第31話〜過去
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第31話〜過去

 時間なんて物は曖昧だと思う。まだ一時間かと思うときもあれば、もう一時間もたったのかと感じることもある。つまり、時間と言うものは全体の経過を図るものであって、個人の感覚などと言うものからはかけ離れているのだろう。
「ただいま」
「おかえりー」
 挨拶をすれば帰ってくる、このすばらしい家に居候をはじめたからもう二ヶ月が過ぎようとしている。初めは一週間だけだと決めていたはずだが、あまりの居心地のよさに二週間、三週間と伸び、そしてカレンダーを見ればもう九月の中旬。自己堕落と言うものは恐ろしい。私が本来私の居るべき家に帰らないのは、この家が居心地がいいのか、それとも大河が怖いのか。それはもちろん後者なのだろう。理由は分かっている。原因もわかる。そして私は結末さえも予想していた。それだと言うのに私はその結果を見ることが怖かったのだ。予測した未来が現実のものになるのが怖かったのだ。
 もしかしたらサカサマサカサがうまく働いてくれるかもしれない。そう思ったこともあったが、それはやはり逃げなのだろう。そして、私は今も逃げていた。自分の血縁、それも弟から逃げていた。世界中が敵をしてもおそらく最後まで味方をしてくれるだろう家族から逃げていた。
 そう、私は味方が居ない孤立無援天涯孤独の一人ぼっちだったのだ。そんな時に分かった自分の認めたくなかった気持ち、そして周りの気持ちを知ってしまった。そんなものを全部ひっくるめて私は投げ出して逃げた。それだと言うのに、この人たちは私を捕まえて離してくれない。普段の私ならそれを疎ましく感じていただろう。だが、その頃の私にはたまらなく嬉しく感じた。心地よかった。だから、ここに逃げてきた。ここまで大河が来たときには、また違うところに逃げればいいと後ろ向きな思考をめぐらせながらもただ毎日をなんとなく過ごす。それが今はたまらなく楽しかった。
 それに、ここには理解者が居た。怒られるのも、恨まれるのも承知で明かした自分の正体を頬への平手打ち一つで許した人達が居た。それは私にとっての血縁者以外の初めての理解者。私の話をただ黙って聞いてくれる理解者。そして私の大切な友達。私の能力についてまだ知りはしないが大切な友達。理解者の二人は、さっさと言ってしまえばいいのにというけれど、今の私にはそんな恐ろしいことは出来ない。彼女達ならば私のことを受け入れてくれてくれそうだ。しかし、もしもだ、受け入れてくれなかったらどうするか、そう考えるととても恐ろしいのだ。それに、彼女たちは恋敵。敵に少しでも弱点を好ましくない。そういうことにしておこう。
 
「で、今日穂村さんがね――」
 装備としては幼馴染とツンデレを搭載している彼女は、私の恋敵であり、一番の友達でもある。彼女は今日も学校であったことをその短い髪を揺らしながら嬉しそうに私に話す。一緒に居ることが多いといってもやはり、ずっと一緒に居るわけでもないので聞いていてあきない。
 私はただ彼女の話を聞いて、うんうんとうなづいていることしかしなかったが、彼女はそれで満足していた。私もそんなやり取りに満足していた。
「そういえば祐斗から聞いたんだけど――」
 彼女は私と居るときには彼のことを白金ではなく下の名前、祐斗と呼ぶ。いつか私が何故そんなことをするのかと聞いたら、そんなのは恥ずかしいからだと言ってその少し焼けた肌を赤に染めた。普段からこうであればきっと私は彼女には敵わないだろう。
「恋ちゃんは可愛いですね」
 言ってからはっとする。これはきっと彼女の逆鱗に触れた。しかしもう遅かった。私が思ったとおり、恋ちゃんは拳をわなわなと震わせて、こっちをにらんでいた。
「美ー穂ー」
 真っ赤になって低い声で私を威嚇する恋ちゃんから脱兎のごとく逃げようとする。が、結局は運動部と万年帰宅部だった私では基本的な運動能力が違う。あっさりと捕まってしまった私は恋ちゃんの説教を受けることになる。そんなくだらない時間でも私は楽しかった。そんな時間でさえ、私には久しぶりの物だったのだ。いつしか私達はお互いの呼び方を変えた。恋ちゃんは私のことを黒須さんから美穂に、私は恋さんを恋ちゃんに。恋ちゃんは恋で言いといっていたのだが、なんだか恥ずかしいのでちゃん付けになっている。
 いきなり呼び方を変えた私達に周囲は驚いていた。一番驚いていたのは彼だった。しかし、いつも思う事がある。彼はなんと言うか変だ。呼び方を変えた私達にまず言ったことが、恋を恋ちゃんだなんて女の子みたいだな。だったのだ。案の定恋ちゃんは彼を追い回すことになっていたが、どことなく恋ちゃんが楽しそうだったのは言うまでもない。それに、彼は私なんかに優しくしてくれる。よく、私なんかなんていわないの。と言われるが、やっぱりこればっかりはどうしようもないことだと思う。これは一種の病気だ。恋ちゃんが生まれつき明るく元気なのと同じように私は生まれたときから後ろ向きなのだ。
「言い忘れるところだったわ」
 説教を済ませてすっきりしたのだろう。恋ちゃんが先ほどまで言おうとしていたことを思い出した。
「祐斗から聞いたんだけど、まだ弟とは話してないんだってね」
 恋ちゃんの口から出たその言葉は、私を黙らせるのには十分過ぎる威力を保持していた。一瞬でだんまりを決め込んだ私にため息を一つついてもういいわとあきらめる。それは単なる見放しなのか、それともほって置いても自分でどうにかするだろうと言う信頼なのかは分からない。分からないが今はあの話題について触れられない。それだけで十分だ。ここは居心地がいい。出来れば離れたくはないのだ。
 いつの間にか私は普通に笑い。普通に怒り、普通に友達を作れていた。もちろん恋愛もしている。まだ、恋ちゃんの前でしかそういった顔を見せられないが、これもすべては彼のおかげなのか、それとも能力のおかげなのか。少なくとも、本質的なところでは何も変わっていないのだろうけど少しずつ変わってきているのは自分でも実感できる。ほんの二ヶ月前では出来なかったことがこんなにも出来るようになるものなのかと、私は今までの自分にいったい今まで何をしていたんだと叱咤してやりたい気持ちに駆り立てられる。
 しかし、私がこうして少しずつ変われたのは私だけの力ではないことは分かっている。それに感謝しながら、恋ちゃんと話す。そうして私の夜は更けていった。
 
