第71話〜そうだ、初詣いこう
「人、多いな」「まぁ、今年最初のイベントだし」
「そうか」
「うん」
俺と花梨の二人は、まだ夜も明けきったばかりの薄暗い空の下、口数も少なくただぼんやりとたっていた。
目に映るのは、人、人、人。
まったく、こんなにたくさん、早朝からご苦労さんなことだ。
「ねぇ」
「なんだ?」
「私おかしくない? 大丈夫?」
「最高だよ」
ここに来てから何度目幾度となく繰り返し行われたやり取りをこなす。
「ちょっと、ちゃんと見てよ」
「はいはい」
少し面倒になってきたから適当に答えると、やや怒気をはらんだ声が帰ってきて、俺はしぶしぶと顔を向けてやる。
「どう?」
そういって花梨は俺の前で、どこかのモデルよろしくゆっくりと一回転した。
「最高さ」
「もう、適当に言わないでよ」
寒さで少し赤くなった頬を膨らませ、花梨は俺に訴える。
俺が思うに、その表情はなかなかいける。
「どう?」
再び俺の前で服装を確認させる花梨に、大丈夫だと声をかけ、花梨に聞こえないよう静かにため息をつく。
初めは良かったのだ。指摘するところも、頑張れば見つけることが出来たし、指摘してやれば花梨のご機嫌も右肩上がりだった。
しかし、質問の間隔が二分、一分、数十秒と短くなっていくほどに、俺の能力の限界値を超えた。
「ねぇ?」
「もう直すところなんてない」
そうなのだ。俺の能力では、もはやだめだと思うところを探すことは出来ないのだ。
「そう」
それだというのに、よほど格好が気になるらしく、この通り何度も何度も俺に聞きなおす始末だ。
たちが悪いのは、俺がいくら大丈夫だといっても、また大丈夫かと壊れたレコードのように何度も何度も聴いて俺の言葉を一切信用してくれないことだ。
仮にも兄の言葉なのだから、もう少し信用してもらいたいものだ。それに、いい加減に疲れる。
「ねえ……」
「なんだよ……」
この際、無視を決め込んでやろうかと思ったのだが、花梨は心配げに俺の服の裾を引き、泣きそうな声で聞いてくるのだ。
そんなけなげな妹を無視出来るほど、俺は冷徹ではない。
「本当に大丈夫?」
「そうだな」
そんなかわいい妹のため、今一度気合を入れなおして花梨を眺める。それはもう舐めまわすかのごとくだ。
「うーん」
しかし、こうして改めてみると、格好より雰囲気が変わってきているような気がする。
去年までは、今着ている様な着物を着ようともしなかったくせに、一体どういった心情の変化なのだろうか。
まぁ、俺の予想が外れていなければ、こいつにも春が来たということなのだろうが。
「ど、どうよ」
花梨は不安げに俺に聞くが、やはり粗を探すのは難しい。
今日の花梨は、着物もしっかりと着付けられており、髪も、いつものようなサイドで分けたポニーテールではなく、頭の上で団子のように丸く人まとまりにされており、白いうなじが非常に蟲惑的だ。
着物の色も、赤という目立つ配色なのだが、いつも目立つ花梨が着ているせいか、不自然と言うより、そうあるべくしてそうあるかのように自然な出来栄えだった。
「お前、こうしてみるとなかなか可愛いな」
「ば、馬鹿。おちょくらないでよ」
素直な観想を言ったというのに、花梨は頬を真っ赤に染め、俺に襲い掛かる。
「あっ」
襲い掛かろうとしたのだが、着慣れていない着物に、履きなれない履物のツーコンボで、一歩踏み出したところですぐに花梨は体制を崩した。
「よっとっと」
地面に吸い込まれるようにして落ちていく花梨を、あわてて抱きかかえてやる。
こんな人ごみの中でなかれたりしたら厄介だ。
「あ、ありがと」
助けてやったというのに、お礼をこっちを見ないで言うあたり、実に花梨らしい。
「色気は出ても、こっちは出ないか」
ふと不可抗力で触れた胸に、いまだ成長の兆しを見せない平野の感覚を感じ、若干のむなしさを抱きながら、俺は花梨からはなれた。
「何が出てないのよ」
「いや、なんでもない。それより大丈夫か」
「あーもう、乱れてない?」
俺の心配をよそに、花梨は元気なようだ。
「わかったよ、ちょっと動くなよ」
心底めんどくさそうに着物をいじろうとする花梨をあわてて止め、しわになったところや、少し着崩れたところを手早く直してやる。
「出来たぞ」
「どうも」
そして、そのまま二人並んで、また無言のまま時を待った。
「おーい」
それから待つこと数分。唐突に声が聞こえた。
「あ、あにぃ来たみたいだよ」
「みたいだな」
言われずとも分かっていた。何せ、聞きなれた底抜けの明るい声が聞こえてきたのだから。
