第90話〜走る
「あらら、とうとうこの日がきちゃったか」振り返るとそこには花梨が居た。一体いつから聞いてやがった。
「あ、聞いてたのは初めからだよ?」
こいつはいつから人の心を読めるようになった。まぁこんな状況じゃ聞くことは限られているだろうが。
「さてさて、モテモテのあにぃですが、ここでおさらいです。今日はバレンタイン。女の子が思いを伝える日。そんな大切な日にチョコレートを三つももらってしまったわけです。しかも、三人は告白のおまけつき」
「むしろチョコがおまけだったりな」
「ま、それも間違いじゃないでしょう。でも、困ったことにあにぃは誰か一人を選ばなきゃいけない」
そうだ。まことに由々しき事態である。
「えっと、黒須さんが河川敷で恋が神社。そいで西条さんが公園」
「そそ、よく覚えてたね、あにぃ」
「まぁこれくらいならなんとかな」
「ふーん」
そういって俺を見上げる花梨。やめてくれ、そんな見下したような目で俺を見るな。
「で?」
「ど?」
「誰を選ぶの?」
誰を選ぶのか。
そんないきなり聞かれても困る。僕にだって心の準備期間って物があってもよかったんじゃないだろうか。
「い、いきなり言われても困る」
「じゃ、いつならよかったの?」
「うっ」
たしかに、花梨が言う通り、俺はいつならよかったのだろうか。明日? 明後日? それとも数ヶ月先? いずれにせよ明確ではない。ようするに、準備期間がほしかったというのはただの甘えなのかもしれない。
たしかに、何度かアプローチがあったのはわかっていた。なのに俺は今の関係がいいからと見ないふりをしていただけなのだ。
彼女達はそんな俺の態度を見抜いていたのかもしれない。
「大いに悩むのは結構だけど。残り時間、そんなにないよ?」
携帯を突きつけられる。丁寧にタイマーをかけてくれたらしく、残り時間が刻一刻と減っていく。
時間よとまれ。
そう思うも神様なんて都合のいいものは現れてくれない。なら俺は決断をしなくてはいけない。それも、早急に。
「わかったよ」
花梨からカウントダウンのとまらない携帯を受け取り、とりあえず歩き出す。
行き先は、わからない。ただ、うごいていないと気が狂いそうなのだ。
「行き先は?」
「わからん」
「そ」
背中をバンと力強く叩き、がんばってと俺に激励の言葉をかけ、花梨は家に消えた。まったく、おせっかいな妹だ。
「さて」
残り時間はおよそ一時間四十分。この時間がゼロになるまでに俺は決めなくてはいけないらしい。
冷たい風が身にしみる。マフラーだけでも巻いてくれば良かった。
「マフラー、か」
そういえば俺の持っているマフラーは西条さんからの贈り物だった。
真っ赤な髪に少し大人びた顔つき。俺なんかが普通に過ごしていたら話すことさえもできなかったかもしれない高嶺の花。それならなぜ彼女は俺に好意を寄せてくれたのか。
だめだ。わからない。
「恋……」
昔からよくつるんでいた友達。スポーツ万能なくせに勉強はてんでだめ。一緒に居たなら俺のだめなところをたくさん知ってそうなのだが、何故俺に好意を寄せているのか。
だめだ。これもわからん。
「最後は黒須さん、か」
彼女がきてからというもの、俺の世界は激変してしまった。殺人鬼に襲われたり、殺人鬼に襲われたり、告白されるし、告白されるし。
あれ、同じことが二回。まぁいいか。
こちらは恋とは逆で付き合いが短い。なら、何故俺なんかに行為を。
「だめだ」
頭を抱える。結局俺は馬鹿なのだ。他人の事なんて考えたってわかりっこない。
では、自分はどうなのか。
三人の顔が浮かんでは消える。
誰か一人を選べばほかの二人の悲しそうな顔がすぐに浮かぶ。
「あーもう!」
とりあえず走ってみる。どこに向かうでもなく走ってみる。
冷えた風が心地よかった。
「はぁはぁ……」
ばてていた。そりゃもうひどく。なにせ、携帯を見たら残り時間が半分をきっていた。どれだけ走っていたんだ。
俺はポカポカというよりは熱々といった感じになった体を地面に横たえ、体とは別に相変わらず冷え切った頭を抱えていた。と、いうのも三人の顔が冷却材のように冷機を撒き散らしながら俺の頭の中に居座るのだ。これじゃ忘れることも狂うことも出来やしない。
「ん? 祐斗じゃないか?」
「あ? あぁ麗子さん」
久しぶりの登場だ。初詣で告白を保留して以来か。
「どうした、そんな汗だくになって」
「いや、まぁ走りたくなりまして」
「おかしな奴だな」
「まぁ」
二人ともなんとなく無言のまま空を眺める。俺は寝転んだまま。麗子さんは隣で座ったまま。
「で?」
「はい?」
「だから、どうした?」
「いえ、だから走りたくなっただけです」
「そうか。それで?」
「だから……」
「それで?」
だめだ。完全に見透かされている。
「ったく、敵いませんよっと」
俺も座ることにした。
「それで、どうしたんだ?」
「えぇ、まぁ言いにくい事なんですけどね」
「もったいぶるなよ」
「じゃあいいますけど、三人に告白されまして。今、返答を迫られてるところです」
俺の話をホウホウと梟の様に頷きながら聞いていた麗子さんはにこりと笑顔を浮かべる。
「いてっ」
かと思うとそのまま拳骨を食らった。
「ったく」
ため息一つもらし、麗子さんはまた空を見上げる。
「あいつ等ついにやったか」
どこか悔しげにつぶやいた麗子さんを見て思い出す。この人にも告白されていたんだ。
「あ、あの」
「は、そんなに慌てなくてもいいさ。いまさら思い出したって事はそういう事なんだろうからな」
「す、すいません」
心からの謝罪だった。
「よせ、謝るなよ。余計に惨めになる」
「で、でも」
「いいから」
そう言うと麗子さんは俺のほうを見てくれなくなった。
「お、俺行きますね」
なんとなく居たたまれなったというか、この話はこれ以上聞かせるわけには行かないと腰が浮く。
「待て」
だというのに呼び止められた。
「はい」
浮いていた腰がまた降りる。
「誰か決まってるのか?」
「実は、まだ」
「だろうと思ったよ。大方なんともならないからとりあえず走ってみたって感じだろう?」
まさにその通りだった。
「いいか。なら考えるな。目を閉じて深呼吸しろ」
言われたとおり、目を閉じて深呼吸をする。すると、居候みたいに頭に居座っていた三人の顔がふっと消えた。
「そんで誰かのことを考えろ」
言われるがまま考える。
「誰か見えたか?」
「えぇまぁなんとなく」
「じゃ、決まりだ」
「は?」
突拍子もない言葉に思わず聞き返してしまう。
「言われないとわかんねぇのか。今お前が思い浮かべたのがお前が返事すべき相手なんだよ。何も考えてないのにそいつのことを考えるってことはつまりそれは好きってことだ」
「わかりました」
今度こそ立ち上がる。
「じゃ、行ってきます」
「おう。がんばれよ」
まだ体は休憩を欲していたが俺は地面を蹴る。背中に刺さるすすり泣きを無視して、向かうは思い浮かべたあの子の元。
走れ俺。残り時間はあと少し。