第36話〜嫉妬
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第36話〜嫉妬

「違う違う」
 恋に叱咤されながら、俺はオレンジ色に染まるコンクリートの上で三本足になって歩いていた。走りたいのは山々なのだが、なかなかにこの三本足歩行と言うのは難しい。少しでも集中を欠けば転倒してしまいそうだ。
「もっときびきびしなさいよ。男でしょ」
 相変わらず恋は叱咤を繰り返すが今の俺は半分女なのだから少しくらい多めに見てくれてもいいと思う。
 大体、今まで特に関心を持っていなかったというのに何故いきなりにもこんな干渉をするようになってしまったのか。その理由は恋の隣りで腹を抱えて笑っている男の発行した一部のプリントのせいだった。
 昼休み、生徒会からだといって一枚のプリントを持った生徒が教室に現れた。普段ならば、誰もそんなものに見向きもしないのだが今回は少し違った。なぜなら、その生徒の持ってきたプリントは、体育祭に関する重要な資料だったのだ。重要といっても一部の人間にだけなのだが、運悪く今俺に鬼のような形相で叱咤をくりかえす彼女もその一部の人間だった。プリントの内容は体育祭各競技の点数表だった。そのぷちんとには例年通り団体競技には大量の点数。個人競技にもそれなりの点数といったように普通の点数配分だけだった。ある一つの競技を抜いてだ。
 その競技は生徒会主催の二人三脚。まさに俺と黒須さんが出ることになっている競技だ。例年ではお笑い的要素として取り入れられていた競技なので点数はゼロに等しかった。しかし、今年は何を血迷ったのか点数団体競技並みに高く設定されている。これにはプリントに集まった全員が眉をひそめていた。そんなに力を入れて決めていなかった競技がいきなり高得点競技に化けたのだ。それは誰もが驚くだろう。
 このプリントが発行されたと言うことは、すでに全クラスのメンバーが決まっていると言うことだ。点数が高いというのならば勝ちに行くためにメンバーを代えたい。しかし、規定のメンバーを代えることは難しい。ならばすでに出場が決定している選手を強化するほかに道はないということだ。
 そんなわけで俺は現在進行形で二人三脚の練習中だ。始めは黒須さんと引っ付くことが恥ずかしいなどといっていたが、今ではもうそんなものを気にしている余裕はなくなった。汗だくになりながらひたすら三本足でうまく前進するために練習を重ねる。練習はしているのだ。しかし一向に上達しない。上達したといえばこけそうになるのを何とか踏みとどまることくらいだ。なぜか、どうしてもどちらかが遅れてしまうのだ。原因はわからないがとにかく疲れているのも原因の一つに違いない。
「そろそろ休憩にしないか? ジュースでもおごろう」
「ジュース?」
 どうやら俺達の疲労よりも自分がジュースをもらえるかもしれないという希望で練習を中断してくれた恋。休憩は実にありがたいのだがジュースに負けたと考えると少し悲しい。
「ほらよ」 
 約束どおりジュースをおごってるが、どうも恋の機嫌はよくならないままだ。なんだか一人で人選を間違えただの自分がやるべきだったなどと文句をたれている。祖r4絵ならば自分で練習に入ってくればいいというのに、恋はただ言うだけだけだった。確かに恋の言うとおり俺ではなく恋がやったほうがいいかもしれないが決まったことなので仕方がないことだ。
「1,2,1,2,1,2」」
 聞こえてくる元気な掛け声にふと顔を上げると、そこには器用に三本足で走る花梨達の姿があった。どうやら花梨達も練習中のようだ。ただ、花梨達は俺達と違ってかなり上達しているようだが。
「1,2,1,2,1,2」
 俺達を一瞥したかと思うと満足そうににやけてまた去っていく花梨達。これは明らかな挑発に違いない。遠ざかる花梨の後姿を見て、握り拳に力を入れるが、ふと気づく。花梨達に有って自分達にはないものを。
「黒須さん。掛け声をかけよう」
 なんともまあ初歩的なことだとは思ったが今まで無言のままタイミングを合わせようとしていたのだからそれは難しいに違いない。だが、掛声を二人でかければより簡単にタイミングを合わせることが出来るはずだ。
「せーの、1」
 声と同時に足を出す。今日一番のタイミングで足がそろった。
「2,1,2」
 二人で声を出しながら次々と足を前へとすすめる。予想以上に声とは重要なようで、声を出すようになってからはすぐにタイミングを合わせることが出来た。これならば恋に起こられなくてすむはずだ。
 だが恋の機嫌は今までの通り斜め。むしろ悪化していた。特に何も言わなくなっているのだが、見るからに機嫌が悪い。何かしたのかと自分の落ち度を探すが一向に見つからない。本人に聞いてみてもなんでもないというし、言ったいどうしろというんだ。
 
