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第87話〜黒須ちゃんの決戦前夜

 バレンタインデー前日。
 その日からすでに半年が経っているのではないかと思えるほど夜は長かった。しかし、いまだ日付は今日と同じく二月一三日の二十三時を回ったところだった。
「はぁ」
 そんな永遠とも言える時間を漂う私の口からは、相も変わらず幸せだけがため息とともに逃げ出していく。頭の中で飛んでいた羊も、ややバテ気味に勘弁してくれとこちらに訴えかけ始める始末だ。こっちのほうが勘弁してほしい。なにせ、いくら数えたところで眠気がやって来ないばかりか、逆に数字について考えているから明日という日付を意識して目が冴えてくる。目が冴えてくると、こんな夜はどうしても物思いに耽ってしまう。
「バレンタインデー、か……」
 小さく呟いてからチョコ会社の陰謀に舌打ちをする。ついでに、寝れない原因を作った恋と赤さんにも心の中で恨み言を呟く。
「まったく、どういうつもりなんだか」
 それは言葉の通り、私にはまったくわからないのだ。二人ともどういうつもりなのだろうかというのが。
 確かに、私達三人は同じ学校に通い、同じ人を好きになり、同じ時間を共有した。有体に言えばお友達。もっとよく言えば親友といっても過言ではないはずだ。時間こそ少なかったかも知れないが、密度で計算すれば普通に過ごした数年はくだらないはずだ。でも、だからといってなにも同じ日に同じ人に告白をしようだなんて馬鹿げている。しかもプレゼントも同じときたらこれはもう馬鹿げているとしか言いようがない。
 そ、馬鹿げている。
 何も、同じ日に告白しなくたっていい。何も、明日じゃなくたっていい。何も、この関係を壊さなくたっていい。何も、告白しなくったっていい。
 ずっとずっと私と彼と恋と赤さんで仲良くしていけたら、それでいい。
「まったく、馬鹿げてるよね」
 枕に顔を埋めてこのまま馬鹿は死なないかとちょっとがんばってみる。が、すぐに本能が邪魔をしてほこりくさい部屋の空気を堪能することになる。
 死ぬべき馬鹿は私。実際のところはどっちか本物の馬鹿げた考えなのかだなんて分かっていた。ただ、理解したくないだけ。
 今はいいやと問題を先延ばしにしても何も始まりはなしない。誕生は常に崩壊を内包し、始まりと終わりは常にメビウスの輪のように繋がっているの。故に思いを伝え、新しい関係を築きたいのなら、今の関係を壊す必要がある。破壊の恐怖に私は一歩が踏み出せずにその場に踏みとどまってしまったが、二人は違う。先に進む勇気を持っていた。しかも、怖気づいた私の背中を蹴飛ばし、一緒に行こうと敵に塩を送るような真似までしてくれた。
 これを見て、誰が二人のことを愚者といえるだろうか。
 自己嫌悪でベッドの上を軽く転がる。
「ん?」
 ほこりの舞う、じめじめとした部屋のカビになりながらまどろんでいると、唐突に携帯が震えた。
「メール?」
 こんな時間になんだろうと思ったが、ディスプレイに表示されていた名前でなるほどなと口元を緩めてしまう。
 差出人は恋。あて先は私と赤さん。
 内容を要約すると、どきどきして寝付けないそうだ。
「私もだよっと?!」
 私も送り返そうと打ち込んでいたのだが、送信が完了する前に新たに受信する。こんどは赤さんからで、こちらも同じく寝れない様子。案外二人とも私と同じで眠れないらしい。
「よし、今度こそ」
 送信中の文字を眺めながら、二人のことを思う。今、二人はどんな思いを感じているのだろうか。私は不安と絶望で押しつぶされそうだが、やはり二人は明日への期待と希望から来る高揚感や、やる気に満ち溢れているかもしれない。
「話、したいな……」
 自分の抱える爆弾みたいな不安をどうにかしたい。その一心で携帯を握り締める。きっと恋なら私の不安を笑い飛ばしてくれるかもしれないし、赤さんならクールに私に皮肉を投げかけてくれるかもしれない。
 不安が内に留めておけず、浴槽に張りすぎた湯船のようにあふれ、私は一心不乱に携帯のテンキーをカコカコとタイプし始めてしまう。だが、それは電波に乗って二人に届くことなく何度も打たれては消され、打たれては消されを繰り返す。送りたいけど送れない。
 だってそうだろう。一応、恋敵であるはずの私に告白のセッティングまで丁寧にしてくれたと言うのに、これ以上頼ることがあれば流石に愛想をつかされかねない。
「会いたいなぁ」
 何度目になるか分からない削除を行って、消された文字を言葉に出す。電波には乗らなかったけど声の波に乗って届かないものだろうか。
 そんなことを思ってみるも、物事はそう簡単にうまくはいかず、携帯は以前、沈黙を続ける。二人も何か思うところがあるのだろか、起きているという連絡以降はメールが届いていない。
「あ、十二時」
 じっと携帯を眺めていたものだから23:59から00:00になるなんてレアな光景を見てしまった。少し得した気分になったと同時に、肩にずっしりと重みがかかる。ついに、その日が来たのだ。
 今日作ったカップケーキはしっかりと焼けただろうか。彼は受け取ってくれるだろうか。告白はうまくいくだろうか。そして何より、大事な場面でこのサカサマサカサが発動してしまわないだろうか。時間と比例するグラフのように不安が膨らんでいく。それは倍々ゲームなんてものじゃなく、乗根計算のレベルで大きく膨らみ、私の頭の中を支配する。
「恋ちゃん。赤さん……」
 不安から出た救いを求めたが、それも部屋に吸い込まれるようにして消えた。いつしか言葉は嗚咽へと変わり、このちっぽけな部屋を埋めつくしていく。こんな事で今日の告白がうまくいくとは到底思えないのだが、とどまることを知らない涙はどうやっても止められない。
「メ、メール?」
 鼻水をすすり、涙でぼやける目をこすり、携帯を手に取る。受信したメールは二件。赤さんからは今日はがんばろうといった旨の、そして恋ちゃんからは負けないという挑発が。なんだかその文面からは、二人の強がっている姿が容易に思い浮かび、不安なのは自分だけじゃないんだと少し安心する。
 メールの返信は何にしようかといろいろ考えてみたが、ぐちゃぐちゃな頭では特に何も思い浮かばなかったので、私も赤さんにならってがんばりましょうと返事した。
「あ、あれ?」
 メールを送り、二人から返信を待つ間、気の緩みからか、今度は安堵からか涙が止まらない。こんな事で今日の告白が目が真っ赤でギャグみたいだった。なんて笑い話にならないだろうか。
 何はともあれ、今日はバレンタインデー。この国ではチョコ会社の陰謀で、女の子が好きな男に思いを伝える特別な日なのだ。ならば私も清々堂々戦おう。だから、今だけはもう少し、この涙に身を任せて迷おう。

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