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第65話〜予感

「それでは、赤点だった人は後で担当の先生のところに行くように」
 教卓で指示を飛ばす声も話半分に、教室はざわついていた。なぜならば、今日は成績が返ってきているのだ。それはざわめくはずだ。
 しかし、今回のざわめきは、今までとは違い、どこか重々しかった。
「このままじゃ志望校ぎりぎり……」
「私は冬が勝負みたいだよ……」
 ちらほらと聞こえてくる負のオーラをまとったつぶやきに、まだ開いていない通知表から禍々しいオーラがだだ漏れしているような気がしてならない。
 俺達は受験生。一部の人間を除いて、この教室はいまだ見えないゴールへと走り続けている最中の人間が多い。
「じゃあ解散ー」
 間の抜けるような声に、いつもなら嬉々として教室を飛び出していく生徒も、今日は足かせをつけられたようにのろのろと歩いている。アレはきっと担当の先生のところに言ったのだろう。と俺は、心の中で手を合わせる。
「祐斗ー」
 つつましくクラスメイトの行く先を案じていたというのに、耳元で大音量の能天気がはじけた。もちろん、へらへらした笑顔も一緒にやってきた。
「どうした、藤村」
「どうしたって、今回もやるんでしょ、アレ」
「アレ、ね」
 今回はどうしようか。などと、のんきに勝ったときの算段を整え始める藤村だったが、俺はそんな友人を見ても、燃えたぎる闘志なんてものは湧いてこず、あふれたのは哀れみを含んだ思いため息だけだった。
「ある程度は予想していたが、ここまでか」
 藤村がここに来る際、ついでといわんばかりに俺の机にたたきつけた通知表を眺めながら、俺はまたため息を吐いた。
「で、今回は何をかける?」
 ずいっと頭を抱えている俺の目の前に現れた藤村の顔には、将来への不安だとか、もしかしたら負けるかもしれない。なんてことは考えられているようには見えなかった。
 毎年、毎学期のように藤村は俺達と成績を見せ合い、そのつど掛け金だと銘打って何かしら藤村から搾取してきた。そう、藤村から搾取してきたのだ。
 ここまで俺達は幾度と藤村と戦ってきたのだが、一度も負けたことはない。
 それだというのに藤村はいまだ自分が負けているなどということを一ガロンほども思っていないに違いない。
 現に今も間抜けな面をぶら下げている。
「し、白金」
 なんだか重々しい雰囲気の恋は、おずおずと俺に話しかけていた。
「どうした」
 哀れな友人を尻目にそういいつつも、俺は恋が両手で守るようにしてかけている通知表をみて、なんとなく予想する。つまりは、そういうことなのだろう。
 勝負はいつも俺達三人。藤村はいままで勝ちなしだったが、どうやら今回初めて輝かしい白星で飾ることが出来るのかもしれない。
 俺はというと、毎回の事だからといって通知表は三人で見ることにしていた。二人は先に自分達で確認してくるのだが、俺は自分がどう転ぶかわからないこの感じが好きだったので、気にしていない。
 しかし、内心今回ばかりはこないのではないかと思っていた。
 なぜなら、受験を控えた大事な成績だ。
 少しは二人とも空気呼んで、重々しく、勉強をしよう。などと誘っていつもの勝負はないものだと思っていたが、今思えば、そんなことはこの天地がひっくり返ってもありえない。
「楽しそうだな、白金」
「ん?」
 凛とした透き通る声に振り返れば、いつもどおり、美しい真っ赤な髪をなびかせた西条さんが立っていた。
「西条さんもやる?」
「ちょっと、あんた」
「なにを?」
 やめてくれ。そう俺が言うには遅く、藤村はうれしそうに西条さんに俺達の戦いの全容を話していた。ずいぶんと楽しそうだが、そこまでに今回は自身があるのだろうか。
「ふうん」
 面白そうに口元をゆがめて髪をかきあげた西条さんは、面白そうじゃない。といって俺達の輪に加わった。
