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第74話〜将来

「現実というのはときに残酷であり無情である」
 部屋の電灯の光で少し透けた通知表を眺めがら、俺は一人自室でつぶやいた。
 ため息と共に通知表を放り投げ、ごろごろと床を転がり、新しく購入したケーキの本を手に取る。しかしレシピはいっこうに頭に入ってこない。
 おいしそうなチョコシフォンケーキやストロベリーピューレの写真も、ただの塊にしか見えない。いや、本来ただの小麦やら砂糖やらの塊ではあるのだが、いつものように俺を誘うような魅力が感じ取れないのだ。いや、これは別に問題はない。ただ俺のお菓子の新作更新が滞るだけだ。
 しかし、俺の悩みの種は厄介なことに俺の将来に大きく影響を及ぼしてくる。可もなく不可もない。いままでから考えるとコレはたいした進歩であることは重々承知していた。しかし、これでが悪かったのが影響して、プラスマイナスで言うプラスには到底とどかない。なぜもっと頑張らなかったのかと次は頑張るといい続けていた昔の俺を怨む。
「進路希望調査……ね」
 冬、季節は言わずもがな冬だ。そして、外は雪。俺の進路希望調査表と同じく心地よいほど真っ白である。恐らく、いまだに進路を決めかねている人間などよほどの能天気か、成績が芳しくない人間かのどちらかである。俺は、幸いにも後者ではなく前者だ。しかしそれを幸いと呼んでよいのかは微妙なところである。
「貴方の夢は何ですか?」
 小学生にインタビューするように自問自答してみる。答えは、ない。
 確か前にもこんなことをしていたような気がする。あの時は、恋や藤村にも夢とまでは行かないが、将来について少し聞いた。答えは今と同じ、決まっていないのは自分だけ。
 なんとなく、のらりくらりとすごしてきたツケを清算する時が来てしまったのだ。聞けば西条さんは推薦による大学への進学が確定、恋もスポーツ特待生で大学からスカウトかかかっている。しかも、藤村までもがいつの間にか大学を受験していた。結果は惨敗だというのがやつらしいが。
 驚くべきことは、黒須さんがどこにも受験をしていないという事だった。あの藤村ですらアクションを起こしていたというのに、しっかり者のはずの黒須さんが何もしていないというのは驚き半分、安心半分だった。事実、黒須さんが何らかのアクションをしていれば俺だけが置いていかれる。そんなのはまっぴらごめんだ。
 好きなものはないのかと聞かれれば、自身を持って好きなものなら家事だと答えることが出来るのだが、それを仕事にするのはハウスキーパーだの調理師だのと小難しいものしか思い浮かばない。違うのだ。俺はそれはしたくない。好きな事とやりたい事はちがうというか、何かが違うと思うのだ。
「総理大臣、か」
 ざわめく教室の中で冗談のように口にしたその場しのぎの自分の夢を思い出して、なんて大人気ないんだろうと頭を抱える。
 今の学力では総理大臣などなれるわけがないし、なろうと思えない。だいたい、俺のどこを見れば総理大臣らしいだとか、器が十分だなどといえるのだろうか。そんな人間がいたらぜひともこれから俺が何をするべきなのかをご教授願いたいものだ。
「いや、一人いたか」
 まったく頭に入ってこないおいしいホイップクリームの作り方とでかでかとプリントされたページを閉じ、所々にしみの残る天井を見ながらつぶやく。思い浮かべたのはクリームたっぷりのケーキではなく、お隣の魔法使いの女の子だ。
「もしかしたら」
 いいながらゆっくりと起き上がる。もしかしたらいるかもしれない。俺の目指すべき道の指針になってくれるすばらしき勘違いが。
 俺は部屋に散らばったままになっている上着を適当に掴み、正月中ずっと休暇をとっていた携帯とお年玉で少しばかり膨れる財布をポケットに突っ込み、部屋を出た。
「ちょっと黒須さんの家に言ってくる」
「なに? デート」
「はいはいそうだよ」
 うれしそうに頑張ってねと手を振る母さんを背に、俺は指針を目指して歩き始めた。
 
 
 
