第60話〜気まずい朝
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第60話〜気まずい朝

「おはよう」
「うん」
 今日は休日だ。
 それに黒須さん達も泊まりに来ている。なので、俺はこうして意気揚々と朝ごはんの準備をしていたわけなのだが、起きてきた女性人の表情が心なしか暗い。
「花梨、夜更かしでもしたのか?」
「そ、そんなところ」
 一番近くにいた花梨に聞いてみても、答えは曖昧。
「そうか」
「うん」
 なんとなく黙り込んでしまった。相手が話しかけてくれるかもしれないと思ったのだが、花梨をはじめ西条さんも恋も口を利いてくれそうにない。
「そ、そういえば黒須さんは?」
 沈黙に耐え切れずについ口にしてしまったが、今ここにいないとなれば朝の準備かまだ寝ているかのどちらかなのだろう。
 また、デリカシーがないなどといわれてしまう。
「黒須さん……」
 きっとデリカシーがないと、言われるだろうなと思いながら、花梨のほうをちらりと見てみたが、花梨はどこか上の空で、特に俺の事を気にした様子はなかった。
「美穂……」
「どうしようかしら」
 役に立ちそうにない花梨から、視線を残りの二人に向けてみたが、二人もどこか上の空で、どちらとも俺の役には立ちそうになかった。
 俺は、今すぐにでも「何かあったのか」と根掘り葉掘り聞いてみたいが、そこは花梨の言うデリカシーのある行動を心がけ、聞かないことにしておく。
 きっと、黒須さんの寝癖がすごかったんだろうなどと、邪推するだけにとどめておく。
「お、おはようございます」
 いつもの黒のストレートが鳥の巣のようになってしまっているさまを想像し、笑おうとしたとき、唐突に黒須さんは現れた。
「あれ? 寝癖は?」
「ね、寝癖?」
「いや、なんでもない」
 そこにあったのは、いつもと同じきれいな黒のストレートだった。
 黒須さんはどこか気まずそうに辺りを見回し、そして、俺達からすこし遠ざかるようにして階段を降りてきた。
「黒須さん?」
「さ、先に帰りますね」
 そういう黒須さんは、急ぎ足で廊下へと向かっていた。
「朝ごはんくらい食べていきなよ」
「結構です」
「そういわず、なぁ、恋」
 突然の黒須さんの行動を不思議に思って、声をかけてみたが、おかしいのは黒須さんだけではないようだ。
「なぁ恋、お前、何で止めない」
「それは……」
「お前もだ、花梨。昨日はあんなに楽しみにしていただろ?」
「でも……」
 二人はなぜか気まずそうにうつむいたまま黙ってしまう。
「西条さんも何とか言ってよ」
「私は……」
 すがるような気持ちで西条さんに話しかけたが、西条産も二人と同様、黙り込んでしまった。
「いいんです。私なんか」
「と、とにかく、朝ごはんは食べてもらうよ。何のために俺が早起きしたと思ってるんだい?」
 玄関で靴を履いていた黒須さんを捕まえ、はっきりと告げておく。
 こっちとら、こんな気まずそうな、女性陣の起きる一時間前から起きて必死に料理をしていたのだ。それなのに、一口も食べないで帰るなんて、俺の心が折れてしまうにちがいない。
「で、でも……」
「いいから食べていってよ。それとも、俺の料理じゃだめかな?」
 困ったようにリビングと玄関を交互に見る黒須さんに、卑怯だとは思ったがそんな言葉をかけてみた。
「わかりました」
 案の定、優しい黒須さんは、あきらめたようにため息を一つつき、俺に手を引かれるま、まずるずると重たそうな足取りでリビングへと歩き始めた。
「はい、どうぞ」
「いただきます……」
 焼きたてのワッフルを全員に配り終えたところで、自分もワッフルを食べ始める。
 いつもなら、甘いだの焦げているだのと文句をたれ、うるさいはずの隣の花梨が静かだと、どうも調子が狂う。
「蜂蜜とかシロップはそれをつかって」
 かちゃかちゃと鳴る食器の音だけの空間に耐えられなくなり、俺は見れば判るようなことを言い、何とか場をしのごうとする。
 だが、帰ってくるのは、かちゃかちゃという無機質な音だけだった。
 ワッフルがまずいわけではないはずだ。
 何せ、一時間も試行錯誤をしていたのだからまずいはずがない。現に、こうして自分で食べていても不快な気分にはならない。それともあれなのだろうか。俺の味覚がおかしいのだろうか。
「ど、どうかな?」
「うん」
「おいしいです」
 しかし、今はそんな自分の中途半端な腕が少し疎ましかった。
 なにせ、これでひどくまずければもう少し話は広がっただろうに、中途半端においしいものなんて出すんじゃなかった。やるなら、五つ星の超一流シェフが作るくらいの味か、それとも恋のような危険度五つ星の料理を作るか、どちらかにすればよかった。
「ごちそうさま」
 俺が軽い自己嫌悪に陥っていると、いつの間にか花梨が食事を終えていた。
「あにぃ、私、漫画が読みたいんだけど」
「そうか」
「い・ま、読みたいな」
 花梨はそういいながら、俺のすねを思い切り蹴り上げた。もちろん、ほかの三人からは見えない角度でだ。
「わかったよ……ごめんね、ちょっと漫画とってくる」
「じゃあ、私も行くわ」
「は? なんでだよ、お前はここに居ろよ」
「行・く・わ!」
 今度は俺の足を踏みつけながらのおねだりだ。もちろん、蹴ったときと同様に他の三人には見えていない。
 三人には、俺が妹のわがままに、面倒くさそうに顔をゆがめている程度にしか見えていないだろう。
 もっとも、俺が何かされているとしても、今の三人ならきっと気づかないだろう。
 
