第55話〜回避
焼きそばパンをほおばる。やはり西条さんも恋と同じように急いで手を離してしまう。いったい何がしたいのやら。「で、で、あ、味はどうなのよ」
相変わらず
「ちょっとまってよ」
くわえたままの焼きそばパンを自らの手で取り、もう一度焼きそばパンを確認する。うん。やっぱり普通の焼きそばパンだ。
それだというのにこのおいしさは何だろう。これは明らかに市販のそれを凌駕している。ただの手抜きだと思っていたのだがそうでもないらしい。パンにはしっかりと味をつけてあり、下ごしらえの周到さを思わせる。
そしてこの焼きそば。ソースといい具といい焼きそばパンもためだけに作られたというような焼きそばパン専用焼きそば。
俺は震えた。まさか料理ができないと思わせていた西条さんがこれほどのスペックを秘めていただなんて思いもしなかった。
「最高においしいよ」
俺はやや興奮気味に西条さんに伝えたのだが、どうも西条さんは喜びきれていない。
「あ、ありがとう」
なんだか歯切れの悪い返事で、少し恥ずかしそうに、そして気まずそうに髪をくるくると指でいじっている。
俺は不思議に思って首をかしげるのだが、美味しい料理が食べられたならそれでいい。
「ま、まあ恵さんに手伝ってもらったんだけど」
恵というのは母さんの名前だ。つまりあれか、この焼きそばパンの畏怖すべきまでのうまさはもしかしたら母さんの仕業か。
「ち、ちなみにどこ?」
おそるおそる聞く俺。
「えっと、野菜を切るところと、いためる所と、パンを切るところ」
そういい終わった後で、西条さんは肩を落とす。
つまりはあれか。西条さんがやったのは盛り付けだけということか。バイトじゃないんだから何もそんなことをしなくてもいいだろうに。
何か言ってやろうと思ったのだが、えらそうに腕を組んでいる西条さんの手には無数の絆創膏が巻かれているのが見えた。ずるい。そんなのを見たら皮肉のひとつも言えやしない。
「美味しいよ。また今度西条さんの手料理が食べてみたいな」
これくらいでいいだろう。西条さんが早く選ぶように俺をせかしたのも、自分がやったことが盛り付けだったからなのだろう。自分がやった唯一の仕事を評価してほしかったということか。
「ま、また考えとくわ」
西条さんは相変わらず腕を組んだままこちらを向いてくれないが、また考えておいてくれるらしい。ひとつ楽しみが増えた。
「わざとなのか、それとも天然なのか」
笑顔のまま西条さんを眺めていると、残飯をもさもさと食べていた藤村があきれ気味に俺にぼやいた。何が天然なのかと思考をめぐらせて見るが結果は"不明”だ。
と、言うかまだ食べていたのか。
「さて」
最後になったのだが、黒須さんの料理を食べることにしよう。
「黒須さん。もらえるかな」
これは別に力に屈することなくいえた。何せもう黒須さんが最後なのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、俺が弱いから仕方がない。
「はい」
「く、黒須さんまで……」
ぶっきらぼうに突き出されたスプーン。あぁ、ブルータスお前もか。
「いただきます」
ほかの二人にもやったのだ。ここで黒須さんだけのけものというわけにはいかないので、俺はすぐにスプーンにかぶりつく。
「ん?」
ここで異変が起きた。ほかの二人は俺が口をつけた瞬間に手を離したはずだ。しかし、黒須さんは手を放すことなく俺の口からスプーンを抜き取った。
「はい」
そしてまた差し出されるスプーン。もちろん上にはオムライスが乗せられている。
「く、黒須さん?」
うつむいたままで顔はよく見えないのだが、まっすぐと差し出されたスプーンからは強い意志を感じる。まさか……な。
二口目を食べる。
「はい」
すぐさま次がきた。
「ん」
それでも食べる。
「はい」
また次がきた。
もしかして、黒須さんをこのまま俺を完食させるつもりなのかもしれない。そんな、雛鳥ではないんだから自分で食べることくらいできる。
だがしかし、黒須さんに譲る気はなさそうだ。最後の最後に厄介な人を残してしまった。一口目、二口目は西条さんも恋も、自分がやったから仕方ないという風に見ていたのだが、三口目、四口目と進むにつれて顔が険しくなっている。
俺も一口くらいならと思っていたのだが、こうもずっと食べさせられているとだんだんと恥ずかしくなってくる。
「勘弁してよ黒須さん」
「はい」
通用しないというわけか……。
ここで断ってしまいたかったのだが、どうも上手くいかない。
「自分で食べるよ」
「え?」
だって俺が食べるというと、今までうつむいていた顔をいきなり起こしてこちらをじっと見つめるのだ。恥ずかしいのと、瞳から見え隠れする信念みたいなものに俺は俺はすぐに目をそむけてしまう。
要するに、俺はここでも力に屈したのだ。強くなりたい。
結局、俺はそのまま完食してしまった。もちろん味なんて覚えていない。ただ恥ずかしかったのと、西条さんと恋の目が怖かった。
「それで? 味はどうだった」
そう聞いたのは恋だった。どうしてこうもこいつは威圧的なのだろうか。
見ると、いつも威圧的なもう一人が威圧的ではない。むしろ、しぼんだ感じがする。そういえば、西条さんは味に関しては表に出てこれるようなことはしていないんだった。
「どうでした?」
変わりに前に出てきていたのは黒須さんだった。いったい何が彼女をそこまで突き動かすのだ。黒須さんはおとなしく、おしとやか、そんな俺の脳内イメージをことごとく破壊してくれる日だ、今日は。
