第11話〜何ともない日常
「おはよう」そういって一日ぶりにこの扉を開く。おとといは散々だった。
「おう祐斗、一日ぶり」
「うっす白金」
やはりはじめに挨拶をしてくれるのはこいつら二人なのか。
もっとこう、違う女子から声がかかるといった事はないのだろうか?
などと、かなうわけもない夢を思いながら、俺に挨拶をしてくれたいつもの二人に手を上げることで返事をする。
「昨日はいったいどうした? 黒須さんも休んでたし」
斜め後ろの席のはずの藤村は、俺が席に座ったと思ったらもう目の前の席に移動していた。なんともすばやい。
「入院してたんだよ」
俺はしぶしぶ昨日の事を話す。ここで嘘をついてばれようものならば、きっと厄介なことになるだろう。こいつらはそういうやつだ。
といっても昨日は昼前に退院したので、家に帰ってぐだぐだしていただけなので話すことなど何もなかったのが。
「面白くない休日ね。せっかくの休みなのに」
気がつけばその場に溶け込んでいた恋は、もう俺の休日の過ごし方には、興味をなくしてしまったらしい。
なぜこいつらは肝心の入院した理由を聞かないんだ。
「そういえば一昨日の夜、ここらでネームレスが出たらしいぜ」
俺の話題に飽きてしまった藤村は、次なる話題での会話は開始する。
だが、このニュースこそが俺の入院した一番大きな理由。つまりは原因なのだ。
「なんでも、今までネームレスを排除していた警官がネームレスで、殺されたのは一般人だったようだな」
俺は得意げに、自分を含めて少数の人間しか知らないだろう情報を話してみる。
「そうらしいわね」
しかし、この情報が貴重であったのは昨日までだったらしく、もうこのことは周知の事実になっていたようだ。
実に残念だ。
せっかくここから、警官を模したネームレスとの戦い、と言っても正確には逃走をじっくりと語ってやろうと思ったのに。
「実はだな――」
俺が話そうとしたときだった。昨日休んでいたもう一人の人間が扉を開けた。
扉を開けた女子はそのまま俺のところに一直線に歩み寄ってきて、
「一昨日、銀の狼見た?」
と聞いてきた。
いきなりの質問に俺たち三人は固まっていたが、一番驚いたのはきっと俺だろう。
なぜならば、あの銀狼のことは、あそこに居て、意識があったやつしか知らないはずだからだ。意識があった、という条件で行くと黒須さんは間違いなくアウト。いや?実は意識があったのか?
たしかに俺は、黒須さんが動かなくなってしまった時、まずいと思って本能的に黒須さんをそのまま抱きかかえて走って逃げた。しかし、俺の出血は予想以上に体力の消耗を早めていたようで、すぐにあの殺人鬼に追いつかれてしまった。
もうおしまいだ。そう思って黒須さんを守るようにして抱きかかえて目をつぶった俺だったが、殺人鬼の攻撃はいつまでたってもやってこなかった。
俺が恐る恐る目を開いたときには、新品のナイフのようなまばゆい銀の光を放つ毛を持った大男によって攻撃が食い止められていた。
自分が国の職員だと話した狼男は、そのまますぐに殺人鬼を処理し、そこで待つように俺に言った。
そうして奇跡的に俺は生き長られえてここにいる。
「で、出会ったよ」
昨日のことを思い出して、少しぞっとしながらもきちんと黒須さんに伝える。
「なら、ごめん」
そういって頭を下げる黒須さん。一体全体何が起こっているのか把握できない。
しかし、黒須さんはいま『なら』と言ったので、憶測で物を話していたということだけはわかった。だが、その憶測が正解だったとして、それがどう黒須さんとつながるのか理解できない。
「殺人鬼の事、ごめん。胸も」
なぜかわからないが、黒須さんは俺の胸の傷が自分のせいでできたと思っているようだ。
「黒須さんのせいじゃないだろ?」
思ったままのことを口にするが、黒須さんはうつむいたまま何も言ってくれない。
いったいなんだと言うのだ?
「願ったから」
そうつぶやいて黒須さんは俺の机を濡らし始めてしまう。
突然の涙にどうしていいかわからず、おろおろとしてしまう俺。一昨日の勇敢な俺はどこに行ったと言うんだ。
「ごめん」
黒須さんはそういってずっと謝り続けていた。
「なんで謝っているのかわからないけど、黒須さんがそんなに謝るのなら俺は許すよ」
泣きながら謝っている黒須さんを見ていると、どうも心が痛むので何とか泣き止んでもらおうと努力する。
これは俺が黒須さんを泣きながら揺さぶっていたときのように、今度は俺が黒須さんにの涙を拭いたりしたほうがいいのだろうか?