 
 
「どの漫画だ?」
 三人を残して二階へと上がった俺は、痛む足をさすりながら花梨に聞いた。
「漫画?」
「お前、漫画読みたいんだろ」
「あぁ……もう」
 花梨は頭を抱えてため息をつきながら、俺の部屋へと勝手に入ってしまった。
「なんなんだよ」
 小さくつぶやきながら、俺は花梨の後に続いた。
「で、どれだ」
「まだ、そんな事いってるの?」
 今度は、疲れたようにため息をつかれてしまった。俺が何をしたって言うんだ。
「あにぃは私達を見て、何か感じなかった?」
「いつもより静かだな。とは思ったよ。どうせ、夜更かしでもしてたんだろ?」
「ここまで……か」
 やっぱり花梨は、頭を抱えてつぶやく。
「これじゃ、あの三人が報われないわけだ」
 頭を抱えたまま、何故か納得したようにうなづいて俺の方を哀れむようにしてちらりと見た。
「私は、あにぃに話がしたくてここに呼んだの」
「漫画は?」
「そんなの、嘘に決まってるじゃない。分かるでしょ、普通」
 普通、といわれても、それは花梨の基準であるだけで、どうやら俺の基準にはあてはまりそうにない。
「で? 話って?」
「もういいわ。あにぃには一生かかっても分からないでしょうから」
「なんだよ、それ……」
 勝手に落ち込んで、勝手に納得して、そして勝手に部屋から出て行こうとしている花梨に、俺は適当に取った、もはや知らない人はいないのではないかというくらい有名になった、とある超能力バトル漫画を投げる。
「漫画を取りに来たのに、それをもって行かないなんて不自然だろ、もってけ」
「そうね」
 花梨は、俺の投げた漫画をうまくキャッチし、俺に微笑んだ。
「でも、こんなものをよこすなんて、本当に馬鹿ね」
 受け取った漫画の表紙をみて、わけの分からない言葉をつぶやきながら、花梨は部屋を出て行った。
「なんなんだよ、面白いんだぞ、それ」
 もういない花梨の背中に、俺は小さくつぶやいた。
 本棚を見ると、そこには一巻だけ抜けた漫画が、その隙間を埋めるように、よりそうにして隣の漫画へと寄りかかっていた。
「何か問題でもあったか?」
 つぶやきながら、俺もためしに一冊とって読んでみる。
 俺が一冊抜いたとたん、寄りかかりどころをなくした本が、ぱたりと音を立てて倒れた。
 俺の渡した漫画のストーリーはこうだ。
 ごく普通の日常生活を送っていた主人公が、ある日、不慮の事故にあう。
 そして、主人公はその事故により、右手を失ってしまう。そのまま死んでしまうかと思われた主人公だったが、悪魔と契約を交わし、悪魔の右手を手に入れる。
 悪魔と契約した主人公は道中、他の悪魔と契約した能力者と戦いながら、悪魔とともに旅を続ける。
 なんでも、この漫画の原作者は、この話をネームレスを基にして考えたらしい。
 しかも、心の傷によりネームレスが発病し、悪魔が見えるようになった。という設定があったほどだ。
 もちろん、こんなことはこの漫画がアニメ化、そして映画化、そしてドラマ化されたことにより、ほとんどの国民が知っている。
 今まで誰も手をつけていなかった、ネームレスを題材にした。ということが大きな反響を呼んだのだろう。
「やっぱり面白いよな」
 俺は、主人公がとある町で小さな女の子と出会った話まで読み、漫画を閉じた。
 この本の最新刊は、まだ出ていない。
 この後、死んだ少女を助けるために主人公は命を落とすのだが、いったいその後、どうなるかは作者しか知らない。
 
「ご馳走様でした」
「ごちそうさま」
 リビングに戻ると、西条さんと恋が食器を片付けているところだった。
「じゃあ」
「え、あぁ」
 そして、黒須さんは再び帰ろうとしていた。
「おじゃましました」
「うん」
「じゃ」
「あの、黒須さん」
「はい?」
 振り返った黒須さんの表情に、俺は固まった。
 なにせ、あの黒須さんが、いつかの雨の日のように、今にも消えていってしまいそうな危うい目をしていたのだ。
「もうちょっと、遊ばない?」
「いえ、今日はもう帰ります」
「そう」
 何とかして引き止めたかったが、今の俺には引き止められるような要因は何もなかった。
「あの」
「はい?」
「い、いや、なんでもない。また、学校で」
「学校で」
 いっそのこと、何かあったのかと聞いてしまいたかったが、それはなんだかいけないことのように思えて、俺は曖昧な言葉で場を濁した。
「ごめんね」
「え?」
「なんでもない。じゃ、おじゃましました」
「う、うん」
 寂しそうに、はかなく消えていく黒須さんの後姿を見送りながら、俺の耳には、確かに聞こえた黒須さんの謝罪がやけに残っていた。 

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