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第63話〜依存

「今日の夜に家でどう? ね」
 夕焼け色に染まった教室で、私は一人彼の行った言葉を一人、反芻していた。
 もう、彼の家に行くことはかなわないのではないか。と思っていたのだが、案外簡単にチャンスが回ってきた。
 もしかしたら、神様ってのはいるのかもしれない。ただ、それは世間一般に言う神々しいも
のではなく、もっと無粋で、性悪なものだと私は思う。
「来てくれたらいいな」
 なんて一人つぶやき、一瞬、気まぐれの神様に願いを送ろうかと思ってみる。
「大体、私の神頼みは自殺行為だしね」
 しかし、私はそう吐いてから自嘲気味に笑い、朱に染まった机を眺めた。
 私が日が暮れた教室で、一人こうしているのも、とある理由があるからだ。
「恋ちゃん、赤さん……」
 閉じたままの扉を見つめ、ため息とともに、大切な友だった人の名前をつぶやく。
 私の身勝手によって、知りたくもない事実を知ってしまった三人。
 私は、いつも太陽のように明るかった三人の笑顔を、歪ませてしまっている。
 今までは、だめならそれで仕方がないとあきらめていたというのに、今回は自分のために、ただあの三人の事を思っていたかった。
「もしかして、場所を間違えたんじゃ……」
 座っていた椅子から立ち上がり、うろうろと教室を歩き回る。
 私は今日、手紙を書いた。内容はもう一度はなしがしたい。とごく簡潔に。
 休み時間にこの手紙を三枚書いた私は、その時間に下駄箱に行き、手紙を入れたはずだ。
 ただ、全員の下駄箱なんて把握していなかったので、探すのに時間がかかってしまったし、
本当にあそこが正しい場所だったのか自信はない。
「やっぱり不安……」
 立ち止まり、扉を見る。
 私の能力なら、会いたいと願えば会えなくなるに違いない。
 だが、私はじっと扉を見たまま待ち続けた。
 
 
 