「あら」
 歩くこと僅か数分インターホンを鳴らし、もう少し厚着をして来ればよかったかな。などと少し冷えた両手をこすり合わせていると、黒須さんのお母さんが珍しいものを見るかのような目で俺を眺めていた。
 それもそうだ、いつもなら花梨がこのインターホンを押して、いや、あいつはしっかりとインターホンを押しているのだろうか。などと不肖の妹が過ちを犯していないだろうかと心配してしまうあたり、俺は妹離れできていないシスコンなのだろうか。
「お隣の花梨ちゃんのお兄さん」
「どうも」
「いつも大河がお世話になってます」
 いったいあいつはどんな風にお世話をしているのだろうかと内心ほくそえみながら、笑顔の黒須さんのお母さんに笑顔を浮かべる。きっとあいつはお世話される側だろうかとこちらこそいつもお世話になっていますというのも忘れない。
「美穂ー美穂ーお隣の……」
「白金祐斗です」
「白金君が来てるわよー」
 それでは名前を聞いた意味がないのだろうかと思いながら、やけに騒がしくなった天井に目を向ける。この音の発信源が黒須さんの部屋なんだろうか。などと邪推しながらがたがたと聞こえる音を聞きながら黒須さんを待った。
「こ、こんにちは」
「や、やあ」
 たいした理由もなく、なんとなく話がしたいから。なんて理由で来てしまった俺が、少し後ろめたさのようなものを覚えてしまうように、黒須さんの息が少し荒い。そんなに俺が来た事が驚くほどの事なのだろうか。
「な、なにかな」
「あー」   
 すこしうわずる黒須さんの声を聞きながら、こんなことになるなら何か口実の一つでも作っておくべきだったと少し後悔する。
「ケ、ケーキが食べたいんだ」
 苦し紛れの俺は、ここに来るまで読んでいた、部屋に放置された本を思い出してふと口にする。
「でも、男が一人でケーキを買いに行くっていうのもなんだか恥ずかしいから、黒須さんは家が近いし、一緒にどうかな、なんて思ったんだ」
 後はせきを切ったようにしどろもどろ支離滅裂な苦しい言い訳があふれ出た。
 いきなり来て、ケーキでもいかがですか? なんてどう見てもナンパかそれの類でしかないだとうな。なんて言ってから思う。しかし、いい始めてしまった今となってはもう後には戻れないのでどうしようもない。
「ケ、ケーキ?」
「そう、ケーキ」
 当然のように黒須さんは悩み始めてしまった。三が日は過ぎたが、まだお正月ムードだというのにケーキなどと誘うのはやはり馬鹿げていた。たしかにケーキはオールシーズン、二十四時間いつ食べてもかまわないとは思うのだが、俺の小さい価値観がそれを邪魔していた。
「メ、メールでよかったのに」
 ストラップのついていない携帯を俺に見せながら言う黒須さんに指摘されてから気づいた。相談も、こうして面と向き合うよりは携帯のほうがやりやすかったかもしれないな。なんて思うのは、やはり俺が現代の毒に犯されているからなんだろうな、と思いながらポケットの肥しになっている携帯を握る。
「それもそうだね」
「でしょ。いきなり白金君が来るからびっくりしちゃった」
 困ったように俺に笑いかける黒須さんに、ごめんねと言って微笑みながら、俺はポケットの中できしむ携帯にさらに力をこめ、黒須さんに背を向ける。
「白銀君?」
「なに?」
 背後から聞こえてきた不思議そうな声に、首だけで振り返ると、聞こえてきた声と同様、不思議そうに首をかしげる黒須さんが、俺の行く先をじっと見つめていた。
「どうしたの?」
 聞き返しても無言のままの俺に、ちょっと複雑そうな苦笑いを残し、黒須さんはもと来た階段を駆け足で上って行った。
 そんな黒須さんをぼんやりと見送り、断られてしまったのならここにいる理由はないなと俺は再び玄関へと歩を進める。
「うまくいかないもんだ」
 ため息と共に吐き出した独り言は、すぐに上のどたどたという騒がしい音によってかき消された。記憶によれば、俺がこの家に来た時にも同じような音が聞こえていた気がする。一体黒須さんは何をしているのだろうか。
「あら、もう帰るの?」
「えぇ、お邪魔しました」
「今度はゆっくりしていってね」
「はい」
 リビングにいた黒須さんのお母さんに軽く挨拶をして家を出る。
 
