第51話〜記憶喪失
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第51話〜記憶喪失

「やっと終わったよ」
 教室内は、目の前でこぼれていったようなぼやきで埋め尽くされていた。いったい全体何が終わったかというと、俺達に定期的に訪れるテストという厄介な物がやっと終わってくれえたのだ。
 クラスではテストが終わったからどこかに行かないか。とか、これから何をするかなんて話し声も聞こえてくる。なんとも一般の高校生らしい風景だ。だが、今の状況を考えるとこの風景はおかしい。別に、ここが異界であるとかクラスメイトが全員怪物であるとかそういった意味ではない。何がおかしいかというと、この平和な空間がおかしいのだ。
 つい最近、この学校では文化祭が行われた。その文化祭は、俺達三年生にとっては最後の思い出になるだろう重要なイベントだった。もちろん俺やクラスの皆はそれなりにがんばっていた。しかし、その努力は実ることも無く、最悪の形となって俺達の記憶というアルバムに刻まれてしまった。そう、確かに刻まれてしまったはずなのだ。
 それだというのにこののんきな雰囲気はどうしたものなのだろうか。俺だっていつまでもクラス、いや学校がどんよりとした空気になるのは好ましく無いと思っていた。しかし、この学校はあの文化祭の次の日からも通常通り、平凡で平和、そして退屈な時刻んでいた。
 俺がここまでおかしいと感じるのも、あの文化祭の一件があったからだ。学校に乗り込んできた殺人鬼、そして起こった猟奇的殺人。ここまでならまだ理解できる。よくあるから分かるといったわけではなく、まだこれならば常識の範疇で話を進めることができる。
 問題はここから先である。犯人は見えない武器を操り、それの処理をするために国は特別環境なんとかとか言う機関から銀狼を派遣してきた。もはやこの時点で何かできの悪いファンタジー小説のあらすじを思い浮かべているようだが、これよりももっとおかしなことがこの後に起こったわけだ。
「白銀君」
 ぼんやりと考えごとをしている俺に向かって唐突に声がかけられる。
「帰ろう?」
 やや不安げにその長い漆黒の髪で顔を隠すようにしたうつむき加減のまま、俺を誘うこ女性こそ、俺を悩ませる種である。文化祭までは、昔馴染みだったあーちゃんと言う少女と姿を重ね、自分の心の行方に悩まされた。この頃やっとそれがひと段落着きそうだと思っていたというのに、今度はこの文化祭での出来事だ。
 黒須さんは、あの犯罪者から俺の思う幼馴染である少女の呼び名ではなく、みーちゃんと呼ばれていた。それは単に俺と呼び方が違うだけなのか、それともやはりあーちゃんと黒須さんは別人なのかはわからない。
 だがしかし、あの意味の分からない殺人犯と黒須さんは何らかの接点を持っていたというのは分かっている。ついでにあの国から派遣されてきた銀狼も黒須さんのことを知っていた。
 恐らくはあの殺人犯も、銀狼も、黒須さんも俺が今求めている答えを全部持っていたのだろう。だからあの場にいた者は、俺以外が異質だったのではなく、俺だけが異分子だったのだ。俺だけ無知だったのだ。ここで今すぐに答えを聞くのは簡単だろう。もちろん黒須さんが答えてくれるかどうかというのは別の問題だ。ただ、聞いては意味が無いのだと思う。気づかなければいけないような気がするのだ。なぜかは分からないがそうしたほうかいいように感じる。それはあーちゃんに対する思いなのか、それとも俺が聞いて黒須さんが苦しむのを見たくないのかと言うのは自分自身も分からない。
「白銀君?」
 動かない俺に戸惑いを感じたのだろう。あーちゃんのように美しい漆黒の長髪からちらりと黒い瞳が見え隠れする。いけない。早く何とか言わないと。
「あ? あぁ」
 何とか会話しないとと思った結果がこれだった。俺はその場でゆっくりと立ち上がりかえるための準備をする。なんとも情け無いものである。
「変」
 そういう黒須さんの口元は、黒い長髪によって隠れてしまい見えなかったが、恐らく黒須さんは笑ったのだろう。わずかに頭が上下に揺れていた。しかし、何故今日はそんなにも前髪を顔にかぶせるようにしているのだろう。まぁいいか。どうせ些細なことなのだろう。
 それよりも、俺は黒須さんが放った『変』だという言葉のほうが気にかかる。たぶんボーっとしていた俺にかけた言葉なのだろうが、俺からすれば黒須さんのほうがよっぽぼ『変』だ。
 血で染まった教室で、ぼろぼろと泣きながら何かを悔やむようにごめんなさいといってみたり、あの犯罪者のことを冷静に観察しようとするし、俺にはどの黒須さんが本当の黒須さんなのか判断できない。
 それに、極めつけはアレだ。文字通り地獄と化した教室で、銀狼が去って数分後にそれは起こった。アレはまさに銀狼だとかおかしな殺人犯とかいったものを軽く超越しているのかもしれない。なぜならば、胸元を中身が見えるほどにぱっくりと開いていたクラスメイト達がいきなり動き出し、大量出血したにもかかわらず貧血を起こすことなく元気に話し始めたのだ。開いていたはずの胸元がいつの間にか修復されていた光景は、一種のホラーだった。俺はリビングデッドとかゾンビとかたちの悪いものを想像したが、クラスメイト達は誰かの脳がほしいと暴れまわったりすることも無く、生きていた。
 あれは、黒須さんが銀狼と別れた後に祈るようにして何かをつぶやいていたやつの効果なのだろうか。もしそうならば、俺が冗談のつもりで言った『黒須さんが魔法使い』なんてこともありえるのかもしれない。 
「さっさとしなさいよ白金」
 今度は上からとがめるような声も聞こえてくる。声のほうに顔を向けると、やはり西条さんだ。こんなに俺に厳しく話しかけてくるのは西条さんしかないので、この頃わかるようになってきた。確か俺は文化祭前に西条さんとは約束をしていたはずなのだが、そのことを俺に追求をしてこないところを見ると彼女はそれすら覚えていないのだろうか?それともただ単にあきれてしまったのだろうか。
 のんびりと考えながら教室から出る。
 
