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第79話〜小解決

「何かいいことでもあったの?」
「んー?」
 ふんふんと鼻歌まで漏らしながら私の手を引いていた恋ちゃんは、私の問いにわざとらしく間を空けた。この女性が、ここ数日間、ずっと暗い顔をしていた人間だとは今の嬉しそうな鼻歌を聴くと誰も想像がつかないに違いない。
「何かあったんでしょ?」
「えー?」
 内心、いらつきを覚えた。こっちが必死に居るかもわからない彼の過去の友人を捜索していると言うのに情報源プラス、彼をポンコツにした張本人である恋ちゃんが、なぜ、こんなに能天気に鼻歌を歌っていられるのかが分からなかった。さらに、恋ちゃん本人が、うきうきしている理由を聞いてくださいと言わんばかりのアピールをしているので、仮にも友人、うまく行けば親友の私がそれを無下にするわけにもいかず、恋ちゃんの手を握っていた私の手は、ストレスとあせりで自然に力んでしまう。
「ちょ、ちょっと美穂、痛いって」
 そんなに握力は無かったはずだが、握られた手に視線を送りながら恋ちゃんは苦痛に顔をゆがめる。仕方が無いので握っていた力を緩め、つながっていた影も離れる。
「それで? 何かあったの、恋ちゃん」
 離された手を軽く開いたり閉じたりしながら、私に非難の視線を浴びせる恋ちゃんに、出来るだけ気にしていない風を装いながら、もう一度聞く。
「えっとね」
 まだ間を溜めるのか。これで他愛の無いことだったのなら、流石の私も声の一つくらい上げてしまうかもしれない。
 だが、私のそんな心中を察する事無く、恋ちゃんはいまだ頭の中だけが実際の季節から外れ、春真っ只中のようで、うふふだのあははだの心底楽しそうだ。全くもって腹立たしい。
「もったいぶらずに教えてよ」
「わ、分かったわよ」
 若干苛立ちが表情に出てしまったのか、恋ちゃんの満面だった笑顔が一度引きつり、やっと語る気になってくれたようだ。普段ならこんなにイラつかなかったのかも知れないが、事情が事情なのだ、私は早く本題に入りたい。
「さっき私、如月先生に呼び出されたじゃない」
「うん」
「それで、私職員室まで行ったの」
「そうね」
 本題をさくっと話してくれるだろうという私の期待とは裏腹に、語りだしたのは私でも分かるあらすじだった。
「私が職員室に行ったら、知らない人が居たの」
「うん」
 もはや相槌を打つしか出来ないが、本当に恋ちゃんは一から話す気らしく、その知らない人の性別だの背格好だの、長々と話してくれる。よくもそんなに多くの事を覚えられたものだと少し感心してしまう。なぜこれほどの状況把握能力があるのに勉強は面白いほどにできないのだろうかと少し不思議になる。
「それで、その人が言うには……」
 そこで恋ちゃんのマシンガンのような会話は止まってしまった。同時に、恋ちゃんの顔がほころぶ。
「言うには?」
 私が聞き返しても顔は緩みっぱなし、視線は宙を彷徨うとひどい有様だ。よほど良い事なのだろう。
「恋ちゃん!」
「あ、うん」
「だから何があったの?」
 この不毛な茶番は何時まで続くのだろうか。すでに日は落ちかけている。ふらふらと嬉しそうに笑う恋ちゃんに活を入れ、再び恋ちゃんがお花畑に旅立てば呼び戻す。普通なら家に帰っている時間のはずなのだが、いまだに学校からあまり離れられていないと言うのは何事か。
「そろそろ話してくれないとほら、日が暮れちゃうし」
「え、あぁ」
 私はかなり低い位置まで来てしまっている太陽を指しながら、もう一度、恋ちゃんをせかした。本当の所、早く帰りたい。もう結構うんざりしてきている。今日はもうあーちゃんのことは忘れていいかもしれない。
「いい、結果だけお願いね。何があったの?」
 念を押すようにして恋ちゃんに聞く。もう今日はあーちゃんの事を諦めて帰ろう。そう思いながら私は今から始まるだろう恋ちゃんの言葉を待った。
「私、スカウトされちゃった」
「うん、わかった。スカウトねスカウト」
「うん」
「あれ?」
 あっさりと流してみたものの、恋ちゃんの今の発言にはおかしなところがあった。なにせ、恋ちゃんはもともと大学からのスカウトで特待生が決まっていたはずだ。それなのに、なにをいまさら新たなスカウトで喜ぶと言うのだろう。
「ど、何処から?」
「それが、会社の方からなの」
「そう。それで?」
 大学から大手のクラブに所属していくのもいいが、大学に入らずそのまま会社に入り、いいコーチに早めに色々と教わるのも吉である。
「私、そんなに成績は残してないんだけど、鍛えればきっと良いところにいけるって言ってもらえたの」
 そう語る恋ちゃんの瞳は輝いていたが、どこか不安げに曇っていた。私も、なんとなく聞き流してしまうつもりだったのだが、いつの間にか本腰を入れて恋ちゃんの話に食いついていた。
「それで?」
「私、続けた方がいいのかな?」
 珍しく弱音を吐く恋ちゃんは新鮮だったが、馬鹿にする気には当然ならないし、同情する気も無い。
「恋ちゃんはどうしたいの?」
「私は……」
 私はただ、友人として恋ちゃんの話を聞いてあげる事しか出来ない。
 ここで私が何かを答えたところで、それはあまり意味のないことなのかもしれない。なぜなら、恋ちゃんの中では答えは決まっているはずだし、それは私の意見では覆りそうにもないからだ。
 
