第58話〜彼の隣
TOPに戻る
前のページ 次のページ

第58話〜彼の隣

「じゃあまたな」
「おう」
 藤村君を見送る彼を、三人で見送りながら、私達は話し合うために小さく固まった。
「泊まりだなんて、どうするのよ」
「アップルパイで頭がいっぱいだったのよ」
「めったにはかないスカートをはいてきたのに、良くそんな事がいえるわね」
 顔をあわせたと思うと、早速もめ始めた恋ちゃんと赤さんは、後ろから彼が近づいているというのにまったく気づいた様子を見せない。
「あの」
「何の話をしてるんだ?」
 私が声をかけようとするも、遅かったようで、二人は、突然現れた彼を見て、顔を真っ赤にしてしまう。
「なんでもないわよ白金」
「そうよ白金」
 突然、顔を真っ赤にして怒られたものだから、彼はやれやれとため息をついてから、着替えてくると言い残し、自室へと戻っていった。
「顔が真っ赤よ、恋」
「あなたほどじゃないわよ赤」
 彼が去ったというのに、二人は互いの顔が赤いだの、お前のせいで気づかなかっただのと、くだらない言い争いを開始する。
「そろそろやめませんか?」
 このままではいつまでたっても話が進まないと思った私は、覚悟を決めて二人の間に割り込んだ。
「それもそうね」
「うん」
 泥沼になる事は必至だと思っていたというのに、二人は案外簡単に引き下がってくれた。
「何してるのよ美穂、早くしないと白金が戻ってくるわ」
 あきれる私に声をかけるのは赤さんで、先ほどまで、その長く美しい髪と同じ顔色をしていたというのに、今はすっかり元通りになり、透き通るような白さで私を絶望させる。
 人間というのものは、たかが数個の遺伝子配列だけでここまで出来が違うものかと、叫びたくなる。
「とりあえず、これからどうする?」
 恋ちゃんは、階段に何度もちらちらと視線を移し、落ち着かない様子で聞いた。
 どうするか、といわれても、答えは決まっている。何もしない。だ。
 ここで下手に動いてしまい、悪い印象を与えれば、ほかの二人に大きくリードを許すことになってしまう。
 これは私の予想だが、赤さんと恋ちゃんは確実に動く。それが失敗しようと成功しようと私はどうしようとも思わないのだ。ただ待ち、ただ見届ける。それが私に出来る精一杯なのだ。
「私はやるわ」
「私も」
 私の予想通り、二人は握ったこぶしに力をいれ、気合を入れている。
「美穂もやるのよ」
「そうね、一人だけ逃げるのはフェアじゃないわね」
 何もしないをする。なんていえば、二人はそんなのはだめだ。へりつくだ。と私の提案を蹴るだろう。しかし、ここで私は首を縦に振ってはいけない。
 なぜなら、このごろ忘れがちになっていたが、私は『サカサマサカサ』ネームレスなのだ。
 私のやろうとしたことはきっと裏目に出る。
 私が失敗するだけなら良しとしても、最悪、彼に嫌われてしまうかもしれない。
「大丈夫よ。あなたなら出来るわ」
「そうよ、一人でなんか逃げさせないんだからね、美穂」
 そんな異能力者の私に笑顔で接してくれる友達。
「わ、わかった」
 私が答えると、二人は意地悪く笑い、「がんばりなさいよ」と私の肩を叩いた。
 がんばる……か。私は長らくしていなかった努力をしてみようかと思い始めていた。
 もし、私が寝床にもぐりこんだら彼はどんな顔をするだろうか。もし、私が彼の入浴中に乱入したら彼はどんな顔をするだろうか。もし、もし、もし。
 頭に浮かぶのは出来るはずもない「もし」の世界。
「まぁ、料理は無しね。大惨事を引き起こすかもしれないし」
「恋、あんたまだ食べるつもりなの?」
「食べさせるのよ。そりゃ、あまれば食べるけど」
 キッチンで言い合う二人を眺めながら、大惨事という恋ちゃんの言葉で、ふと気づいた。
 私はこのサカサマサカサが発動したとき、最悪の場合はどうなると考えたかを。
 最悪の場合、彼に嫌われてしまうかも?
 今までの私なら迷わず、誰かが死んでしまうだの、誰かが傷つくだのを考えていたというのに、いつの間に私は、こんなにも自己中心的になったのだろうか。
「美穂もそう思うわよね」
「え、あ、うん?」
「ほら、美穂もそうだって言ってるわ」
「そんなの卑怯よ」
 いきなり話しかけられても、曖昧に相槌を打つことしか出来なかった。
 私には、楽しそうに彼にどうアタックするかを議論しあう二人と、同じ土俵に上がることすらおこがましいのだ。
 人殺し、それもよくよく思い出せば私は二人を一度殺している。そんな人間は、フェアに戦えるはずがない。戦ってはいけないのだ。
「悪い、待たせた」
 部屋から戻った彼は、ラフな黒のジャージを着ており、言われればすぐに寝れそうな格好だと思った。
「お風呂は済ませてきたの?」
「えぇ」
「そう。じゃあ、悪いけど入ってくるね」
「えぇ」
 そういって彼は、また去っていってしまう。
「ジャージ……」
 先ほど対応していたのは、この中で唯一彼の普段着を見慣れていた恋ちゃんだった。一方の赤さんといえば、夢現に空を眺めている。
 私といえば、先ほど心にやっぱり何もしない。と誓ったというのに、彼のジャージ一枚でその誓いが揺さぶられていた。
「あぁそうだ、寝る場所決めておいてね」
 再び話し始めようとした私達の目には、タオル一枚だけで体を隠した彼の姿が映っていた。タオル一枚といっても、バスタオルではない。せいぜい手ぬぐいくらいの大きさのタオルだ。つまりは、ほぼ全裸。というか全裸だ。
「馬鹿、さっさとあっち行きなさい」
 彼が見えないように手の白で視界をさえぎりそういう恋ちゃんは、何度か指の間から彼の姿を確認しながら真っ赤になって彼に言ってくれた。
「はだ、はだ……」
 赤さんはというと顔を髪のように真っ赤して倒れこんでしまった。どうやら刺激が強すぎたらしい。
 
