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第67話〜黒の凶器

「午前は晴れ、午後からはところによっては雪が降るでしょう」
「晴れ、ね……」
 めずらしくシリアルではない朝食をとりながら、各地の天気を黙々と読み上げているつり目のキャスターを尻目にしならがら、窓の外に目を向ける。
「これのどこが晴れって言うのよ」
 つぶやいて、小さくため息をつく。私が目にした外は、ニュースをあざ笑うかのように見事なまでに曇天。おかげでせっかくのクリスマスだというのに、気分まで暗くなる。
「今日はお隣で過ごすのよね」
「うん」
 めったに朝は家にいない母も、今日は暇だったのか私達と一緒に食卓を囲んでいる。
「大河はどうするの?」
「うん?」
 母の声に、食べかけの目玉焼きを急いで飲み込み、大河は少し考えてから私を見た。
「何?」
「な、なんでもないよ」
 目が会ったと思うと、すぐにあさっての方向を向いて、大河はまた、朝食に手をつけはじめてしまった。
「どうしたのよ母さん」
「なんでもないわ」
 私と大河を交互に見ながら笑う母に、私は首をかしげながら、ちらちらと私のほうを盗み見してくる大河を無視して、朝食の残りを平らげた。
 
「今日はお隣なのよね」
「そうよ」
 本日二度目になる母の問いに、生返事をする。
 どうせ、何故同じ事を聞くのかと聞いても、またにやけるだけで、母はきっと何も教えてくれないだろうからだ。
「大河、らしいわよ」
 母に声をかけられた大河が、びくりと反応する。
「し、しってるよ」
「あら、そう」
 そして、また母は笑いをかみ殺すようにしてそういった。私には、母が何をしたいとか、何を思っているかなんて、もう何がなんだか分からなかった。
 何がなんだか分からないといえば、今日の事が決まったときもそうだった。クレープを食べていたら、いつの間にか彼の家でクリスマスを迎えることになった。
 行きたくなかったといえば嘘になるが、行けるとは思っていなかった。なぜなら、私がクリスマスは彼の家で過ごしてみたいと、ぼんやりと思っていたからだ。
 どうやら、このごろサカサの精度が鈍っているような気がする。いままでなら、ふとしたことでサカサの発動に後悔したりしたことは多々あったはずなのに、今ではそれをほとんど感じない。
 今回だって、例年通り、一人でクリスマスを過ごす予定だった。
 普通に近づきつつある自分に、少し戸惑いながらも、私はうれしいような気分でもあった。もしかしたら、このまま普通になれれば、彼とだってもう少し話が出来るかもしれない。と、いっても、そこはサカサ云々ではなく、自分の度胸とがんばり次第のような気もするが、そこは目をつぶろう。
 しかし、今思えば、サカサも負の要素ばかり私に与えていただけではないのかもしれない。なぜなら、彼と出会うことが出来たのはサカサのおかげだし、恋ちゃんや赤さんと友達になれたのも、やっぱりサカサのおかげだ。
「お、お姉ちゃん?」
「……え、あ、なに?」
 唐突にかけられた声に、サカサも案外悪いもんじゃないのかもしれないと思い始めていた思考を中断して、声をかけてきた大河に目をやる。
「きょ、今日は花梨ちゃんの家に行くんだよね」
「そうよ」
 私は内心、どうして大河までもが母と同じように分かりきったことを聞くのだろうかと、毒づいた。
「えと、その、花梨ちゃんの家だよね、あの、えと」
 しかし、目の前でもじもじとしている大河と、先ほど口にした「花梨ちゃんの家」というので母がにやけた理由がなんとなく予想がついた。
「好きにしなさいよ」
「え?」
「ついて来てもいいわよ」
 どうして分かったのだろうかと、口をあけたまま放心する弟を尻目に、私は部屋に戻った。
 
