第39話〜まさかイカサマ
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第39話〜まさかイカサマ

「二人三脚に出場する選手の皆さんは入場門に集合してください。繰り返します――」
 グラウンドでは、借り物競争なんていう漫画などでしか見ないような珍しい競技をしていたが聞こえてきた放送に誰もが一瞬耳を傾けた。それはただ単に迫ってきた競技の招集をかけるだけの業務的意味合いの放送のはずだ。
 しかし、今回の放送は少し違う。恐らく今の放送を聞いた人間の思考としては三種類あっただろう。一つは何だ次はその競技かと無関心な人間。二つ目はやっと来たかと完璧に傍観者に回る人間。そして最後はとうとう来てしまったかと絶望する人間。この場合最後にあげられた絶望するタイプの人間は、今にでも逃げ出したくなるような心境だ。出来れば今から大怪我をして出場を辞退してもいい。何故そんな心境が自分に分かるのか、それは自分がその種類の人間だからだ。ついでに言うと私の隣で頭を抱えているのやる気のなさそうな彼も恐らくは同じ部類である。
「早く行きなさいよ白金」
「はやくはやく」
 世界が終わってほしいと頭を抱え込む私達二人に嬉しそうに呼びかける女性達。一人はその肌を健康的に焼いたやたらと能天気そうな女性。もう一人は炎のように真っ赤な長髪を持つ女性だ。二人はもちろんこの状況を楽しんでいる二番目のタイプの人間だ。なんてひどい人間なんだなんて思う人がいるかもしれないのだが、この状況では二番目のような思考を持つ人間が今ここにいる人間の大半を占めているだろう。なにせ二人三脚はこの体育祭の点数的な意味でも、注目度的な意味でもかなり高い位置にあるのだ。喜んで見ない人間は相当この行事に無関心な人間かこの競技に出場する人間くらいだろう。
「ほらほら。アレだけ練習したんだから大丈夫でしょ」
 頭を抱えたままその場を頑なに動こうとしない私達二人に新しく来た女性が声をかける。その女性は、やや汗ばんだうなじを見せながら私達に向かって笑顔で接する。あぁ、もしこの笑顔が太陽だと言うのなら、私達二人は海の底に住んでいる深海魚なのかもしれない。今の私達には太陽ような笑顔もその温かさも伝わってこない。太陽の女性は依然として大丈夫だ。とか一位は確実だ。などといって私達を励ますが問題はそこではないのだ。
「分かった恋。分かったからそれ以上騒がないでくれ」
 太陽に近づきすぎると海も蒸発してしまう。蒸発した海は太陽を遮ることなくその熱を深海にいた魚達に降り注ぐ。
 こうも恋ちゃんにしつこくがんばれと言われてしまえば、可愛い幼馴染のためならがんばらないといけないと言う結論に彼は達してしまったようだ。もちろん彼が思ったであろうことの前半部分は私の妄想である。後半部は恐らくは彼の本心だろう。ついでに言うと私も俄然やる気になっていた。久しぶりに出来た親友が応援してくれるのだからがんばらないわけには行かない。つまり私達深海魚もこの太陽の熱に毒されてしまったのだ。
「しっかりさらし者になってきなさいよ」
 大きな口をあけて笑う恋ちゃんはすでにこの状況を楽しむ側に移ってしまっている。そしてその言葉は忘れかかっていた晒し者という事実を私に思い出させてくれる。すっかりやる気もなえてしまった。忘れていた。太陽に近づきすぎると溶ける。
 
 
 
「二人三脚の選手の方はこちらにー」
 係りの役員に呼ばれて集合場所に集められた生徒は、皆私達二人のように死んだ魚の目をしていた。誰もこんな競技に進んで参加する奴はいない。進んで参加している奴は相当頭がぶっ飛んでいるか他人に見られるのがたまらなく気持ちイイと言った変態的思考を持つ人間くらいだろう。
「あにぃー負けないからねー」
 そういえば自ら進んで参加した頭のぶっ飛んだ彼の妹を忘れていた。いや、あれは頭がぶっ飛んでいると言うより何も知らないのだ。恐らくそうだろう。仮にも彼女は私の思いを寄せる彼の妹さんで、私の数少ない友達なのだ頭のぶっ飛んだ可愛そうな人などと思いたくないし、ここはそういう解釈にしておこうと勝手に自己完結。しかし、何も考えていないと言うのもなかなかにひどいものだがそこは目をつぶっておくことにする。
「よう祐斗」
