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第72話〜公園裁判

 冷たい風、目の前を無言のままただひたすら歩き続ける二人の女性。どこに向かっているのか、そしていつまでこうして歩かなくてはいけないか、そんなものはもちろん分からない。
 ただあるのは、声をかければ射殺されてしまうのではなだろうかというほどの鋭い殺気と、気まずく重苦しい、息の詰まるような沈黙。もちろん、そんな状況下で俺が言葉を発すことはなく、二人に習って無言のまま歩き続ける。
 このなんとも言いがたい空気、まるで自分が処刑場に向かっているのではないかと錯覚してしまう。
「あけましておめでとー」
 近くで明るい家族の声が聞こえた。
 それもそのはず、ここは住宅街なのだ、耳を澄ませば年始の挨拶をするためにやってきた、孫やひ孫の金をせびる声も聞こえてくる。
 しかし、そんなほのぼのとした年始を過ごす暖かい家族の声が聞こえていた住宅街も、やがて遠のいていき、俺達はとうとう人気の薄くなった公園まで来てしまった。
「とまって」
 可憐さんは振り向かず、鋭く俺に言い放った。
 可憐さんが発した音の波は、僅かコンマ一秒たらずで俺を直立不動の棒切れへと促した。もはや、脊髄反射の域に来ているといっても過言ではない。
 なぜなら、この二人、昔から何かと俺を追い掛け回し、捕まえてはこうして俺に物言わぬ棒切れになることを強要していたのだ。
 その当時は、恋も藤村もあーちゃんも面白がって俺の事を見ていたので、理不尽さに対する怒りだとか、恐怖なんてものはこれっぽっちわかず、自分はこの二人にとって特別ではないのだろうかという高揚感をもっていたほどだ。
 しかし、それも年を重ねるごとに疑問、そして確信へと移り変わっていった。
「私達が言いたいことが分かる?」
「はい」
 昔と変わらない。こうして俺がここにつれてこられるのはいつも決まっていた。
「分かっていないのに軽々しく「はい」だなんていわないで頂戴」
「わかりました」
 あれは滑り台の順番を守らなかったときか。あぁ、恋を泣かせてそのまま謝らなかったときもそうだ。
「まったくどうしてこうなのかしら」
 ため息をつき、可憐さんは細筆でスッと撫でただけのような細く鋭い眉を吊り上げた。
「はい」
 この法廷での俺に許された権利はたった一つ。発言権のみである。しかもそいつは「Yes!」か「Yes」の二つの言葉だけだった。もし、そのほかにもし言葉が話せようとも、それは自らの罪を再認識させるための呪いの言葉のみであった。つまりこの場所では、俺がどう言い訳をしようと、俺がどんなにうまく立ち回ったとしても、判決が覆ることはない。
 判決はそう。
「有罪ね」
 いつもこうだった。
「罪状は分かるかしら?」
 ものすごい勢いの怒りの炎を瞳にともす可憐さんに、寄り添うようにたっていた麗子が、見下したように俺に告げた。
「おそらくは」
 許された「Yes」のボキャブラリーから、慎重に言葉を選んで発言をする。
「では聞こうかしら」
 いってからにっこりと頬を緩ませた麗子さんに、俺はもはや死すら覚悟した。
 通常、麗子さんは無表情だ。黒須さんに負けず劣らずの美しく長い漆黒の黒髪を携え、めがねのまま、まるでそういうお面をかぶっているかのように表情が固定されている。
 彼女自身が喜怒哀楽がうまく表現できないのではなく、彼女の場合は、うまく表現できるからこそ表情に代わり映えがないのだ。
 そんな麗子さんがお面を脱ぎさり笑う。それは考えうる限り最悪のパターンなのである。俺は思わず目をそむけ、地面へと逃げる。
「お、俺は」
「俺?」
「ぼ、僕は」
 こぶしを硬く握り締め、自らの震えをどうにか収めようと努力する。この震えは怒り。否、恐怖である。
 今、俺の一挙手一投足でこれからの人生が決まるといっても過言ではない。
「えと」
 がちがちと奥歯を震わせ、おどおどとたじろぐ俺を見て、可憐さんがしたうちをした。
「どうしたの? 早くしなさい」
 びくりとしたうちに反応している間にも、麗子さんの催促を受けてしまう。
 可憐さんは目に見て怒りの炎で身を焦がさんばかりの勢いだ。そして、麗子さんも内なる炎で俺を焼き殺さんとしている。
「僕は麗子さんと可憐を邪険に扱いました」
「へぇ」
 感心したような声に、少しほっとして地面に張り付いていた視線をゆっくりと持ちあげた。
「つ……」
「見当違いもいいところね」
 そこにあったのは、二人分の最高の笑顔だった。あわてて俺は発言を反芻する。
 何かしでかしたに違いない。早くしないと俺は死ぬ。間違った?
 一体何をだ。まとまらない思考に、いやな汗が背中を伝うのを感じる。
「祐斗」
「は、はい」 
 ぐっしょりとぬれた手のひらや背中とは裏腹に、からからに乾ききった口で何とか返事をする。
「それで三人の中で、誰なの?」
「え?」
 俺はそのとき、初めて自分の意思の元、言葉を捻出した。
「ほら、麗子の所の妹? それともあの赤い髪の子? やっぱり美穂?」
「え、あ、え?」
 すでに俺の頭の中は乱気流に巻き込まれた、哀れな旅客機のようなパニック状態。あれやこれやと勝手な憶測が、押し合いへしあいをして考えが一つにまとまらない。
「なんで」
 やっと言葉に出来たのは、返答ではなく疑問だった。
「なんで、可憐さんが泣いてるの?」
「え?」
 言われて気づいたのか、可憐さんはごしごしと目をこすり、罰が悪そうに俺に笑いかけた。
「ちょっと、しっかりしなさいよ可憐」
 そう言って、とまらぬ涙に四苦八苦している友人を叱咤した麗子さんもまた、涙で頬をぬらしていた。
「何で……」
 そこにあったのは、お互いに「泣いている場合じゃない」と励ましあう年上のお姉さんと、泣かされてしまうはずだった男がひとりぽつんと間抜けな顔で立ち尽くしているだけだった。
「そ、それでどうなのよ」
 なんとか涙を押さえ込んだのだろう、真っ赤な瞳で俺をにらみつけたのは可憐さんだった。
 その瞳には、確かな炎がともっており、いままで怒りだと思っていたそれは、使命や責任といった類のものだったのだと、そのとき初めて気づいた。
「何がですか」
「だから、あの三人のうちで誰が一番なの?」
 言ってから可憐さんの頬に一筋の涙が伝った。
「早く言うといい」
 麗子さんも、涙を瞳にいっぱいため、今にもまた泣き出してしまうのではないだろうかというような震える声で俺を糾弾する。
「ぼ、僕は」
 年越しのとき、俺はどんなことを考えていたか。
「僕は」
 あの時、俺はどうしなければならないと思っていたのか。
「俺は!」
 その答えはここにあった。
「二人の事が好きですっ」
 
