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第86話〜飛び降り

 なぜか今日は外出を命じられた。
 母曰く、今日は帰ってこないくらいの勢いで外に羽ばたいてくるようにとのことだ。
「羽ばたく、ね」
 外はまだ二月、少し肌寒い風が俺の頬をなでていく。寒い。なので俺は黒須さんたちのもらった防寒具に身を埋めた。
 こんな風の中ではきっと俺は凍死してしまうに違いない。なにせ上空はもっと寒いと聞く。
 だいたい、俺の背中に羽なんてものはない。羽ばたこうにもせいぜいジャンプをして30センチ上空を重力に逆らって数秒浮いて、すぐに落ちるだけである。羽ばたくには程遠い。そりゃ、目の前にある大きなビルの屋上から飛べばもっと長い間中に舞っていられるかもしれないが、それは滑空でも飛翔でもなく落下である。こんな腐った世の中だが、まだまだ俺は行きたいのでソレはやめておこうと思う。
 それに、アレをしたらきっと掃除は面倒だし、下手をすれば生き残って管につながれた生活をよぎされなくなってしまうかもしれない。
「いかがですかー」
 カランコロンとベルを鳴らし、目の前の大きな建物である大型スーパーの店先で若いお姉さんが数人、チョコのディスプレイを囲むようにして客引きをしていた。
 なるほど、上から跳ぶと、ここに落ちそうだ。
 空から降ってくる一人の男、砕けるチョコと男の骨。響く悲鳴と滴り落ちる男の血。ブラッドバレンタインデーだなんてなんて、なんて素敵な催しだろう。それはきっと毎年バレンタインデーになると強制的に記憶の奥底をあさって呼び起こされてしまうだろう。それは、さぞ辛いだろう。
 そこまで妄想し、自分の気分が悪くなっていることに気が付いた。汗をかいている。よくよく見れば目の前のビルが面白い形にゆがんでいる。
「ったく」
 俺はふらつく足で近くのベンチに腰をかけ、乱れた息を整える。
「まだ引きずってんのかな、俺」
 思えば10月の事だった。いきなり地元をにぎわせていた殺人鬼が学園祭中の校舎に現れ、あろうことか黒須さんを求めてクラスメイトを、教師を、父兄を地元の人を文字通り一刀両断した。
 おびただしい量の血と生首に、俺は死のにおいを感じた。そこで何かが壊れてしまったのかもしれない。俺はあろう事か鉄バットを引きずりその化物を殺すと意気込み、馬鹿のように突っ込もうとした。幸い、昔出会った銀狼に助けてもらい、一命を取りとめ、気が付けばなぜかすべてがなかったことになっていた。首の取れた恋や西条さんは縫合でつないだというより、本当に元通りになって後すら見つけることが出来なかった。壊れた教室も、銀狼の仲間みたいなやつ等が時間の巻き戻しみたいにして補修し、極めつけには全員の記憶を消し去った。
 どういうわけか、俺と黒須さんの記憶だけを残してだ。
 確かに、銀狼とは四月に合い、そのときも俺は助けられた。勿論、その時も殺人鬼に殺されかけていた。
「何だったんだろうな」
 呟いて最初に会った殺人鬼に刻まれた傷を服の上からなぞる。もう大体の位置は覚えてしまっている。こっちの傷は恋達のようにピッタリはくっついてくれなかったようで、きっちりと俺の体にしるしとして残っている。
「ん? 祐斗じゃねぇか」
 俺がマリッジブルーに似た気分に没入しかけた時、聞きなれた声が聞こえてきたので顔を上げる。
「あぁ、藤村か」
 どうでもよかったので再びマリッジブルーになる。勿論、妊娠したことはない。あってたまるか。
 ただ、いまは何かどろどろとしたものを孕んでいるのだ。
「藤村か。じゃねぇよ。一応親友の俺が声をかけてんだからも少しあってもいいだろ」
「たとえば?」
「おぉ、超絶イケメン饒舌美男、天上天下唯我独尊、七転八倒の藤村様だー。位あってもいいだろ」
