TOPに戻る
前のページ 次のページ

第88話〜勘違いですか?

 朝です。まごう事なきかな朝です。
 一日が始まると同時に、今日は親愛なる友人、藤村から不吉な忠告を受けたいわくつきのバレンタインデーである。
 不吉な忠告。とぼやいたが、もしそれが本人に聞かれたら簀巻きにされ、このくそ寒い如月の中で寒中水泳をさせられてしまうかもしれない。無論、本人とは噂を流した本人である藤村と、内容に含まれていた同級生三人組である。
 と、いうのも藤村はバレンタインデー前日に俺にこう言った。
「お前、明日三人から告白されるぞ」
 はっきりとは言わなかったかもしれない。ただ、ニュアンス的にはそんなところだ。
「告白ねぇ」
 腕組をして考えてみる。
 信じれない。アンビリーバボー。ジーザスクライス。まったく思いつかなかった。といけばいいのだが、困った事にいくつか俺には心当たりがあったりするのだ。
「やっぱり、これもそういう意味だったのかよ」
 そういう。というのは勿論友達以上の好意だったということだ。
 透明人間がつけたまま寝転んでいるかのように綺麗に並べられた帽子、マフラー、手袋の冬に必要な防寒三点セット。これは、今日告白してくるだろうという疑いがある三人からクリスマスプレゼントとしてもらった。
「しかも一つは手編みか」
 頭を抱えて倒れる。俺には重過ぎる。
 ふと目に入った朝の日差しに軽く瞳を焼かれ、あわてて瞼を下ろす。真っ暗な視界。耳にはキーンと高い耳鳴りの音が聞こえる。そういえば軽く眩暈もする。
 原因は明白。俺は寝ていない。つまり二十四時間営業だ。理由は御察しの通り告白されるというプレッシャーと、何故自分なのかという不安からだ。
 話は変わるが、どっかの国のなんとかって言う王妃は断頭台に上る前日、そのプレッシャーから髪の毛が真っ白になったそうだ。そんなことを考えていると、もしや自分もそうなっているのでは。と錯乱気味に油性マジックを片手に携帯のディスプレイを覗く。なぜ携帯かって、そりゃ女日照りだった俺の部屋に姿見用鏡なんてない。それゆえ真っ暗なディスプレイを鏡代わりに使うのだ。
「よかった。とりあえず髪は白くない」
 まぁ当たり前といえば当たり前なのだが、ディスプレイに映るいつもと変わらぬ自分の髪を見て、ほっ安堵の息を吐く。
「いや、だがこっちはひどいな」
 頭の心配もつかの間。新たな問題が浮上する。
 俺の目の下には、持っていたマジックで引いたかのような真っ黒なクマができていたのだ。これじゃ言葉に出たのも仕方がない。たかが一晩寝ていないだけなのに、こうもひどい有様になりえるだろうか。いや、なりえない。反復法。
 これでは学校に行くのも気が引けてしまうのだが、ここで休むと三人が家に押しかけてくるかもしれない。そうしたら完全に袋のねずみだ。なにより、母さんがたかだかクマ程度で休んでいいというわけがない。
 
 
 
「いってきます」
 と、いうことで登校の運びとなった。どういうことかというとただクマの事はなかったことにしただけだ。
 玄関を出て冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、少し目を覚ます。
 後ろを振り返るが、今日は珍しく妹の花梨は俺の後をついてきておらず、なにやらかばんを気にしながら上の空で歩いていた。
 そういえば、家を出る前にカップケーキか何かを綺麗に包装し、かばんに詰め込んでいたような気がする。
「チョコ、ね」
 ふと隣の家を見上げる。そこは黒須家。妹のチョコはおそらくここに居る大河君に渡るのだろう。
 まったくもって憂鬱である。妹のチョコの行方なんぞどうでもいいが、大河君の事を思い出したら、その姉である黒須さんのことも連鎖的に思い出してしまった。
 本当に告白なんてありえるのだろうか。
「うー」
 うなりながらもかじかむ手をポケットに突っ込む。出来る事ならこのまま回れ右をして明日へと向かって全力疾走したい。だが、そうは問屋がおろさない。ここでの逃げは死を意味するのだ。
「あ」
「うっ」
 足を止めていたからか、玄関から出てきた黒須さんに怪訝な顔をされてしまう。
 いつもならうれしい偶然の遭遇も、今日は神様を呪いたくなるばかりである。
「お、おはよう黒須さん」
「お、おはようございます白銀君」
 お互いにどこかぎこちない朝の挨拶を交わし、いつもの様にこれといった会話もなく学校に向かう。定例化した沈黙もいつもは心地よいのだが、今日に限ってその沈黙は重かった。
「い、いい天気だね」
「そ、そうですね」
 会話終了。キャッチボールも何もあったものじゃない。
「そ、そうだ!」
 何かないかと思案したところ、背後からの突然の声に肩を震わす。まさか、チョコなのか。そうなのか。時がついにきてしまったのか。
 なら、腹をくくるしかない。
「ど、どうしたの?」
 できるだけ平静を保ちながら黒須さんに向き直る。心臓が胸から飛び出てきてしまいそうなほどはねている。俺、死ぬのか?
「今日は用事があるんで先に行きますね」
「あ、え?」
 そういうと黒須さんは走り去っていく。
 ぽつんと取り残される間抜け顔。もちろん俺である。
「い、いってらっしゃい?」
 遠くなっていく背中を眺めながらとりあえず手を振っておいた。が、黒須さんはこちらに意を解すわけでもなく一直線に学校へと走っていった。
「な、なんなんだ?」
 てっきりチョコを渡されるのかと思っていたのだが、早計だったか。
 心拍数もウサギから亀くらいまで落ちたので、俺も学校に向かうことにする。無駄に期待したせいか、足取りも亀のように重たかった。
 
