第30話〜先
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第30話〜先

「おはよう」
 夏休みも開け、学校が再開し、教室は前までの通り活気に満ち溢れていた。
「おはよう」
 この夏の間にがらりと変わったとか、何か大人っぽくなったクラスメイトがたくさん。と言うわけにはいかなかった。何せ俺達は三年生。つまりは受験生なのだ。遊んでいる時間なんてない。
 去年までなら皆でどこに行っただの、何が面白かったなんかを一週間ぐらいは話していたものだが、今は一日あれば事足りそうだ。なぜならたいていの人間は塾だとか家で勉強をしてたなんて実に受験生らしい返答が帰ってきてすぐに会話が終了してしまうからだ。各々が、各々の進路に向かってがんばった夏休みと言うところだろう。
「おはよう白銀君」
 そんな何の変哲もないクラスメイトとは違って一人だけ変化を見せた人が居た。
「お、おはよう黒須さん」
 何故か黒須さんはあのお見舞いの日以来、何かが吹っ切れたように少し元気になった。無事退院した可憐さん達の話によると、よくお見舞いに来ては二人と話してたようだ。
 いままでは、俺が挨拶をしてもうなづくだけだった黒須さんが、自分から挨拶をするなんてことは、何かのドッキリかと思ってしまったくらいだ。しかし、少し話すようになったくらいの微細な変化を見抜けることが出来たのは、ごくわずかな人数だろう。なんだかんだ言っても黒須さんはやはりおとなしい。そういう基本的なものは変わっていないのだ。
「美穂、元気そうね」
 いつもと少し違った様子の黒須さんを眺めていたところ、恋がひょっこり現れて言う。
「美穂って……お前はいつから呼び方を変えたんだよ」
 夏休み中はたしか黒須さんで通していたはずなのに、学校に来て見ればいきなり美穂だなんて、いったい何の心境の変化だ。まぁ、こいつの事だからどうせなんとなく変えてみた程度の理由だろうが。
「だって、同じ家に住んでたら苗字よりも名前で呼んだほうがいいじゃない」
「へー」
 同じ家に住んでるのか。そりゃ下の名前で呼んだほうが信頼度と言うか、仲良しにはなれそうだ。
「ん?」
 さらりと聞き流したが、今こいつは同じ家に住んでいると言ったな。確か恋の苗字は後藤。そして黒須さんは黒須。二人が親戚だと言う話は聞いていないし、黒須さんの家が吹き飛んだわけでもないだろう。なら、何で二人が一緒に住んでるんだ?
「なんで黒須さんがお前の家に住んでるんだよ。監禁でもしてるのか?」
「監禁なんてするわけないでしょ。まぁ、縛ってみるってのはとっても興味をそそるけど」
 理由はよく分からないが、とりあえず二人は同じ釜の飯を食っているようだ。俺も、二人にお見舞いに行ってからは恋達とは会っていなかったから、恐らくその間に黒須さんは恋の家に居候していたのだろう。およそ一ヶ月ほど。
 海に行ったのが七月の終わりだったから、黒須さんは一ヶ月も恋の家に居候していたと言うことになる。一ヶ月なんて長期間、よく黒須さんの家も恋の家も許可したものだ。
 しかし、一ヶ月も恋達と会っていないのか……。俺は一ヶ月間何をしていたんだったか?
 
 自分の夏休みの無意味さに一人嘆いていると、ホームルームの開始を告げるチャイムがが教室に鳴り響き、タイミングよく如月先生が現れる。
「夏休みも終わり、二学期が始まりました」
 久しぶりに見る如月先生の姿も大して変わりがなく、いつも通りの学生生活が再開されるのを感じた。
「と言うことで、皆さんには明日までに進路希望を提出してもらいたいと思います」
 夏休み後のテストについて簡単に説明が終わった後、如月先生はプリントを配り始める。自分に回ってきたその紙を見ると、そこには第八次進路希望調査と大きく印刷されていた。
 周りでは、もうペンを持って書き始める奴も居る。
「進路希望といっても、皆さんの希望の最終チェックみたいなものなのでそんなに時間はかからないと思います」
 如月先生がプリントについての説明をしている間、俺は大きく印刷されている第八次進路希望調査を無言でにらみ続けた。 
 
 
 
