第16話〜訪問日
「今日は誰にもかまってもらいたくないなぁ」やたらとだるい体で本を読みながら、ベットの中で私はそうつぶやいた。
「なんだ、今日は黒須は休みか?」
出席を取っていた如月先生が、黒須さんの名前を呼んだところでそういう。
遊園地から帰った後も元気だったし、季節的に見て五月病にでもかかったのだろうか?
「黒須さん大丈夫かな?」
そういって、いつも黒須さんが見ていた窓の外を見ると、四月はあんなにきれいに咲いていた桜はもう花を散らし、なんとも寂しい姿になっていた。黒須さんは毎日のようにこんな風景を見て何が楽しかったのだろうか?
「白金ー、昼だぞ!」
ここ数日で、ずいぶんと聞きなれた透き通った声に頭を抱える。
「白金、また来てるわよ」
恋のうんざりした声にも納得がいく。俺の昼休み昼休み、幸せな昼食の時間はこの頃その幸せの度合いをここ数日でだんだんと薄くしていたようなきがする。
どうせ黙っていたとしても、すぐにこっちに来てしまうのだろう。
「また君か……西条さん」
赤い髪をなびかせて現れた西条さん。その手には小さなお弁当箱が握られており、今日も来た理由は明白となっている。
「さて食べよう」
何の遠慮も無く、近くの生徒の椅子を拝借してくる西条さん。
略奪といってしまいたいのだが、西条さんはたちの悪いことに男子生徒ばかりに声をかけて椅子を持ってくる。言うならば篭絡だ。そりゃ、こんな美人に笑顔で椅子を借りてもいいかしら?なんていわれたら、男は誰だって首を縦に振るしかない。
「あら? 今日はあの黒い髪の人は?」
奪い取った椅子に座ってから、すぐに黒須さんがいないことに気づく。
「今日は休みだよ」
藤村が丁寧に教えてくれても、そう。と一言言っただけですぐに興味をなくしてしまう。なんだか藤村がとってもかわいそうになってきた。
「じゃあ食べましょうか」
西条さんのこの唯我独尊っぷりにはもうため息しか出ないが、こうして自分の弁当を食べずに待っている自分もどうかと思う。
それにしても、何でここ数日でいきなりここで弁当を食べることになったのだろうか?不思議だ。
「ねぇ、西条さんはどうしてこっちに来て食べるようになったの?」
そんなに重要なことではないのだろうが、気になったので聞いてみる。
「そ、それは……」
顔を今日の弁当に入っていたトマトのように真っ赤に染め上げる西条さん。俺はそんなに難しいことを聞いたのか?
助けを求めようと、恋や藤村を見てもあきれたように首を横に振っているだけだった。何なんだこの状況は?少し前、そう遊園地でもこんなことがあったような気がするぞ。確かあの時はこの後は……。
「鈍感」
そうそう、こんな感じで肩を叩かれ、そういわれたんだったな。
肩を叩いた人間を見ると、俺とあまりかかわりを持ったことにない委員長だった。普段話しかけてこないくせにいったいなんだって言うんだ。
それからは、なんとも気まずい空気で昼食は進んでいってしまった。西条さんはうつむいたままひたすらちまちまと弁当を食べているし、二人はどうも助けてくれそうにはない。
弁当の味?そんなものは当然感じなかった。
「起立、礼」
委員長のその言葉で今日一日の学校での時間が終わった。まぁ、帰るまでが学校です。と言われれば、正確にはまだ学校の時間は終わっていないのだろうが、とりあえずは終わりだ。
「白金」
空の弁当箱しか入っていっていないような軽いかばんを持って俺が教室を出ようとしたときに如月先生が俺を呼び止める。
もしかして俺は、また何かやったか?
「そんな怯えた顔をしなくてもいい。それとも何か?怯えるようなことをしたのか?」
その言葉に俺は力の限りに首を横に振る。
「白金は確か黒須さんと家が近いよな」
何故、俺は呼び捨てで黒須さんはさん付けなのだろう?