「美穂、今日はお隣さんの家でしょ」
「何度言わせるの……」
 ノックと共に聞こえてきた母の声に、若干うんざりしながらも私は扉を開けた。
「なに、それ」
「服」
「見れば分かるわ」
 満面の笑みで母が持っていたのは、やたらとフリルのついた、俗に言うゴシック調の、黒い生地にやたらとフリルのついたドレスだった。
「そんなのを持ってきてどうしたいの?」
 ここで私は、母の笑っていた本当の意味を知ることになったのだが、分かっていても満面の笑みを浮かべる母を邪険に出来ず、半ばあきらめ気味に聞いてみた。
「これ、ちょっと昔に母さんが着てたの」
「それで?」
 ちょっと昔。というところをやけに強調するあたりに、母の年を実感してしまって少し悲しかったが、母ならあの女の子女の子した部屋の雰囲気からしても、今、私の目の前に掲げられたこのフリフリドレスを着て、鏡の前でウフフ、アハハと脳内をお花畑に染め上げてくるくると回っていても、なんら違和感はなさそうだと思う。
 想像して、妙に板につくのが少し笑えた。
「今日、お隣に行くんでしょ?」
 そう言って、笑顔のまま手の中にある黒の凶器を押し付けてくる。そこで私の笑いはぴたりと止まった。恐らくは、着て行けということなのだろう。
 きっと、母になりの気遣いで、けして悪気はないのだろう。しかし、私がこれを着ると想像すると、少し部屋の隅で体育座りをしたくなってくる。あそこは、時間も忘れて妙に落ち着くことが出来るので好きだ。
 部屋の隅が落ち着くなんてことはさておき、今はどうこの危機を乗り越えるかが問題だ。
「どうしたの?」
 こうして黙っている間にも、母は表情を曇らせてしまう。
「わ、私には似合わないと思う」
「そんなことないわよ」
 本心で言ってみたのだが、母が似合わないと思う服を持ってくるはずもなく、当然のごとく否定されてしまった。どうやら、本気で母はこれが私に似合うのだと信じてやまないようだ。
「さ、サイズが」
「大丈夫。胸もウエストも私とあんまり変わらないでしょ」
 今はそうでも、昔は違うのではないかといいかけたが、母に対してはそれは愚問だ。
 母はいい意味でも悪い意味でも、子供のころから成長していないらしい。
「ほらほら、遠慮しないで」
「で、でも」
 強引に押し付けられるまま、服を受け取ってしまう。
「じゃ、後で着たところも見せてね」
 そして母は風のように去っていってしまった。あの様子では、逃げることは叶いそうにもない。
「どうしろって言うのよ」
 白い天井を仰ぎ、私は一人フリルのドレスを抱えたまま立ち尽くした。
 
「と、とりあえずは着てみよう」
 恐る恐る私が服を目の前に掲げたのは、立ち尽くしてから数分立った後だった。
「や、やっぱり当てるだけにしてみよう」
 掲げてから気づいたが、これはやはり私にはハードルが高すぎる。
 それに、当ててみようと鏡を探したが、そういえば私の部屋には全身を移すような巨大な鏡はもちろん、化粧鏡すらないのだ。あるとすれば、ずいぶんと前に発掘した手鏡くらいしかない。
 かといって、この家にある大きな鏡のありかというと、移動までのリスクが高い。
 やはり、私の心は今日の空のように曇りきっていた。
「ん?」
 私の気分でも見ようかと、ふと外を見ると、窓ガラスに映っている自分の姿が見えた。
「うん」
 曇天も案外、悪くはないのかもしれない。
 私は、窓ガラスの前に立ち、ゆっくりと服を胸に当てた。
「うわー」
 映ったのはどこかの人形だった。
 私の黒く長い髪は異様なまでにこのドレスに合っていた。サイズも、私の懸念したことなど嘘のようにぴったりと合っているようだった。
 顔さえなければ、私もどうにかなるんじゃないかと本気で錯覚し、前髪で顔を覆ってみる。すると、もともと、目に髪がかかっていたので、それがさらに不気味に見える。
「お姉ちゃ……」
「あ……」
「ま、また後でいいや」
 唐突に部屋に入ってきた大河のあの反応を見れば、今の自分がどれほど不気味かが容易に想像がついた。
 というかノックをしてほしい。
 私は、いつものように髪を適当にかき混ぜ、いつものように目を覆うだけになるようにしてからため息をついた。
「よし」
 そして、私は母にこの服を返すためにいそいそと大河の出て行った扉を開けた。
 