 外はやはり寒く、ぎゅっぎゅと雪を踏みしめる音だけが響いた。この感触を楽しい、おもしろいといって踏み続けたあの頃より、俺は成長することが出来たのだろうか。
 今は思い出せないが、思い出したらあーちゃんに聞いてみるのもいいかもしれない。そのときには、俺がどうだと胸を張っていえるような立派な大人になれていたら素晴らしい。なんてことを思いながら小さき頃に恋焦がれた、黒髪の印象的だったあーちゃんの顔を思い浮かべてみた。
 しかし、思い出せるのは美しい黒髪と、いつか見せた泣き顔だけだった。こんな大事なことを忘れるなんて、俺の頭も信用ならない。それとも、人間の防衛本能が働くような、思い出さなければいいようなことでもあったのだろうか?
「しかし寒い……あの防寒具達持ってきてやればよかったかな」
 白く広がった吐息に、家に放置したままの黒須さんや恋、そして赤さんから貰ったマフラーやらを思い出し、俺は冷えてきた手を脇に挟み、まだ踏み固められていない雪を選びながら家へと向かった。
 足から伝わるぎゅっぎゅという感覚は、やはり癖になってしまいそうで、俺は心の中であーちゃんにはまだ会えそうもないなと一人笑った。
  
「白金君!」
「ん?」
「先に行っちゃうなんて少しひどくないですか?」
 出しかけた二十九歩目は、そのまま家へと進むことなく、少し怒ったような声でその場に下ろされた。
 振り返れば、そこには今日はじめて出会ったときと同じく、少し息を荒げた黒須さんがめったに見せない表情でこちらを睨んでいた。
「何でここにいるわけ?」
「ケーキです!」
 俺の質問にそう答えた黒須さんのご機嫌は、どうやらよろしくないようだ。
 ケーキといわれ、頭の中でイチゴの乗ったショートケーキを連想した。だからといって物事が進展するわけでもなく、俺は何のことだと首をかしげた。
 そんな俺を見て、黒須さんは困ったように笑い、小さくため息をついた。
「ケーキじゃないんですね」
「何が?」
 落胆したように肩を落として言う黒須さんを見ていると、俺が何かとんでもないことをしてしまったのではないかと不安になってきてしまう。
「期待した私が馬鹿でした」
 何故かそのままきびすを返してしまった黒須さんの背中を目で追いながら、理由も分からずなんとなくその後に続いてしまった。
 無言のまま踏み固められた道を歩きながら、俺は考えた。そして一つの結論に達した。
「ケーキって、断られたわけじゃなかったんだね」
 てっきり、無言のまま階段を上っていってしまったので断れたと思っていたのだが、よくよく考えれば、黒須さんはさよならも言わずに勝手に来客の目の前から去っていってしまうような人間ではなかったなと思い返す。
 しかし時はすでに遅く、黒須さんの歩は緩まることなく、すぐに黒須さんの家の前に到着してしまう。
「さよなら」
「あ、ちょっと」
 怒気をはらんだ口調でそう言い残し、去っていこうとする黒須さんの手を咄嗟に掴む。黒須さんの手はほんのりと暖かく、やわらかくいかにも女の子の手だと思えるようなものだった。
「な、な、なに?」
「ちょっと話があるんだ」
 やけに緊張している黒須さんの手を掴んだまま、俺は至って真剣に今日の用件を述べた。
「ケ、ケーキは?」
 それだというのに黒須さんはこちらも見ずに、俺の偽りの口実はどうしたのかと言いながら必死に俺の手から逃れようともがく。
 そんな黒須さんのをしっかりと握り、もう一度話があるんだと告げると、黒須さんもあきらめたようにもがくのをやめてくれた。
「わかったから、放してくれるかな?」
 掴んでいない方の手でしっかりと握ったままの俺の手を指差した黒須さんの頬は、どこかほんのりと赤く、握っていた手も少し暖かくなっているような気がした。
「い、家じゃダメかな?」
 俺の力が強かったのか、握られていた腕を何度もさすりながら黒須さんは相変わらず俺のほうを見ないで提案したが、俺は今更戻るのも気が引けると首を横にふった。
「じゃ、ケーキでも食べながらで」
 そういった黒須さんは、俺の目の前を通り過ぎた。
 黒須さんの通った後には、少し物が焦げたような不思議な香りがした。なにかを燃やしていたのだろうか。
「あ、待ってよ」
 俺はポケットの中のいつもより裕福な財布に感謝しながら、少し早足で歩いていく黒須さんの後を追いかけた。 
 
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