「この手紙を黒須さんに家に持って行ってくれるか?」
そういって如月先生は茶封筒を俺に差し出す。何だろう、この茶封筒からは物凄く嫌なオーラが出ている。きっと何かあるに違いない。
「わかりました」
そんなに重要なものならばすぐに届けないといけないに違いない。そう思って俺は二つ返事で茶封筒を受け取る。
「じゃあ失礼します」
先生に一礼をしてすぐさま教室を後にする。走らないといけないとは思わないが、それなりに急いだほうがいいのかもしれない。
「あにぃ、たまには一緒に帰ってよ」
下駄箱を出たところで、花梨の待ち伏せを食らう。何だってこいつはこう忙しい時に出てくる。
しかし、特に悪いことをしていない花梨を邪険に扱うのははばかられたので、一緒に帰ってやることにする。
「何をそんなに急いでるの」
俺の歩む速度がいつもより少し速いことに気づいたのだろう、花梨が不機嫌そうに俺に尋ねる。
「黒須さんにこれを届けないといけない」
そういって俺がポケットから手早く茶封筒を取り出すと、花梨はなんだか憎たらしい笑みを浮かべながらなんだか納得したようだ。
「そういえばお姉ちゃんって弟いるのかな?」
少しの間、無言で歩いていたところ、花梨がいきなりそんなことを俺に問いかける。
「うちのクラスにも、黒須っていう名前の子が居るんだけど、一度も見たことがないの」
俺が何故だと聞こうとしたが、聞かなくても花梨が説明してくれていた。
そういえば、数学の勉強をしに行ったときに人の気配がある部屋があったような気がする。がしかし、あれは黒須さんのお父さんの部屋かもしれない。
「さあ? 知らないな」
断定できないことは軽々しく口に出さない。これは当然だろう。
「じゃあ私もお姉ちゃんの家に行く」
知的探究心からだろう、花梨が俺にそう告げる。
他人の家庭事情に首を突っ込むのはほめられたことではないとは思うが、こうなってしまった花梨は梃子でも動いたためしがない。
「好きにしろよ」
結果的に、俺はため息をつきながらそういうことしか出来なかった。
そうこうしているうちに、すぐに黒須さんの家の前にたどり着いてしまう。急いできたはいいが、ここになって少し緊張してきた。なぜかインターホンを押す手が震えている。
「おそい」
俺がぐずぐずしている間にも花梨がインターホンを押してしまう。何てことだ。まだ俺は心の準備が出来ていないぞ。
一回、二回と家に響くインターホンの音、数秒しても返事はない。やはり体調を崩して寝ているだけかもしれない。そう思って俺は茶封筒をポストに入れるだけにしようと決める。
しかしその間に、もう一度花梨がインターホンを押してしまっている。そんなに押したら迷惑だろうに。
「はい」
三度目のインターホンでいつもの様にトーン低めの声が聞こえてきた。俺は取り出していた茶封筒をそのままポストに入れずポケットに入れる。
「白金ですが学校からお届け物ですよ」
インターホンのカメラに向かって花梨が笑顔でそういう。よく出来た作り笑いだ。
「どうぞ」
玄関の扉が開いたのはそんなやり取りの数分後だった。やはり女の子だから身支度とか色々合ったのだろうか?いや、相手は黒須さんだ、まさかな。
「お邪魔します」
数学の勉強のときとは違い、黒須さんの部屋についていく俺と花梨。俺は数回この家には来たが、花梨は初めてだ。それだというのになんだろう、前に来たときはそうでもなかったのにどうして今日はこんなにも緊張するのだろうか?
部屋についたら、すぐにベットに横になる黒須さん。顔色は、いつもにまして青白いし、やはり迷惑だっただろうか?