「無理……か」
 茜色に染まっていた教室も、そろそろ暗闇に支配されてきていた。
 ふとグランドを見ると、運動部の姿ももうない。
「帰ろう」
 のろのろと重い足を引きずりながら、私は扉に手をかけた。
「明日もがんばろう」
 くよくよしていてはだめだと、自分に鞭打ち、そして自らを鼓舞して勢いよく扉を開けた。
「やばっ」
「ん?」
 扉を開けたとき、聞きなれた声が聞こえたような気がした。
「こりゃ重症ね」
 幻聴まで聞こえるなんて、そうとうあの三人に依存しているらしい。
「ちょっと赤、何でこんなところに、花梨ちゃんも」
「うるさいぞ、少し静かにしろ恋!」
 やたらとリアルな幻聴である。
「あの……」
「きゃっ」
 廊下の隅でひそひそと言い合う幻聴の発信源に、覚悟を決めて声をかけてみると、驚いて数歩下がってしまった。
 もし、この光景が全部私の妄想だというならば、私は相当危ない人に違いない。
「や、やあ美穂」
「き、奇遇だね美穂」
 あからさまに引きつった笑顔のまま、周囲に目を泳がせているのは、やはり気まずいのだろうか。
「手紙」
「え?」
「あんな手紙いきなり渡されても迷惑」
「うん」
 おどおどと辺りを見回していた二人とは対照的に、花梨ちゃんは私に向けて鋭く言い放つ。
 迷惑。といわれてしまっては弁明の余地もなさそうだ。
 私は、花梨ちゃんの刺さるような鋭い視線から逃げるようにして、薄暗い地面を見た。
「なのに、なんで」
「え?」
「何で、迷惑だから、文句を言いに来たのに、貴方は私達が来ると信じて、ずっとあんな部屋
で一人でいるのよ」
「だって」
 来てくれると思ってた。なんてうぬぼれたことはいいたくなかった。
 熱を帯びた花梨ちゃんの言葉の中の、私の一人称がお姉ちゃんから貴方になっているのに気
づき、私は言葉に詰まる。
「私達が来なかったら、どうするつもりだったのよ」
「来てくれなかったら、また明日も、その明日も、ずっと待つつもりだったの」
「そんなの、迷惑、だよ」
 先ほどまで熱を持って、私をさすように飛んできていた花梨ちゃんの言葉は、ここに来て、いきなりその鋭さを失っていた。
 見れば、花梨ちゃんは小さなこぶしを握り締め、唇をかんだままぶるぶると小刻みに震えて
いた。
「馬鹿、だよ」
「でも、現に来てくれた」
 目にいっぱいの涙をためたまま、私を睨んだ花梨ちゃんに、負けじと精一杯の笑顔で答えてみせる。
「明日でも、その明日でもなく、今日来てくれたよ」
「美穂、あんたにはどうもかなわないみたいね」
「赤、さん」
 やれやれといった様子で、歩み出てくれたのは赤さんだった。
「様子を見て帰るだけのつもりだったって言うのに、教室を見れば美穂が一人でぼんやりとし
ているし、花梨ちゃんは扉にかじりついてその様子を見ている。それに」
 そこまで言って赤さんは、ちらりと背後をいちべつして、クスリと微笑する。
「どこかのお馬鹿さんは、見つからないように、少し離れたところでじっと中を見ていたわ。アレで隠れているつもりだったのかしら」
「ば、馬鹿とはなによ馬鹿とは」
「あら、恋だといった覚えはないのだけど?」
 最後まで私の前に出てきてくれなかった恋ちゃんは、赤さんにあおられるようにして、怒りながら私の前にやってきた。
「恋ちゃん、アレで隠れてたの……」
「え、嘘、ばれてたの。て言うかいつの間にあんた達は来てたのよ」
 いつの間にかすっかりと涙の痕跡を消してしまった花梨ちゃんは、昔のような笑顔で恋ちゃ
んとじゃれあう。
「二人とも、日が暮れていくって言うのに、まったく動かないんだから笑い話よね。と、言ってもそんな光景を見ながら、私も動いていなかったのだから、何もいえないのだけれども」
「そ、そうだ、お前も私達と同じように馬鹿の子だ、赤!」
「私達、って私は馬鹿じゃないです」
 あぁ、やっぱりいいな。
 目の前の数日前までは、いつもそこにあったこの光景を見ながら、私は思った。
 赤さんが恋ちゃんを馬鹿にして、恋ちゃんが怒り、花梨ちゃんがなんとなく加わり、私はそ
れをなんとなく眺めながら、たまに飛んでくる流れ弾の処理に四苦八苦する。
 そんな日常が私は大好きだ。
「ねぇ、美穂、貴方はどう――」
 言いかけて恋ちゃんは固まる。同時に残りの二人も、唐突に生まれてしまった沈黙に毒されたようにして気まずそうに、少しもじもじし始める。
「あ、あのね、ち、違うの」
 言いながら、その目に確かな恐怖を宿し、恋ちゃんはじりじりと後退していく。
「せ、恋ちゃん……」
 後ずさりしていく恋ちゃんに、大丈夫だよ。と手を伸ばす。
「化け物!」
「きゃっ」
「ち、違うの、これは、あの」
 はじかれ、少し熱くなった手をさすりながら、私はもう一度恋ちゃんに手を伸ばす。
 今度は、先ほどよりも慎重に、ゆっくりと。
「恋ちゃん、少しは信じてあげなよ」
 ぶるぶると小動物のように震える恋ちゃんを叱咤するようにして、花梨ちゃんは赤さんの背
中をドンと押した。
「ほらっ」
 そう言う花梨ちゃんは、笑顔だった。
 そういえば、赤さんの話を聞いたところ、隠れるようにして恋ちゃんがいたのだ。そして、
恋ちゃんは二人がいたことを知らなかった。
 つまりは、話から推測するに、あの場所に一番長くいたのは、恋ちゃんと言うことになる。
「来てくれてありがとう、恋」
 その日、私は始めて友達の名を呼び捨てした。
「ばっ……馬鹿」
 名前を呼ばれ、びくりと少しおびえた様子を見せながらも、名前を呼ばれた私の友人は、いつものように、やっぱり毒を吐いた。
「そうだよ。私は、恋が思うよりずっと馬鹿なんだからね」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿ー」
 気づけば、私の手は、胸の中でじたばたと暴れる友人のショートヘアーをなでていた。
「まったく」
 ため息をついたのは、この中で一番年少の花梨ちゃんだった。
 そういえば、花梨ちゃんは彼の家でアレを話したときにも、何とかして空気を換えようとし
てくれていたし、今日だって、私に真っ直ぐぶつかってきてくれて、話の糸口を見出してくれた。
 もしかしたら、この最年少の少女は、年上の私達の世話をしてくれているのかもしれない。
 いや、そんなことを考えるのはよそう。
 なにせ、花梨ちゃんは私の大切な友達であり、妹なのだ。
 それに、彼の家の住人だ。だから、もしかしたら、本当に魔法使いなのかも知れない。 
 