「えっとね」
また俺はここで考える。どうすれば丸くまとまるか。見た目のときはなんとなく恋の力に負けたというのは伝わっただろう。しかし、今度も同じ手が通用するとは思えない。
恋を選べば黒須さんが怒り、黒須さんを選べば俺が死ぬ。西条さんを選べば丸く収まるかのように思えるが、それが一番まずい。なにせ母さんの作ったものが一番上手いといっているのだ、全員に攻撃されてしまう。
今回も何とかくじ引きで。なんて間抜けなこともできるわけもなく、必死に丸く収まる方法を考えるしかなかった。
「決めた」
少しの沈黙の後、俺がそういうと恋と黒須さんが身を乗り出す。
「みんな美味しいよ」
笑顔で答えたつもりなのだが、いかんせんそういった後の二人の顔が怖い。
だがここで屈するわけにはいかない。これは意地でも通さないといけない。
「だから俺が今度は御礼をしよう」
多少強引な気もするが、この状況から逃げ出すにはこの方法しかない。何とか答えを保留しないと。
ほかのところに力を注げと自分にいってやりたいのだが、俺はこういう力の注ぎ方しかできないので仕方がない。要するに闘争者ではなく逃走者に向いているのではないかと思う。戦いは避け、逃げるときに本気を出す。われながら情けない。
「今からアップルケーキを作るよ。うん。幸い明日は休みだし、このまま泊まっていくといいよ」
もはや必死だった。
「アッルプケーキ?」
「と、泊まり?」
「お泊りですか?」
三者三様の答えだった。
一人だけが俺のアップルケーキという単語に反応してくれたのだが、それが誰かなんていうのは言わなくてもわかるだろう。もちろん恋だ。
俺自慢のアップルケーキに対する反応が薄いのは実に残念なのだが、理由はどうあれ三人の注意は完全に料理の判定からそれた。
俺の目的はそれだ。なにもアップルケーキが作りたかったわけじゃない。だからこれでいいはずなのだ。
「そ、それじゃいったん帰るね」
興奮した様子で玄関に向かおうとする恋。こういうとき、馬鹿は扱いやすくて助かる。
まぁ馬鹿といっても、俺もおんなじ様なものなので、誰かに都合よく利用されているかもしれない。とはいえ、この際はそんなくらい事は気づかなかったことにしよう。
「じゃあまた後で」
そういって帰っていく三人。俺はもしかしたら選択を間違えたかもしれない。何せこんな時間間から何が楽しくて男がアップルケーキなんてものを作らなければいけないのだ。
だがしかし、これもどの料理がおいしいかなんていう選択をしなくてもいいと考えたら易いものだ。
「あ」
しぶしぶ、本当にしぶしぶアップルケーキを作らないといけないと思い冷蔵庫を開ける。
「卵がない」
しかし、困ったことに卵がない。
卵がなければケーキは作れない。どうにかしたら作れるのかもしれないのだが、俺はそのすべを知らないので作れない。と、言うことはどうにかして手に入れないといけない。今から鶏を育てて卵を産ませるなんて気の遠くなる作業はできないし、当然選択肢としては奪うか買うになる。俺は健全なる一般の高校生だ。選択肢はもちろん後者になる。
「うーん」
これは俺の予想なのだが、恋の家までは往復で20分ほど。西条さんの家は多く見積もっても恐らく30分というところだろう。そうでなければ俺の家になんてわざわざ訪れようとは思わないはずだ。
俗に言う女の子は支度に時間がかかるらしいのでさらに10分追加。いや、それは俺の準備の時間とあまり変わらないので1時間。ということは計算上は1時間半の空白ができたわけだ。
家からコンビにまでの往復の時間が30分。となると一時間ほどケーキを作る時間があるということになる。
一時間でケーキが作れるとは思えない。しかし、作れはしなくても途中までならできるだろう。深夜のおやつとまでは行かなくても明日の朝ごはん程度にならなりそうだ。
朝ごはんに焼きたてのアップルケーキに入れたての紅茶。考えただけでも貴族になれるような気がしてきた。
「母さん、卵買ってくるよ」
思い立ったらすぐに行動しなくては。何せ時間がないんだ。
「ゆうちゃん、ゆうちゃん」
玄関のノブに手をかけたところで母さんがあわててやってくる。
「これもお願い」
そういって渡されたのはメモ用紙。要するにお使いをしてこいというわけだ。書かれていたのはちょっとした日用品。べつに断る理由もないので快く二つ返事をしてもう一度ドアノブの手を伸ばす。
「あにぃこれも」
次にかりんに渡されたのはくしゃくしゃの紙になぐりがかれたメモ。これでも親子なのか。内容は大量のお菓子。しかも最後におごって。なんて書いてある。
「断る」
俺は二枚のメモをポケットに押し込んで家を出た。
「寒いな」
流石に外は制服だけで歩いているような気温ではなかった。やはり、冬が近づいているのだろう。
何気なく息を吐くと、当然のように白くなり、気温と体温の差を改めて実感させてくれる。なんともありがたいものだ。
「あにぃ」
寒さに震えたまま空を見ていると玄関が開く。
「いくらあにぃが馬鹿だって言ってもこの寒さじゃ風引くよ」
口では憎まれごとを言っているのだが、その手に握られていたのは厚手のコート。いちおうは兄である俺のことを気遣ってくれているらしい。
「さんきゅ」
俺はそれをさっさと受け取り、すばやく羽織る。やはりこの一枚だけでも大分体感温度が違う。
「じゃあ行くな」
「お菓子忘れるなよ!」
背後で元気よく俺を見送ってくれる花梨にやれやれと片手だけ振り、俺は寒空の下、買い物へと旅立った。