第29話〜行こう
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第29話〜行こう

「落ち着いた?」
 結局、彼の胸で泣きじゃくる私を、何もするわけでもなくじっと待っていてくれた彼は、私が落ち着いてきた頃を見計らって声をかけてくる。
 私は、まだ納まらない涙を吹きながら、一度だけ首を縦に振る。出来ることならこのまま彼の胸の中に居い。大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれれば大丈夫ではない。だが、いつまでも彼の胸で泣いているわけにもいかない。
「そう」
 彼はそういっていつものような微笑を私に向けてくれる。私にはこの笑顔を受ける資格など存在しないのにだ。
 そう、私は人殺し。望んでいなかったとしても人を殺してしまった罪人。そして私はまたこの能力で人を傷つけてしまった。彼の大切な人を傷つけてしまった。そんな私に彼の笑顔を受け取る資格なんてやはり存在しないのだ。
 そんな笑顔を私に向けないでと叫ぼうかと思ったが、相変わらず笑顔のままの彼を見て、そんなことはいえないとあきらめる。と言うよりは彼の笑顔を私は見て居たかっただけなのかもしれない。
「なんで……」
 そんな笑顔を私に向けられるのだろうか?大切な人が事故にあったと言うのに何故、こんな私に笑顔を向けていられるのだろうか?そんな思いがつい口に出てしまった。
「電話で公園って言ってたし、いつかの雨の日も此処にいたから此処だと思ったんだよ」
 相変わらずどこかずれている返答をしてくれる彼だったが、そんなところが今はたまらなく優しく感じる。
「さぁ、二人のお見舞いに行こう」
 変わらぬ笑顔のまま私に手を伸ばす彼だったが、私はその手を握ることは出来なかった。
「具合でも悪いの?」
 いつまで経っても動かない私を疑問に思ったのだろう。彼は私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「ど、どこか痛いの?」
 この頃、雨が多いと思う。しかも局地的な雨だ。また、今日も雨が降っているようだ。局地的に私にだけ。具合が悪いと言えば悪い。それも主に心がだ。あの日の部屋をいきなり飛び出したまま二人には合っていないので気まずいし、それに、二人のお見舞いに行こうと言われても、私が二人を事故に合わせたようなものなのだから、お見舞いになんてひょこひょこと行けるものではない。
「う、うーん」
 また涙を流し始めた私にどうしていいかわからないといった風にあたりをきょろきょろし始める彼。そりゃいきなり目の前で原因もわからないのに泣かれたら困るだろう。
「ごめんね」
 しかし、彼の次にとった行動は、私を困らせるものだった。
 何故か謝罪をしたかと思えばそのまま私を優しく包み込む暖かい感覚。目の前には彼の胸。つまりはだ、これは抱擁だろう。先ほどは、自分が勝手に彼の胸に飛び込んだからなんともなかったのだが、今回は違う。まさに不意打ち。心の準備なんて出来ていなかった私は一本の某になったかのように固まってしまう。
 おまけに私の頭をなでてくるのだから私はもう色々と大変なことになっていた。涙は止まらないし、心臓は破裂しそうにバクバクと音を立てているし、いい香りがするし。此処が天国と言うところなのかと錯覚をしてしまうほどだった。
「何があったかわからないけど、今は泣けばいいと思うよ」
 これはずるい。いったい誰のせいでこんなに悩んでいると思うのかも知らないくせに、私にこんな優しい言葉をかけるなんて反則だ。これでは忘れるどころか、もっと好きになってしまいそうだ。
 それに、こういうときは普通泣き止むように励ますところだろう。それだと言うのに……。まるで分かってない。だけどそんな分かってないところがたまらなくいい。
「気が済んだらお見舞いに行こうね」
 私の髪をやさしくすきながらそういう彼に、私は彼に巻いた腕に少しだけ力をいれ、胸に顔を押し付けたまま首を横に振ってイヤイヤをする。
「困ったな」
 私の頭をなでるのをやめる彼。恐らくは自分の頭でもかいているのだろう。
「何でお見舞いに行きたくないの?」
 彼は何としてでも私から行きたくない理由を聞き出したいようで、質問を開始する。
「二人のこと嫌い?」
 苦手と言えば苦手だが、私にやさしく接してくれた人を嫌いになるはずがない。
「わかった。この前部屋から飛び出したのを気にしてるんでしょ」
 たしかにそれもあるが、やはり一番大きな理由は事故に遭わせてしまったことだ。
「二人は気にしてないし大丈夫だよ」
 小さな子供をあやすような優しい口調でそういって私をいったん引き離し、目線を合わせるようにしてそういう彼。彼と私の身長差は大体二十pほどなので彼は丁度中腰のような体制になる。
「それに」
 私の肩に力強く手を乗せて私を見つめる彼。
「俺がついてるから大丈夫だよ」
 力強くそんな言葉を口にされてしまっては任せてしまいそうになる。
 しかしだ、やはり二人を事故に合わせた私がお見舞いなんて……。
「いくよ」
 彼の言葉と同時にいきなり私の体がふわっと宙に浮く。何事かと思って顔を上げるとそこには彼の顔と青い空。
「ちょっと」
 何が起こっているか理解して必死に体をねじって逃げようとする。
「暴れると落ちるよ」
 少し怒ったように私に言う彼に萎縮しておとなしくする。
 浮いた体。視線の先には彼の顔と空。そしてこの風を切る感覚。
 私は今お姫様抱っこをされいていた。
  