 
 
「おはよう」
 いつも通りうるさい教室に入る。誰が返してくれるわけでもないのだが、とりあえず挨拶もする。
「あ、おはよう祐斗」
 朝っぱらから声のでかい恋は俺を見つけるとすぐに近寄ってきて顔を覗き込み始める。
「おはよう白金」
「え? あ、西条さんおはよう」
 何故違うクラスの人がここに居るのか一瞬わかりかねたが、もしかしたらチョコを渡す気なのかもしれない。
「ちょっと祐斗」
「え?」
 俺を射るような目で見る恋。同じく、恋から一歩引いたところから真っ赤な髪をかきあげ俺を覗き込む西条さん。
 とても気まずい。
 なにより、心臓がまた加速装置でも使ったのかといわんばかりに鼓動する。
「あのね」
「う、うん」
 高鳴る鼓動と一握りの期待を胸に、次の言葉を待つ。
「そのクマ、どうしたの?
「は?」
「いや、目の下、すごいクマじゃない」
「何か眠れない理由でもあったのかしら?」
 二人して心配そうな視線を投げかけてくる。やめろ、そんな目で俺を見るな。
「い、いやぁ。少し考え事をしてたら眠れなくなっちゃってね」
「ふーん」
「へぇ」
 二人とも心配そうにしていたわりには淡白な返事だった。
 心配事って君達のことだよと。心の中でだけ叫んでおいた。
「授業中に寝て先生に起こられないようにしなさいな、白金」
 そういうと赤さんはひらひらと手を振って教室を後にする。
 あ、チョコはないんですか。
「ま、どうせゲームのしすぎでしょ」
 恋もやれやれといった感じで自席に戻ってしまう。
 あ、こちらも。
「誰のせいで寝れなかったと思ってやがる」
 どこか不完全賞名胸を抱え、ぶつぶつ呟きながら席につく。隣ではにやけ顔の藤村が報告はまだかと聞き耳を立てて待機していた。
「で?」
「あぁ、軍師殿。成果はゼロにござ候」
「なに?!」
 驚かれてしまった。いや、自分でも驚いている。やはり、こいつのいうことに耳を貸し、へんな期待をそて舞い上がったのがいけなかったのだ。
「いや、まさか」
 そう声を荒げると、信じられないといった感じで藤村は爪をかみ始めた。
「でも、待てよ。いや、そうか」
 悩むこと数秒。今度はなにやら納得した様子で笑顔になる。思考時間がえらく短いのでたいしたことは考えていないのだろう。
「ま、いい事あるって」
 笑顔のまま肩を叩かれる。
 なんだか、すごく腹が立つ。
「はんっ」
 なにやら言いたそうな藤村を徹底的に無視し、俺は授業の準備をすることにした。まったく、何が告白されるかもしれないよ。だ。冗談はエイプリルフールだけにしてほしい。じゃなきゃ、ただむなしい。
「ま、思い上がってただけか」
 俺がチョコなんてもらえるはずがなかろうて。
 
 
 
