第27話〜そうだ海行こう
「青い空、白い雲、そしてこの広い海!」少し遠くでは、嬉しそうにはしゃいでいる恋達が見える。
「ちょっと、白金! 早く来なさいよ」
あっちでは、あんなに女の子達が嬉しそうにしているというのに、俺はいまいち盛り上がれないで居た。
と、言うのも肩にかかっているこの荷物の量を見れば誰もが察してくれるに違いない。こういったときには、男と言うのは非常につらい。それに、もし断ろうとしても、あの面子の指示を断る勇気は俺にはない。畜生。
「白金? 聞いてるの」
「はいはい」
そろそろ行かないと、また無理難題でも押し付けられそうな勢いなので少し歩を早めることにする。
「それにしても、この頃黒須さんは元気がないな」
歩を早めたはずの俺に、いつの間にか追いついた藤森は心配そうに言ったが、どのような話の流れでそういった話題になるのだろうか?
「あの雨の日からやたらと元気がないけど、お前何か知ってるか?」
あの雨の日、と言うと、丁度この海へと行く計画を俺の家でしていた日のことだ。いきなり部屋を飛び出したらしい黒須さんは、雨の中で一人、公園の滑り台の下に隠れるようにして座って居た。その姿には、まるで生気がなく、死んだ魚のような目をしていた。
俺は黒須さんを家に送った後、家で待機をしていた全員に何があったのか問いただしたが、皆、俺の質問に、何も黒須さんの気分を害するような相談はしていなかった。と言うことだけを教えてくれたのみで、他には何も答えてはくれなかった。ただ、恋がそう言っていたのだがら恐らくそれは嘘ではないのだろう。第一、あの馬鹿が人をおとしめるようなことをしたり、嘘をうまくつけるような器用な人間ではないことはよく知っている。
何はともあれ、黒須さんが暗くなってしまったのはその日を境目にしているのは間違いではないようだ。あの日からは学校を頻繁に休むようになったし、学校に来ても、誰とも会話をしようとしない。家に様子を伺いに行っても、あまり家には帰っていないようでなかなか会えない。花梨の話によれば、時々帰ってきては着替えなどを洗濯し、新しい着替えを持ってまたどこかに行ってしまうそうだ。
クラスの誰もが、黒須さんの異変に気づいていた。しかし、何故か黒須さんを前にすれば誰もがきびすを返してしまっていた。それはまさに、そこに見えない壁でもあるかのようだった。
実際、俺も何度か話しかけようと思ったが、なぜか彼女の前に立つと違う用事を思い出すのだ。
「白金、ちょっと、あぶな」
「え?」
ぼんやりと考え事をしながら歩いていたのが悪かったのだろう。正面から誰かに当たってしまった。まぁ恐らくは声からするに恋だろう。
「すまん。大丈夫か?」
丁度俺の下敷きにされるように倒れた恋を気遣って言葉をかけてやる。
「わお、祐斗ってば大胆ね」
物音を聞きつけたのだろう。可憐さんがそんなことをいいだす。わざとらしく口に手を当ててさも驚いているかのように振舞っている。困る。そんなことをされては困ってしまう。なぜならこいつにそんなことをすればきっと俺は突き飛ばされてしまうからだ。
俺は恋に突き飛ばされるのを覚悟して目をぎゅっと閉じる。
しかし、いつまで経っても俺の体に衝撃が訪れることはなかった。
恐る恐る目を開けた俺が見たのは、ぼんやりと俺の顔を見ている恋の呆けた顔だった。
「恋?」
打ち所でも悪かったのかと思い声をかけてやる。
「え? あ? ちょっ」
俺が声をかけたとたんに暴れ始めてしまう恋。何故今になってなんだ。しかも、顔が真っ赤になっているし、そんなに俺に押し倒されたのが恥ずかしいか。たしかに、もやしもやしと言って馬鹿にしていた俺に押し倒されてしまったのは屈辱かもしれないが、そこまで暴れる必要はないだろう。それに、そんなに暴れられると非常に危ない。
「どいてっ!」
その声とともに恋が俺を突き飛ばした。
しかし、それが悪かった。動転してしっかりと力が出ていなかったのだろう。俺の体は吹き飛ばず、ただバランスを崩すだけにとどまった。だが重い荷物を背負っていた今の俺にはそれで十分だった。日頃から筋トレなどしてない俺のやわな二の腕はあっさりと力尽き、そのまま顔から地面の落ちる。
「いっ」
小さな悲鳴が耳元で聞こえる。唇からは暖かく、やわらかい感触が伝わってくる。これは明らかに地面ではない。
「し、し、白金っ!」
完璧に俺に乗られてしまった恋が必死にもがくが、流石に自分の上に乗っている人間をどかすのは骨が折れるようで、俺はどかされるどころかどんどんとダメージを負っていく。
「あ、あ、あんた、わた、わたしに」
ずっと俺の下で暴れている恋。何をそんなにあわてているのだろうか?というかわき腹をそんなに殴られるとつらい。
俺はこれ以上殴られないようにすばやく恋の上から撤退して距離をとる。
「あんた私に、キ、キ、キ」
ゆっくりと立ち上がりながら奇声を発し始める恋。やはりさっさと離れてよかった。
