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第69話〜雪の理由

「なぁ」
 寒空の下、背中が凍るかのようなすさまじい怒気を感じ、俺はその声の方向へと無言のままゆっくりと顔を向けた。
「なんでなんだろうな」
「な、なにがだ」
 幽霊のようにゆらゆらと揺れるその体からは、どこか邪悪な何かを感じる。
 俺はその光を拒絶したかのようなうつろな瞳に射られ、ただ搾り出すようにして一言だけつぶやいた。
「なんでなんだろうな」
 二度目の質問に、俺は後ずさった。
 なにせ、この表情は怖いなんてものじゃない。
 その証拠に、俺の中の信号が全力で危険だと点滅している。
「今年のサンタは、どうも不平等のような気がするなー」
「そ、そんなことはないとおもいますよ」
 ちらちらと、俺の手の中に収まった三つのプレゼントに視線を送りながら、恨めしそうな声を上げる藤村に返した言葉は、何故か敬語になっていた。
「いいさ、俺は一人で枕をぬらす」
「い、いい事あるって」
「黙れ勝ち組! お前なんて嫉妬の炎で燃え尽きろ!」
 せっかく励ましたというのに、俺の言葉など耳に入っていないという様子で、藤村は言い捨てるようにして、雪の中を走り去ってしまった。
「誰に嫉妬されるんだよ」
 言われたものの、藤村以外の誰も今の自分に嫉妬する人間を見出せず、俺は一人つぶやいてから皆が去って行った家の門に背を向け、後片付けをすべく、家の中へと戻った。
 
 
 
「えへへへ」
「なにやってんだ」
「うん。えへへ」
「うんって……お前」
 片づけをしようと勇んだ俺を出迎えてくれたのは、見知らぬぬいぐるみを抱いたまま、気味が悪いほどの笑顔を浮かべ、一人で座り込んでいる我が愚妹だった。
「お前にそんな趣味があったとはね」
「うるさいわよ」
「はいはい」
「本当、デリカシーがないんだから」
 言いながら、花梨は胸に抱いたぬいぐるみをいっそう強く抱きしめ、まただらしなく口元を緩めていた。
 こんなことを言うのもアレだが、花梨が抱いているぬいぐるみが、この強情なる妹をここまでだらしなく堕落させるほどかわいいかと聞かれれば、一呼吸もおかずにノーと首を横に振ることが出来るだろう。
 では、なにがこの花梨をここまで堕としてしまったのだろうか。
「ん?」
「なによ」
「いや、なんでもない」
「何笑ってんのよ」
「いや、なんでもないよ」
 今度は俺が口元を緩める番だった。
 俺の目に映ったのは、綺麗に開けられた赤と緑の包装紙と、一枚の紙切れ。
 要するに、花梨が抱いているこのかわいらしくないぬいぐるみは、隣の家のサンタさんからの贈り物らしい。
「よかったな」
「う、うるさいわよ」
 頭に乗せられた俺の手を鬱陶しそうに払いのけ、頬を若干赤く染めたまま、花梨はどこかに行ってしまった。
「やれやれ」
 綺麗に開かれた包装紙と箱を拾い上げ、ゴミ箱に持っていこうかと悩む。はたから見れば、これらはただのごみだろう。実際、俺からしてもただのごみである。しかし、世の中にはこれをごみとして見ない人もいるということだ。たとえばそれは、思い人からの初めてのプレゼントの包装紙だから取っておきたい。という理由かもしれない。
 家の花梨がそうなのかは分かりかねるが、勝手に捨ててしまうのも忍びないので、俺はそのまま包装紙と箱を机に置いた。
「さて……と?」
 包装紙達を机の上に置き、もう一度床を見ると、一枚の紙切れが落ちていた。
「サンタさんからの手紙ってか」
 勝手に他人のものを盗み見するような行為は容認しがたかったが、掃除をするためにはこの手紙をどける必要がある。どけるためには一度持ち上げて他の場所に移すか、そのまま掃除機で吸い込むしかない。
 中身を見ないようにするには後者が最適だが、包装紙と箱を残しておいて手紙は捨てる。なんていうのは妙な話だ。
「俺は見るために拾うんじゃない。これは、いたし方がないことだ」
 言いながら俺は恐る恐る手紙を拾い上げる。
 目をつぶれば見えないのだが、そうしなかったのは、やっぱり俺の中に邪な思いがあったからに他ならない。
「さてさて」
 もはや保管から観覧へとシフトした当初の目的は、今確実に達成されようとしていた。
「うーん」
 読んで、俺は思わずうなり声を上げてしまった。
 なぜなら、目を通した手紙には、甘い愛の告白ではなく、ただ一言「いつもありがとう」と書かれていただけだったのだ。
 ドキドキもわくわくもあったものではなかった。
 しかし、俺は確実に読んでしまったことを後悔した。
 これが愛の告白なら、花梨をちゃかすなり、静かに応援するなり出来ただろうに、こうも綺麗な内容だと、先ほどまでの邪な自分が恥ずかしくなる。
「何も見ていない」
 自己暗示のようにつぶやいて、俺は机の上に置かれた箱の中へと手紙を放り込んで静かにふたをした。
 その日、リビングはいつも以上に綺麗に掃除された。
 
