第10話〜帰り道、殺人鬼、シラナイ天井
「また明日ねー」私は、後ろから聞こえてくる溌剌とした声に、一つ白いため息を吐く。もう春だというが、まだまだ夜は寒い。
あたりは、遠くにある街頭の光がポツポツと見える程度の視界で、なんとも心細い。
しかしだ、この町には私を不安にさせる快楽殺人鬼や、先ほどの本の中に出てきた銀の毛並みの狼男なんかが出てくることはないだろう。だから、今日はこの黒いキャンパスに、無造作に置かれた小さな光たちを線で結んで、私しか知らない星座を作って帰るのもいいだろう。
というかそう帰りたい。決して、彼には話しかけてもらいたくない。
「黒須さーん」
背後から聞こえてくる、のんびりとした忌々しい彼の声。今日こんな事になったのはきっと彼のせいだ。
「物騒だし、一緒に帰らない? ほら、家は隣だから帰り道一緒でしょ」
あぁ、しまった。能力のことをまた忘れていた。
知らず知らずのうちに、『一人で帰りたい』と願ってしまっていたようだ。あぁ、また面倒なことに。
最初は、一人にしてほしい。と願って彼と出会い、かまわないでほしい。と願って勉強会に誘われ、本を読みたい。と願ってずっと彼の解答の手伝いをさせられた。そして、今回は、一人で帰りたい。と願って彼と帰ることになるのか……。
私は自分の中で仕方がないとあきらめて、また一つ、白い息を吐いてうなづいた。
彼は、私が承諾したことが嬉しかったのだろうか?私に少し微笑みかけ、じゃあ行こうか。と私の一歩前を歩き始める。
しかし、このシチュエーション、見る人が見れば初々しいカップルだと思われても仕方がないと思う。まったく、不快だ。
私が不快になる理由は簡単。私は彼のことが嫌いだ。
何かと私の前に現れては私の能力に見事かかってくれる。まさに神出鬼没。哀れなおばかさんだ。
本当に、移り住んできてからこの一週間、彼に能力に巻き込まれなかった日があっただろうか?
もしかしたらそれは、彼に話しかけてほしい。と心の奥底で思っていたかもしれないが、それならば、逆転現象<サカサマサカサ>が発動して、彼は話しかけてこないだろう。だから、きっと私が彼に、話しかけてほしくない。と願ったに違いない。話しかけほしくないと願ってしまうのは、面倒であり、邪魔だからだろう。だから私はきっと彼を嫌っているのだ。
だから、今の彼が見せた少しはにかんだような笑いもきっと大嫌いなのだ。
「今日はごめんね」
目の前の忌むべき人は、こちらを振り返り、私の嫌いな笑顔で話しかけてくる。私は話しかけるなと願っていないので、おそらく彼が勝手に話しかけてきたのだろう。一緒に帰るのは承諾したが、話すなどということは承諾した覚えはない。が、しかしこんなところで意地を張って話さなければ、彼はもっと話しかけてくるだろう。それはこの一週間で学習した。
そんな彼の謝罪に首を横に二回ほど振ることで答える。適当に受け答えしておけば、きっとと黙るだろう。首を縦に振ったのは、どうせ自分の能力のせいなのだから彼が謝ったところで何にもならないと思ったからだ。
「そう? それならよかったよ。俺は黒須さんが怒っているんじゃないかと思ってたよ」
いや、実際かなり怒っている。本来なら今頃、部屋で静かに読書をしていた頃だろう。その時間を返してほしい。
相変わらずのんきに笑ったままの彼を見ていると、ふつふつと殺意が沸いてくる。いっそ、そこらの電柱に頭をぶつけてしまえばいい。と思ってしまう。がしかし、私がそう願えばきっと彼は電柱にぶつからずに歩いてしまうのだろう。
「いてっ」
しかし、彼は前を見ていなかったために、近くにあった電柱に軽く頭をぶつける。歩く速度を私にあわせていたので、たいした痛みにはならなかったようだ。
「いたた」
ぶつけた頭を、痛そうにさする彼を見てふと気づいた。
今、私は『電柱で頭をぶつけろ』と、願ったはずだ。それにもかかわらず、彼は電柱で頭をぶつけてしまった。これは単なる偶然なのだろうか?
