6 第76話〜あーちゃんが死んだ日
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第76話〜あーちゃんが死んだ日

「おはよう」
「あ、白金、ことよろー」
「あぁ、今年もよろしく」
 教室に入り、無気力なまま年に一度の挨拶を交し合い、俺は教室のやや中央に当たる自分の席へとのろのろと眠気眼のまま向かう。短く、自らの生涯で一番濃かった冬休みは、気がつけば終わっていた。寝て起きて、また寝て起きる。そんな自堕落に満ちた生活をしていれば、普段の生活サイクルに戻るのは至難の業で、現在も生活サイクルは乱れたままだ。つまり、俺は今すぐにでも机に伏して寝たい。
「白金、おはよう」
「あぁ、恋」
 俺とは対照的に、持て余さんばかりの元気を振りまくショートカットの幼馴染は、どこかいつもとは違った雰囲気をかもし出していた。
「な、なによ。何見つめてるわけ?」
 俺が見ただけで文句をたれるあたり、本質では何も変わっていないのだろう。というか、恐らくはそういった変化ではないはずだ。俺が感じたのは、なんと言うかこう、いつもより丸くなっているような気がする。もちろん見た目がだ。
 部活に明け暮れていた少女は、冬の到来と共にいつの間にか部を引退し、暇を持て余しごろんごろんと、まさに雪だるま式に余計な物をつけてしまったらしい。しかも、クリスマスに正月のダブルパンチ。さぞ美味しかったのだろう。もはや、適度に筋肉を携えた細く引き締まっていた美しい足は、何かにひっぱ叩かれたかのように腫れぼったい。
「恋」
「なに?」
「お前、太ったろ」
 俺が口にした瞬間、クラスの女子一部が固まった。皆、儚げな瞳で明後日の方向を見て、憂鬱そうに重いため息をついている。中には、自分のわき腹を掴んでさらにため息をつく者もいた。
「なにって?」
「いや、だからお前、太ったろ」
 認めたくないのか、恋は頑なに俺の指摘にそうだと首を縦に振ろうとしなかった。男からすれば、体重なんて増えようが減ろうがそれで一喜一憂する事はないし、その程度の事で必死になるわけが分からない。ダイエットなんて愚の骨頂である
「ちょっと気が抜けただけよ。すぐにあの、カモシカの様に美しく引き締まった細い脚。と呼ばれた時、いや、それ以上に美しく絞ってきて見せるんだから!」
「あ、そう」
 俺に指を刺し、力いっぱいに宣言した恋は、そのままずんずんと自分の席へと向かった。やはり外から見ても、あいつの動きは重くなったような気がする。気づいているのに皆が指摘しないのは、優しさか、それとも恐れか。はたまた自らも体重計という魔物が恐ろしいのか。
 少なくとも、最後の理由がふさわしいんじゃないんだろうか、なんて熱心にクラスの女子と話し合う恋を眺めながら考える。会話の節々から蒟蒻だの、バナナだの、一昔前にはやったようなダイエットフードの名前が漏れてくるあたり、彼女らはなんら分かっては居ない。
 痩せたいならまずは、規則正しい食生活と生活を送ることから始まるのだ。食事制限や過度な運動は逆にリバウンド時の反動が大きくなる。
「おはようございます。白銀君」
「おはよう、黒須さん」
「黒須さんはダイエット必要なさそうだね」
「うっ」
 女性を見つめるのは良くないのだが、ふと見ただけでも、黒須さんには恋のように膨らんだ様子は見受けられなかったので、良かったねと笑顔で言ったのだが、黒須さんの口元は片方だけが歪に釣り上がり、もはや笑顔というより邪な企みを企てているようにも見える。
「同士よ」
「恋ちゃん……」
 忍び寄る様にして黒須さんの背後に回った恋は、黒須さんの肩を優しく叩き、瞳を異様な色にぎらつかせた乙女の園へと連れ去った。彼女もまた、ダイエット戦士、もしくはダイエット戦死になるのだろうか。
「ダイエット、ね」
 ただの呟きだというのに、クラスの一部はまたびくりと肩を震わせた。
 射るような目で俺を見て、ひそひそと何かを話す塊、私には関係ない事よと高をくくって堂々としている者、そして、もう今更手遅れだと意に介した様子もなく、自らの趣味やこの冬に有ったことについて話し合う塊、いつもと少し違う気もすぐが、クラスはいつも通り活気に満ちていた。
「よー祐斗」
 やっと俺にかまってくる人が居なくなったと思って、瞼を閉じたとたんにコレだった。
「おはよう、藤村」
 瞼を閉じたまま、能天気な声のした方向にひらひらと手を振ってやる。こいつにはコレくらいで十分のはずだ。
「お、ことよろー」