 
 
「さて」
 風呂に入った俺は、まだ乾いていない髪をタオルでかき混ぜながら、部屋の中央に鎮座した三つの爆弾と対峙した。
「一体、何をたくらんでるんだか」
 あの三人が俺にプレゼントを渡した理由が良く分からなかった。
 故に、俺は何かの陰謀としか考えることの出来ない、単純な思考回路の持ち主だった。
「とりあえずはお返し、コレだけじゃ足りないだろうな」
 そう言って、俺は部屋のたんすに隠しておいたプレゼントを取り出し、またタオルを激しくかき回した。
 本来、花梨に渡そうかな。なんて軽い気持ちで買ってみたのだが、今思えば、俺が花梨にプレゼントを渡す理由が良く分からない。
 毎年のように渡していたわけでもなければ、頼まれていたわけでもない。ただ、なんとなくだったのだ。
 だがそれも、あんなに幸せそうで、だらしない笑顔を見せられたら、俺が持っているこのプレゼントがとても色あせて見えて、渡せたものではない。
「ま、でもコレを入れて後二つ用意すればいいかな」
 使い古し、というか使いまわしのような気がしてあまりよろしくないが、このままこいつが捨てられるのもかわいそうなので、有効活用することにする。
「あにぃ、入るよ」
「お前、ノックを……」
 唐突に聞こえてきた声に、あせりながら言ったときにはもう遅く、すでに花梨は俺の部屋に侵入していた。
「なんだよ」
 無言のまま、俺を見る花梨に俺は投げかけた。
「見た?」
「は」
「見たでしょ」
「何をだ」
「これ」
 突き出されたのは、掃除の際に見てしまった感謝の手紙だった。
「そうだな。今見たぞ」
「あ、なし、ちょ、見るな見るな」
 あわてて手紙を後ろに回すが、どう考えても今のは馬鹿だと思う。
「よ、読んだ?」
「いんや」
 心配そうに揺れる花梨の瞳を見て、俺は嘘をついた。 
「そう」
「何が書いてあるんだ?」
「何でもいいじゃない」
「大河君からの告白か何かか?」
「え?」
「しまっ」
 あわてて口元を押さえるが、すでに遅かった。
「なんで大河君からの手紙だって知ってるの?」
「いや、お前が手紙をもらう相手なんてたかが知れてるだろ」
「そう」
 少し安堵したようにため息をついた花梨を見て、口元に当てていた手の下で、俺は頬を吊り上げた。
「って、納得するわけないでしょ!」
 俺の口はへの字へと瞬時に変化した。ついでに体もくの字に曲がった。
 腹には、花梨の小さなこぶしがめり込んでいた。
「で?」
「で? とは」
 ずきずきと痛む腹部をさすりながら、俺は花梨に聞き返した。
「そのプレゼントは?」
「いや、これは」
 花梨の指差す先には、渡されたわけではない四つ目のプレゼントがあった。
「ま、いいわ。これ、あげる」
「あ、え?」
「さっさと受け取りなさい」
「あ、あぁ、ありがとう」
「じゃ」
 そう言って花梨は俺の手に新しい五つ目を押し付け、部屋から去っていこうとする。
「ちょ、ちょっと待てよ」
「何?」
「ほらよ」
 そう言って、俺も花梨にプレゼントを押し付ける。
「あにぃが私にプレゼントなんて、明日は雪かしら?」
「お前が俺にプレゼント贈るのだって、明日が雪が降る理由としてはふさわしいぜ」
「あっそ」
「そうだ」
 お互いに笑いあいながら、俺達はプレゼントを交換し合った。
 
