第48話〜暴走
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第48話〜暴走

 扉を開くとそこは異世界だった。
 
 私が教室に入ろうとした瞬間に、フリルの付いた何かが赤い絵の具をそこらじゅうに飛び散らしながら目の前で倒れていった。
「え?」
 私にはそれが何なのか理解できなかった。それに、ここまで走ってきたせいか、もしくはこの光景を見てしまったからか、私の心臓は今までに無いくらい大きく、そして早く脈打っていた。その勢いはまさに、目の前で横たわっている壊れた人形のように胸がはちきれんばかりにだ。
 教室は朱に染められており、まさにそこは元からそうだったのかと思わせるほど床や壁、そして天井までもが紅の教室だった。もちろんこの学校に紅い部屋なんてものは存在していないし、この文化祭でそんなこった装飾をしていたクラスは無い。これは、パンフレットを見れば一目瞭然の情報だ。
 それに、私も色々と見たはずだが教室自体を染めるなんてクラスはうちのクラスが教室を真っ黒に仕立て上げたくらいしかなかったはずで、後は普通の教室に何かしらの飾り付けをしているくらいだったはずだ。故にこの状況は異常。そして危険なのだ。
 そういえば目の前で倒れたのはなんだったんだろうかと確認しようと、私が見つめるその先には、フリルの服を着たこの教室に負けないくらいの赤の髪を携えた人形があった。その人形は、どこかで見たことがあるものだった。どこかはさっぱり思い出せない。
 だいたい、私は人形にかかわりは持ってこなかったはずなのだが、何故目の前の動かなくなった人形に心当たりがあるのだろうか。考えてみるがどうしても分からない。と、いうよりは分かってはいけないような気がしていた。
「嘘……だろ」
 よく知った声に振り向けば、そこにはいつもとは違って真っ青な顔をした彼がぼんやりと立っていた。どうやら彼もこの紅い人形部屋に異常を感じているようだ。
 異常といっても、私は何かが違うという程度のことしか分からないのだが、彼は違うらしく仕切りに教室をきょろきょろと見回している。その姿は何かにおびえる小動物のようで少しかわいかった。
「死んでる」
 ひっきりなしに首を左右に振っていた彼がやっとの思いでつむぎだしたであろうその言葉は、私に答えではなく疑問しか与えてくれなかった。死んでいるも何も、ここには生きていなかった人形しかないはずなのだ。だから死んでいるというのはおかしいだろう。そう思って私も辺りを見回してみる。
 私の視界には、やはり胸元のぱっくりと開けてこの部屋を犯す赤の液体を垂れ流している人形の姿しか見えない。先程倒れた人形も実は見たことも無いもの……ではなかった。
 それを認識した瞬間。猛烈な吐き気を催す。そしてここは人形部屋ではなく、地獄と化した。あたりで転がっていたのは人形ではなく死体。この教室を染め上げていた紅の正体は血液。そして目の前で倒れているこれはなにか知っている程度のものではない。
「せ、赤さん!」
 私はそういって即座にしゃがみこむ。私が教室に入ったときに倒れたのは、赤さんだったのだ。赤さんは、他の死体同様に胸元をセクシーとはいいがたいくらいに中までぱっくりと開いて倒れていおり、どう考えてももう助かる見込みはなかった。
 フリルの付いた服、真っ赤な教室に死んだクラスメイト。そして赤さんのこの状態。どこかで見たことがある。確かにどこかで見たことが有る。
「夢であってくれ」
 隣で彼がかすれた声でそういった。あまりのことに口の中がからからになっているのだろう。そういえば、私も口の中がからからで言葉をうまくつむげそうに無い。できれば私もこれが夢であると願いたい。そうだこれは夢だ。
 もしかしたら消えてくれるかもしれないと、目に見える現実から逃避するようにまぶたを硬く閉じた私だったが、夢という言葉でふと思い出す。そうか、これは私が夢見たとこと同じことなのではないかと。そういえば、こんな夢を見たような気がする。夢と今の状況の異なる点といえばクラスメイトが襲ってこないことくらいだろうが、実にあの夢と酷似しているような気がする。
 そういえば私の能力は願えば願うほどそうななってくれないというものだった。そういうものだった。もしかしたら、あの夢を見たことによってそうなってほしくないと願ったのが悪かったのかもしれない。まずい。そうだとしたらとってもまずい。私が思うに、このままだとこの犯行の犯人はあの二人になってしまう。なぜならば、私はそうではないことをずっと願っていたし、今もそう願ってしまっている。願ってはいけないと分かっているのだが願わずには居られないのだ。
 ぐだぐだと悩んでいると、教室の丁度真ん中で何か音が聞こえた。もしかして生き残りの生徒の断末魔なのかもしれないと生存者の存在に心はせながら慌てて声の方向を見るが、どうやらそれは違うらしい。
 教室の真ん中で立っていたそいつは学校の制服では無い服を身にまとい、その体を真っ赤に染められていた。アレはこの血溜りに前からこけるか、血がべっとりとこびりついた壁に激突するか、もしくは天井にへばりつくしか無いだろう。いずれにせよここの生徒ではないのは確かだ。と言っても今日は文化祭なので一般の人の入場があっても全く不思議でない。
 ゆらりゆらりと陽炎のように立っていたそいつは、ゆっくりゆっくりとこちらを向いた。それは、明らかに今あげた方法で血が付いたのではないような染まり方だった。主に上半身が真っ赤に染まり、まるで至近距離で返り血を浴びたかのような姿だ。
「これはこれは」
 私達のほうをみたその血まみれの男は嬉しそうにつぶやきながら、狂気に満ちた笑みで私達をじっと見ていた。いや、正確には私を。なのかも知れない。
 私はじっとこちらを見つめる男を直感的に危険だと判断した。判断したのだが、何かが頭に引っかかっている。今すぐにここを逃げ出さないといけないと思っているものの、何故か足が動かない。それは恐怖なのか、それとも違う理由なのか。分からなかったが、確かに分かっているのは、私は今自力でここから逃げ出すことができないということだ。
 たしか、こんなことは前にもあった気がする。そのときの私といえば、気を失ってただ流れるままに流れていただけだ。その結果はどうだったか?横目で彼を見れば何故か胸を強く握り締めていた。アレが私がしたことの結果なのだ。彼は今もたった今もあの時の傷と戦っているのだろう。表面上は完治したかのように見えるが、きっと深い部分では治っていないのだろう。だから胸元をあんな苦しそうな顔をして握り締めるのだ。
 しかし、見たところこの惨状を作り出すような獲物を持っている様子はない。使い切ってしまったのか、それとも隠しているか。分からないが今は逃げないといけない。目の前で倒れている赤さんもどうにかしないといけない。私は頭をフル回転させてこの状況を把握しようと努める。しかし全くといっていいほど何も浮かばない。
 
