TOPに戻る
前のページ 次のページ

第78話〜深まる疑い

「おはよう」
「あ、うん」
 今日も彼は元気が無かった。いつもの藤村君との馬鹿な会話もなんだか歯切れが悪い。悔しいが、彼にはリアルの私達よりも 頭の中のお花畑の方が優先順位が高いらしい。
「おはよう。恋ちゃん」
「おはよう」
 彼が萎んでいくのと同じくして、それに比例するように幼馴染も枯れた花のようにどんどんと萎んでいっていた。
 私と彼が出会ってからずいぶんと経つが、彼は普段から何処かを見て、今日のような曇った顔を浮かべることが多く、最近になってはその頻度がさらに増し、本人曰く、なんでもない考え事に耽って(ふけって)いる。
「はぁ……」
 教室に響く重いため息、それはすぐに朝の騒がしい喧騒に飲まれて消えた。受験や友人との話に花を咲かせるクラスメイト、楽しそうに話す声、そんな中、私と彼、そして恋ちゃんはぽつんと置いていかれるような形で浮いていた。
 ただ無言で何かを考え、そしてまた一つ幸せを逃す。それはまさに、教室に出来たため息の孤島だった。
「では、今日の授業を」
 いつもより静か、と言うよりどこかピリピリとした雰囲気で、今日も授業は始まった。黒板にかかれたことをノートにまとめ、暇があれば先生の言葉を簡単にメモを取る。コレはすでに作業である。社会では、この作業の良し悪しで、その後の運命が決まるといっても過言ではない。
 その点で行けば私は将来は良い未来があるのかもしれない。他人とかかわらず、多田作業に没頭する。こんな仕事があれば恐らくそこそこ成功しそうだと自負している。私は何も自分が天才だと思っていないが、愚かだとも思っていない。ある意味愚かといえば愚かなのだが、この際は目をつぶろう。
 彼が背中を押してくれてくれたから頑張ろうと決めた私の未来も、指針である彼が自信なさげに大丈夫だと言うのなら、ぐらぐらとぐずれ出してしまいそうだ。
 季節は残寒の砌(みぎり)厳しい冬は過ぎ去ったと言うのに、私達の関係は二月前の空模様のように冷え切ってしまっていた。
 自分の未来に踏み出す一歩が欲しいから、その一歩を踏み出す前の一歩が欲しい。なんとも意味のなさげな、くだらない事なのだが、私はこの町に着てからはその一歩のためにずっとうだうだと日々を浪費してきた。そんなくだらない日常も私はたまらなく好きなのだが、この頃は、その日常の存在も危ぶまれてきた。
 私も日常を守りたい。ならば戦うべきなのだが、今回の敵はちと厄介である。夜道で彼の胸に消えない傷を刻んだ殺人鬼、そして文化祭で現れた、昔の友人が狂った殺人鬼だったのも強敵だった、しかしそれはすべて現実に起こりえたことで、物理的にどうにかできた。と、言うよりなった。というのが正確なのだが、今回は物理的にはどうこう出来る物ではない。なにせ相手は過去、もしくは想像上の人物なのだ。その少女は彼を襲った殺人鬼のように狡猾ではないし、昔の友人のように狂っても居ない。ましてや片手で大岩を砕く怪力も無ければ質量のある残像を残せるわけでもない一般の少女なのだ。しかし、今上げた能力をすべて持った人間が居たとしても、この少女は倒せない。しかし、私は勝たなくてはいけないのだ。
「ねぇ、恋ちゃん」
 その為には、彼女の見せた弱点。つまりは周りとの綻びを少しずつ崩していくしかほかに方法は無い。
「なに?」
 彼と同じく憂鬱そうな瞳で私を見つめる恋ちゃん。恋ちゃんは重要な参考人であり、証拠となりえるに違いない。
「今日は二人で帰らない?」
「二人?」
「そう」
 いきなりストレートに聞くのも手なのだが、じっくりゆっくり行かないとダメだ。赤さんは犯罪前の盗賊のように私を避ける。と、なればそんな器用なことが出来ない恋ちゃんに頼るしかない。
「わかったわ」
 恋ちゃんは少し考えてから、そう言って私に頷いてくれた。
 さて、準備は整った。後は、どう恋ちゃんを口説き落とすか。運が悪いことに、私は口下手である。昔よりは自然に会話できるようにはなったのだが、ブラフを含んだ引っ掛けや、駆け引きはどうも得意ではない。
「じゃ、放課後に迎えに来るね」
 去り際、ついうっかり口元が緩んでしまったのだが、幸い恋ちゃんは私など何処吹く風で虚空を見つめていた。
 
 
 