ためしに、『こけるな』と願ってみる。他人に危害を加えるように願ったのはあれ以来だ。
「わっ」
私の思ったとおり、偶然だった。
彼は何もないところで、つまずいて転んでしまった。私の能力も誤発する事があるんだ。
「いって……てて?」
起き上がりながら、少し顔をゆがませ、痛そうに自分の体を見つめる彼の胸からは、真っ赤な血がにじんでいた。
私はその瞬間、目の前が真っ白に染まった。
また、あの時のように、人を殺してしまうのではないのかと思ってしまい。私の胸の鼓動がドクンと早くなるのを感じた。心なしか、めまいも少ししてきた。
「おかしいですね? 確かに掴んだはずなんですが」
声の先、つまりは暗くて見えなくなった街頭の先に目を凝らす。
「まぁ、偶然でしょう」
街頭の光を浴びて鮮明に映し出されるその姿。それは、
「警察官?」
胸から少量の出血をしていた彼は、目の前に現れた突然の警官に首をかしげていた。
「君は、この町でこの頃ネームレスが大量に排除されているのを知っているかな?」
警官は手を後ろに組んだまま、ゆったりとした丁寧な言葉で私達に問う。もちろんその顔は完璧な営業用の笑顔だった。
「確か藤村……友達が、全部一人の警察官がやってるから、そいつもきっとネームレスに違いないって冗談っぽく言ってましたね」
彼は胸から血が出ているというのに、いたって冷静に警官に答えている。たいしたものだ。
恐らく、そんなに傷は深くないのだろう。彼は無事、私はまだ人を殺していない。そう思うと胸の動悸も少しずつ治まり、めまいも止まってくれた。
「そのお友達、ものすごく正解に近いですよ」
警官は口元を限界まで吊り上げ、先ほどまでの作った笑いではなく、狂気の笑顔を私達に向ける。
「だって……」
警官は後ろに回していた手をゆっくりと持ち上げていく。
まずい。まずいまずいまずい。
何かよくないことが起ころうとしている。きっとこの男の近くに居ては駄目だ。
そう思っていたのに、なぜか私の足は地面から離れはしなかった。また胸の動機は再開している。
「俺がネームレスで、殺したのが一般人なんだからな!」
警官が両手を挙げきったと同時に、警官は殺人鬼へとかわった。
真っ赤に染まった両手、ひどくゆがんだ笑顔、焦点の合っていないうつろな眼、そのすべてがこの男を殺人鬼だと物語っていた。
「お前らの能力は、殺した後で考えるよ。かっこいいのにしてあげるから、せいぜい泣き喚いて俺を楽しませてくれよ」
殺人鬼は、そういって、笑いながら両手を前に突き出す。
「俺の能力はてめぇらの臓器を引きずり出すことだ! さぁ、お前らの臓器は、どんな形なんだろうな」
あの両手の先に居ては駄目だ。と、私の第六感が警鐘を全力で叩いているのだが、私は地面に縫い付けられたように動けない。
このままだと死んでしまう。死にたくない、まだ死にたくない!
「――さん!」
怖くなって恐怖を拒絶し、目をつむった私の体は、何かの力によって中に浮いた。そして、私はいつまで経っても地面に落ちることはなかった。これがあの、殺人鬼の能力かとは思ったが、そうでもないらしく、何かに抱きかかえられているような感覚だった。おまけに、耳元では私を呼ぶ声と、荒い呼吸までもが聞こえてくるが、私はもう、それを感じ取ることさえ拒絶し始めていた。
「――さん! 黒――ん!」
私は何かに揺さぶられるような感覚を受けて少しずつ意識を取り戻していく。
「――さん! ――須さん!」
耳元で必死に叫びながら私を揺さぶるものをゆっくりとまぶたを開けることで確認しようとする。
「黒須さん!」
私が目を開けると、ぼんやりとだが、見覚えのある男性が私を揺さぶっていた。
「黒須さん?」
まだぼんやりとしか見えないが、恐らく男性は泣いているのだろう。その頬は涙でびしょびしょだった。
私はかろうじて動いた右手を男性の顔に近づけて、ゆっくりと頬をふいてやる。昔にも確か同い年の泣き虫だった子がいたような気がする。
私がせっかく頬の涙をぬぐってあげているというのに、男性の涙はここにきて増えたような気がする。
「泣かないの、男の子でしょう」
そう昔によくった台詞を言うと、また、男性の姿が見えなくなった。
私が目を覚まして始めに見たものは、知らない模様の天井だった。
次に見たのは、患者の着るような服を着たまま、私の手を握っている彼だった。
頭の中で、何が起こっているのかまったく理解できないので、少し天井のタイルの数を数えながら考えてみる。まったくわからない。
「んー朝?」
私が、部屋の天井のタイルの数をあと少しで数え終わるというところで、彼が大きな伸びをしながらおきた。
「おはよう」
「おはよーございます!」
彼は、真っ赤になった目をこすりながら私を見つめる。私自身。なぜ今挨拶をしたのかはわからなかった。
「く、黒須さん! 目が覚めたんだね! お、お医者さんを呼んでくりゅ」
そういうとすぐに彼はよろけながらも駆け出して行ってしまった。
「異常はないですね。しかし、大事をとって今日は入院して様子を見ましょう」
いつの間にかあわられていた仕事姿の母と合流した彼は、私のところに来た先生の話を聞いて胸をなでおろしていた。時々、彼の服の胸元からは、包帯がちらちらと見えていた。
「じゃあ、俺はもう大丈夫なんで帰りますね」
彼は私のベットの近くできていた服とは違い、少し赤く染まったままの服を着ていた彼は律儀に母にそういった。
母は、「何とお礼していいかわかりません」と言って何度も頭を下げていたが、彼は恥ずかしそうに手を振って答えていた。
母が、終始「何かお礼を」と言ってずっと頭を下げ続けていたので、彼は困ったように悩んでから、あなたの笑顔と答えた。
母は、やわらかい笑顔を浮かべ、彼にもう一度だけ、ありがとうございますと言った。
「じゃあ、黒須さん。また明日」
そういって彼は恥ずかしそうに穂を朱に染めて元気よく帰っていった。
うちの母は美人だから、あんな笑顔を向けられればそれはもう赤面物に違いない。
「いい子ね」
母は去って行く彼を病院の窓から眺めていた。その顔に浮かんでいたのは笑顔だった。母はいつも笑顔だったが、この笑顔はいつもより温かかった。そして、母の、私より小さくはあったが、今はとてもその背中が、大きく暖かく見えた。
彼が去って、母と二人きりになる。会話はない。別に仲が悪いわけじゃない。しかし特に母とは話さない。優しい母のことだ、今頃は彼へのお礼でも考えている頃だろう。
しかし私には、何が起きたのかはいまだにわからない。私がここで寝ていた理由も、彼が包帯を巻いていた理由も、なぜか入院費を国が出してくれた事も。何一つわからない。
だからゆっくり考えようと思う。
何せ時間はたっぷりとあるのだから。