「黒須さん!」
 
 私が考え終わるよりも先に彼が動いた。座り込んだままの私の腕を強引に引っ張り、この地獄のような教室から抜け出そうと踏み出した。しかし、それがまずかった。何がまずかというと相手のことを把握し切れなかったのがまずかった。
「細切れっ!」
 後ろで男が叫ぶのと同時に物凄い風圧が私と彼を襲った。私はあまりの風圧に何が起こったのか全くわからずに硬直していた。何が行われたのかは分からなかったが、私が上を向いた瞬間どうなったのかは理解できた。
「反則だぜ」
 引きつった笑みを見せる彼の頬には一筋の赤のライン。そして手をかけようとした扉はみごと真っ二つに切断されていた。恐らくは何か鋭利な刃物を投げつけたのだろう。それも巨大なやつをだ。敵の武器は何なのかと周りを見回すが、教室の正面の廊下に大きく傷が刻まれているだけでそれらしいものは何も見つからない。こんなことを考えているあたり自分はわりと冷静なのかもしれない。
 恐らくアレを避けれたのは私の反応が遅れて彼が立ち止まったから。と、いってもアレは最初から彼を狙っていたのではなく扉を狙っていたのだろう。つまり彼は眼中に無かったようで、私の足止めをしたかっただけなのだろう。
「人の話の途中で退席するのはよくないよ」
 また後ろで男が何かを言っていたが、今度は二人して教室を飛び出した。幸いながら追ってくる気配は無い。差し詰め、私なんていつでも仕留められるといった余裕からの事なのだろう。
 男から逃げた私達は取り合えず隣に有る自分達の教室に逃げ込んだ。ここならば真っ暗なのでお互いに視界が限定される。それに加えてこちらはこの空間を作り出した人間だ。地の利はこちらにある。いわば迷路の創造者と迷い込んだ冒険者といったところだ。確実に先制攻撃はもらえるだろう。
 教室に入った彼は真っ先にとある場所へと向かった。そこには何故か鉄筋バットが一本だけ放置されており、彼はそれを握るとブンブンと軽くすぶりをする。もしかして、これであの男と対峙するつもりなのだろうか。もし、そうならば私は全力で彼を止めなければならない。
 
 息を潜めて男が教室に入らずに通り過ぎるのを待つ。しかし無常にも男は音を立てながら教室に侵入してくる。
「暗くてよく見えないな」
 やはり暗闇ではこちらのほうが目が慣れている分うまく立ち回れそうだ。
 