「しまった……」
 俺は、増えたプレゼントを目の前に、頭を抱えた。
 よりによって、お返しの準備をする手間が増えた。花梨なんて後でどうとでもなるというのに、その場の勢いで渡してしまった。
「まぁ過ぎたことは仕方がないか」
 のろのろと憂鬱な体を引きずりながら、俺は一つ目のプレゼントに手をかけた。
 もちろん、包装紙は丁寧に開いた。
「手袋か」
 一つ目のプレゼントは、黒の手袋だった。同封されていた手紙には「お返しは大きいもの希望」と書かれていた。内容からすると、花梨か恋だと予測されるが、花梨のプレゼントは先ほど貰ったばかりなので、コレは恋のものだと推測できる。
「大きなものね」
 俺はメモを取りながら、次のプレゼントに手をかけた。
「マ、マフラーね」
 同封された手紙には、「気に入らなかったら捨ててもいい」と綺麗な文字で書かれていた。
 文字から送り主は西条さんだと推測される。
「こ、これは」
 マフラーに問題はなかった。しかし、コレはどう見ても市販ではない。明らかに手編みのものだった。
 俺は震える手で、メモに西条、手編みと書き込んだ。
「黒須さんは……」
 恐る恐るプレゼントを開けば、そこにあったのは帽子だった。今度は、手編みでもなさそうだ。
 同封されているだろう手紙を探したが、出てこなかった。
 俺はメモをとらず、最後のプレゼントに手をかけた。
「あいつ……」
 出てきたのは、やたらとファンシーな熊のキーホルダーと「三倍で。明日からつけろ」の文字が殴りがかれた紙切れが出てきた。
「お返しね」
 俺はメモを見ながら首をひねった。
 メモには、大きいもの。だとか、三倍。だとか手編み。だとかなんの役に立ちそうにもない文字が羅列されていた。
 幸いなのは、今日がクリスマスイブだということだ。世間一般では、なぜかこのイブの方が盛り上がる。しかし、クリスマスにプレゼントを贈ってもなんら違和感はない。というかそっちの方が正しい。
 と、なるとまだ時間的猶予はある。
「手作り、大きいもの、三倍」
 ブツブツとつぶやきながら、俺は掃除され、ぴかぴかになったシンクの前に立っていた。
 大して金を持っていない俺に出来るプレゼント。それもキーワードを満たすものといえばコレくらいしか思い浮かばなかったのだ。
「二時か」
 今日はイブだと思っていたのに、いつの間にはイブではなくなっていたようだ。
 と、いうかイブなのだろうか、イヴなのだろうか。なぞだ。
「クリスマスイヴ、町はイルミネーションに照らされ――」
 ためしにつけたテレビに映し出されたクリスマスイヴ特集という文字を見て、軽くカルチャーショックを受ける。イブではなくイヴらしい。
「昨日はホワイトクリスマスとなりましたが、今日も同様にホワイトクリスマスになるでしょう」
 何のキャンペーンか知らないが、不機嫌そうなままの釣り目のサンタがそう言った。
「雪、ね」
 それは花梨のせいなのか、それとも俺のせいなのか、どちらにせよ、明日からは寒さに困ることはなさそうだから雪は大いに結構だ。
 なぜなら、今の俺にはマフラーに手袋、そして帽子まである。もうこの冬は乗り切れたも同然だ。
「さっさと作るか」
 俺は腕まくりをし、プレゼントのために冷蔵庫からいくつかりんごを取り出し、作業を開始した。
 外では雪がしんしんと降り続いていた。

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