「恋ちゃん」
「え? なに?」
 いつもの作業も目標が見えたことによりすらすら進み、グランドはあっという間に運動部でにぎわってきていた。私は約束どおり恋ちゃんの机まで出向き、一緒に帰ろうと言葉をつないだが、恋ちゃんはどこか上の空のままである。
「何か用?」
 挙句の果てにはこれである。私との約束は夢の中での現であったようだ。恋ちゃんに約束した旨を伝え、私達はクラスメイトに遅れること数分後、教室を出た。
「後藤」
「え? あ、はい」
 教室を出てすぐ、恋ちゃんは立ち止まってしまった。
「話があるから今から職員室ね」
「あ、でも」
 現れた如月先生は恋ちゃんにいきなりの呼び出しをかけ、そのまま職員室の方向へときびすを返してしまった。拒否権は無い。という事だろう。まったく勝手な人だ。
「さ、先帰ってて良いよ」
 すこし困ったように笑いながら私に言う恋ちゃんだが、その表情はどこか安心しているようにも見える。
「いいよ。待ってるから」
「え、でも」
「いいから。ほら、早く行かないと如月先生待ってるよ」
「う、うん」
 強気に出た私に戸惑いながらも、恋ちゃんは職員室へと向かっていった。
「待つっていってもなぁ」
 一人廊下に残された私の声が、悲しく廊下に響く。ひらひらろ逝き遅れた様に舞う落ち葉は、どこか私に酷似しているようですこし悲しくなった。
 職員室前で待っている。と言うのも不自然である。なにせ何時までかかるか分からないのに一人で職員室の前で突っ立っていても怪しいだけだある。かといって教室も戻るのも億劫だし、校門で待っていたらきっと運動部の視線が痛いに違いない。つまり私のとるべき行動は、億劫ながらも教室に戻るの一択。
 重い足を引きずりながら、私はもと来た道を歩き始める。外では運動部の声が聞こえてくる。同級生達はとっくの昔に帰宅して、今頃自らの自律をもって、さぼりと戦っているはずだ。
 ガラガラと軋む扉を開けても、やはり人は居なかった。私はもてあました時間を有効活用するために、前々から考えていた小説のプロットを組むために椅子に座り、かばんからノートと筆箱を引っ張り出した。なんとなく彼の机に目がいき、私は自分の席ではなく彼の席に腰をかけた。まる。
 コレが私の考えていたシチュエーションである。
「美穂……」
 しかし、生憎私がおっかなびっくりしながら座るはずだった彼の机には、赤い挑発の先客がこれまた憂いを孕んだ瞳で腰掛けていた。
「赤さん……なんでここに?」
 口から出たのはそのままの疑問だった。
「美穂こそなんで」
 帰ってきたのは、鸚鵡返し(おうむがえし)のように同じ質問だった。
「私は恋ちゃんを待つの」
「そう」
「そっちは?」
 沈黙だった。
「私?」
 腰掛けていた机から降り、いとおしげに座っていた場所をなぞりながら、私のほうを向かずに赤さんは答えた。その後姿は、何も語らないと言う意思の現われなのかもしれない。
「そういえば、聞いてなかったわ」
「え?」
「美穂が白金を好きな理由」
 振り返った赤さんは、何を思ったかいきなりそんなことを言い出すのだ。
「ほら、あの喫茶店で、美穂だけは言ってなかったじゃない」
「そ、そうだけど」
 今はもう二月だというのに今更何故。年明けに話したことをわざわざ掘り出すのだろうと思ったのだが、赤さんの顔を見ていると、どうやら気休めや逃げの言ってではないと取って取れるように、視線が鋭い。つまりは何らかの意図があるらしい。そして、私は答えなくてはいけないようだ。
「私はこの街に来たとき初めて白金君に会って、メールアドレスを聞かれて、それで偶然同じクラスになって、いつの間にか気になってた」
「いつ?」
「わからないけど、色々あったから」
「そう」
 色々。とまとめてしまったが、この一年は良い事悪い事含めてかなりたくさんの思い出が出来た。もちろん、彼の事だけではなく、目の前の赤さんと友達になれたのも思い出の一つである。
「色々、ね」
「色々、よ」
 もちろん、殺人鬼に襲われたことなど赤さんは知らないし、知らなくてもいい。その方が幸せなこともあるのだ。
 私達は何かお互いに含みながらもその言葉を反芻し、また沈黙する。
「せ、赤さんはどうして三年生になってから白金君にアタックを?」
「私?」
 今度は私が聞いてもいいはずだ。
「そうね」
 少し考えてから赤さんは窓の外を見て、黙り込んでしまう。私も赤さんと同じように窓の外を見るが、赤さんが何を見ているのかは分からなかった。
「色々、よ」
「色々、ね」
 赤さんにも何かあるらしい。しかし、そこは私が踏み込んでいい領域ではないし、それこそ知らない方が幸せなことだってあるのだ。
 
 
 
「じゃ、私はこれで帰るわ」
「あ、うん」
 結局、私は赤さんにこの教室に居た理由も聞けず、赤さんの逃走を許してしまった。それに、私の疑問はさらに深まっただけだった。
「あーちゃん、赤さん、恋ちゃん、私……」
 赤さんの去った後、そのまま彼の席に座る気にもなれず、結局私は自分の席でノートを広げていた。しかも、ノートには小説のプロットどころか、私と私達の相関図がごちゃごちゃと書き込まれていくだけだった。
 黒い矢印は好意、その上には理由を。
「なんとなく。なんとなく」
 書けば書くほど相関図は滑稽で、黒い矢印の上には同じような答えが並んでいた。一部欠落をしているものの、私達の関係はすべて彼によって集約しているといっても過言ではない。なぜなら、彼が居なければ私は連ちゃんと友達になることは無かっただろうし、赤さんに関しては係わり合いすらもてなかったに違いない。
 次に私は人物の特長なんかをページごとに書き出していく。こうしていると、本当に小説を書いているようで不思議である。
「不明……」
 書き進んでいた手を止め、白紙になっているあーちゃんの項目でため息をつく。一体この少女は何なのか。そして、本当に存在していたのか。
「あ、本当に待ってたんだ」
「恋ちゃん」
 ぐるぐると黒く丸が描かれていくノートを閉じ、恋ちゃんを迎える。
「探したんだからね」
 そういえば連絡を入れるのを忘れていた。
「じゃ、帰ろうか」
「う、うん」
 どこか明るい恋ちゃんに手を引かれながら、私は赤ね差す教室を後にした。

前のページ 次のページ
TOPに戻る
inserted by FC2 system