「大丈夫、赤?」
「う、うん?」
 赤さんが目を覚ましたのは彼がいなくなってからすぐだった。
「まったく、デリカシーのかけらもあったもんじゃないわね。祐斗は」
 そういってお風呂場のほうを睨んだ恋ちゃんだったが、自分だって指の間からちらちら見ていたんだから、デリカシーがない。というのはどうかと思った。が、口には出さなかった。
「裸……」
 勢いよく立ち上がった赤さんは、そうつぶやくとまた気を失ってしまう。
「赤さん、起きてください。寝る場所を決めましょう」
「美穂、あんた、いつのまにそんなアグレッシブになっちゃったの」
 驚く恋ちゃんを無視し、気絶したままの私は赤さんを揺さぶった。
「寝る……場所?」
 私の呼びかけに反応してか、赤さんはゆっくりと状態を起こす。今度はすぐに気を失ったりはしない。
「そうなの、白金くんが決めておけって」
「そう」
 すっかり意識が覚醒した赤さんは、一度ため息をついてから私に向き直った。
「さて、どうする?」
「まずはポジションを確認ね」
 赤さんの問いに、恋ちゃんはすばやく反応して、落ちていた広告の裏側に簡単な彼の部屋の見取り図を書いた。
「もし、寝ることになれば、使うのが予想されるのは、ここと、ここと、あとベッドね」
 見取り図に描かれた丸は五つ。私達の頭脳が導き出したのはこの五つだった。
「問題は誰がどこになるか。ね」 
「それは、もちろんこれでしょ」
 赤さんの問いに、恋ちゃんはにやりと微笑んでからこぶしを突き出した。 
「そうね。これで決着をつけましょう」
 そういって赤さんも恋ちゃんに続くようにして、こぶしを突き出した。
 私は、腕力に自信がないので喧嘩なら辞退させていただきたい。
「け、喧嘩はちょっと……」
 両手を胸の前で上げ、降参のポーズをとってみる。
 血を見るくらいなら、逃げたほうが得策だ。
 