「両断っ!」
 
 しかし、私達の甘い思惑は儚く、男がそう叫んだことによってかき消される。何と私達のすぐ横で黒のシートや窓ガラスが男の叫びと同じように両断されてしまったのだ。ぼろぼろになった窓からはまばゆい光が差し込み、教室を闇から開放していく。
 これにあせったのは私達だった。暗闇になれた私達の目はこの光ではうまく動けない。それに地の利ももはや関係が無くなった。形勢は逆転してしまったのだ。私達の幸運といえばまだ見つかっていないということ唯一つのみである。
「やはり明るいのが一番だな」
 嬉しそうな声で男そういってゆっくりと教室を動き始める。何故、男が動いているのが分かったかというと、通常この文化祭で一般客が校内に入るときは来客用のスリッパか、持参したスリッパなどには着替える必要がある。なぜならばそうしないと校内の床が砂や石などで痛んでしまうからだ。それなのにこの男からは靴音が聞こえるのだ。コツコツとゆっくりだが確かに聞こえるのだ。つまりだ、この男は最初からこの学校に来客としてではなく、乱入するつもりで居たわけなのだ。
 
――コツンコツン
 
――ドクンドクン
 
 私の耳に聞こえるのは男の足音。そして私を男から背にするようにして抱きかかえている彼の心音だけだ。男の足音を聞かなくとも、彼の心音が大きくなるだけで私は男が近づいてきたのだと知ることができた。だから私は男の足音は聞かないことにした。なぜならばそうしたほうが恐怖を感じにくいからだ。誰だって逃げられるのなら怖いことからは逃げたいはずだ。
「いないなぁ」
 男の声が聞こえるのと同時に、彼の心音は今までの最大心音を軽く更新する。足音を聞かなかった私にでも分かる。いま男が私達とこの黒のシート一枚隔てた向こう側に居るということが。恐怖に叫びそうになる私を強く抱き、彼はひたすらに耐えていた。このままでは本当にはじけ飛んでしまうのではないかというくらいに早く脈を打つ振動は、男があきらめて離れていったのを確認して徐々に緩やかになっていった。
「助かったか?」
 私に聞こえるか聞こえないかと言うほどの小さな独り言をもらして、彼は体の緊張を緩めた。体の緊張を緩めたせいか彼の体が若干ずり落ちる。
 
「甘いっ両断っ!」
 
 立ち去ったと思った方角からまた何かが飛んできた。飛んできた何かは先ほどまで彼の顔があった場所を綺麗に持っていった。もし彼が動いていなければ彼は真っ赤な血を吹く噴水になっていただろう。
「気のせいか」 
 自分が放った攻撃に本能が無かったためだろう。男はあきらめたように教室を、今度こそ立ち去った。
 
「危なかった」
 男が居なくなったのを確認してから十分時間を取り、やっと私達は警戒を解いた。ひとまずはこれであの男が校内を一周してこない限り大丈夫だろう。
「ひとまず」
 私も彼の胸から抜け出して一息を付く。
「黒須さん。これ使いなよ」
 見れば彼は何かを私に突き出していた。おかしい。なぜだか何を突き出されているのかよく分からない。
「泣いてるよ、黒須さん。綺麗な顔が台無しだよ」
 いつまで経っても動かない私を見かねたのか、彼は私の頬を優しくその手に持っていたものでなぞる。それは恐らくハンカチか何かだったのだろう。そして、私はそこで始めて泣いていると知った。
「赤さんが、赤さんが……」
 分かってしまえばもうとめることなんてできない。
「私のせいで、私のせいで」
 押し寄せる感情の波に飲まれ、私は危険も考えずにただひたすら彼の胸で泣き喚いた。彼も、それを諭すわけでもなく、ただ無言のまま優しく私の頭をなでていてくれた。
 
「いいかい黒須さん」
 少し落ち着いた私を正面に構え、彼は神妙な面持ちで私を見つめる。
「皆死んだ」
 死んだというより私が殺してしまったのだ。
 そう思うと先程あれほど泣き喚いたというのにまた涙が頬を伝う。
「西条さんも死んだ」
 なぜ彼は平気な顔をしてそんなことを言うことができるのだろうか。赤さんのことなど気にも留めていなかったというのか。もしそうならばここは一つ頬でもひっぱたいてやらなくてはいけない。
 と思ったのだが、座っている彼の拳を見ればそんな気もうせる。ブルブルと振るえ、何も感じていないような人間が見せるとは思えないほど硬く拳は握られている。恐らく彼には何か思うことがあるのだろう。だから彼は冷静で居なくてはいけないのだ。冷静ではなくとも冷静に見せなくてはいけなかったのだ。それは私が居るからなのかどうなのか。それは彼のみが知るところだ。
「だが俺達は生きている」
 そう。私達は生きているのだ。早くここから逃げ出して助けを呼ばなくてはいけない。そのためにはどうやってここを脱出するかが重要になる。恐らくそれを彼は話そうとしているのだ。
「反撃だ」
 脱出しようという彼の言葉を黙って待っていた私に突きつけられたのは、予想とは異なった答えだった。
 反撃?相手の武器も何も分かっていないというのにこの人はやろうというのか。
「俺だって友達を殺されておちおちと逃げられるような人間じゃない。それに、まだ生きてる人がいるかもしれない」
 表面上は冷静に見せていたが、やはり彼は相当感情的になっていたようだ。このままでは彼も死んでしまうかもしれない。
「さぁ反撃の開始だ」
 かくして彼は暴走を始めた。

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