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第三十二話〜全てはかなき夢

 幾日の間歩いただろうか?
 もう俺の疲労はピークに達していて、俺は足元もおぼつかない。そういえば頭がボーッとするし体も熱っぽい。
 風邪でも引いたのだろうか?ふらふらと歩いていると、足を何かにとられてスローモーション映像かのように、ゆっくりと地面と空が反転し、体がどんどんと地面に近づいていく。
 背中を地面に打ち、肺の空気が口から一気に漏れ出す。次いで頭部に衝撃を感じて、俺の意識は薄れる。
 近くで何かの声が聞こえたような気もするがもう動けそうにない。
 こうして俺の意識は闇に溶けた。

 右を見ても闇、左を見ても闇、前も後ろも上も下も全部闇。大体さっきから上だの下だの言っているが、本当にそこが上なのかそれとも下なのかは分かりそうにない。
 それに、暗いのは堪える。なぜなら光の届かない真の闇の中では自分と言う存在すら確認することができない。
 頬を触り、頬を触ったと言う実感はあるが、やはり自分と言うものが存在をしているのかというのは気になる。
 確かにそこあるはずの手が、足が、そこに見えないと言うのはかなり不安になる。
 と、いきなり闇の世界が反転して光に満ちる。同時に俺は自らの形を取り戻していく。

 遠くでは包丁がまな板を叩く軽快なリズムが聞こえてくる。
 俺は布団の中にいた。物凄い夢でも見たのだろうか?寝汗でぐっしょりとパジャマが濡れている。
 何か物凄く気持ち悪い夢を見たような気がするが、何だったんだろうか?
 とりあえずはっきりとしていることは、あの無人島が夢でこれが現実と言うことだ。
 つまり気の狂ったハイジャックや恐ろしい感染病も流行っていないごく普通の世界だ。
 眠い眼をこすって、テーブルを見ると父がいつも通り新聞を読んでいた。
 そう、いつも通り。これが普通なのだ。
 母は下手くそな鼻歌を歌いながら包丁を振り回す。
 実に危ない。が、しかしこれもいつもどおりの光景。
 父は正義のヒーローで、母は懸賞が好きな普通な主婦で、僕は普通の小学生だった。
 父に何度も何屋さんか聞くと、やくざ屋さんと教えてくれた。なんでも正義の味方らしい。
 家庭はよくある貧しくも裕福でもない中流家庭。そんな僕の家族。
 今日も僕はいつものように母に見送られて父と学校へと出発する。
「いってらっしゃい」
 母のいつもと変わらない送り出す言葉。
「いってきまーす」
「行ってくる」
 僕と父は二人で声をそろえて玄関を出る。
 いつもの風景。毎日の習慣。
「学校はどうだ?」
 父のいつもの台詞。
「楽しいよ」
 いつもの返し。
「勉強は?」
 これもいつもの台詞。
「簡単過ぎてつまらない」
 これもいつもの返し。
「今度、遊園地にでも行くか」
 これはいつもの台詞にはなかった。
「本当?」
 いつもと違う台詞に戸惑いながらも、あまり聞いたことのない遊園地と言うワードに反応してしまう。
「あぁ本当だとも」
 父は僕の肩をポンッと叩いて笑顔で答える。
「約束だよ」
 僕は笑顔で小指を差し出す。
「約束だ」
 父は小指を僕の小指に絡ませて声をかける。
「ゆーび切りげんまんうーそ付いたら」
「禁煙」
 父は重度のヘビースモーカーだったので、こっちの方が針より嫌だろう。
「「指切った」」
 僕と父は顔を見合わせてにこりと笑い合う。
「じゃあ学校頑張れよ」
 絡んだ小指を外して父は手を振りながら去っていく。
「父さんも仕事頑張ってー」
 僕も手を振り父とは逆の方向に走り出す。

「おはよう」
 父と別れてから、そのまま毎日一緒に登校をしている、たかしの元まで走って来たので多少息が上がっている。
「おはよう。たかし君」
 たかしは僕を見てたかしと呼ぶ。
「おはよう。たかし君?」
 もう一度たかし同じ事を言う。
 ははぁん。今日はそう言う遊びか。
「おはよう雄介君」
 たかしに習って自分の名前を名乗る。
「うん!おはよう」
 たかしはとても嬉しそうだ。

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