 空気が凍りついたのを感じた。一秒、また一秒と過ぎていくはずの時間が、無限回廊のように俺を苛む。
 
「っ」
 ギリッという歯を食いしばるような音が聞こえた。
「馬鹿にしてんじゃないよ!!」
 次の瞬間には、俺の骨がミシリといやな音を立てて軋む音を聞いた。
「麗子……さん?」
 惨めに地面に座り込んだまま、俺はしびれるように痛む頬をさすることもなく、俺を地面へと殴り飛ばした張本人の名前を口にしていた。
「れ、麗子。落ち着け」
 巷のうわさでは、麗子さんは冷静冷徹の氷。可憐さんが激情熱血の烈火。それぞんれそんな二つ名だったはずだ。
 それだというのに、目の前の氷は、沸点を通り越して蒸発し、あまつさえ発火すら開始している始末だ。
「今更そんな事いわれても、うれしくともなんともないんだよ!」
 そういいながら、麗子さんは地面にへたり込んだままの俺に追い討ちをかけるべく、ケモノのように飛び掛ってくる。俺は咄嗟に顔を両手で覆い、顔を守る盾を形成する。
「なんで……なんで……」
 必死の盾の奮闘もむなしく、麗子さんのこぶしは、俺の胸元へとコツン、コツンと弱弱しく打ち付けられ続けた。
 
 
 
