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第三十三話〜本当の日常

「どうしたの?」
 たかしは嬉しそうに自分より嬉しそうにしていた僕に尋ねる。
「父さんが遊園地に連れていってくれるらしいよ」
 ぴょんぴょん跳ねながらたかしに力説する。
「へぇ」
 たかしもうれしそうに相槌を打つ。
 しかし、唐突に遠くで始業を告げるベルが鳴っている。いつの間にかそんな時間になっていたようだ。
「走るよ」
 たかしを見る。
「じゃあ競争だね」
 たかしもこちらを見つめる。
「よーい」
 二人とも体を深く沈める。
「ドン」
 弾かれたように二人で駆け出していく。ゴールは教室。距離は数十メートル。勝敗はわからない。
 僕たちは風のように走った。

「ハァハァ」
 聞こえる息遣いは荒く心臓も、もう無理だと言わんばかりに鼓動をあげている。足がちぎれそうだ。
「ゴ、ゴール」
 教室の扉を勢いよく開け勝利の雄叫びを上げる。
「ハァハァ……速いね流石に」
 数秒遅れてたかしがやってくる。
「僕の勝ちだね」
「俺の負けかぁ」
 たかしはとても悔しそうだ。
「楽しそうでよかったな」
 顔を上げると生徒の出席簿を手にした教師が僕たちを見下ろしていた。笑顔で。
「遅れて来た言い訳は?」
 教師は俺達に問う。
「……」
 駄目だ。たかしは完全に石像と化している。
「何もないのか?」
 教師はニヤリと微笑んだ。
「横断歩道を渡ろうとしていたおばあさんの荷物を一緒に運んであげました」
「なに?」
 善い事をしたといえば怒るに怒れないはずだ。そう思って俺はとっさに嘘をでっち上げる。
「ならしかたないな」
 僕の読み通り教師もいいことをしたなら仕方ないと言った風で怒れないで僕たちを席につかせた。
「わかってるね?」
 席についてすぐにたかしに確認を取る。
「なにが?」
 たかしは不思議そうに首を傾げる。
 駄目だこいつは……役に立たない。
「帰りに横断歩道を渡ろうとしているおばあさんを探すんだよ」
「なんで?」
 僕は頭を抱える。本当にだめだ。
「一応だよ」
 こいつにはこれくらいの説明で十分だろう。
「わかった」
 たかしは嬉しそうに頷いている。まったく、何がわかったんだろうな。というかわかっていないに違いない。

 時は以外にも早く回るもので、気付けばもう放課後だった。
「起立」
 眼鏡の委員長の声で立ち上がる。
「事故には気をつけろよ」
 担任のいつもの忠告を聞く。
「礼」
 皆一斉に頭を下げながらさようならといって足早に教室を出ていく。
「帰ろう」
 気付けばすぐ近くまでたかしが来ていた。
「行こうか」
 僕はランドセルを背負って教室を発つ。
「何して遊ぶ?」
 たかしは満面の笑みで僕に話しかけるが、やることがあるんだ。
「おばあさん探すぞ」
「なんで?」
 やれやれ、いちいち面倒なやつだな。
「先生に言った事を一応やっておくんだよ」
「なるほど」
 たかしは手を叩いて笑っている。なぜかいらつく。
「おばあさん居るかな?」
 何がそんなに嬉しいのだろうか、たかしは目を輝かせて話しかけてくる。
「わからないな」
 僕は首を横に降ると、たかしは残念そうに肩を落としたが、数秒後には元に戻って僕の後ろをひょこひょこと着いて来ている。単純なものだ。
「おばあさん居ないね」
 歩き始めて数分、たかしが根を上げ始めた。
「今日は居ないのかも」
 たかしが無理だと思うならこれ以上は無理だろう。
 僕等は肩を落としながら家に帰った。

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