「じゃんけんぽん」
 単純な間違いだった。普通ならジャンケンだというくらい判断できたはずだ。少し前に、死ぬだの殺しただの、ちょっと血なまぐさいことを考えすぎていたのかもしれない。
「はい、美穂決めて」
 しかも、二人が出したのは、運悪くグー。そして私は両手を上げていただけのつもりだったのだが、判定はパー。
 つまり、なぜか私は今、一番最初にペンを握らされていた。
「さぁ、どこ」
 そういいながら机を叩いたのは美穂で、早くしろと私をせかす。
「あそこならそこで、あそこならあれで」
 そして、ぶつぶつと紙を見ながら計算しているのは、二番目に場所を決めることになった赤さんだ。
「うーん」
 一番最初に決める権利が与えられた。といっても確立は五分の一だ。先に決めようが後に決めようが結局は運の問題だ。
 恋ちゃんならこんなとき直感で選ぶだろう。赤さんなら計算によってより高い確立の場所を選ぶだろう。なら、私はどうやって選べばいいのだろうか。
「早くしないと戻ってくるわよ」
 選ぶのに悩んでいたのではなく、選び方に悩んでいた私は、結局、何も考えずにベッドのすぐ近く、部屋の中心へと名前を記入した。
「なかなかいい推理ね」
 そういいながら赤さんは、私からペンを受け取り、物の数秒で場所を決めてしまった。
 おそらくは、私がここを選ぶ可能性も計算していたのだろう。
「あー、そこ選ぼうと思ったところだったのに」
 赤さんからペンを奪い取った恋ちゃんは、悔しそうにつぶやき、鼻歌交じりに自分の場所に名前を記入した。
「私の推理はきっと当たるわ」
「私の直感は良くあたるのよ」
 結局、一番時間がかかったのは私で、私よりはるかに時間のみじかかった二人は、何故か自信満々に彼の帰りを待っていた。
「わ、私はどうかな」
 自信満々の二人とは対象的に、私は、彼の隣だといいな。などと、淡い期待を抱くだけだった。

「ふー」
 彼が頭から湯気を上らせながら上がってきたのは、それから数分後だった。
「なんで見てるの」
「なんでもないわ」
 じっと見つめられた彼は、くすぐったそうに視線をそらし、髪の毛を拭くついでに顔を隠してしまった。
「さ、さて夜も遅いしもう寝ましょうか」
 上ずった声で言ったのは赤さんだった。
「そ、そうね」
 それにあわせるようにうわずった声で相槌をする恋ちゃん。
 そんな不思議な二人を首をかしげて見ていた彼であったが、少し鼻で笑って「わかったよ」と髪を拭いていたバスタオルを洗濯機へと放り込んだ。
「じゃあ、いこうか」
「う、うん」
 私達はかくかくとぎこちなく彼の後を追う。
「花梨、花梨ー」
 彼は階段を上る途中、妹の花梨ちゃんを呼んだ。
「なに?」
「三人がもう寝るそうだ」
「わかった」
 私たち三人はそんな二人の会話を固まったままで聞いていた。もしかしたら隣の二人の心音が聞こえていたかもしれない。
「それじゃあお休み」
 彼の部屋の前まで来ると、彼はそういって扉の向こうへと消えていってしまう。
「じゃあお姉ちゃん達は私の部屋ね」
 私達三人は状況が飲み込めず、そのばに立ち尽くした。
 今思えば、一緒の部屋で寝ることなんてまずありえない。
「お姉ちゃん?」
「あ、あぁ花梨ちゃん。今行くわ」
 私達は同時にため息をつき、思い足取りで花梨ちゃんの部屋へと向かった。
 やはり、願いなどするものではなかった。だから今回もサカサの結果が出てしまった。
 先に行く二人を見ながら、私はもう一度ため息をついてから二人に続いた。

前のページ 次のページ
TOPに戻る
inserted by FC2 system