはいけない。
もう一人の彼を思う人に今の姿を見せてはきっとまずい。
だから、早く彼から離れないと――
「白金!」
普段は着ないと言っていたスカートをひらひらとなびかせながら、彼にふさわしい恋する乙女がこちらに向かってくる。遅かったようだ。
しかしあんなに急いで走ってきては危ない。なれないと言っていたスカートなんてはいているのだからそんなに急いだら……。
「あっ」
こけてしまう。そう思ったときにはすでに遅かった。
私の予想は運が悪いことに的中してしまい、地面にキスするような形で盛大にこけてしまった恋さん。
彼は恋さんを助けに行こうと一歩踏み出したが、どうも私が邪魔らしくもう一歩が踏み出せずにいる。
私は何も言わずにふらつく足で、彼の背中に居た花梨ちゃんをすっと奪う。
彼は何かをいいたそうにこちらを一度だけ見たが、私が目で恋さんのほうを見ると、ありがとうと言って走っていった。
「恋、あれほど気をつけろと言ったのにお前って奴は」
すぐ近くにいるはずなのに、なぜか少し遠くから聞こえてくる彼の声で、やっと彼が恋さんの元にいけたのだろう。と安心したところで急に眠くなって来た。もう目を開けているのも億劫だ。
私は近くのベンチに花梨ちゃんを座らせ、その隣に自分も座り、意識を闇に落とす。
今日は多くのことがありすぎて、少し疲れた。
「んっ……」
心地よいゆれと振動に目が覚めると、そこは見慣れた風景だった。
「お姉ちゃんおはよう」
眠い目をこすりながら今自分に起きている事をしっかりと把握しようと周りを見回す。
ここは恐らく、いつもの帰り道。そして私は遊園地で寝ていた。普通なら彼の背中にいるはずの花梨ちゃんは彼と手をつないで嬉しそうに歩いている。私は寝たまま歩くなんて器用なことは出来ないし、するつもりも無い。私は今彼の背中の上にいる。
要するにおんぶだ。
「ちょっとやめっ」
男性の背中に居た、という驚きが先行考してしまったのだろう。私は彼の背中から逃れようともがく。
しかし彼は、すぐに花梨ちゃんから手を離し、二、三歩よろけてこけそうになっても私だけはしっかりと離さずに背負っていてくれた。
「暴れないでもらえると嬉しいな」
顔は見えないが彼はきっと苦笑いをしていることだろう。彼はそういう人間だ。そして、気がつけばもう花梨ちゃんと手をつなぐのをやめ、私をしっかりと背負っている。警戒されてしまった。
これでは私が子供のようで少し恥ずかしいので、彼の背中でおとなしくしている事にする。それにきっと私が大丈夫と言っても彼は離してくれないだろうし、訴えるだけ無駄だろう。
あきらめた私は彼の首にしっかりと腕を巻きつける。そういえば、こうして誰かにおぶられるのはいつぶりだろうか?もうずいぶん昔のことに感じる。私の記憶ではおそらく、父に背負われたのが最後であろう。
父の背中はおおきくてごつごつしていて、それでいて温かくて、私はそんな父の背中が大好きだったような気がする。そして、今いる彼の背中も、父には劣るがなんだかとっても温かった。
「あの後大変だったんだよ」
私がまたうとうとし始めた頃に彼が言った。別に眠ってもよかったのだが、聞くのも悪くはないだろう。
「恋はこけたのは俺のせいだといって何度も俺に文句を言うし、可憐さんなんか観覧車から降りてきたときは抜け殻みたいになっちゃうし、黒須さんは眠るし、本当、大変だった」
恋さんが文句を言うのはわかるが、可憐さんが抜け殻のようになってしまったのは何故なのだろう?あの人も私と同じで高所恐怖症だったのだろうか?
「まったく、恋に怒られた理由がわからないよ」
長いため息を彼が漏らすと、一緒に白い息も出て行く。私もため息をつきたい気分だ。何故怒こられた理由がわからないのかが、私にはわからない。
ふと花梨ちゃんを見ると、私と同じようなことを思っているらしく、首を左右に振ってため息をついていた。きっと鈍感と言うのは罪だろう。
また彼が何かを話していたが、もう遠くに聞こえてきた。この背中はなぜかとっても居心地がいい。
また少し、眠らせてもらおう。
次に私が目を開けたら、そこはよく知った天井だった。
「部屋?」
つぶやいてから、見回してすぐに判断した。私のというより本のための本の部屋。よし、ここは私の部屋だ。
きっと誰かがここまで運んでくれたんだろう。恐らくはそんなことが出来るのは彼くらいだろう。だって、家には私をここまで連れてこれるような力を持っている者はいない。母は無理だろう。そして弟も……出来るかもしれないがきっとあれは無理だろう。
少しべたつく汗が気になり体を見る。パジャマだ。
これは母なんだろう。そうじゃないと困る。
また明日の朝にでも軽くシャワーでもあびよう。そう思ってすぐに私は眠りについた。
「黒須さんちょっといいかな?」
いつものようにつまらない学校で、くだらない時間をすごしていた。それだというのに、この子はそんな時間までも私から奪うつもりらしい。
しかしこの剣幕、何故か話を聞かないといけないような気がする。
私は恋さんの気迫に少し腰を引きながらも小さく一度だけうなずく。
「じゃあ放課後に」
そう言って恋さんはきびすを返してしまう。彼女の今の雰囲気からして何かに怒っているのだろう。しかし、私なんかを呼び出していったいなんだというのだろうか?しかも放課後。嫌な予感しかしない。憂鬱だ。なぜこうも静かにすごせないのだろうか?