「あけおめー」
「あけおめー」
そいつは、去年に変わらず元気そうだった。
「白金、あけおめー」
「おう。今年もよろしくな、恋」
「あんた達、そうしてみるとカップルに見えないこともないわね」
「はいはい」
年越し早々の恋の軽口を軽く流し、恋の格好に目をやる。またスカートなんてはいている。「れ、恋。勝手に先にいかないでよ……」
「あ……」
「え……」
「あちゃー」
そう言って、目を閉じて額に手を当ててしまった花梨。
「あ、ど、どうも」
「お久しぶりね、祐斗君」
もちろんそれには理由があるわけで。
「あ、祐斗、あけおめー」
「お、おう藤村」
「あ、久しぶり祐斗」
「あ、ど、どうも」
そして、それはどんどんと悪い方向へと転がっていくわけで。
「お、お久しぶりですね、可憐さん。麗子さん」
「あら、覚えてたんだ」
「な、何がです」
「全然連絡くれないから、私達の事忘れたかと思ってたわ。ねぇ麗子」
「そうね」
二人は、互いに見合わせ、そして俺を笑顔のまま見つめる。人間、どうしようもなくなったら笑うしかなくなるというが。まさに今がそれに違いない。
「ははは……」
俺は突き刺さるような冷たい四つの瞳を、ただひたすらに引きつった笑顔で受け止め続けるしかなかった。
「明けましておめでとう……どうしたんですか、皆さん」
「く、黒須さん。どうも」
「どうも」
新しく現れた黒須さんと大河君を含め、ここにいるのは八人。いつもより少し大所帯だ。
「あら、みんなもう来てたの」
「遅いわよ、赤」
そして、今九人になった。
「と、とりあえずお参りに行こうよ」
見つめられるのに疲れた俺は、逃げるようにして現れたばかりの西条さんの背後に回った。
「なに? 何でそんなに押すのよ白金」
「ままま。いいからいいから」
頭にはてなマークを浮かべる西条さんを盾にするようにして、俺は神社の鳥居をくぐった。
「麗子さん、可憐さん。今年もよろ良しくお願いします」
「えぇよろしく」
「よろしく」
俺の先を歩く黒須さんたちから、そんな声が漏れてきた。
いつの間にそんな仲になったんだろうか、やけに親しそうに話している。
「それで?……え……そう」
聞こえていた会話も、人ごみにまぎれて途切れ途切れにしか聞こえてこなくなり始めた。
「なあ祐斗」
「どうした」
「いい加減、俺の背中に張り付くのやめてくれないか?」
「だって、西条さんはすぐに前行っちゃったから」
「お前なあ」
ため息をつかれてしまう。
どんなにあきれられようと、このポジションは譲ることは出来なかった。
なにせ、あの二人に出会うことは想定していなかったのだ。
もう少し思考がまとまってから、改めてこちらからで向かうはずの予定だったのに、今あんな目で見られても俺はどうすることも出来ない。
「あの」
「どうしたの? 大河君」
「お姉ちゃん達、どこですかね」
不安そうにきょろきょろと首を振るさまは、俺と身長があまり変わらないというのに、どこか小動物じみて見えた。
「はぐれたかな?」
目の前の藤村も、辺りを見回してからそういった。
「この距離で見失ったのか?」
「みたいだな」
すぐ近くを歩いていたのだから、相手がその気にならにと見失うことは困難だと思っていたのだが、俺が甘かったらしい。
「ま、歩いてりゃそのうち出会うでしょ」
「そうですかね?」
離れたからといってどうということはない。俺に任せろ。と藤村は、不安げに聞いた大河君に答えるが、大河君の笑顔がどことなくぎこちなく感じたのは、恐らく藤村が、俺がリーダーと言ったからに違いない。
「このたこ焼きはいまいちだな」
かくして、俺達男三人は、藤村隊長の元、当初の目的であるお参りなどどこ吹く風で、食べ歩きツアーを敢行していた。
「なぁ祐斗」
「ん?」
「お前、姉貴となんかあったろ」
唐突に訪れた質問に、俺はただ黙り込んだ。
もちろんあった。それもずいぶんと昔に。思い出したのもつい昨日だ。
「あーわかったわかった。何も聞かない何も聞かない」
「すまんな」
こういうとき、ふと見せるこういった藤村の優しさが、かっこよく感じる。
「で? 俺はあのりんご飴が食べたいわけだが」
「……姫か?」
「いや、ノーマルで」
前言撤回。やっぱりこいつはかっこよくない。
「あの、そろそろお参りのほうに向かったほうが良くないですかね?」
「それもそうだなー」
俺が買って来たりんご飴を舐めながら、藤村は人の流れに乗った。
「大河君も、いくよ」