 世界をのろうかのように地面を蹴り続ける彼に飄々と声をかける人物が一人。その人は今年もこんな競技をすることを決定してくださった生徒会長様だ。聞いた話によると彼が立会演説なるものをしたらしい。彼は藤村君にお前のせいだなんていっているが、この競技は例年のことだしやると決まったのは私と彼がこの競技に出ると決まる前なのだ。生徒会長である藤村くんになんら責任はないはずだ。むしろ私はこの競技をやってくれたことも彼と一緒に出ることになったこともまとめて嬉しいのだが、彼はそんなに私と組むのがいやなのだろうか。もしそうだとしたら私は立ち直れない。
「ほら、引けよユニホームを決めるくじだ」
 少し大きめの箱を振りながら私達に笑いかける藤村君。その笑顔はもはや凶悪だ。出来ればシックなデザインな物がいい。これ以上目立ちたくない。私は彼が少しでもましな物を選ぶのを祈った。
「ほぉ、良いのを引いたな」
 彼が無造作に引き抜いた紙を見て口元を怖いくらいまでに吊り上げた。しまった、サカサマサカサのことを忘れていた。思ったことと逆のことが起こるのだ。落ち着いたデザインの物がくるわけがない。
「ほらよ、これがお前達のユニホームだ。俺特製だぞ」 
 ニコニコと言うよりニヤニヤに近い笑顔のまま藤村君が私達に投げてよこしたのは春の桜のように美しいピンクのセーターだった。所々に見られる赤のアクセントはなかなかにセンスがいい。それに、なんて綺麗な色なんだろうとそのせータを見つめて立ち止まる。もしかしてサカサマサカサが発動しなかったのか……。
「やりやがったな藤村」
 いきなりの彼の怒鳴り声に頭にはてなマークが浮かぶ私だったが、笑いながらも肩をつかまれ首をがくがくと危ないくらいに揺らされている藤村君に視線を送った。なかなかいい仕事してますね。と。ついでに親指もぐっと立てておいた。
 藤村君は私のそれが分かったのか、いまだにがくがくと揺さぶられながらもしっかり人差し指と薬指の間から親指をのぞかせ、私に向けてぐっと握った。いったい彼には私がどのようなことをしているように見えたのだろうか。それは彼のみぞ知ることなのだが、恐らくは私が伝えたかった事とはこれっぽちも合致していないのだろうと言うことだけは分かった。
「俺はこの競技は毎年だし、俺が出るのよりも先に決まっていた事だから藤村をせめても仕方ないと思っていたんだ」
 結局終始笑ったままだった藤村君は、生徒会役員が座ると言う一番この競技が見えそうな位置に陣取ってこちらに手を振っている。気づけば、いつの間にか生徒会役員でもないのに恋ちゃんや西条さんまでもがその席に座っていた。それもさも当然かのようにだ。もちろん、ここは生徒会役員用の席ですと伝えようとした勇敢な生徒もいたのだが、あの面子にかかればそんなものはぬかに釘ほどの威力しか持たない。
「それだと言うのにあいつはこんな派手なせータを送りつけやがって」
 友人からの贈り物は素直に受け取ったほうが良いといおうかと思ったのだが、流石に私もこのデザインを見て顔が引きつる。桜色だったし、私たちのことを考えて藤村君が目立たない落ち着いたデザインのものをくれたと思っていたのだ。だから親指も立てたのだ。そう、思っていたのだ。過去形なのだ。落ち着いた桜色のセーター、それは私が受け取った面だけの話だった。彼が渡された瞬間に藤村君に飛び掛って行ったのも、このセーターの裏側を見てしまったからなのだろう。
「何が俺特製だ。こんなもの作りやがって」
 文句を言いながらじっくりと柄を見つめる彼。そういえば藤村君は俺特製といったのだからこれは藤村君が編んだものだろうか?もしそうだったらすごい執念だと思う。友人を困らすためだけに寝る時間を削ってせっせとセーターを編んでいる藤村君を想像して噴出す。だが、そんな笑いも一瞬にして凍りついた。私はこのセーターの本当の姿を見てしまったのだ。
 私が渡された面は丁度柄が目立たなかっただけのようで、広げてみてこのセーターの全貌が明らかになった。胸には大きな半分のハート。背中にはこれまた半分のハートにアルファベットのLとO。
 これはあくまでも想像の域を脱していないのだが、もしこの柄が彼のセーターにもあったとしたら表は丁度一つのハートに、裏は下手をすれば大きなハートとLOVEの文字が出来ると言うことになる。