やはりここはさっさと届けるものを届けてかえるのが吉だろう。
「学校か――」
「弟、居るの?」
俺の用件は見事に花梨の言葉によって妨げられる。このタイミングはもはや神がかっているとしか言いようがない。
「……えぇ」
花梨の質問になんとも気まずそうに答える黒須さん。うつむいてしまっているし、やはり弟さんは何か問題のある弟さんらしい。
「ちょっと話してくるね」
そういって弾丸のような速さで部屋を出て行ってしまう花梨。
「お……おい」
もちろん俺の制止は無駄だった。
花梨が居なくなってしまった二人だけの空間。やはりその空気はなんだか気まずいものだった。
「弟……」
「へ?」
「弟は私のせいでずっと不登校なの」
やがてその空気を壊すようにポツポツとだが黒須さんが話し出す。
「私のせいなの……」
しかしそれを話す黒須さんの顔はとてもつらそうで、とても見ていられるものじゃなった。恐らく何か深い理由があるのだろう。
しかしだ、黒須さんが話してくれたのはいいが俺としてはさらに気まずい方向へと話が進んでしまった。必然的に俺は黙っているしか選択肢がなくなってしまう。
廊下からは、花梨の明るい話し声が聞こえてくる。この声を聞いていると、何故か、もしかしたらやってくれるんじゃないか?なんて思えてきてしまうから不思議だ。
黒須さんもそう思ったのだろうか、花梨の声を聞いて、さっきまでの暗い顔をやめて少し笑顔になる。やはり黒須さんにはこっちのほうが似合うと思う。
廊下から聞こえてくる明るい話し声にしばし耳を傾ける。
今までの暗い雰囲気が嘘のようだ。
俺も、黒須さんも安心していたのだろう。無言だった部屋に、小さな虫の声が聞こえる。俺が音のほうへと視線を送ると、音の発信源だった黒須さんは顔を朱に染めてお腹を押さえている。
「ご飯は?」
そう俺が頬を緩ませながら聞くと、黒須さんはなんともかわいらしく小さく首を横に振る。
「朝も?」
今度は小さく縦に首を振る。
「じゃあ少し台所を借りるよ。本でも読んで待っててね」
何かを言おうとしていた黒須さんは無視してそのまま台所へと向かう。前に来たときにお茶を入れたりしていたので場所は把握している。
「さて、やるかな」
俺は制服の袖をまくり、戦闘体制に入る。俺も料理なら少しは出来るはずだ。
幸い、ご飯もあるし、材料もそこそこある。ここは俺の腕によりをかけて黒須さんをうならせてやろうではないか。
ついでに花梨と弟さんに差し入れをするのも悪くはないだろう。
他人のために料理をするというのはいつぶりだろうか?
記憶の糸をたどって一番最初に出てきたのは俺が小さい頃に花梨が熱を出して寝込んだときに作ってやったウザギの林檎だった。ふむ、あれを作るのも悪くない。
お粥をぐつぐつと煮込みながら、たまたま有った林檎をむく。今はあの頃とは違って林檎の皮だって物凄く薄いし、一本につなげたままで最後まで行くことが出来るようになった。
そういえば、俺のうさちゃん林檎のファンはもう一人居たな。ここまで林檎の皮をむくのがうまくなったのもあの子のおかげなのかもしれない。
その子は事あるごとに俺にうさちゃん林檎を要求し、俺はしぶしぶうさちゃん林檎を作っては公園に持っていったのを思い出す。今思えばあれはしぶしぶではなく、自分から進んで行っていたのかもしれない。なぜなら、あの時のあーちゃんの「ありがとう」がとてつもなく嬉しかったからだ。もしも、あの時の気持ちを言葉にするならば、恐らくは恋なのだろう。認めるのは恥ずかしいがきっとそうだろう。
そんなことをしている間にもどうやらお粥もどきが出来たようだ。
レンゲですくって味を確かめる。うん、ダシが効いていてそこそこの出来だろう。後はここに卵を落として、葱をまぶす。これで完成だ。
トレイにお粥の入ったあつあつの鍋と、うさちゃん林檎を乗せ、ゆっくりと黒須さんの部屋へと向かう。