 予想通り、藤村は机に伏した俺を放置して何処かに行ってしまった。そんな軽薄な友人に、少し寂しさのようなものを抱くが、静かになるというのならコレはコレでいいものだ。
 その後も、俺は担任の如月先生にさっさと起きろと頭を小突かれるまで、言葉を発することなつかの間の夢を楽しんだ。
 
「さて、白金」
「はい、なんでしょう如月先生」
「全く、お前というのは本当に性質が悪い」
 昼休み、職員室ではなく、この誰もいな静かな進路指導部屋なんて珍しい場所に放送で呼び出されので、おおよその理由は見当がついていた。
 如月先生は、俺と二人しか居ない教室で、呆れきった様子で深くため息をついき、持っていた紙を俺に突き出した。
「コレは何だ」
「進路希望調査表ですね」
「誰のだ」
「白金祐斗。つまり自分のものですね」
 悪びれた様子もなくいつもどおり返事をする俺を見て、再びため息をつき、紙を持っていないなかったほうの手で、頭痛を抱えたかのように頭を抑えてしまう如月先生。恐らくこの後に如月先生は言うのだろう。「お前には無理だ。もう少し良く考えろ」と。
「白金、本気か?」
「え?」
「本気なのかと聞いている」
「一応、本気ですよ」
 俺の予想に反し、如月先生は「そうか」と言ったきりなにやら考え込んでしまった。
 少なくとも、俺は冗談で進路希望表を書いた覚えはない。ただ、黒須さんに背中を押されたのでやってみようかと思っただけだ。つまりは、黒須さんの言う勘に乗ってやろうという魂胆だ。
「行っていいぞ」
 響くのは秒針のちくたくと言う正確な時を数えるリズムだけ。何も話さず、座り込んだままの如月先生を眺めること約300秒。待ちに待った如月先生の言葉は理解しがたいものだった。
「いや、でも」
「良いと言ったら良いんだ」
 俺がなぜかと聞こうにも、如月先生はさっさと行けの一点張りで、俺の疑問に答えてくれる望みは薄い。俺がなにか如月先生の弱みを握っていたり、日ごろ俺が、先生が頭が上がらないほどの恩でも売っていれば状況は変わるのだろうが、俺は平々凡々、如月先生に恩を売るどころか買っている。
 こうなったら、如月先生は梃子でも動かないに違いない。聞き出せないと分かったのなら、消化不良な思いが残るが、退散するほかない。
「失礼します」
 俺が退出しても、如月先生は無言のままだった。
「えーほんとにー」
 俺が無言で立ち尽くし、先程のような扱いを受けている間にも、昼休みは中頃に差し掛かっていた。当然、今回の呼び出しにより俺の休み時間が延長されるわけもなく、それに伴い俺の昼食の時間も短縮された。
 廊下を歩いていても聞こえてくる楽しそうな話し声は、俺の孤立と同時に、皆の食事終了を告げている。
 
「いただきます」
 冬休みの余韻に浸りながらの会話があふれる中、俺は寂しく一人で弁当箱のふたを開けた。一人で弁当を食べるのはいつ振りだろうか。昔から藤村か恋と弁当を食べていた俺は、ふと箸を止めていつも昼食をとっていたメンバーを目で探した。
 藤村は、その性格をフルに活用して、今日もまた違う男のグループの中で楽しそうに話している。恐らくあの笑い方は、またくだらない事を考えているに違いない。
 恋はというと、朝の事をまだ根に持っているのか、一度として俺のほうを見ることはなく、黒須さんを含むぎらついた目の集団で深刻そうな顔で話し合っている。彼女らはもっと違う方向に熱意のベクトルを向けてほしい。
 ウサギの形に切ってきたお決まりのりんごを箸で刺し、耳の部分だけを剥ぎ取って食べる。こんな食べ方をするのは自分くらいだろうなと思いながら、耳のなくなったウサギりんごを見つめる。もしかして、普通は耳は食べないんじゃないだろうか。何てことも思い初める。
 りんご、と言えば、今だにあーちゃんの事が気にかかる。一体、彼女は何処の誰で、どんな子なのだろうか。俺の想像は膨らむばかりだが、いっこうに思い出すことが出来ない。黒く長い髪、というチャームポイントだけで行けば、黒須さんが間違いなくあーちゃんである。しかも、りんごが好きであったり、俺の記憶に僅かに残るあーちゃんの思い出にも合致するような事も起きた。彼女は限りなく黒ではあるが、確認は取れていないので、やはりグレーである。
 いっその事、聞いてしまうのはどうか。そう思ったこともあるが、違和感、いや聞いてはいけないという。妙な自制が働いてしまう。もしかしたら、昔に何かそういった約束を交わしたのかもしれない。
「白金、どうした。今日は一人か」
「あ、まぁ色々あるんだよ」
 りんごを食べ終わり、弁当箱にふたをしたところで西条さんが現れた。