「そうだ、この際、美穂も呼んでおきましょう」
「さ、西条さん」
 西条さんは俺の呼びかけに、一度だけ振り向いてから、口元を吊り上げてから黒須さんの元へと向かった。
「なあ、恋」
「なに」
 憂鬱そうに答える恋を見て、やっぱり成績が思わしくなかったのだろうと、無言のままに肩をトントンと叩いた。
「元気出せ」
「は?」
「学力だけが全部じゃない」
 もちろん、学歴は大いに関係してくる。というのはいわず、俺はもう一度恋の肩を叩いた。
「またせた」
 いまだ、意地悪そうに口元を吊り上げたままの西条さんは、俺達の元に戻ってくると、かばんをごそごそとあさりだす。
「ほ、本当にやるんですか」
 そんな西条さんの後ろから出てきたのは、控えめに自分の通知表を持った黒須さんだった。
「あったあった」
 うれしそうに通知長を引っ張り出した西条さんは、ためらうことなくそれを俺の机の上に置いた。
「仕方ない」
 やれやれとため息をつきながら続いたのは恋。
 しかし、俺は残念そうに机の上に通知表を置いた恋の口元を見逃さなかった。
 あれは、なにか凶悪なことを考えている笑みだった。
「し、仕方ないですね」
 おずおずと机の上に通知表をおいた黒須さんをみながら、俺はぴりぴりとした妙な予感を感じていた。
「じゃあ今回は何にする?」
 あくまでこの場を仕切ろうとする藤村にまかせ、俺は一人予感の元を探っていた。
「前は何だったの?」
「確か前は夕飯をおごりだったかな」
 探れば探るほどぴりぴりは強くなってきていた。
「こいつか」
 探った先はぴりぴりが一番近かった眼下の通知表。
 考えれば、西条さんと黒須さんは俺に勉強を教えてくれた、いわば先生だ。そして、藤村はこの自身。最後に恋に関しては、最後に見せた笑みが気になる。
 もしかしたら。と最悪な結果を予想してみる。全員に負けて床にみっともなく四つんばいになる俺、それを笑いながら踏みつける藤村。そして、それを侮蔑の瞳で見つめる西条さんと黒須さん。恋に関しては俺の敗北を宣伝して回っている。
 そこまで考えて、考えすぎだろうと首を左右にふる。しかし、視線は机の上の通知表にがっちりと固定されたまま動かない。
「祐斗はどう思う?」
「……ん?」
「今回の商品だよ」
「人数も人数だし、今回は」
「そうだな、ドカーンと行くか」
 自らみたビジョンを考慮して、控え目にしよう。といおうかと思ったのだが。その言葉は誰にも聞かれることもなく、俺ののど元を通り過ぎていった。
 こうなったら、後は天に祈るしかないようだ。
「負けても知らないぞ」
「そっちこそ」
 無駄にばちばちと闘志の火花を飛び散らせるやつらを無視して、俺は負けたときの事を考えておく。
 なにも勝つのが強いということではないはずだ。負けても、その被害を以下に最小限に抑えることが出来るかを考えるのが強いのだ。きっといつかいいことあるに違いないと信じて。
 などと現実から逃避している間も、火花は飛び散り続けた。
「そろそろにしませんか?」
 黒須さんの仲裁で、事態は収束へと向かう。
「じゃあ私からで」
 そういって広げて見せた西条さんの成績は、当然俺達三人では太刀打ちできるようなものではなく、俺も予想してたというのに、その差に言葉を失う。
「ま、負けた」
 がっくりと藤村が肩を落とした。驚くことに、こいつは本気で勝てるつもりだったらしい。
「次は誰の番かしら」
 勝ち名乗りを上げ、西条さんはうれしそうに言った。
「はぁ、じゃあ次は俺が」
 肩を落としながら自らの成績を披露した藤村だが、周りからは何の声も上がらない。
「なんだよ」
 不機嫌そうに藤村は言うが、俺、いや俺達は目の前の光景が信じられなかった。いつも赤い文字が踊っていたはずの藤村の通知表に、今回は黒い文字しかない。しかも、まるで普通の生徒のような成績だ。
「へぇ」
 いつもの藤村の成績を知らない西条さんと黒須さんも、普段の振る舞いから藤村の成績を予想していたのだろう。予想外の出来事に感嘆の声を漏らすだけだった。