 
   
「もうすぐ体育祭ですが――」
 学校に来て驚いた。どれくらい驚いたかと言うと、昨日体重計に乗ったときくらい驚いた。だが今は私の体重がどうなったかよりも、如月先生が言った言葉のほうが重要だ。
「体育祭か」
 隣に居た彼のつぶやきで私は現実を重い知る。もうそんな時期なのだ。もちろん私は学校の行事何か嫌いだ。盛り上がるクラスについていけずに一人孤立していくことにあせりや悲しさなどは感じなかったが、孤立して周りに疎まれるあの息苦しさがあまり好きでないのだ。それに、私は運動は得意なほうではない。この能力がつく前まではよく外で遊びまわっていたのだが、今では立派な引きこもりになってしまい、動くのは登校と授業の体育だけどと言う運動などとは無縁の生活を送っている。そりゃ体重も増える。
 しかし、本当に恋ちゃんの家はすごいと思う。いきなり着た私を家に泊めるし、食事まで用意してくれる。しかも私がどれだけ長い間居候しようといやみ一つ言わずに一緒に居ることを許可してくれている。それに、あの家には女の子の空気があふれている。かわいいぬいぐるみや様々な化粧品。さらには占いの本になんだかよく分からない形の小物と、私の家にはなかったものがずらりと置いてある。あんなものを見たのは母の部屋の中くらいのものだ。恐らく私はあの家のそんな女の子の香りに毒されてしまったのだろう。今まで気にしていなかった体重を気にするなんて……。
 それに、今母の部屋くらいだと思い出して少し心が痛む。あんなにも私によくしてくれた母に恩返しをするばかりか、悲しませているだろうと思って罪悪感を感じる。今度家に顔を出そう。出来れば大河の居ない時間にでも。
 きっと大河は私を恨んでいるはずだ。大河を引きこもりにしてしまった私のことを許してくれるはずがない。大河も私の能力のせいで心に大きな傷を負った。そういった意味では大河がサカサマサカサでの二番目の被害者なのかもしれない。
 きっと大河は今も家で私を待っているのだろう。いつも明かりをつけないでずっと部屋に引きこもっていた大河。そんな大河と話すことも出来ず。私は八年もの間、実の弟と口を利いていない。
 事の発端は私が男の子を殺してしまったあの事件の後だった。どこからか漏れた私の情報により、私はクラスから孤立していた。クラスメイトからは人殺しとののしられ、担任の先生ですら私を畏怖の対象として扱った。私はよかった。これが自分の能力を甘く見た罰なんだと納得して罰を受けることが出来た。しかし弟の大河はどうだっただろうか?人殺しの弟としてクラスから意味嫌われ、何もしていないのに理不尽な言葉の暴力を受ける。そんなことに耐えられるほど小学生の精神と言うのは強くない。案の定学校に行きたくないといった大河はそのまま部屋にこもってしまった。それが私と弟の関係。それが私と弟のこれまで。だからきっと大河は自分の八年間を奪った姉を恨んでいるはずだ。引きこもっていたというのにいつの間にか勉強して私の通う高校に入学したのも、きっと私に対するあてつけなのだろう。
 大河は引きこもる前までは、走るのが好きだった。運動会の徒競走ではいつも一着をとり、嬉しそうにそれを私に自慢していた。それだと言うのに今、大河は羽をもがれた天使が飛べないように、走ることが出来ない。この体育祭と言うイベントだって大河はきっと喜んでいたに違いない。弟が一人苦しんでいるだろう。それだと言うのに私は恋愛だの友達なの普通の生活を送る資格はないのかもしれない。
「ねぇ黒須さん。実は今日は黒須さんの驚くことが――」 
「あにぃ!」
 事件が起こったのは昼休みのことだった。昼食をとっていた私達の教室が大きな音と同時に勢いよく開かれた。声の主は彼の妹花梨ちゃん。花梨ちゃんはよほど焦っているのだろう。息も絶え絶えに彼の元に走ってくる。
 そして、信じられないことを口にした。
「大河君が……大河君が……危ない」

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