恐らくは自分が静かにすごしたいと願うからなのだろうが。
「来て」
来てほしくないと思った時間と言うのもは案外すぐに来るもので、気づけば恋さんに乱暴に手をつかまれ、どこかに向かっていた。つかまれた手首が少し痛い。
「到着」
そういって訪れたのはあの公園だった。なんともここには縁があるようだ。
「少し聞きたいことがあるわ」
そういう恋さんは今まで私に見せたことのないような複雑な顔をしていた、恐らくその表情の意味は、怒りと不安だろう。
彼女が私をここに連れてきた理由。それは恐らく昨日のことが関係しているに違いない。その事で私は何か言われてしまうのだろうか?邪魔しないでとかそういった類なのだろうか?
「黒須さんは白金のことが好きなの?」
なるほど、そうきたか……。
「少なくとも私は白金の事がずっと前から好き」
そうはっきりと私に宣言する恋さん。
聞いているこっちも恥ずかしくなってしまいそうだが、それよりも言った本人のほうが顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。ああ言う顔を普段からしていればきっとどんな男性もいちころなのにもったいない。
「黒須さんは?」
私がずっと黙っていることを不満に思ったのだろう、恋さんは少し怒ったように私に問う。
だが、私の答えなんて決まりきっていた。
「別に好きではない」
だがしかし、その言葉はなぜかのどに引っかかって出てきてはくれなかった。
「そう」
そうしている間にも、恋さんは勝手に解釈したようでうんうんとうなずいている。
「白金が女殺しなのは昔からだから仕方ないねでも、私負けないからね!」
そういって私に指を挿す。効果音をつけるならきっと、びしぃぃぃぃとかだろう。
私にライバル宣言をしたかと思うと笑顔のまま近づいてくる。
恋さんが手を出したことで、私はぶたれるのかと思って目を硬く閉じたが、いつまでたっても痛みは訪れなかった。
彼女はぶつどころか、笑顔で私の前に手を差し出していた。
「おたがいフェアにがんばろうね」
彼女とライバルになる理由なんてこれっぽちも無かった。
それだというのに、彼女は強引に私の手をとり、ぶんぶんと振りまわしてから、なんだか満足そうな顔をしているのだった。やっぱり噂通り、実にすっきりとした人間のようで、私が能力なんてもっていない普通の人間だったのなら、きっといい友達になれていたのではないかと思う。
「白金の競争相手場また一人増えたのか」
今まで笑顔だったと言うのにもう下を向いて落ち込んでいる。
「姉さんに可憐さんだけでも厄介だって言うのに黒須さんはもっと強敵だなー」
落ち込みながらも笑顔で話す彼女は、まさに恋する乙女の表情だ。
私はどうしていいかもわからず、ただ突っ立っているだけしか出来なかった。
「そうだそうだ」
落ち込んでいたと思ったら今度は目を輝かせながら私に話しかける。なんとも忙しい人だ。
「観覧車で白金に抱きついてたでしょ」
そのときの恋さんの声は、窒素すらも凍らせてしまうのではなだろうかと思うほど冷たかった。
しかし女冷たい言葉をいわれ、私は顔が熱くなるのを感じた。あの時は高いところが怖くて夢中だったが、今思えばなんてことをしたんだろう。
「えいっ」
いきなり私は何かに包まれてしまう。驚いて判断が遅れたが、恐らくこれは恋さんだ。
「これでチャラにしてあげるよ」
えへへと気持ちわくる笑いながら私に抱きついてきた恋さん。間接抱きつきとでも言いたいのだろうか?
恋さんに抱きつかれ、久しぶりに感じる心がくすぐられるよう感覚。嫌ではない。嫌ではないのだがこの感覚が、能力を持つ私にはたまらなく悲しいのだった。
それでも今だけ、今だけなら、この瞬間だけならこの感覚を楽しむのも悪くはないのかもしれない。そう思うと自然と頬が緩んだ。
「じゃね美穂」
いつの間にか私の呼び方まで変化させてしまった一応、恋敵は私に別れを告げると笑顔のまま満足そうに走って帰ってしまった。
別に私は彼のことなど好きではないのに困ったものだ。
本当、困ったものだ。