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第80話〜復活

「……にぃ……しっか……よ」
 なんだかやたらと遠くから耳元で怒鳴っている奴がいるようだ。遠くなのに近いというのは、俺の意識が耳を耳とせず、なんとなく聞こえる遠い物だと思っているからに他ならない。
 あぁ、もう面倒だ。たかが幼馴染、昔の初恋の相手がいなかったという事実だけで、こうも自分の内側に入り込んでしまうのもなんだか情けない話なのだが、今俺は誰も知らない俺だけの初恋の相手の葬式を挙げているのだ。
「ほら、しっかりしなさいよ」
 俺の中の俺がゆっくりと地表へと上昇してくるのと同時に、遠くにあった耳は自分の耳としての機能をやっと果たしだし、お帰りといわんばかりに俺の耳はきんきんと耳鳴りをプレゼントしてくれる。
「もう、制服のままじゃない」
 気がつけば俺はベットの上、制服のままぼんやりと天井を見つめていた。空はとっくに白んでいた。つまりは朝。俺は一体どうやって朝を迎えたのだろうか。ついでに言うとなぜ耳がこんなにもきんきんとするのだろうか。
「喪服だよ」
「は?」
 あきれる声には耳を貸さず、なんとなく言い訳をしてみた。と、言うより半分本気なのは言わないでおく。なにせ俺はこれでも学生なのだから、葬式に着て行くようなスーツなんて持ち合わせてはいない。つまり、俺の正装は制服ということになる。もうすぐ卒業し、そして進学しようと思っているので、将来的には安いリクルートスーツの一着は持つことになるのだろうが、それはまた先の話だ。
「ほら、今日も学校があるんだからシャワーでも浴びてきなさいよ」
 耳元で再び叫ばれた命令に、言われるがままのろのろと立ち上がる。
「しかし、喪服って言っても誰か不幸にあったっけ?」
 その無神経な一言が俺の神経を逆なでする。
「お前には分からないさ」
 威嚇中の猫のように逆立った俺の神経はしかし、威嚇の声を出すことも無く、こぼすようにつぶやくだけだった。
「なによ、そりゃあにぃのクラスメイトは全員は把握し切れてないけど、あにぃがそこまで落ち込む人なら、私が知らないはず無いでしょ」
 俺の態度が気に食わなかったのか、花梨は敵意をむき出しにしたまま俺の言葉に噛み付く。
「あーちゃんだよ」
 どうだ、分からないだろう。と頬を緩めるも、心はただむなしい。所詮は妄想の産物。他の人からすれば、大切にしていたおもちゃをなくしてしまった程度の認識なのだろう。
「え、いつのまにあの子の連絡先調べてたの?」
「やっぱりな、わから……?」
 俺の想像では、首をかしげ、俺をおかしなものを見る目で見つめる、妹花梨の姿が見えていた。
 しかし、現実はどうだ、花梨は首を傾げる事無く、少し残念そうに地面を見つめているではないか。
「お、お前、あーちゃんを知ってるのか?」
 口から出たのはみっともなくしゃがれたおかしな声。そういえば、帰ってきてから一滴も水を飲んだ記憶が無い。と、言うより何時から水をまともに飲んでいないだろうか。
「知ってるも何も、一緒によく公園で遊んでたじゃないの?」
 ここで花梨は俺が少し前に想像していた通り、首をかしげ、俺をおかしなものを見る目で見た。
 そういえば、俺の世界では恋や藤村と遊ぶ姿ばかり創造していたが、よくよく考えると花梨もいたような気がする。もっといえば、こいつは今こそこんな態度で俺に接しているが、昔はあにぃあにぃと、どこに行っても俺の袖を掴んで離してはくれなかった。俗に言う、重度のブラコンだった。
 創造の想像が、他人の介入を受けることにより、記憶の回想へと変わった瞬間だった。
 俺の中で何かが始めたのを感じた。
「飯は?」
「ご飯?」
「昨日の残りだよ」
「そんなのもう無いに決まってるでしょ」
 まだ不安な点が少々残るが、一人が二人になっただけでも十分成果があった。もしかしたら、あーちゃんは俺の想像の産物ではないかもしれない。そう思うと喉を通らなかったご飯がどうにも恋しくなってきてしまう。なにせ、水と同様、ここ最近、まともに食べた記憶が無い。
「なによ、いきなり元気になって……心配したこっちが馬鹿みたいじゃないの」
「心配してくれたのか?」
「ち、ちがうわよ。い、いいからさっさとシャワーでも浴びてきなさいよ」
 図星だったのだろうか、それともただ恥ずかしかったのだろうか、顔をりんごのように真っ赤に染めた花梨は、俺の背中をぐいぐいと押しながらずっとうつむいていた。
 
 
 