 
 
「よし」
 私の胸から離れ、真っ赤にはれた目をこすり、恋ちゃんは決意したようにその場に座り込ん
だ。
「じゃあ聞こうか」
 少し鼻声ながらも、その声ははっきりと廊下に響いた。
「そうね」
「そうだねー」
 言って赤さんと花梨ちゃんの二人も、その場に座り込む。
「わかった」
 それにつられるようにして、私もその場に腰をすえる。
 夜の廊下は、ひんやりと冷たく、私の思考を冴え渡らせる。
「じゃ、聞いて」
「うん」
 重々しく響いた私達の言葉は、暗い闇にとけ込み、沈黙だけを作り出した。
「まず、私達ネームレス、というのは、大きく三種類に分かれるわ」
「はいはい、知ってる。どこに影響を与えるか。でしょ」
 そう言って花梨ちゃんは自慢げに胸を張る。勉強でもしたのだろうか。
「そう。私の場合は、周りに影響を与えるタイプ。そして、危険度階級は上から四番目、危険
級」
「それで、どんな能力なの……その四番目の階級の能力は」
 言った赤さんからは、ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
「逆転現象<サカサマサカサ>です」
「サカサササ……え?」
「上から呼んでも下から読んでもサカサマサカサです」
「で、そのサカサカサカサはどんな能力なの?」
 実に真剣な表情で聞いてくる赤さんにため息を漏らす。
 サカサマサカサ。そんなに言いにくいだろうか。
「サカサは、その名のとおり、逆転現象が起こるの」
「たとえば?」
「私が明日雨が降ってほしいと思えば、次の日は晴れるわ」
「便利!」
 何故か、こういうところだけは恋ちゃんが目を輝かせて出てくる。
「でも、たかがその程度の能力が何で四番目の危険度なのよ」
「そういえばそうね」
「それは……」
 言いかけて言葉を飲み込んだ。なぜなら、人殺しだから。なんていってしまえばまた、三人
は離れていってしまうだろうからである。
 しかし、うそはもうつけない。
「実は、私、人殺しなんです」
 私の言葉に、場は凍りついた。
「昔、ある一人の男の子を好きになったんですけど、もっともっと一緒に居たいって願ったんです。そしたら、ある日、その子が体育館で……」
「分かったわ。もういいわよ」
 気づけば、恋ちゃんが私の肩を叩いてくれていた。
「で、でもその子、何故か生きてて、文化祭の時にいきなり現れて、そしたらみんな血まみれで、生首で」
「美穂!」
 体育館でいきなり湧いた赤い水溜り、真っ赤な教室、転がる友人の生首。そんなものが私の
頭の中を電量のように駆け巡っていた。
「美穂ってば!」
「恋……ちゃん?」
 やたらとゆれる視界にうつっていたのは、首のついたままの恋ちゃんだった。
「そう、私。後藤恋よ、分かる」
「ごめんね、ごめんね、ごめん……」
 そう言って抱きついたまま泣き出してしまった私に、戸惑いながらも、恋ちゃんは私の頭を撫でてくれた。
「わかった、わかったから」
 つい先ほどまで立場が逆だったというのに、もうこの有様とは、自分の事ながら情けない。
 
