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第8話〜アカテンヲカイヒセヨ

「一週間後は実力テストです。皆さん、受験も控えていることですし、しっかりと勉強をしてくださいね」
 黒須さんが転校して来て一週間が経った日の朝、いつものように教壇の上で話をする如月先生は、俺達に忘れかけていた学生の本分を思い出させてくれる。
 そう、忘れてはならない。
 我々は学生だ。
 学生は分類上、neetではない。
 労働もしていないのにneetではないのだ。
 労働をしていないのに仕事についている。全国のneetの皆さんにとって、これほど羨ましい事はないだろう。
 なぜなら、自分がバイトの際などに行う面接。これで、「この空白の○年間は何ですか?」など聞かれて「自宅を警備していました」などと答えなくてもすむからである。
 だがしかしだ、学生にだって一応労働ではないが、やらないといけない事はある。
 そのやらなければいけない事とは、勉強。
 社会に出てもあまり使わないであろう公式の数々。生活上知らなくてもいいような元素記号表。学生は、そんな生活上、無意味なものを詰め込むのが仕事だ。
 だから、一応仕事をしているという意味でneetに分類されていないのだろう。
 確かに労働よりも一般学問のほうが楽だろう。しかし、我々学生はそれが大嫌いなのだ。

「テスト……だと……?」
 俺の後ろ。と言っても正確には斜め後ろからは、絶望色に染まった真っ暗な声が聞こえてくる。藤村、お前は本当に少しは勉強しろ。
 藤村が頭を抱える理由。それは学生がneetに分類されていないことに大きく関係していた。
 何らかの報酬には、それ相応の代価が必要なわけで、労働をしないでいいという報酬の代価として、学生は学校で行われる定期テストなるものを見事突破し、さらに、それで規定点以上を取り、見事通信簿を真っ黒に染めないといけないという事だ。
 確かに、例外として通信簿内に少しの赤なら許されるであろう。しかし、その赤の分量が多ければ、その生徒はもう一度、その学年をループすることになる。
 なんとしてでも、それは回避しなくてはならない。
 そのためにも、すぐ目の前に迫ったテストを規定点以上取り、確実に見事突破しなくてはいけない。
「さっき配った小テストは☆の人は一人しか居なかったけど、一人の子、すばらしいです。○の人はその調子でがんばってくださいね。△の人はもうすぐ受験なんだから要注意。×の藤村君は死ぬ気でがんばってね」
 先生の採点方法は特徴的なものだった。それは、点数以外に印を描くと言うことだ。先ほど先生が言っていたように、☆、○、△、×と印があり、最初に述べていったものの方がランクが高い。
 先生のかわいいらしいウインクすら無視して、クラス全員、自らの手元を確認し、喚起の声や落胆の声を上げている。
 もはやこのクラスの人間には、先生のかわいらしいウインクも、×の藤村を笑っている余裕もないのだ。
 先生は笑いながら、自分のノートと、特大級の絶望をクラスに残して去っていった。

「祐斗!」
「祐斗!」
「恋!」
 先生がいなくなったのと同時に俺達三人の声が重なった。
「まて、なぜ俺の名前を呼ばない」
 自分の名前が呼ばれなかったことに不満をあらわにする藤村。
 しかし、そんな藤村は無視をして恋と二人で話を始める。もはや、×の藤村など戦力外通告だ。
「いつもの通り、白金は私に数学と英語を」
 そう言って、恋は△の描かれた小テストを俺の机の上に、さもそれが重要書類であるかのようにゆっくりと掲示する。
「いつも通り、俺はお前に生物と歴史を」
 俺もそれに習い、かろうじて○のついたテストを恋と同じように掲示する。数学はかろうじて、俺の得意な教科だ。
 二人の間で行われているテスト毎の会議、これはお互いに足りない部分を補い合おうといった趣旨の完璧な作戦だ。
「俺もいつも通り、快適な空間と夜食を」
 うん。三人の間で行われている会議。だった。
 藤村は当たり前のように先生に言われたとおり、違った意味の○が付いた答案を勢いよく俺たちの答案の上に叩きつけ、元気よく言う。
 うむ、実にいつも通りだ。恋と俺は勉強。藤村は環境。適材適所とはまさにこの事だ。
「でも、私、今回は生物は教えられそうにない」
 恋は頭を抱えて悔しそうにつぶやく。
「実は俺も今回の英語は……」
 恋と同じように俺も頭を抱える。
 何ということだ、早速、適材適所のはずの完璧な作戦がほころび始めてしまった。
 しかし、そんな俺達二人よりもっと頭を抱える人間が一人。そいつは藤村。おそらく今回も相当やばいのだろう。