 蛇口をひねる。当然のごとく出たのは水。タイルは冷え切っており、思考はどんどんとクリアに。と行けばそのまま賢者のごとくすばらしい答えを瞬時にはじき出せたかもしれない。
「がっかりだ」
 しかし、なんというか、タイルは暖かく、蛇口をひねれば出るのは暖かいお湯だった。ほんのりシャンプーとリンスのいい香りも漂っている。恐らくはあの小さい妹が入った後なのだろう。妹の後、そう思うと俺も劣情をもよお……さない。一応、一般人だと思いたいので、妹に欲情するなどというマイノリティは持ちたくない。まぁ、妄想に欲情し、妄想に葬式を行うのも十分マイノリティな分類なのだろうが、どうか俺のただの思い違いであって欲しい。
「お湯も滴るいい男!」
 びしっと全裸でポーズを取っている自分が映る鏡を見ながら頭を抱える。一体、何を言っているのだろうか。少しハイになりすぎているようで、自分が怖い。と、言うか死にたい。
 風呂から上がると、ほんのりと香ばしい醤油の香りが漂ってくる。ついでにじゅうじゅうと何かが焼ける音も聞こえる。更にもっと言えば、へんな鼻歌だって聞こえてくる。
 体を良く拭いて、着替えに手を伸ばせば、そこには綺麗にたたまれたシャツなど、新しい着替え一式が置いてあった。犯人はもう言うまい。
 何日かぶりのすがすがしい気持ちのまま、着替えを終了させる。気分が違うと、着ているものも何故か一段階いいものを着ている様な気がしてないらない。
 最後に、洗面所の鏡で軽く髪を整えるのもわすれない。
「あにぃ、ごは……」
 見られた。見られる。見られます。見られました。
 ギギギと擬音がなりかねないほどロボットのようにぎこちなく首を回して声のほうを見てみれば、そこにはなんと、麗しきおせっかい。別名妹が立っていた。
「コレはだな」
 俺はあわてて何かを言おうとする。なにせお湯も滴るいい男バリの笑顔で鏡を見つめていたのだから仕方ない。何が仕方がないかと問われても、仕方がない、許してくれ。
「くっ……」
 目の前の花梨の口元は徐々にゆがみ、やがてそれは臨界点を迎えた核施設のように爆発してしまう。
「畜生」
 泣きたかった。先ほどまで元気だったというのに、きりもみ回転をしながら俺のテンションは下降していく。
「ほら、お湯も滴るいい男。ご飯できてるよ」
 そこまで面白かったのだろうか、花梨はややなみだ目になりながらも笑い続けている。いっその事、そのまま窒息してしまえばいい。と、いうかアレは聞こえていたのか。もうきりもみ所の騒ぎではない。炎上しながらの落下だ。
 とぼとぼと肩を落としながら、にじむ視界を擦り食卓へと向かえば、そこにはいつもの朝ごはんの他に、野菜炒めと簡単な煮物がおいてあった。それも俺の席の前にのみ。コレはアレだろう。きっと日ごろの行いが言い俺への神様からのプレゼントなのだろう。
「いただきます」
 いつもならこんなに食べれないよ馬鹿野郎。と悪態をついたり、食べてみれば、味が濃いだの何だのといちゃもんをつける俺なのだが、ここはありがたく神様に感謝して無心でいただくことにしよう。
「おい花梨」
 ずいぶんと笑ったのだろう、少し疲れた様子の花梨が食卓にやってきた。
「なに、お湯も滴るいい男?」
 これは数日の間忘れてくれそうに無い。
「あ、ありがとな」
 若干言うのがためらわれたが、言ってみればなんて事はなかった。
「う、うん」
 俺が素直なのが珍しいのだろう。それっきり会話もなく、俺達二人はうつむいたまま朝食を食べ続けた。
 後に聞くと、母さんは影で眺めていたらしい。いやらしい。声くらいかけてもらいたいものだ。
「ごちそうさま」
 先に言ったのはどっちだったか、俺は満たされた腹をさすりながら時計を確認する。家を出るには少し時間がある。と、言うより、朝起きてから相当たっているのにまだこんな時間だというのは信じがたい事実である。
「じゃ、学校行くかな」
 なんとなく、テレビを見る気にも、ごろごろする気にもなれず、今日はいつもより早く家を出てみようと思う。
「あ、ちょっと待ちなさいよ」
 今日も今日とて妹と登校。そろそろ兄離れしてもいいのではないかと思うのだが、されてしまうとそれはそれで悲しいので今日はおとなしく玄関で待ってやることにする。よく考えれば洗い物もしてないし、なんて最低な兄貴なんだろうか。
「お、あにぃ今日は珍しく待っててくれたの」
 いつも置いて行っていたからだろう、急いで玄関に現れた花梨の肩に手を乗せ、俺は言うことにした。
「いつもすまんな」
「は? 何言ってるのよ気持ち悪い」
 俺の一世一代の感謝の気持ちは、気持ち悪いの一言で叩き切られてしまった。
 