「あ、はい」
どんどんと、流木のように人ごみに身を任せる藤村を見失わないよう、俺はしっかりと大河君を連れて本殿へと向かった。
「あ、お姉ちゃん」
「みんないるみたいだね……」
重い足取りを引きずりながら、みんなの元へと向かった。
「お待たせ」
「あら、白金。遅かったのね」
「ちょっと道に迷って」
「そう」
何故か、女性人の視線が痛かった。
「お、おい白金。お前、姉貴だけじゃなくて全員になんかしたのか?」
「知るかよ」
ひそひそと女性人から逃れるようにして二人で話す。
「祐斗」
「は、はい!」
可憐さんの声に、思わず姿勢を正してしまう。
「はやくお賽銭入れないと後ろがつかえてるわ」
「あ、はい」
見れば後ろにはカップルがジト目で俺達を睨んでいた。俺と藤村は、急いでポケットに手を突っ込み、適当につかみ出した小銭を賽銭箱に投げ入れた。
二拝一礼だったか? よく分からないが手を叩いて鈴を鳴らし、もう一度手を合わせる。
「彼女が出来ますように、彼女が出来ますように、彼女が出来ますようにっと」
流れ星じゃあるまいし、三回願い事を唱えるのはどうかと思うが、藤村本人がそれで満足しているというのなら、俺は口出しはしない。
かく言う俺は、たいした願望もないので心の中で、世界平和。なんて物を祈った。
「さて、お参りもすんだし」
「祐斗君」
「はい、何でしょう麗子さん」
またしても、考え事の最中に声をかけられてしまう。
「みんなおみくじに行ったみたいよ」
「あ、どうもありがとうございます」
俺は、逃げるようにしておみくじ売り場へと向かった。
「すいません。一回」
こんな棒切れを一本出すのに、なぜ三百円も使うのだろうかとせせこましく考えながら、からからと筒を振る。
「四十六番です」
「四十六番」
巫女服を着たおばさんに、四十六番と書かれたおみくじを貰った。
「末吉」
なんとも微妙な結果だった。
「旅、空に注意。恋愛、回り道。学問、日々の努力が報われる」
「なに、その景気の悪い結果」
「そういうお前はどうなんだよ」
「俺? 大吉」
うれしそうに藤村が差し出したおみくじには、でかでかと大吉と書いてあった。
おみくじによると、今年一年は思い通りになることが多いらしい。
「くくるか」
「俺は持って帰るわ」
うれしそうに大吉を財布にしまいこむ藤村を尻目に、俺は末吉を持ったまま、近くの木に向かう。
「あ、ありがと黒須君」
「うん……」
花梨の身長で届くかな。と少し心配していたのだが、俺以外の適任者がいるらしい。うれしいような、寂しいような。
「さて、このままどこかによって、帰りますか」
「いえ、初詣はどこにも寄らないほうがマナー的にはいいらしいわよ」
「へー」
恋の提案も、西条さんのうんちくによって却下され、俺達はいったん帰ってからまた合流しようということで同意した。
「それでね」
「そうなんだ」
俺は、無言のまま歩く。歩く歩く歩く。
「みかんが」
「すごいね」
周りでは花梨と大河君がいい感じに話をしていたり、女性陣が楽しそうに話をしているけれど、俺はひたすら家に帰れと歩を早める。
「白金」
早めたというのに、何故か俺は前に進めなくなっていた。
「歩くのはやい」
それもそのはず、今こちらを怖い顔で見ている恋が、俺の腕をしっかりと掴んでいるから思ったように進めない。
「あ、ちょっと待って」
早く帰りたいというのに、トラブルは続く。
今度は、麗子さんがその場にしゃがみこんでしまったのだ。
「どうしたの、麗子」
「あ、私は飲み物か何か買ってきますね」
動いたのは西条さん。
「じゃ、私はちょっと」
次に動いたのは黒須さん。
「大丈夫かー」
「あんたはこっち来なさい」
「いてて、なんでだよ」
「いいから来るの」
そして、藤村も恋に引きずられるようにしてどこかに行ってしまった。
「馬鹿らしい。先に帰るわ。いこう黒須君」
「う、うん」
そして花梨と大河君もいなくなってしまった。
必然的に、残されたのは俺と、道端にうずくまる麗子さんと、それを眺める可憐さんだけになった。
もちろん、この段階で、違和感は感じていた。なにせ、可憐さんはうずくまる麗子さんを眺めているだけなのだ。
いくら芝居にしても、もう少しうまくやれるだろう。
「さて」
そして、何事もなかったように麗子さんも立ち上がり、スカートについた泥を叩いている。
つまり、時は来たのだ。
「すこし、歩こうか」
俺は処刑台に立たされた気分のまま、無言で二人の後についていった。