「なぁ……将来どうする?」
 夕焼けに染まる帰り道、俺は一緒に帰っていた面々に聞いてみた。
「私はスポーツを続けようかなと思ってる」
 一番に答えたのはやはり恋で、迷いなんてないのかと思うほどはっきりと言う。
「私は建築関係の仕事に」
 次に答えたのは西条さんだった。建築関係と言う言葉に少し驚いたが、他人の将来にどうのこうの口出しするのはナンセンスだ。そうだな、西条さんのならきっと独創的な建物を立てるのだろう。
「じゃあ僕は警察官!」
 元気よく答える藤村にため息を一つく。なんと言うかこう、空気読めよ。
「嘘だよ。冷たいな。俺は普通のサラリーマンかな」
 あの何も考えていなさそうな藤村すら将来のことを考えていた。三人が三人とも自分の将来をきちんと考えているんだと知り、俺は少し尊敬してしまう。
「お前は?」
「お、俺か?」
 藤村に聞かれて戸惑う。
「内閣総理大臣だ」
 あんまり考え込んでいるのも怪しいので、思いついたことをいってみる。三人の目はどこか冷たかったが、俺にはこの質問に答えることが出来ないのだから仕方がない。
 
――さっさと進路を決めろよ白金。前回の調査だって、決まってないのはお前くらいだぞ。
 
 放課後、一人如月先生に呼び出されて言われた言葉だった。
 そう。俺はまだ進路が決まっていなかった。そろそろちゃんと決めないと駄目だと言うのは分かっていた。しかし、俺にはそれが出来なかった。なぜならば、俺には夢がない。目標もない。周りの奴らが夢を語っているのを見て、あぁそうかと言う風にしか見れないのだ。
「く、黒須さんは?」
 空気を変えようと、苦し紛れに黒須さんに聞いてみる。
「ほ、本を書きたいかな」
 小さくぼそぼそとつぶやくだけだったが、俺にはしっかりと聞こえた。黒須さんまでも進路の事を考えていた。俺は一人、疎外感を感じながら歩いた。
 