 
 
「いやぁ、走らなくてもいいってのは楽でいいわね」
 嫌みったらしく俺を流し目で見ながら花梨は言うが、もうこんな奴は知ったことではない。明日からもせいぜい走るといい。
「さむっ」
 よくよく考えれば今は冬真っ只中。さぞスカートでは寒かろう。対する俺は、クリスマスに貰ったマフラー、手袋、帽子を装備中である。一つでもいい気がするのだが、三つつけていないと何かと面倒なことになりそうなので少し熱くてもつけることにしている。
「あ、白金君……」
 たまに朝早く家を出てみれば、これまた珍しい人に声をかけられた。黒いつやつやの髪の下からのぞく白いマフラーは、自分のとは違い市販のようだ。
「おねえちゃーん」
 おはようも言えずに固まる俺達二人とは別に、花梨は引き寄せられるようにして黒須さんの下に走って行く。
「寒いよぅ」
 そしてそのまま、あろうことか黒須さんに抱きついた。なんとうらやましい。
「ちょ、ちょっと、花梨ちゃん」
 頬を染めながら、自分にほお擦りする我が愚妹に抵抗している黒須さん。しかし、花梨は離れない。
 そういえば、黒須さんのところの大河君は一緒ではないのだろうか。
「大河君は?」
 俺が聞くよりも早く、花梨が聞いていた。行き場を失った俺の言葉は、そのまま飲み込まれ、真一文字に口の奥に隠蔽された。
「いつも別々ですよ。一緒に行こうって言っても来てくれないし」
 すこし寂しそうに家を眺めた黒須さんだったが、大河君の気持ちは良く分かる。この歳にもなった姉と仲良く登校なんてきっと顔から火が出るくらい恥ずかしいに違いない。それはもう、授業参観にちょっと気合を入れてきた姿の母親に、自分の名前をチャン付けで呼ばれるくらいつらいに違いない。それに、もともと引っ込み思案な大河君ならなおさらだろう。
 はて、じゃあ自分はどうなのだろうか。この歳になってまで妹と登校だ。仕方がない。なにせ妹の方がしつこいのだから文句は言えないのだ。大河君のところの物分りのいいお姉さんと家の愚妹は違い過ぎるのだ。だから、もう恥ずかしいという感情は通り過ぎて諦めるしかなったのだ。
「花梨、黒須さんが嫌がってるだろ」
「はーい」
 俺の声でしぶしぶと黒須さんから花梨は剥がれた。
「元気そうでよかった」
「ま、まぁね」
 俺達が交わした始めの言葉はこれだった。俺は知らないところで人に迷惑をかけていたようだ。よかったという黒須さんの笑顔は偽者ではなかった。
「こ、ここでずっといるのもアレだし、学校行こうか」
 ふとその笑顔に見とれていた俺は、急いで話題を変えてみる。
 そんな俺のいきなりな提案に、二つ返事で答えてくれた黒須さん。やはり彼女は心が広い。今日は三人での登校である。
「あ、あの」
 しばらくして、黒須さんは控えめに声をかけてきた。
「恋ちゃんの事なんですけど」
 恋、と聞いて思い出す。そういえばあーちゃんを殺したのは奴だった。そう思うと何か俺の奥からふつふつと黒いものが湧き上がってくる。
「聞きたくない」
「え?」
「聞きたくないね」
 湧き上がっていたのは憎悪。勝手に俺の思い出を殺した人間にそれを抱くのは、普通の事だと俺は思う。
「で、でも」
「聞きたくないんだ」
 おろおろとする黒須さんに、はっきりといっておく。ここまですれば、黒須さんならもう踏み込んでこないはずだ。
「聞いてもらわないと困ります!」
「あ、うん」
 俺の中で渦巻いていた真っ黒でどろどろとした物は、黒須さんの声ですぐに引っ込んでしまった。なにせ、いつもはおろおろして、意見を飲み込むような人が、いきなり大声で聞いてくれというのだ、聞かないわけにはいかない。と、いうか意志の弱い自分に泣けてくる。
「あ、いきなり大声を出して御免なさい」
 先ほどまでの勢いはどうしたことか、いきなり爆発したと思うとすぐに黒須さんは黙り込んでしまう。仕方がないので相手の出方を待ちながら登校を再開することにする。
 
「と、とりあえずきちんと二人で話をしてください」
 学校の校門が見えてきた頃、聞こえてきた小さな声に、俺は何も言わずにそのまま校門をくぐった。簡単には頷けなかったのだ。

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