「今日はこれくらいで終わろうか」
 すでに外はオレンジから黒に変わってしまい、空には星の装飾もされていた。練習には十分満足していたし、これならばいけるかもしれないという確実な手ごたえすらも感じるほどだったのでこれくらいで切り上げてもいいような気がする。
「しかたないわね」
 なんだか嬉しそうに練習を切り上げを承諾する恋。その喜びは俺達の完成度に対する喜びなのかそれとも他の喜びなのか分からないが少なくとも今までの練習のときよりは嬉しそうなのは確かだ。
「暗いし家まで送ろう」
 せっかく練習に付き合ってもらったわけなのでここは少しでもお礼にでもとそう提案してみる。丁度練習していた場所が俺の家の前だったので黒須さんの家までは数十m。三人で黒須さんの家まで行きまた明日の練習について計画を立てて分かれる。そしてその後に、恋の家までの道のりを二人で歩く。すでに世界の支配者は太陽から月に変わっており、空には穴が開いたように綺麗な月が浮かんでいた。
「練習、付き合ってくれてありがとうな」
「べ、別にあんたのためじゃないわよ。クラスのためよ」
 暗くて表情は見えないが、本人がそう言っているのだからそういうことにしておこう。
「この頃仲良いわね」
 数秒間の無言の時間を経て恋が口にした言葉はそれだった。
「誰とだよ」
「美穂」
 たしかにこの頃は黒須さんといることが多いと思うが、別に関係が進展したとかそういって事はないはずだ。だいたいこうして練習をすることになったのも恋が提案したことだ。だいたい俺がもし仲良くなっていたところで何を恋が気にすることがあるというのだろう。
「美穂の事好き?」
 いきなり何を聞き始めるのはと思って恋のほうを向くが暗くていったいどんな表情で言ったのかは見当がつかない。黒須さんのことが好きかと問われれば正直自分でもよく分からない。確かに気になりはするが、それが恋愛感情なのかどうなのは分からないのだ。
「嫌いではないよ」
 自分でも分からないので曖昧な返答しかすることの出来ない自分がたまらなくちっぽけに思えた。
「じゃあ、私の事は?」
 また得意のいつもの冗談かと思ったが、雲の隙間から現れた月の光に照らされて映し出された恋の表情は、いつもの男勝りな友人ではなく、一人の憂いを帯びた美しい女性だった。思いつめたような真剣な目を見ていると、どうにも俺は黒須さんのことのように曖昧に答えてはいけないような気がする。かといってこれは好きか嫌いかの二択を選択をいって終わるだけのような問題でもないような気もする。
「好きだよ。うん」
 自分にも言い聞かせるようにうなづいて恋のほうを見る。しかし恋の表情は相変わらずで、次の言葉をつむぎだそうとしていた。
「それは黒須さんより好き?」
 度重なる質問にいつもとは違う空気を感じ取ったが、感じ取った所で何が出来るわけでもなく、ただ流されるだけだ。そして思い出したのが、あの合宿のときの階段を上っていたときのことだった。確かあの時も、恋は自分を恋人にしても良いと思うかと聞いていたような気がする。俺の頭の中に一つの答えが思い浮かんだが、それはあまりにもありえない答えなのですぐに削除する。
 恋が俺のことが好き?そんなことはありえない。いつも友達のように接してきた恋が俺に友達以上の感情を抱いているなんて考えたくなかったし、怖かった。しかしそれでも答えを待つ恋にしっかりと返答をしなくてはいけないのは確かだ。
「黒須さんの事が好きなのかは分からないからなんともいえないけど、すくなくとも今のところ恋とはこのままいい友達でいたいかな」
 自分の中で出した答えはそれだった。現段階の自分が熟考した結果の中で最良と思われたのがその答えだった。
 しかし、俺の選択はどこで間違ってしまったのか恋は何も言わずに俺の目の前から走り去って行ってしまった。走り去る恋の目には、わずかな電灯の明かりで光る雫が浮かんでいた。
 あいつを泣かしてしまったか……。いつ振りなのだろう、あいつを泣かしてしまったのは。俺が覚えているあいつの涙というのは数少ない。たとえばおままごとで自分がお嫁さん役になりそびれたときだとか、俺と喧嘩した時だとか、何故かすべてが俺がらみだった。そしていつも俺が恋に謝る。ひたすら謝る。これが今までの解決策だった。しかし、今回はどうも俺が謝るだけではどうにもなりそうにない問題が横たわっているような気がしてしかたがなかった。
 体育祭で黒須さんと一緒に走らないといけないこと、恋との関係、そして花梨と黒須さんの弟君との関係。いろいろな問題が俺に立ちふさがっていた。せっかくうまく立ち回ってきたはずだったのにいつの間にこんな窮地に陥ってしまったのだろうか。ここは誰かに相談するしかないと思ったのだが新たな問題を思い出してしまう。
「まだ、可憐さんたちに返事してない……」
 相談相手を失った俺は、ただ一人で月光の差す薄暗い道を頭を抱えながら歩いた。その道は丁度俺が胸を切り裂かれた道だというのも忘れてだ。結局俺は自分のみのことよりも自分の周りのことが気になるらしい。いったい俺の生活は何を中心にして回っているのだろう。そして俺の生活は何を中心にしてまわせばいいのだろう。
 そんな時、ふと俺は暗闇の中に人影を見た。

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