 私は藤村君の才能に若干の寒気すら覚えていた。男の子でここまで完璧に編み物をして見せる彼とはいったいどんな人間なのだろうか、気にはなりもしたが今はそれどころではない。問題はこれを本当に着るかと言うことなのだ。二人三脚は生徒会指定のセーターの着用が義務付けられているのでこれを着ないというのは当然失格を意味する。周りのペアは文句を言いながらだが次々とセーターを体操服の上から着ている。これは覚悟を決めるしかない。
「しかたないこと」
 彼に聞こえるように一言だけ言ってこの派手を超えてグロテスクなまでのセーターに袖を通す。着心地は案外良く、私の体にぴったりだ。それに、今思えばこのLOVEの文字も私達が左右を入れ替えただけでVELOなんて意味の分からないことになるのだ。だが私達はそれが出来なかった。私達は練習でずっと同じ位置でやってきた。藤村君は当然そのことを知っている。私の体のサイズをどうやって入手したのかは気になるところだが、取り合えず藤村君への恐怖心がまた増した。もしかしたら藤村君は怪物か何かなのだろうか。そういえばこれは私と彼のサイズにぴったりなのだが、くじで決めたのにどうして私達がこれを着るのが分かったのだろうか。
「黒須さん入場だよ」
 あと少しで恐ろしいことに気づきそうだったのだが彼の声に従い整列する。
 結局最後まで藤村君に対する愚痴を漏らしていた彼だったが、結局は迫りくる時間と私のお願いでやっとせータを着てくれた。入場を促す係員の声にぞろぞろとうつむいたままの生徒達が先導役の人間に連れられてグランドへといざなわれていく。もちろん私と彼もそれに続くいてグランドへと走り出す。グランドに出た私達を待っていたのは黄色い声と冷やかしだった。穴があったら入りたい。
「黒須さん」
 会場の異常な熱気にあてられ、うつむいたまま動けなくなってしまった私に彼からの声がかかる。顔を上げてみれば他のペアはもう足に二人三脚用の赤い紐をくくりつけている。運命の赤い紐と言うわけか。だめだ、ぜんぜん笑えない。
 のろのろと彼の元に行き、彼が紐を縛り終わるのを待つ。恥ずかしいがこれもいいかもしれない。引っ込み思案な私がこんなにも彼に接近することが出来る何でいったい誰が想像できただろうか。そういった意味では、この競技に出ても良かったのかもしれない。この黄色い声さえなければもう言うことはなかっただろう。
「スタートラインにたってくださいね」
 係りの指示に従ってスタートラインへとつくが、やけに人数が少ない。スタートラインから首をひねって横を見ればその理由は一発で理解できた。皆、足を絡ませてこけているのだ。これはスタートまでに時間がかかるかもしれない。黄色い声は収まるどころか激しさを増す一方で、今回も私の望みは神様に通じることはなかったようだ。
「大変長らくお待たせしました」
 必死に笑いをこらえながら藤村君が壇上に登ったので、スタートの号令も藤村君がかけるのかと思ったがそうでもないらしく藤村君はルールの説明をし始めた。もちろんそんなものは誰も聞いていない。ただ、無駄に晒し者になる時間が長くなっただけだ。
「がんばろう黒須さん」
 長時間の他人の視線に耐え切れずに折れてしまいそうになる私の肩を叩いて彼が言ってくれる。それもいつも私を悩ませる魔性の微笑を携えてだ。そんな微笑を向けられてしまえば私もやるしかない。
「可愛い幼馴染のため?」
 少し余裕の出来た私は余計なことを聞いてしまう。
「ああ、生意気な幼馴染のためだな」
 余裕の出来た私を茶化すようにして彼は口にする。一瞬私の本心が彼にばれてしまったのではないかと内心ひやりとしたが、彼は超が付くほど鈍感なのでそれはないだろう。おそらく今のは場を和ませようとする彼なりの努力だ。
「では最後に、こけないように注意してくださいね」
 藤村君の長ったらしい説明を経て、競技はやっとスタートする。
「位置について」
 こうなったら勝つしかない。恋敵であるはずの私と彼が密着するのを涙を飲みながら二人三脚の練習をさせてくれた恋ちゃんのがんばりのためにも、私の最後の体育祭の思い出のためにも勝つしかない。
 敵は恐らく彼の妹であるかりんちゃんと私の弟である大河のペアだけだ。兄弟の頂上決戦といったところだろう。まさに最初からクライマックスである。
 慎重さで少しつかみづらい位置にある彼の方をぎゅっと握り締めると、彼もぎゅっと握り返してくれる。これならいける。怖くない。
「よーい」
 そして勝負の開始を示すピストルがなった。 

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