 
 
「母さん」
「どうしたの、美穂」
 無言で服を突き出した私を、不思議そうに見ながら母は言った。
「私には無理」
「そう」
 納得したようにうなずいた母だったが、その表情にかげりは見られなかった。
「貸しなさい」
 そう言って、私の手から服をとると、母はその手で私の服に手をかけた。
「ちょ、ちょっと何するのよ」
 あわてて抵抗をするも、母は不思議そうに首を傾げるだけで、手をとめようとはしてくれなかった。
「なにって、着れないなら着させてあげるってだけの話じゃないの?」
 どうやら、母は私の無理だという言葉を、一人では着ることが出来ないという意味に解釈してしまったようだ。
「早くしないと遅れるわよ?」
 私は、もう観念するしかないようだった。
 私は、もうおとなしく自分が死んでいくのを待つしかなさそうだと、両目を閉じた。
 落胆する私を放置して、母はうれしそうに私を飾っていく。恐らく、これなら一人で着ていたて方が被害が、大きくならなかったのかもしれないと、一人後悔のため息をついた。
 
「出来たわよ」
 そう言って私の背中を軽く叩いた母は、うれしそうにうなずいていた。
「わー」
 母に進められるがまま、化粧鏡の前に立つが、そんな言葉しか口をついて出てこない。
 それほどそこにあったのは、予想通りの光景だったのだ。
「似合わない」
 なにより、フリルが増えているような気がする。そのせいで、余計に私に不釣合いになっている。
「そう?」
 首をかしげる母を横目に、頭につけられたヘッドドレスをはずす。
 これでは私の目が丸見えになってしまう。
「それがポイントなのにー」
 隣で文句を言う母を無視し、私は無言のまま余分につけられていたものをはずしていく。時間を考えると、もう被害を最小限に抑えるしか方法はない。
 
「それじゃ、行ってくるから」
「いってらっしゃーい」
 少し疲れ気味に言って、最大限フリルを取り払った服を着、笑顔のまま見送る母がいる家を離れた。
「変じゃないかな」
「普通よ。嫌になるくらいにね」
 隣を歩く、割とカジュアルな姿の大河に嫌味の一つをお見舞いするが、大河はうれしそうに笑うだけだった。
「寒いね」
「そうね」
 大河と交わした言葉はこの二言だけだった。
 なにせ、徒歩数秒で彼の家なのだ。話している時間もない。
「さて」
 そして彼の家の前に着くと、私は待った。
「うん」
 なぜか、大河も動かなかった。
 
「寒いわね」
「そ、そうだね」
 お互いに白くなった息を吐きながら、冷えた体をさする。
「早く押しちゃいなさいよ」
 そう言って顎でインターフォンを指すが、大河は動かない。それどころか、
「僕はもともと招かれてないんだから、お姉ちゃんが押せばいいじゃない」
 などと反論をしてくる始末だ。
「押しなさいよ」
 なるほど正論だ。と思いつつも、私はまた続けた。
「お姉ちゃんが」
 そんな意味のない問答が続いて、二人とも疲れてきていた。
「じゃ、じゃあ二人で押すことにしましょう」
「そ、それはいい考えだね」
 私の提案に、素直に賛同した大河と納得しあってから、インターホンのボタンに手を伸ばした。重ねた大河の手は、氷のように冷たかった。
「せーので押すわよ」
「わかった」
 うなずき、二人で息を飲み、目で合図をし合ってから声をそろえる。
「せーの」
「で、いつまでそこでそうしてるわけだ?」
「え?」
「は?」
 呆れ顔の彼が見つめる中、むなしくインターホンが響いた。 

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