 その台詞どおり放課後になっても俺の元に告白の『こ』の字もチョコレートの『ち』の字も見当たらない。ここまで来ると逆に開き直りそうになる。
 いやだがしかしだ、義理でもいいからくれてもよかったのではないだろうか。
「帰んぞ白金」
「お、おう……」
 昇進気味のまま藤村に言われるがまま席を立つ。唯一の助けはこいつもチョコをもらっていないということくらいだ。
「どっか行くか?」
「いんや、今日はまっすぐ帰るさ」
 男二人で傷のなめあいでもしようかと誘ったのに珍しく家に帰るらしい。
「なら俺も帰るか」
 一人でどこかに行くわけにも行かないので今日はおとなしく枕をぬらすことにする。
「なぁ藤村よ」
「なんだよ」
 ぞろぞろと教室からかばんを携えた生徒が吐き出されてくる廊下を二人して歩く。
「お前の予想はだめだな」
「へーへーそうかいそうかい」
 少し皮肉をこめて言ったつもりだったのだが、藤村はつまらなさそうに外を眺めるだけで、まったく俺のことを意に介していなかった。
 なるほど、そういった返しをするというのか。
「あーあーそうですよー」
 互いに、なんとなく言葉が出ずにそのまま無言のまま歩くこと数分。
「じゃ、ここで」
「おう」
 いつもの分かれ道。片手を上げる程度の軽い挨拶で分かれる。誘っておいて話はなかったらしい。ま、藤村の話でまともなものなんて少ないからいいのだが。
「あー白金」
「なんだよ?」
「がんばれな」
「あ?」
 またおちょくられたのかと思って振り向くこともせず、はいはいがんばりますよと手をふるだけにしておく。まったく、あいつの言葉に耳を貸すとまともなことがない。
 
 
 
「ただいま」
 藤村と別れた俺は、一人重い足取りで家に戻ったが、家の扉を開けると胸焼けしそうな思い香りが出迎えてくれた。さらにブルーになる。なにせ、この香りはチョコだ。
「何してるんだよ母さん」
 においの元をたどればそこは台所。居たのは母で、チョコの湯銭をしていたらしい。せっかく忘れようと思っていたのにここに着てまでチョコを見なけりゃならないってのは、バレンタインデーはまことに忌々しいイベントだ。
「バレンタインデーじゃない?」
 はい。そうですね。俺も知ってますよ。
 ただわからないのは、料理のできない母が何で台所にいるかということだ。まさか、チョコレートで何かをつくろうだなんて恐ろしいことを考えていないといいのだが。
「だから何か作ろうと思うじゃない。だからカップケーキをね」
 あら。どうやら本当に料理をしていたらしい。まぁカップケーキくらいなら誰でも作れるだろうし、不器用な母にだってまともに出来そうだ。
 第一、母だってレシピどおりに作れば問題ないのだ。それだというのに我流でアレンジしようとするから失敗するのだ。
「ん? やけにごみ出てない?」
「そ、そうかしら?」
 ふと見ると、そこには湯煎さていたチョコとは不釣合いな量の包み紙やら、まだ作っていないはずのカップケーキのカップごみが無造作に放り込まれていた。
「いや、間違いないね。おおいよ、これは」
「いいいいじゃない! 問題でもあるの?!」
「い、いや、ないけど」
 剣幕に押されるがまま黙り込んでしまった。
 だが、なぜ怒鳴られてしまったんだ。まぁ、本人がなんともないと言うのならなんともないという事にしておこう。じゃないと面倒な事になりそうだからだ。
 いまだに何かうなりながら料理をしている母を置いて、俺はとっとときびすを返し部屋に向かう。こうなったら勉強でもしてやろうか。いや、自分への御褒美と称してチョコレートで何かを作ろうか。
 そんなことを考えながらも部屋に到着。かばんを適当に放り投げ、着替えもせずにベッドに倒れこむ。
 まったく、期待した俺が馬鹿だったよ。
 心の声である。俺は、もしかしたらあの三人からチョコをもらえるのではないかとひそかに期待していたのだ。ただ、そこに藤村の妙な警告が加わり緊張していただけ。欲しいか欲しくないかでいえば欲しかった。
「まったく、女々しいな。俺は」
 言葉に出して胸に刻むのだが、やる気メーターはエンプティを示して一向に体を動かそうとしない。これは重症だ。
 ため息ひとつ。後悔二つ。悩み事三つでそのまま意識を落とすのだった。
 
 
 
「あにぃ。おきなさいよ! あにぃ!」
 花梨の声で目が覚める。
「なんだよ……」
 目覚めはよろしくなかった。なにせ、ゆっさゆっさと頭を揺らされてからの覚醒だったのだ。
「お客さん」
「客?」
「そ。お客さん」
 面倒だとはお思いながらも、客なら仕方がないともそもそとおきる。いったい誰だろうか。
「ほら、早く早く」
「引っ張るなよ。今行くから」
 この時、俺の意識はまだ半覚醒状態で、この後起こることを予想だに出来なかった。だってそうだろう。
「よっ」
「ども」
 あきらめたと思っていたのだ。
 だというのに、目の前にはなにやら包みを持った女の子が三人居た。
「わお」
 えらいこっちゃ。
  
前のページ 次のページ
TOPに戻る
inserted by FC2 system