 問題と言えば、こっちの事もあった。一体、何の思惑があって西条さんに恋、そして黒須さんは俺にまとわりついてくるのだろうか。麗子さんに可憐さん。本当に俺の何処に魅力があるのかぜひとも教えていただきたい。
 進路も、如月先生の反応からはなにも読み取ることは出来ないし、本当に前途多難である。多難すぎて今すぐにでも逃げ出してやりたい。
 現実問題、逃げ出すことが出来ないので、いま、俺が出来る唯一の現実逃避言えば、やはりあーちゃんの事を考えるくらいだろう。俺の素行に口出しは可能だが、俺の想像には何人と足りとも口出しは出来ない。彼女がどんな少女で、どんな声をし、どんな表情で俺と遊んでいたのか。それを考えているだけで、苦しいことからは目を遠ざけることが出来るのがたまらなくいい。
 しかし、そろそろ何か進展がほしいところでもある。
「なあ、恋」
 それはもう、された方がスッキリとしてしまうぐらいのすばらしい無視だった。
「白金、一体何したの?」
「ありのままの事を伝えただけだよ」
 ありのままを伝えた俺に、首をかしげる西条さんを尻目に、再び俺は恋に声をかけた。
 やはり無視だった。
「一体どんなことをしたのよ……」
「いや、俺は、少し太ったんじゃないかって言っただけだよ」
 俺が言うと、西条さんの表情は曇った。まるで、俺が悪者だといわんばかりの視線もおまけでつけてくれる。
「本当……花梨ちゃんの言うとおりね」
 今度は俺が首をかしげる番だった。なにせ、西条さんはいきなり不機嫌になり、妹の花梨の名前を出して俺を揶揄したのだ。
 花梨がいつも俺の事を裏でどう言っているのかは知らないが、少なくとも素敵なお兄さん。だとか、世界で一番のお兄様。なんて事は口が裂けても言っていないだろう。つまりは良い事ではないと推測できる。
 去っていく西条さんの背中を見送りながら、俺はまた一人になった。
「藤村ー」
 もはや、やけくそである。藤村に頼みごとをするなんて後で怖そうだから滅多にしないのだが、この際どうでもいい。テストをカンニングさせろといわれれば、喜んで答案用紙を落としてしまおう。
「なに?」
「昔、俺達一緒に良く遊んだよな」
「そうだな」
 藤村も何か思うところがあるらしく、物思いにふける。
「あーちゃんっていたよな」
「あーちゃん?」
「ほら、あの髪の長い子だよ」
 俺は断片的に覚えているあーちゃんの情報を伝えるが、藤村の反応は薄い。
「あー、そんな子居たっけ?」
 しまいにはこの反応である。
「恋ーちょっと」
「なによ」
 藤村は恋の元まで歩み寄り、そのまま話し込みはじめた。が、その表情は思わしくない。
「祐斗」
 呼ばれてハッと顔を上げる。目の前には藤村が居た。
「恋が言うに、そんな子は知らない。だそうだ」
「な……に……?」
 目の前が暗転した。今までのはすべて妄想。つまりは、俺の生み出した創造の産物だというわけだ。
 そんなものに熱を上げ、あまつさえそれを黒須さんに重ね、懐かしいだの、もしかしたらそうかもしれない等と心ときめかせていたのだ。
 穴があったら入りたい。そして、そのまま埋まりたい。もう黒須さんに合わす顔がない。
「く、黒須さん」
 すがるような思いで、記憶の中のあーちゃんに一番近い黒須さんを呼んだ。
「なに?」
「君はあーちゃんかい?」
「あーちゃん?」
 それは禁忌だと決めていた。しかし、首をかしげる黒須さんを見て分かった。この人は咄嗟に嘘や演技が出来る人間ではない。つまりは、あーちゃんはいなかった?
「そんな、馬鹿な」
 必死に思い出そうとするのだが、思い出そうとすれば思い出そうとするほど頭の奥がズキズキと痛みを訴え、俺にそれ以上の追憶をさせまいと阻止してくる。
「畜生!」
 つまりは、あの聞いてはいけないのではないかという訳の分からない自制は、この為にあったのだ。俺が幻想を幻想と認識してしまわないために、俺の精一杯の防衛本能だったに違いない。いきなり頭を抱え、机を拳で殴りつけたクラスメイトを、皆は驚きの眼差しで見たが、誰も声をかけようとはしなかった。むしろ、皆哀れな目で俺を見つめ、少しずつ離れていくようだった。
「白金……」
 西条さんは何か言いたそうに俺に声をかけたが、その続きが言葉となって現れることなく、俺はもう一度小さく机を小突いた。
 この日、俺の初恋あーちゃんは死んだ。思い出が妄想に、そして期待が絶望に転生した記念すべき日だった。

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