 
 
 帰宅しながらも俺は一人集団からはずれ、考えていた。
 何で皆覚えていないのだろうか?それともアレは俺の妄想だったのだろうか。そんな疑念すら生まれてくる。
 何気なく頬に触れると、指先がちょっとしたかさぶたをなぞった。そしてふと思い出す。そういえば俺は、あの犯罪者の攻撃を受けて頬を切っていたのだということを。もしかしたら、黒須さんがこの頃顔を隠しているのは頬の傷のせいなのかもしれない。
 そう思えばやはりあの文化祭の出来事は現実だったのだろう。それならば何故、誰もあの時の話しをしないのだろうか。誰かが意図的に情報を操作した?いやいや、それならば何故俺は覚えているんだろうか。さまざまな疑問が浮かんでは消えて行き、そのつど俺は頬の傷をなぞる。
 内臓を取り出す警官。見えない刃物を操る元幼馴染。明らかに狼の姿をしている国の役人。そして、死者をよみがえらせる同級生。この世界は俺の予想以上にファンタジーなことが起きているらしい。俺はそんなものが出てきそううなところは漫画や小説の世界でしか知らない。だが、そのファンタジーを実現させる唯一の可能性に気づく。
 
「ネーム……レス?」
 
 あれならばファンタジーじみたものにも説明ができる。ただ、黒須さんがそうだとしたら俺はどう接したらよいのだろうか。
 いままで、ネームレスについてはいい話しを聞いたことが無い。近くにいればうつるだの、見るだけで不幸になるだの妙にリアルだ。それにネームレスというのは精神的に病んだ人間がかかる病気だと聞いているし、そんな人間がこんなところで高校生活を普通に満喫できるとは考えにくい。
 もしも黒須さんがネームレスだというのならば、今まで黒須さんと過ごしてきた俺はとっくの昔にネームレスに感染しているはずだし、国がそんな危険な物を放置しているとも考えづらい。だからきっと俺の考えすぎなのだろう。
「白金君?」
「はいはい。今行きますよ」
 俺は黒須さんの呼びかけに俺は一時思考を中断し、遅れていた間を埋めるようにして駆け出した。
 難しいことは後で考えればいい。今は、皆があ生きているというこの事実だけあればそれで十分だ。
「じゃあ、今日はテストも無事終わったから白金んちでぱーっとやるか」
「いいねー」
 追いついたと思った矢先に聞こえてくる先行きが不安になる会話。これから先、あんなことがもう無ければいい。そう思いながら俺は頬の傷をなぞるのをやめた。

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