「俺は提案する! 助っ人を呼ぶことを!」
 いきなり立ち上がって宣言する藤村。それは藤村らしい他力本願な提案だった。が、今はそれしかないだろう。
 助っ人、と聞いて真っ先に思いついたのは黒須さんだった。なぜ、俺が黒須さんを思い浮かべたのか?その理由はわからないが、とりあえず黒須さんにすることにする。
「黒須さんに頼んでみるよ」
 勝算?そんなものはない。しかし、俺が黒須さんだと決めたのだ。決めたことはしっかりと貫かなければいけないのだ。
 そのまま俺は立ち上がり、そのまま黒須さんの元へと一歩一歩確実に進んでいく。それはまさに戦場に赴く戦士のような後ろ姿だったことだろう。

「黒須さん?」
 ターゲットは俺の声を無視し、そのまま目の前の本に集中している。しかも、持っていた本は文字がびっしりと詰まった、人を殺す凶器に使えそうな分厚いハードカバーだ。戦えばとても勝てそうにない。
 しかし、この声をかけても無視される感じ、どこかであったような気がする。しかも、つい最近の出来事だと思う。
「お嬢さん?」
 それならばと、先ほど思い出した忌まわしい俺の台詞を口にして、ターゲットの攻略のかかる。
 しかし、返答は沈黙。
 Fuck!二度は同じ手は効かないというのか、なんという高性能。
 しかし、俺はあきらめない。俺は俺のために、ひいては、あの二人のために今がんばらなくてはいけないのだ。
「黒須さん」
 俺は強くこちらを振り向け、と念じながら言葉を発する。
 俺の能力、『念力<テレパシー>』ならきっと伝わるに違いない。間違いない。絶対だ。
 しかし、俺の『念力<テレパシー>』もむなしく、返答は沈黙。
 それもそのはず。俺は元々、能力なんて持ってはいない。
 大体、異能力を持った『ネームレス』達が俺達のように普通に生活できるわけがない。
 彼らは、心に深い傷を背負った代償でその能力を手に入れているわけなのだから、そうやすやすと心の傷は癒えないだろう、大方心の傷と能力の重圧で、普通の生活は困難なのだと社会では相場が決まっている。
「お嬢ちゃん」
 いくら無視されても俺はあきらめない。おそらく今の俺は、Yシャツに付いた醤油のシミのようにしつこいだろう。

「なに?」
 声を掛け続ける事、数十回。やっと俺のしつこさについに屈服したのだろう。黒須さんは少し怒ったような声で、面倒くさそうに本を閉じ、こちらに首をひねる。
「黒須さんって勉強は出来るの?」
 まさに直球だ。もう少しひねってもいいのではないかと思いはしたが、やはり直球が一番に違いない。
「できない」
 ホームラン級の弾道で直球を打ちかえされた事にたいして落胆し、俺はがっくりと肩をうなだれながら顔を地面に向けた。
 しかし、そのおかげだろう。
 俺の視線の端に、あの幻の☆印が見えた。確かこの☆印を持つことが出来るのは、今回クラスにたった一人のみのはずだ。
 その、☆印の描かれたテストには、点数以外に、「Perfect」とまばゆいばかりの金色で書いてあった。こやつ、満点とは……出来る!
「勉強が苦手なら俺達と一緒に勉強をしよう!」
 俺はそのまま強引にも、偽りの勉強の出来ない子。黒須さんの腕を取り、俺の帰りを待つ二人の元へと戻った。
 
 
「紹介しよう。我々の新しい味方、黒須美穂君だ」
 俺を待っていた二人からは驚きの声と、拍手が生まれる。
 何せ二人とも黒須FCの会員なのだから当たり前といえば当たり前の反応だろう。もちろん二人は瞳をきらきらさせ、目の前の黒須さんを見つめている。
「ちょっと……私は承諾した覚えはないのだけど」
 二人の視線を受け、すこしだけ渋る黒須さんだったが、もはやクラス最強のしつこさを持つこの二人につかまったが最後だ。
「後は頼んだ」
 俺はクラス最強であろう二人の肩をポンと叩くと、そのまま窓の外の桜の散り行くさまを、じっと傍観する。
 まだ四月だというのに、今年は少し散るのが早いな。
 
 
 
「わかった」
 その言葉を俺が黒須さんの口から聞くのは、わずか、五分後のことだった。
 流石クラス最強の二人。五分もの間、延々と説得し続けるとは、やはり最強だ。
 かくして、俺達の赤点回避の為の勉強会は始動した。

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