恋はひどく動揺しているようだし、今ならまだ間に合うに違いない。唇に残る生暖かい感覚の正体は気になるが今は生き残ることが先決だろう。俺は落としてしまった荷物を拾い上げ、その場を風のように去った。つもりだった。
「つーかまえた」
恋から離れようと他に注意を払うのを忘れていたのが悪かった。俺は今、可憐さんに捕まっていた。ある意味この人も今の恋くらい避けておきたい人だ。この人と居ると何をされるか分かったものじゃない。
「こっち」
声のする方向を見れば、麗子さんが手招きをしていた。もしかしてかくまってくれると言うことなんだろうか?俺は可憐さんに連れられて麗子さんについていく。
やがで俺は一つの穴を見つける。穴の中は真っ暗で、いったいどれだけの広さなのかは検討がつかない。入り口には危険立ち入り禁止の看板もあるし、非常に危なそうだ。
「ここなら安全」
そういって普通に立ち入り禁止のロープをくぐる麗子さん。麗子さんはあんなに行動的だったのか。そんな麗子さんとは反対に、可憐さんは少し腰が逃げていた。
「怖いんですか?」
「そ、そんなわけないでしょ。行くわよ」
俺が聞くと声を震わせながら答えてくれる。早く行こうといったのに俺を盾にするようにして穴の中へ進んでいくのは非常に分かりやすい恐怖表現で、思わず笑ってしまった。
「ここなら恋もきっとこれない」
穴の中を進むこと数分。麗子さんがそういった。暗闇にも少しだけ慣れた俺は、麗子さんの近くに座る。と、言うのも、麗子さんが座っていたので近くに座っただけだ。もちろん、可憐さんはいまだ俺にぴったりと引っ付いて離れない。まるで、小さい頃の花梨のようだ。
あの頃の花梨はよかった。いつも俺におにいちゃんおにいちゃんといって懐いてくれていたし、今のように俺を殴ったりしなかった。なにより、俺のことをちゃんとお兄ちゃんと呼んでいた。そんあ花梨も、いまでは俺のことを馬鹿あにぃなどと呼ぶし、俺を殴る蹴るは当たり前、そしてこの頃はずっと黒須さんの家に入り浸って弟さんにべったりだ。あいつがやりたいことなんだから何も言えやしないが、兄としては少し寂しい。
そういえば、黒須さんは大丈夫なんだろうか?今日の海だって、俺が聞いても無言でどこかに行ってしまう始末だったし、来ないのは当たり前だろうとは思っていたが本当に来ないとは……。あの公園で見た姿は本当にどこかはかなくて、誰かが見ていないとすぐに消えてなくなってしまいそうだった。あのまま俺達の知らないところで自分で消えていこうとするのだけはやめてほしい。
「祐斗?」
そんな馬鹿げたことを考えていると、隣に居た可憐さんが俺に声をかけてくる。
「あの日、何の話をしていたか教えてあげましょうか?」
そのいきなりの提案に俺は多少驚いたがすぐに首を縦に振る。
「それで黒須さんが落ち込んでいる原因が分かるのなら」
出来るだけ真剣な表情で言ったつもりだったのだが、可憐さんに笑われてしまう。不思議そうに首をかしげていると、麗子さんが答えを教えてくれる。
「誰があの雨の日の事だって言った?」
「あっ」
そういえばそうだ。可憐さんは一言もあの雨の日の事だとは言っていなかったと言うのに、今まで黒須さんの事を考えてばかりいたせいか早とちりしてしまったようだ。
「まぁ、どうせあの日のことだから間違いではないんだけどね」
ため息をついて言う可憐さん。何をそんなに疲れているのだろうか?
「ちょっとだけ待ってね」
話すと言ったのに何故か可憐さんは麗子さんを連れて俺の目の届かないところへと離れていってしまう。恐らくはトイレか、相談事でもしているのだろう。
二人を待つ間、何もやることのなくなった俺は黒須さんのことを考えた。
しかし、不思議なことに黒須さんのことを考えようとすると、頭の中にノイズが起こったようにうまく黒須さんを思い浮かべることが出来ない。今までこんなことはなかったと言うのにだ。
それに、何故かアレほど心配していたと言うのに今は少しどうでもよくなっている自分が居た。
黒須さんのことを考えるのをやめた俺はこの頃自分の身の回りで起きたことを少し思い起こす。怪物に襲われたりお化けにあったりと散々だったなと一人苦笑して思い出す。
そういえば、あの時も、そしてあの時も、いつも俺の隣りには黒須さんがいたな。
俺は黒須さんについて考えるのをあきらめたと言うのに、何故かまた黒須さんを思っていた。
「おまたせ」
暗闇の中から二人が現れる。どうやら相談は終わったらしい。
「それで? 話っていうのは?」
俺が待ちきれずに聞くと、二人は緊張した面持ちで顔を見合わせて、一度だけ二人でうなづいた。
固唾を呑んで次の言葉を待つ俺に一筋の汗が背中を伝う。なんだろうかこの甘ったるいやな空気は。この空気は何度か感じたことがある。
そう。確かあれは恋が放課後に校舎裏に呼び出され、俺と藤村が喧嘩の援軍だと言ってついていっていたときの事だった。結局、それは果たし状なんかではなく、恋に当てられたラブレターだったのだ。あの告白のときの甘いようなむず痒いような空気がここには漂っていた。
「私はあなたの事を」
「私はあなたの事が」
そして二人は同時に口を開いた。