 
 
「ごめんね、恋ちゃん」
「いいのよ。でも、戻っちゃったんだね」
「何が?」
「名前。恋。じゃなくて、たま、ちゃんに」
 少し寂しそうに言って、恋ちゃんは私の言葉を待った。
「はずかしいから。それに……」
 そして私はここに来て、三人を呼んだ目的を果たすため、三人に向き直る。
 三人と仲良く、ずっと暮らしていたい。
「あの!」
 私の言葉がだけが、滑稽なまでに廊下に響く。
 私は正座のまま、背筋を伸ばして決意を決める。三人も、姿勢を正して正座になって背筋を
ピンとはる。
「私にかかわらないでください!」
 言い切り、ココロに穴が開いたのを感じた。
 やっぱり、私は三人と仲良くしていきたいと思う。
 しかし、やはり三人が大切なら、これが最良の選択なのだ。
「な、なに言ってるのよ美穂」
「私の能力分かったでしょ、恋ちゃん。いえ、後藤さん」
「分かったけどいきなりなんで、そんな……」
 恋ちゃんはそう言って、力なくその場にへたり込んでしまう。
「つまり、迷惑をかけたくないから、離れていきます。と」
「その通りです。黒須さん」
 やはり、花梨ちゃんは頭がいいらしい。混乱したこの雰囲気の中でも、的確に真意をついて
くる。
「そ、そんなの」
「馬鹿!」
 気づけば、私はひんやりとした廊下に頬をつけていた。
「え……?」
 ひりひりと痛む頬をさすり、状況を確認しようと辺りを見る。
「ちょっと、赤!」
「うるさいわ恋。馬鹿に馬鹿といって、何が悪いって言うのよ!」
 赤さんの言葉をききながら、あぁ、私はぶたれたんだと、熱くなった頬をさする。
「もう一度言ってみなさいよ美穂! 私達にどうしろって言うのよ! え!」
「せ、赤」
 恋ちゃんに押さえつけられ、じたばたともがく赤さんの頬には、涙が伝っていた。
「私に、かかわらないで、ください」
 途切れ途切れに言った言葉はしっかりと届いただろうか。
「馬鹿!」
 恐る恐る顔を上げると、私はまた、頬をぶたれた。
「私達が、いつ助かりたいなんて、いつそんなこと頼んだのよ……」
「だって……」
「本心で私達から離れたいなら、そんな台詞くらい、泣かずに言ってみなさいよ!」
「え?」
 言われるまで気づかなかったが、どうやら私は泣いていたらしい。  
「だから、だから、そんな悲しい事いわないでよ」
「赤……さん」
 抱きついて、わんわんと声を荒げて泣く赤さんと共に、私も声を上げて泣いた。
 気づけば、花梨ちゃんも、恋ちゃんも泣いていた。
 私達四人は、暗闇で、ひたすら泣き叫んでいた。
 そして気づいた。やっぱり、私にはこの三人と離れることは出来そうにない、と。
 
 
 
 
「そういえば、今日、白金の家に呼ばれてるんだった」
「え、私も」
「わ、私もです」
 泣き疲れた私達は、ふと思い出したようにつぶやきあった。
「あんの馬鹿あにぃは一体何を考えてるんだか」
 花梨ちゃんは、馬鹿あにぃとつぶやいて頭を抱えた。
「でも、約束だものね」
「そうだね、約束だもんね」
「行こうか」
 立ち上がり、お互いの顔を見合い笑いあった私達四人は、手をつないだまま、彼の家へと駆け出した。
 
「いらっしゃい?」
 私達が彼の家に着いたのは、不思議そうに首をかしげる彼が、ちょうどお風呂から上がった
ころだった。
「どうやら俺の出る幕はなかったみたいだ」
 少し残念、しかし喜びながら、彼は私達を家に招き入れてくれた。

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