「ふふふ」
「な、なんだよ」
 不機嫌だった藤村は、恋の笑いでさらに不機嫌になる。
「私の成績は、これよ!」
 叩きつけるようにして、開いて見せた恋の通知表は大して藤村と変わらなかった。
「ん?」
 恋を覗いた全員が、頭にはてなマークを浮かべていたのだが、黒須さんは一人声を上げた。
「恋ちゃん、がんばったんだね」
「そりゃ、あれだけ教えてもらえばね」
 いまだ、はてなマークを浮かべたままの俺達を放置して、恋と黒須さんはうれしそうに手を取り合う。
「なるほどね」
 やがて西条さんも納得したように腕を組む。
 対する俺と藤村は、いまだに悩んでいた。
「残念だけど、成績の合計は、私のほうが少し上よ」
「なに?」
 悩んだままの俺達にうれしそうに恋は言う。いわれてから急いで俺達は計算した。
「畜生!」
 いわれたとおり、恋のほうが少し上だった。
 その差は、わずか一ほど上だった
「さて」
「残るは」
 そう言って、藤村と恋の視線が俺と黒須さんに向けられる。
「ここは一つ、白金の泣きっ面を最後に見ることにしない?」
「そうしようか」
 どうやら、二人の中では、俺は負けたらしい。かくいう俺も、そうなのではないかと思っているわけだが、他人から言われてみるとどうも否定してみたくなる。
「と、いうことで美穂」
「見せなさい美穂」
 若干一名、本気で競いにいっている人間がいるが、俺はさっさとことが終わるのを待つしか出来なかった。
「わ、わかりました」
 そういって恐る恐る通知表を開いた黒須さんだったが、それを見た西条さんは地面に崩れ落ちた。
「なんだ、これは」
「裏切り者……」
 猛烈に落ち込んでいる二人を尻目に、俺は藤村が持っている通知表を奪い取る。
「嘘……だろ……」
 この世の中には、出来る人と出来ない人の二種類しかいないと思う。俺や藤村は後者なのだが、黒須さんは、どうやら前者のようだ。
 目の前に広がっているのはなんというか、満月の月だった。言い回しが難解だが、ようするに、かけていなかった。
「私、べ、勉強しかすることなかったから」
 漂うダークな空気に耐え切れず、口走った黒須さんだったが、その言葉を誰も真に受けようとはしなかった。
「こうなったら希望は一つ」
「祐斗の泣きっ面を見ることだけ」
「そうね」
 ふらふらとゾンビのように復活した三人は、のろのろと俺の通知長までやってきた。
「これで終わりだ祐斗!」
「何食べようかな!」
「おごり!」
 三人とも好き勝手に言って、俺の通知表を開いたが、反応がない。
「ど、どうなんだよ」
「けっ」
 内心かなりどきどきしていたというのに、藤村は俺の通知表を投げ捨てた。
「なんだよ、つまんねえ」
「空気読めよ」
「だめだめだな」
 散々にこき下ろされながら、俺は泣く泣く通知表を拾い上げた。
「わ、私も見ていいかな」
「三人の反応を見るに、面白いものではなさそうだけどね」
 そして、俺と黒須さんは、二人で通知表を覗き込んだ。
「なんだ」
 自分で言うのもアレだが、特に面白くない。
 かなり秀でてるわけでもなく、かといって恋や藤村にも負けていない。なんとも盛り上がりに欠ける成績だ。
「がんばったんだね」
 そう言ってくれるのは黒須さんだけだった。
「さて、決着もついたし、帰りますか」
「そうだな、藤村、今回はお前の負けのようだぞ」
 そろそろりと音もなく逃げ出そうとしたところを、がっちりと恋に捕まえられてしまう藤村。俺は心の中で合掌をする。
 しかし、俺が感じたあのぴりぴりとした感じはなんだったんだろうか。
「白金君、いくよ」
「さっさとこいよ白金!」
「はいはい」
 俺は、通知表と一緒に机の上に放置された、進路希望調査票を乱暴にかばんにねじ込み、そのままみんなの後を追った。 

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