 
 
「はぁ……はぁはぁ……ついたよ」
 病院を前にして私をやっと下ろしてくれる彼。
 結局、公園から此処までの道のりおよそ五kmをずっとお姫様抱っこをされたままだった私の頭の中は、もはや爆発寸前。沸騰状態だった。恐らくは此処にくるときにたくさんの人にあの姿を見られてしまっただろう。そう思うと顔が赤くなるのを感じる。
「こ、此処まで来たんだからきちんとお見舞いに行ってもらうよ」 
 そういって私の背中をぐいぐいと押していく彼。肩で息をしていると言うのに、やることはしっかりと覚えているようだ。
 ここに来てもまだ少し腰が引けてしまうところが私らしいと思う。やっぱり今すぐにでも逃げ出したい。しかしだ、きびすを返そうとした私の手をしっかりとつかんで離さない手が有ったのでそれもかなわないようだ。
 ずるずると彼に引きずられるまま二人のいるだろう病室のほうへと進んでいく。
「お、お見舞い品」
 まだ何とかして逃げようとしたのだが、彼はそんな物はいらないといって一刀両断した。
 
「さぁ、ついたよ」
 ついたといわれた部屋の番号を見て驚く。なぜならそこは、私があの銀狼の件で入院していた部屋だったのだからだ。
 そして私は、以前の記憶では黒須美穂と書かれていた白いプレートに、後藤麗子、藤村可憐。と黒いマジックで書かれたその見字を見て、私の体は、よりいっそう強張った。
「麗子さん、可憐さん。お見舞いに来ましたよ」
 何も心の準備なんて出来ていないのに、そんなのはお構いなしで彼が扉を開ける。彼の真横にスライドしていく扉の向こう側には、白いカーテンに白のベッドと、見覚えのある風景が広がっていた。ただ、その風景で見覚えがなかったのは、ベットが二つあることと、そこに二人がいたことだった。
「あら、いらっしゃい祐斗……と黒須さん?」
 可憐さんは入ってきた私達をそのまま見つめ、麗子さんは読んでいた本から視線をそらし、私だけを見つめた。二人はどこかよそよそしく、なんだかそわそわしていた。
「二人が事故ったって聞いてお見舞いに来たんだけど、その様子じゃ大丈夫そうだな」
 彼の言うとおり二人はいたって元気なようだ。変わったところと言えば、可憐さんは腕に、麗子さんは足に包帯を巻いていることだった。
「骨折」
 私の視線に気づいたのだろうか、麗子さんが教えてくれる。
「さて、祐斗。あんた今すぐにここから出て行きなさい」
 そのいきなりの言葉に私は驚いたのだが、彼はいたって冷静にそれを受け止めたようでさっさと部屋から出て行ってしまう。
 部屋に残されたのは私と二人。彼と言う中継者がいなければ私はこの二人と話す自身は皆無だ。
「まず、あの日のことを謝っておくわ。ごめんなさいね」
 それだと言うのに会話を開始する可憐さん。しかも、私が気にしていた問題を簡単に謝ってくる。アレは私が悪いと言うのに何故か謝る可憐さん。
「気分を害したなら謝る」
 いったいどうしたものかと悩んでいるところに、今度は麗子さんの謝罪が聞こえてくる。
「なぜ……謝るんです?」
「アレのせいで皆と海に行けなかったのならそれは私達のせいだしね」
 なるほど、それで二人は私に謝ったのか。
「皆さんに心配をかけてごめんなさい」
 それならば私も謝るのが筋というものだろう。もともとは、私が飛び出したのが悪かったのだし、これは二人が大人になってくれたのだからそこは素直に感謝をしないといけない。
 だがしかし、この程度のことならば別に彼がいてもいいはずだ。なのに二人は彼を追い出してしまった。それは、ここに私達二人が来たときの妙なよそよそしさに何か関係しているのだろうか?
「それともう一つ、報告することがあるの」
 今までの軽い空気とは一変して真剣な表情になる二人。この真剣な表情からしてきっととてつもなく大きなことに違いない。
 もしかして私の能力に気づいたのか?それとも、私が人殺しだと知ってしまったのか?いずれにせよ、このままの関係を維持できそうな内容ではないことは確かだ。
 