あぁ……しまった、花梨たちのことを忘れていた。
まぁいいか。
「入るよ黒須さん」
二、三回ノックした後にそう告げて部屋に入る。
「おいしくできたかは保障できないけど、胃にはやさしいと思うよ」
そういって手ごろな台にトレイを乗せる。
トレイをおいた後も、じっと黒須さんを見ていたが、一向に食べる気配はない。
「もしかして、食べるのつらいの?」
なんとも気がつかない奴だな俺は、相手が食べられないのなら作った意味がないではないか……。
仕方が無く俺は鍋のふたを自分で開け、レンゲにお粥を一すくいする。レンゲからはもんもんと湯気が立っており、こままま食べれば火傷をすることは間違いないだろう。
そんなレンゲに何度か息を吹きかけ、それを黒須さんの元まで持っていく。
「あーん」
俺は口を大きく開けてそういった。
黒須さんは俺の行動が理解できなかったのか?うつむいたまま動かない。
「あーん」
めげずにもう一度同じことをすると、黒須さんは顔を林檎のように真っ赤にして口を小さく開ける。
そこに俺はレンゲを入れ、お粥を食べさせることに成功する。
もう一口用意しようと、俺が鍋にレンゲを伸ばしたときだった、不意に黒須さんから声がかかった。
「もういい、後は自分で出来る」
珍しく自己主張した黒須さんにレンゲを渡すと、すぐにお粥を食べだしてくれる。やはりお腹が減っていたようだ。
そんな様子を俺はずっと幸せな気分で眺めていた。自分の作ったものをここまで幸せそうに食べられるととっちも幸せになる。
食べるのに夢中になっていた黒須さんも、俺の熱烈な視線に気づいたのだろう。少し頬を赤らめて食べるスピードを落としてしまう。どうやら俺がここに居ると食べにくいようだ。
「すこし花梨を見てくるよ」
そういって俺は席をはずすことにする。自分の作ったお粥をおいしそうにがっつく黒須さんを見れないのは大変残念だが、今のところはそれが最善の策だろう。
俺はお粥を冷ますように何度も息を吹きかけているだろう黒須さんの顔を少し想像して笑みを漏らす。
「ありがとう」
それが部屋を出るときに俺が聞いた最後の言葉だった。それはもはや聞こえるか聞こえないかの瀬戸際のような小さなものだったが、確かに俺の耳届いた。
うん、たまにはこういうのも悪くない。
「調子はどうだ?」
扉のにもたれかかるようにして座り込んでいた花梨に声をかける。
「まぁまぁじゃないかな」
言葉の割には花梨は笑顔だ。笑顔から察するに出来栄えは上々か。
「お、お兄さんですか?」
少し怯えたような弱々しい請えば扉の向こうから聞こえてくる。
なるほど、なかなか黒須さんの弟というにはふさわしいかもしれない。
「そうだよ」
俺がそう答えると弟さんはまた黙ってしまう。ここでも俺は邪魔者か……。また俺は来た道を引き返して部屋に戻ることにする。
「はいるよ」
そういって俺が部屋に入ってときに、黒須さんは嬉しそうにうさちゃん林檎を食べようとしていたところだった。なんともまずいタイミングに入ってきてしまったものだ。
「好きなの?」
俺は笑顔でそう聞いてみるが、恐らくは引きつっていたに違いない。
しかし、俺の質問に黒須さんはうつむいたまま頷いてくれる。よかった。
それからまた少しだけ部屋を空けて、黒須さんが全部食べ終わるのを待った。
時計を見れば、時間も時間だ、そろそろ帰った方がいいだろう。
「じゃあ今日はこれで帰るね」
そういってから空になったトレイを持って部屋を出る。
「花梨、今日はもう帰るぞ」
花梨そう声をかけると、なんとも名残惜しそうにこっちに来る花梨。
「またくればいいさ」
そういって帰ることにする。
再び台所を借りて、使った食器をしっかりと洗ってから適当なところに干しておく。これでいいだろう。
「お邪魔しました」
これで俺の役目は終わりだ。
そうして俺は黒須さんの家を後にした。
「あ、封筒渡すの忘れた」
それに俺が気付くのは、次の日の朝だった。