「泣かないで、男の子でしょ」
昔、そうあれは確かあの砂場で同じような言葉を掛けられたような気がする。少し口調は違う勝ったような気がするが確かに言われたような気がするのだ。
しかし、俺はそんな言葉も、涙を拭いてあげるなんて事もできるわけなく、必死にもういいからと言って黒須さんをなだめることくらいしか出来なかった。
そして、黒須さんがやっと泣き止んでくれたのは、如月先生が来るほんの数秒前だった。
「さて、テストまで後三日です。皆、死ぬ気でがんばってねー」
如月先生のほうを見るふりをしてちらりと隣の席を盗み見ると、黒須さんはすっかりと泣き止んで、先ほどまでのことが嘘だったようにいつもの黒須さんに戻っている。まだ少し目は赤く、涙の後も少しあったが、いつもの黒須さんだ。
「昨日休んだ黒須さんと白金は事情は聞いてるから、昨日のは公欠になりました」
如月先生の連絡にクラスからは一斉にざわざわと騒ぎ声が聞こえる。
そりゃ、いきなり休んだ人間の欠席が正当化されたら、何があったのかを詮索したくなるのが野次馬魂というやつだろう。それに朝からあの涙だ。野次馬魂に火がつくに違いない。しか しかし今ここで全員に言う必要性は皆無だろうに……あぁ、休み時間、面倒だな。
それから、テスト前だからと言って自習が比較的多い授業を黙々と勉強する。五分に一度くらいの適度な休憩を入れながら、だ。
「白金! 白金祐斗はこのクラス!?」
昼休み、父の作った弁当を食べていたところ、いきなり教室の扉が勢いよく開いた。
てっきり、どこかの借金取りが来たかと思ったが、入ってきた娘を見て、恐らくは違うだろうと食事を再開する。
「白金はここですよー」
無視をして食事を楽しもうとした矢先、恋があっさりとそのプランを崩壊させた。
そんなに今日の弁当に入っていたハンバーグを食べた事を根に持っているのか。器の小さいやつだ。それだから胸も小さいんだ。
「白金、あんた入院してたらしいけど大丈夫なの?」
いつの間にか目の前まで近づいていたその女子を見て、誰かと脳内を検索してみるが、該当はいなない。
「特に怪我はないけど、君は誰?」
胸に大きな傷を負ったが話すのも面倒なので省く。
「誰って、西条赤(さいじょう せき)よ」
西条赤?西条赤西条赤?
だめだ、あの殺人鬼にやられて記憶の一部を失ったのかもしれない。一向に思い出せやしない。
目の前で俺を見下ろすような形で答えを待つ西条さん。よし、体の特徴で思い出すことにしよう。身長はざっと見て165cm位、胸は……おおよそD。ふむなかなかだ。顔は少し外人のような顔立ち、つり目で髪は真っ赤なストレート。
ん?真っ赤なストレート?俺の記憶にある赤髪のストレートと言えば一人しか思い当たらない。
「あぁ、下駄箱の娘?」
「あ、あの時はどうも」
髪と同じ色に頬を染める西条さん。そんなにあのときのことが恥ずかしいのだろうか?さっきまでの高圧的な態度はどこにいったのだ。
「と、とりあえず怪我はないのね。それならいいわ」
また、初めて出会ったときのように顔を朱に染めて去っていってしまった女の子。
ただ、今度は女の子ではなく西条さんと呼ぶことができる。
「あの娘知り合い?」
「いや」
だがしかし、それがどうだと言うのだ。
確かに俺の怪我を心配してくれたことはうれしいが、いったい何の関係があって俺のことを気にかけているのかまったく予想がつかない。
がしかし、今のインパクトが強すぎたのだろう。おかげでそれ以降、俺の入院について聞いてくる生徒はいなくなった。
「今日も勉強会来るか? ってお前は無理か」
帰り道、殺人鬼のことを思い出したのだろう藤村は、わるいといって片手を軽く挙げた。
「いくさ、死ぬのは怖いが赤点も怖いからな」
冗談めかして笑いながら答えてやる。今日は独りになりたくない。
「黒須さんは流石にこれないわよね」
恋もちゃんと空気を読んで黒須さんに聞く。恋、他人に意見を求めるなんていつの間にか成長したんだな。
恐らく黒須さんは俺と違って家にいるだろう。今日から三日間は三人でオーバーヒートしながらの勉強会になりそうだ。
「え?」
驚く恋の声に顔を向けると、黒須さんはゆっくりと首を左右に振っていた。
「勉強会に来るって事?」
きっと何かの間違いだろうと思って、確認を取るが、やはり来るという意思で間違いないらしい。
「まぁ、それじゃ後三日間がんばりましょー」
藤村の声に元気よく三人で答え、帰路に着いた。
黒須さんは小さく手を挙げただけだった。
さて、帰って勉強会の準備をしよう。必死に勉強しよう。あの殺人鬼の事など忘れられるくらいに。