「すまない」
 俺が悪夢のような攻撃から開放されたのは、殴るのに疲れた麗子さんが俺の胸に顔を押し当て、子供のように大声を上げて泣き、さらに、それに疲れた麗子さんがぶつぶつと俺に長々と呪詛を言い終えた後だった。
「怪我はないか?」
 心から心配したように、俺の体を気遣ってくれる麗子さんだが、あの攻撃は実はかなり効いている。
 そりゃ、口の中は少し切れたし、腰も地面に打ちつけたので少しだけ痛む。しかし、それ以上に麗子さんに泣かれたのはつらかった。あの言葉は、まるで心をスコップか何かでぐちゃぐちゃとかき混ぜられているかのような痛みだった。
「さて、話を戻そう」
 蚊帳の外でずっと傍観者に徹していた可憐さんが、手を叩きながら俺達の間に入ってくる。
「ねぇ祐斗、さっきの言葉もう一度言ってくれるかな」
「さっき?」
「ほら、私達がどうだとか言ったときの事」
「い、痛いよ可憐さん」
 ぎりぎりと肩を力いっぱいつかまれたまま聞かれる。
「俺が言ったのは、二人が好きだってことだよ」
「そ、そうか」
 とたんに肩に掛けられていた重圧がおさまる。同時に、気持ち悪いほどの笑顔がうつむいたままの可憐さんからは見え隠れしていた。
「可憐、そうなるのは分かるが、よく考えろ、相手はこの朴念仁だ」
「む……」
 麗子さんの言葉で、可憐さんは表情をいつもの凛々しさあふれる顔へとシフトする。
「しかし、だな」
「まったく」
「祐斗、頼むから個別に名前で言って見れくれないか」
 凛々しかったのも数秒。すぐに破顔した。
「れ、麗子さんも可憐さんも好きですよ」
「えへへへ」
 もはやとろけていってしまうのかというほど上機嫌だった。いまなら何でもしてもらえそうだ。
「祐斗」
「はい?」
「君はあの三人の中で誰が一番嫌いだい?」
 デレデレと笑いっぱなしの可憐さんを放置して、麗子さんが俺に向き直った。
「嫌いって言うか、三人とも好きだけど?」
 俺は愚問だとばかりに即答した。
「それ見たことか」
「は、ははは……」
「は? はははは」
 可憐さんの乾いた笑い声が公園に響いていた。俺も一緒に笑った。
 初めにここに来たときの緊張感などどこ吹く風だ。
「こんの馬鹿野郎ー」
 しかし、俺は吹き飛ばされた。
「この朴念仁!」
「だから言っただろう」
「あぁ麗子の言うとおり、こいつは最高の甲斐性無しさ」
 俺は再び地面へと舞い戻っていた。あぁ、今度は砂利が多い。
「では帰ろうか」
「そうだな」
 俺を殴り飛ばした暴虐無人なる二人のお姉さんは、理由もいわずに笑いながら俺に背を向けた。
 
「祐斗」
 少し離れたところで可憐さんから声がかかった。
「なに?」
「告白の事、忘れていいぞ」 
 まだ地面と戯れていた俺に、二人はそれだけを言い残して、帰っていってしまった。
 動けなかった。いや、動かなかった。
「糞っ」
 こんなとき、俺の肝心な脳はうだうだと行動を決めかねている。しかし、肺が、心臓が、この四肢が、俺に進めとはやし立てる。
「やってやるよ」
 俺はまとまらない思考を隅へと押しやり、がむしゃらに二人の後を追った。
 
 
 
「見つけた」
 俺は二人を見つけたのは、公園からそう遠くない団地の休憩所だった。
「な、どうしたのよ祐斗」
「どうしても言わないといけないと思って」
 体の事を無視しすぎたか、言おうと思うことも、うまく呼吸が出来ずに伝えられない。
「俺は、二人の事が好きです。でも、三人の事も好きです。でも、俺の言う好きと二人の言っている好きが別の意味だというのもわかってます。でも、俺にはみんな大切だし、今は良く分からないんです」
 大きく息を吸い込み、長い、長い台詞をやっとのことで言い終え、俺は返答を待った。
 グーか、それともパーか、きっと二人は俺の事を優柔不断だといって軽蔑するに違いない。「なるほど、つまりそれはどういう意味だ?」
「えと、保留で」
「そうか」
 口にして、自分のあさはかさに吐き気がした。
「やはりお前はそういう人間なんだな」
 はやりあきれられた。
「しかし、Noではないんだな」
「ま、Yesでもなんだがね」
 二人は互いに言ってから意地悪く頷く。
「では、まだ戦えるぞ麗子」
「そうだな、可憐」
 何か良くないものに油を注いでしまった気がする。
「では、あの三人にも伝えることにしよう」
「え?」
「じゃあ今年もよろしく頼むよ、愛しい人よ」
 何がなんだかわからないに俺に掛けられたのは、麗子さんの冷やかし。 
「そういうことだ、またな、ダーリン」
 そして、可憐さんからの意味不明なラブアタック。
 
「はて……早まったか?」
 俺はこれから起こるであろうことを考え、未来の自分に少し謝っておく。
 あの、いつもにぎやかな日常に、さらに騒がしいのが二人も入ってくるのだ。
「あぁ、今年も一年頼んだぞ、俺」
 空を飛ぶ鳥を見上げながら、俺の一年は始まった。

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