「残念ながら俺の友達は七転八倒しか満たしていない。それに、お前いつの間に親友になったんだ」
 どうしてもどうだといわんばかりにつまらない事を言って威張っている藤村をけなしてやりたかった。
「ほぅ、お前はそんな事を言うんだな」
 藤村は俺の言葉に対し挑発的な態度を取る。
「わー悪食乞食悪鬼ミジンコ、アメーバ、七転八倒の藤村だー」
 なので言ってやった。それこそどうだといわんばかりにだ。
「ひでぇやつだ」
「お前がだよ……」
 そういって藤村は許可もなしに俺の隣に腰を下ろす。
「ほれ、飲むか」
 差し出された缶ジュースを何も言わずに受け取る。
「残念、まだまだ元気みたいだな」
「なに?」
 藤村の声に上げかけていたプルタブを止めてしまう。
 しかし、藤村は何も言わなかった。なるほど、親友には敵わない。
「なぁ」
 ぷしゅっと言う空気の抜ける音と共に、俺は藤村に聞いてみることにした。
「なんだ?」
「生きるってなんだろうな」
「お前はわかるのか?」
 藤村は、俺の質問に質問で返してきやがった。
「いや。さっぱり」
 だから聞いているのだ。
「じゃあ逆に聞くけど、七転八倒の意味はわかるか?」
「七回転んで八回倒れる。つまりいい所なしってことだろ?」
「そうなのか。俺はてっきり七回転して八回倒立するのかと思った」
 どんな妙技だ。と、言うかわからずに使っていたのか。
「さてここで俺の答えだ。果たして俺より賢いお前がわからないことを、七転八倒の意味を知らない俺が知っているでしょうか?」
 答えるまでもなかった。
「落ち込んでる理由は厨二臭いことかよ」
「悪かったな」
「俺はてっきり、明日のバレンタインデーの事だとばかり思ってたのに」
「明日だ?」
 何を言っているかわからなかったが、俺の答えに藤村も何を言っているのかわからないといった顔を返してきた。
「そうかいそうかい。お前はそういうやつだったな。でも、今年はそうも行かないかもな」
 そういって藤村は意地悪な笑みを浮かべる。
「ま、今年はいいだろ。ヒントやるよ」
 口元に笑みを浮かべたまま藤村は俺のほうをじっと見てビルのほうを指差した。
「明日、お前は少なくともアレをもらう」
 アレ、というのは藤村の指の先、つまりはチョコレートの事だろう。
「あ? まぁ一つくらいはもらうだろうよ」
「そのに」
 そう言って、藤村は俺を指差した。
「しかし、お前はああいったものはもらえない」
 よくわからなかった。チョコをもらえるのにチョコをもらえない?
 いや、チョコをもらえるがあそこにあるチョコのようなものはもらえない。
 つまりは、どういうことだ。
「もう少しわかりやすく頼む」
「ったく」
 あきらかに面倒くさそうだった。何せ頭をかきながらため息までつかれた。
「アレは金を出したら買える。ソレの事をなんていう」
「商品?」
 当たり前の事だ。
「じゃあ商品じゃないチョコといえば何がある」
「盗品……はもともと商品だったものを盗んだだけだから違うな……あぁ、なるほど、手作りだな」
「そうだよ」
 やれやれといった感じで藤村は頷いた。
「ん? 手作りをもらう?」
「そう」
「俺が?」
「それも最低は三個も」
「三個?!」
 なぜ藤村にそんなことがわかるのかというのもあったが、そんなにもらえる心当たりがない。
「本当にわからないようだな」
「あ、あぁ、俺がそんなにもらえるわけがない」
「じゃあお前の今見につけてる防寒具は誰にもらったんだよ」
「あ……」
 西条さんからのマフラー、黒須さんからの帽子、恋からの手袋。なるほど、丁度三人である。
「ついでに言うと、お前、明日告白されるぞ」
「は?」
 意識が目の前にあるビルを駆け上り、屋上から飛び降りた。


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