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第五十六話〜鉄

「感染してようがしてまいが雄介は雄介だよ」
 今まで散々感染した人間を感染しているといって、人生を狂わせてきた人間の言葉とは思えないようなことを詩織は言い出す。
「私、感染者は言い当てたけど別に避けてはなかったでしょ?」
 俺の顔を見ていったんだろうか?まあ、確かに詩織が感染者にあからさまに離れたりとかそういう類の態度を見せたことはなかった。武内しかり、恭子さんしかり。
「だから……私は感染者でもいいよ?」
 そういう詩織の頬はわずかに赤く、目線も下がりがちだ。いったい何に頬を朱に染めているのかはわからないが、とりあえずは感染者だからといって今まで通りに接してくれないわけではないようだ。
「よかった」
 俺は体の力が抜けていくのを感じた、緊張がとけたのだろうか?しかし、そんな空気の抜けた風船のような俺とはちがったため息をつき詩織は頭を抱える。やがて詩織はなにかを諦めたような感じで俺に手招きをしている。ふらふらと手招きに誘われて詩織の元へと進んでいく。
 詩織の目の前まで来て何かと思って見ていると、してではポニー照るかひょこひょこと上下に動いて、なんだか気分が悪くなりそうな光景だ。
「届かない」
 極めて不機嫌そうな声が聞こえてかと思うと、すぐ次の言葉が飛んでくる。
「しゃがんで」
 別に断る理由もないので俺は少ししゃがんでやる。目の前にはちょうど詩織の顔が来る高さで、なんだか気まずい。
「いったいな――」
 俺の言葉は、最後まで言われることもなく、いきなりの攻撃に奪われた。ちょっとした痛みの後、大きく目を見開くと、そこには詩織が居た。かなりの至近距離だ。かなり近いというよりもすでに顔の一部分はゼロ距離になってしまっている。ようするに早い話、俺はいまキスをしている。ファーストキスは何とかの味とかいうが俺の場合は鉄の味で、何故鉄の味かというと、なら詩織が思いきり唇をぶつけてきたからだ。この年になってファーストキスなのかと思うと自分でも情けなくはあるがここは仕方が無かったという言葉で済ましておこう。それにしても口付けというより頭突きに近い形になってしまった。察するに詩織も初めて、もしくは慣れていなかったのだろう。まあ小学生がキスに慣れていたらそれはそれでどうなんだろう。もしなれていたのなら俺は少し自身をなくすことになる。俺はその慣れていなかったという事実に少し安心したが、また同時に、小学生に始めてを奪われたということに情けなさを感じた。
 唇を奪われて恐らく数秒後だろう。一瞬時が止まったかと思ったが、遠くで鳥がないていたので時は動いていたのは間違いない。詩織は顔を真っ赤にしたまま離れてき、同時に柔らかい感触も離れ少し寂しく感じる。詩織の唇からは血は出ていないので鉄の味がしたのは俺の唇だとついでに推測して唇を指でなぞる。やはり俺か。
「これで分かった?」
 俺から離れた詩織が俺をまっすぐ見つめたまま、そう聞く。一瞬、金でも払うのかと思ったが、今までの話のかみ合わなさと詩織との会話と言葉の一つ一つを思い出してそこにたどり着く。これは憶測だが、好きな人間以外にはキスをしないだろう。と思う。だから詩織もそういうことなんだろう。そうであってほしい。先ほどの分かってほしいという発言も自分なりに考えてこういう結論が出たのだからそうであってほしい。そして、今はきちんと伝えなくてはいけないと察した。
「俺はお前のことが好きだ」
 ぽつりとこぼした言葉に詩織は顔をこちらに向け、朱に染まった頬をさらに朱に染めて下を向いてしまった。
 今の詩織の反応を見る限りそう言うことであっていたのだろう。
 しかし、俺は言わなくてはいけなかった。その好きだという言葉の続きを。
「でもね……俺は詩織の気持ちには答えられない」
「へ?」
 詩織の顔から血の気が引き、その場の空気が凍っていくのを感じた。

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