「私達、祐斗に告白をしたの」
 
 少しの沈黙の後、ポツリと口に出す可憐さん。
 なんだ告白か。彼に告白ね。たいしたことない。告白程度なんか……?
「こ、告白!?」
 誰が誰にって?何がどうなっているか分からない。二人が彼に告白をした?
「で、でも返事はもらってないんだけどね」
「逃げられた」
 そういうとうつむいて無言になってしまう二人。なるほど、私が来たときにそわそわしていたのはそのせいか。
 しかし、逃げたとは実に彼らしい。
「一応みんなには報告しているし、残るはあなただけだったからしておいたわ。それに、恋敵だからね」
 今まではどうも腑に落ちなかった恋敵と言う言葉。しかし今は何故かその言葉が素直に飲み込むことが出来た。
「じ、実は私も言わないといけないことがあります」
 そんな二人の行動を聞くと、私も言わなくてはいけないと決心する。たとえそれがどんな結果を生むことになったとしてもだ。
 緊張のあまり喉がからからに渇く。額には嫌な汗が浮かんでいるだろう。
 しかしいつまでも二人を待たせるわけにもいかない。私は勇気を振り絞って大きく息を吸い込む。
 
「私、ネームレスなんです!」
 
 私にしては珍しく大きな声を出したと思いながら、今までのことが頭をよぎる。あぁ、これでこの関係も終わってしまう。そう思うとまた、視界がぼやけた。久しぶりに友達らしい友達が出来たかと思ったのに、もうお別れか。
「私の能力はサカサマサカサ。思ったことと逆のことが起こってしまう能力」
 詰まりながらも必死に言葉に出す。自分の中で今までの思い出が音を立てて崩れていくのが分かった。
「だから、二人が彼に好意を持ったのも、今回事故を起こしたのも、私のせいなんです」
 短く事実だけ告げる。
「だから私はこのまま消えます」
 そして、いい終わって二人を見る。
「あ、えと、その」
 やはり、可憐さんはおろおろと困ったように周りにせわしなく視線を泳がせていた。
「黒須さん」
 だが麗子さんはいたって冷静なようで、私に手招きをしていた。
 私がそのまま麗子さんに近づいたときだった。私の視線はいきなり九十度横を向いた。頬からはじんじんと痛みを感じる。覚悟はしていたが、やはり痛いものは痛い。
「私達が祐斗を好きになったのは私達の意志だし、私達が事故を起こしたのだって可憐の運転が下手だっただけなの! かってにあなたのせいにしないで!」
 麗子さんのその叫びは、私の想像していなかった言葉だった。てっきり恨み言を言われるのかと思っていたからこれは意外だ。
「マサカサカサマかサカナサカナか何か知らないけど私達はそんなものどうでもいいの」
「そ、そうそう。サカサマカサか何か知らないけどそんなの関係ないわ」
 しかもそれを二人が二人とも言うもんだから私は混乱していた。
「私達は私達の意志でこうなったの」
 涙声でそう言う麗子さん。
「だから消えるなんて悲しい事言わないで」
 気がつけば私は麗子さんの腕に抱かれて胸の中に居た。その胸は彼とは違ってとても柔らかく、すべてを包み込んでくれるようだった。
 もしかしたら私はこの人たちとならやっていけるかもしれない。そう思うと嬉しかった。
 今日はまた、局地的に大雨が降りそうだ。

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