――大丈夫だと思うよ。
 
 そう、思っていたのだが、ふと彼の言葉が頭をよぎった。
 私だって、実は進路の事をどこかで決めていたのかもしれない。しかし、私は彼に話した。つまり、私は今の恋ちゃんのようなことを彼にしていたのだ。もちろん、彼も私と同じように悩みを打ち明けてきた。と、なれば彼も本当は何をすべきか決まっていたのかもしれない。ならば私のすることは一つに違いない。
「私は続けた方がいいと思うな」
「え?」
 うつむき気味に静かに考えをまとめていただろう恋ちゃんは、私の言葉にその顔をぱっとあげ、鳩が豆鉄砲を撃たれたかのような間抜けな顔で私を見つめた。
「な、なんで?」
「ん? なんとなく私の勘かな」
 もう一度言って、私は恋ちゃんに微笑みかける。私のできる事、それは話を聞いてあげるだけではなく、決めあぐねている友人の背中を軽く押してあげる事なのだ。
「勘、か……」
「そう、勘」
「勘なら仕方がないかな」
 そう言って嬉しそうに頷いた恋ちゃんの瞳には、先ほどまで潜んでいた不安の色はもはや見えず、えらく輝いた瞳が明日を見つめて光っていた。今ここに、二人目の私の勘で将来を決めた人間が誕生した。
 
 
 
「それで?」
 しばらく無言のまま歩いた私達は、私にとって思い出深すぎる公園前にたどり着いた。私はここで花梨ちゃんにお姉ちゃんと呼ばれることになり、またあるときは彼の胸の中でワンワンと泣いたりもした。今思い出せば、それこそ赤面物である。何故、あんな大胆な行動ができたのか当時の私に聞きたいものだ。
「私と一緒に帰ろうと思ったのは何で? まさか私がスカウトされてたのを知って、相談にそろうと思ってた……訳じゃなさそうね」
 丁度入り口付近で足を止めた私達は、どちらともなく、無言のまま公園へと入った。
「あのね、恋ちゃん」
「うん」
「女の子知らない?」
 私はあえて抽象的に答えた。
「女の子? 一体どの……」
 言いかけて恋ちゃんは公園を見回し、少し考えてから諦めたようにため息をついた。
「分かったわよ……でも、ベンチに座ってでもいいかな?」
 恋ちゃんは観念したようにベンチへとふらふら歩いていく。私はというと、脚はベンチ、真相は解決へと向かっているに違いないと心を弾ませ、頬を緩ませた。
「まず、あーちゃんは存在しているの?」
「えぇ、彼女とはこの公園でよく遊んだわ」
 据わるなり聞いた私に、長いため息の後、恋ちゃんは肩をすくませながら答えてくれた。やはり、あーちゃんという少女は彼の妄想の産物ではなく、実際に存在していたらしい。
 しかも、先ほどの恋ちゃんの言葉からすると、あーちゃんという少女も私と同じくこの公園に深い思い入れがありそうだ。なんとも奇妙な気分だ。
 一つ目の疑問は解消した。ならば残るは最大にして災難の謎。
「じゃあ、なんで彼に知らないだなんて嘘をついたの?」
 それは、人一人を消してしまうほどの何か大きな理由を孕んでいたのだろうか。もしかして、そのあーちゃんという娘は過去に口出すのもはばかれるようなものすごい事をしてしまい、思う出すのも恐ろしいのかもしれない。
「いや、それがさ」
 しかし、恋ちゃんは過去の罪人を語るにはふさわしくなく、気まずそうにはにかみながら鼻の頭をぽりぽりとかいていた。コレでは何かを恥ずかしがっているような雰囲気だ。
「いやね、私も自分で言うのも恥ずかしいんだけど……ついかっとなっちゃて」
 心理は単純明快、理由は恐らくもっと単純。なんと、こんなことのために私は悩んでいたらしい。なんとばかばかしいことか。
「ダイエット一つで人一人消しちゃったわけね」
 あはは、とぎこちない笑顔で笑う恋ちゃんを見ながら、消すのは自分の余分な脂肪だけにしてくれと内心毒づきながらも、心はなんだか澄んだように気持ちよかった。
「それで、物は頼みようなんだけどね」
「自分で何とかしてください」
 恐らく最近の私は冴えているのだろう。恋ちゃんの言い出すことは容易に想像がついた。もしかしたら周りが少し単純になったのかもしれない。私は、そんなーといいながら袖を引っ張る恋ちゃんを見ず、沈み行く太陽を眺める。
「わかったわ」
 ここまでお願いだと泣き付かれ、断るというのも残酷なので、私はできるだけ仕方がないなぁという空気を漂わせながら恋ちゃんのお願いを聴くことにしてあげる。
 恐らく願いは彼との仲直りのきっかけ作り。口下手な私だが少し友人のために頑張って見るのも悪くない。もちろん、私が何もせずともきっと恋ちゃんはうまくやるだろう。それに、うまく仲直りできなくとも私に損はない。むしろライバルが減って丁度いいのかもしれない。
 しかし、私はそんなことをこれっぽっちも良しともしなかった。なにせ、心に引っかかっていたもやもやは少し薄まったし、恋ちゃんは大切な友達だ。そして、何より今日は夕日が綺麗なのだ。心が澄んで邪心が入らなくとも仕方がない。
「じゃ、帰ろうか」
 もっとあーちゃんについて聞きたかったのだが、今日のところは有無が確認できただけでも収穫としよう。
 私は明日どうやって彼と恋ちゃんを仲直りさせるかを考えながら、夕日に染まった帰路を歩いた。

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