「おつかれー」
 俺はそのまま無言でいつもの別れ道にたどり着き、そこで二手に別れ、黒須さんと俺の二人になる。
「美穂、今日は自分の家に帰るの?」
 そういえば今、恋と黒須さんは一緒の家に住んでいるらしいが、今日はどうも黒須さんは自分の家へと帰るみたいで、黒須さんは首を縦に振っている。
「じゃあバイバイ。鍵はいつものところにお置いてるからね」
 恋達が遠くなっていく様を二人でぼんやりと眺めてから家へと歩を向ける。こんな風にして帰るのも一学期ぶりなわけだ。そう思うとなんだか少し嬉しくなる。無言で歩いているだけでもなぜ心がほっとする。
「し、白銀君は本気で総理大臣になるつもりなの?」
 それだと言うのに今日は珍しく黒須さんのほうから俺に話しかけてくる。しかも、さっきの冗談を信じてしまっているようだ。さらに、黒須さんは俺を尊敬の眼差しで見ている始末だ。これは非常にやりづらい。
「冗談だよ。本当は将来のことは何も決めてない」
 しかし、このまま俺が総理大臣になると勘違いされたままで過ごすほうがもっと居心地が悪くなるだろうと思って本当のことを言う。ここで、そうだ。俺は総理大臣になる男だ。と答えてしまうと、なんだか本当に総理大臣にならないといけなくなってしまってしまいそうで恐ろしかったのもある。
「そうなんだ」
 少し残念そうにうつむいてしまう黒須さん。この夏休みの間に表情もずいぶんと豊かになったものだ。いったい恋はどんな魔法を使ったのやら。もしかしたら、入院していたあの二人の魔法なのかもしれないが、何はともあれ黒須さんが前より魅力的になっているのは確かだ。
「なれると思うよ」
「え?」
 一人そんなことを思っていると、黒須さんがうつむいたままでつぶやく。
「なれるとおもうよ。総理大臣」
 俺が聞きなおすと、今度は顔を上げてしっかりと言ってくれる。俺をからかっているのだろうかと思ったが、黒須さんの目からは冗談だと言う風な雰囲気は全くない。と言うより、わりと本気のようだ。ここまで期待されてしまうと正直恥ずかしい。
 第一、自分に総理大臣をしていく知識や技量はもちろんのこと、総理大臣たる器がないのだろうから無理だと思う。
 それだと言うのに俺の横に居る黒須さんは出来ると言うのだ。どれだけ過大評価をしているのだろうか。だが、ここまで言われるとこっちも少し本気にしてしまいそうだ。
「そういえば黒須さんって恋の家に居たんだよね」
 黒須さんの期待の眼差しに耐え切れず、俺は話題を強引に変える。
 しかし、それが地雷だったと気づくのにそう時間は必要ではなかった。
 先ほどまで俺を見つめていた視線は地面へと落ち、心なしかオーラも暗い。恋の家に住むまでの黒須さんの行動を少し考えれば分かることだった。いきなり家を飛び出してふらふらとさまよう生活を続け、家に帰るのは着替えなどを取りに帰ってくるだけ。そんな生活をしていた黒須さんが恋の家に住んでいたのは、ただ単に仲良しの間で行われるお泊り会なんかではないことぐらい分かったはずだ。
「話しづらいなら話さなくていいよ」
 急いでとりつくろって見たが手遅れのようで、黒須さんはうつむいたまま何も話さなくなってしまい、俺はというと、自己嫌悪に苛まれていた。
 先ほどまではおそらく悪い雰囲気ではなかったはずだ。なのに今はどうだろうか、電気のない夜中のように暗い雰囲気が漂っている。こんな雰囲気の中に居たら俺も毒されてしまいそうだ。それに、もうすぐで目的の家に到着するのだから少しでも帰りやすい気分にしてあげないといけないと思う。
「そういえば弟君とはどうなの?」
 黒須さんと話せることで思いついたのがそれだった。
「大河……」
 しかし、また俺は地雷を踏んでしまったようで、黒須さんのテンションがまた急下降だ。家に帰りたくないのだから家の中の何かが原因なんだと言うことぐらいわかるだろうにまたやってしまった。家が目の前に迫ってきていると言うのに作戦は失敗のようだ。
 しかしだ、これで帰りたくない理由ははっきりした。それだけは収穫だろう。なぜ、弟君が原因なのかはわからないが、恐らくは俺の出る幕ではないのだろう。
「おねーちゃーん」
 正面から聞こえてくる声に、下を向いていた黒須さんがすごい勢いで声の方向へと顔を向ける。それにつられて俺も視線を向ける。
 まさにバッドタイミング。そこにいたのは黒須さんが家に帰ろうとしない理由が立って元気そうに手を振っていた。俺の記憶によれば、弟君は重度の引きこもりで、こんな風に家の外に出てくるはずがない。
「おねーちゃーん」
 弟君が手を振る横からは、俺の聞きなれた声が聞こえてくる。
 そうか、そういうことか。
 弟君の隣りでは花梨が嬉しそうに一緒に手を振っていた。確かあいつは夏休みの間も毎日のように黒須さんの家にいっていたような気がする。一緒に勉強をするんだと言って重そうに教科書を運んでいたのを思い出した。あいつ……勉強は出来ないくせに。
 そうか、だから俺に勉強を教わりによく来ていたのか。しかし、たかが一引きこもりにそこまでする理由は何なんだろうか?そして、あいつはいつの間にあれほど人のために尽くせるようになったんだろうか。ちょっと前までは俺にわがままの限りを尽くしていたと言うのに。
 俺は、妹の成長っぷりに目頭が熱くなったが、今はそんな場合ではない。
 急いで隣を見ると、黒須さんも自分の弟の成長に胸をうたれていた。何か声をかけようかと思ったのだがやめておこう。
「大河……」
 やはり何か声をかけたほうがよかったのだろうか、黒須さんは来た道を何も言わずに走っていってしまう。あの目に浮かんでいたのは間違いなく涙だろう。
 走り去っていく黒須さんを見て、弟君は花梨に何か言われながら、残念そうに家の中に戻っていく。
 きっと二人の間には何か大きな問題が横たわっているのだろう。それは恨みか憤りか、それとも憂いか、何であれ他人の俺が出て行ってどうこうなる問題ではないだろう。下手に他人が刺激するよりは、時間がゆっくりと解決してくれるはずだ。
 時間でも解決できそうになかったとき、黒須さんが助けを望んだとき、そのときになったら俺は動いたほうがよさそうだ。
「ちょっと馬鹿あにぃ、お姉ちゃん止めてくれてもいいじゃない。役立たず」
 全く分かっていない少し大人になった妹を諭しながら俺も家に帰る。後でじっくりと弟君の話を聞ことにしよう。それから二人がどうしたらいいかを花梨と考えよう。
 俺は先ほどまで関与しないと決めたと言うのに、早速どうしたら二人がいい関係になるかを考え始めていた。
 それはなぜだろうか?それは恐らく黒須さんの涙を見て痛んだ心がすべての答えになってくれるだろう。
 
 もちろん、俺が進路希望に内閣総理大臣とかいて如月先生には子供の大きくなったらこうなりたいみたいな夢じゃないんだからしっかりと進路を書いて来いと怒られたのはいうまでもない。

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