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第54話〜選択

 俺は今、生きてきた中で最上級でもっとも最悪でもっとも最高な場面に出くわしていた。日本語がおかしいのは重々承知している。最上級なのにもっとも最悪というのはもはや日本語として意味を成していないのだろう。大体何なんだ最悪なのに最高とは。
「はい」
「ほら」
「どうぞ」
 俺がそんな奇妙な日本語を使っているのも、目の前に並べられた三つの料理と三つの顔が原因なのだ。
「何でお前なんだろうな。なぁ白金?」
 藤村は羨ましそうに俺に尋ねたが、俺だって何で自分なのか聞きたい。こんな何のとりえも無いような人間に何故こうもかまうのだろうか。
 俺の隣で真っ黒になっている残飯をもさもさと渋い顔をしながらむさぼる藤村。そんなにまずいなら食わなきゃ良いのに。
 実際のところで行けば、悔しいが藤村のほうが地位はある。コミュニケーション能力だって藤村のほうが上に違いない。なにせ俺は女子と話していても相手を喜ばせるようなウィットに富んだ会話なんてできやしない。
「はやく食べなさいよ」
 俺をせかすように述べられる言葉、明らかに俺に向けられた言葉。藤村の方がもてる要因はある。それだというのに、ゆらゆらと白い湯気を上げている三つの皿が並べられているのは、間違いなく俺の目の前だ。並べられた料理は、幸運なことにもどれもしっかりと料理だと判断が出来る。どうやら神はいたようだ。
 右から、オムライスもどき、チャーハンもどき、そして最後は、
「や、焼きそばパン?」
 明らかにそれ以前の二つとは手間のかかり具合が違う料理。はっきり言って手抜きにしか見えない。なんと言うか見栄えも質素だ。失敗でもしたのだろうか。
「な、なによ」
 俺がまじまじと焼きそばパンを見つめている事に不快感を覚えたのか、焼きそばパンを作った本人が声をかけてくる。
「な、なんでもないよ、西条さん」
 俺の返答に、西条さんは焼きそばパンに添えられた紅しょうがのような真っ赤な髪を不機嫌そうにかき上げながら、また俺を見た。触れてはいけないところだったのだろう。
「で、どれから食べるの」
 髪をかき上げた、西条さんは俺のにらんだまま催促するように言った。
 どれから食べる?その言葉にふと俺の伸ばそうとしていた手がテーブルの下で固まる。俺はもしかしてとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
 これは単に味の感想を述べるだけではだめなんだという事を。もちろん料理は見た目も重視される。ということは一番最初に食べられたものが一番見た目が美しいということになるだろう。
 なんと言うことだ。これでは適当に食べて適当に感想を言ってしまおうという俺の計画も台無しだ。考えろ。考えるんだ。どうにかしてこの状況を脱する方法を。わきにはじんわりといやな汗がにじみ、背中でもひんやりとした汗が伝っていくのをはっきりと感じることが出来るようになっている。いったい俺は何をあせっているのだ。たかが料理じゃないか。
「く、くじ引きで決めよう」
 からからに渇いた口で何とかつむぎ出した、この絶望的状況を抜け出すための唯一の光。唯一の妙案。これで俺は何とか一つ目の苦悩から解放される。
「却下」
 と思ったのだがそうでもなかったらしく、俺の妙案、希望の光は一瞬にして西条さんにひねり潰されてしまった。
 こうなってしまっては腹をくくっておとなしく選ぶしかなさそうだ。
「うーん」
 料理をもう一度確認することにしよう。まずは、オムライスもどき。形は崩れていて、中のチキンライスが見えてしまっているが味的には失敗は出来そうにも無い料理。
 それに、作った人が黒須さんだ。「塩と砂糖を間違えました。てへっ」なんて事はきっと無いはずだ。というかそうであってほしい。
「初めてなんでちょっと失敗しちゃいました」
 俺が自分の料理を見ていることに気づいてたのだろうか、黒須さんは恥ずかしそうにうつむきながらそうつぶやいた。可愛い。これだけでもこの料理を食べてしまおうかと思う。
「初めてしにては上出来だと思うよ」
 俺は照れたままの黒須さんになぜか声がかけたくなってしまい、つい優しく微笑み次の料理を見る。
 次にチャーハン。チャーハンといったら普通は米、野菜、卵、肉ぐらいが食材だろ思っていたのだが、どうやら恋の世界では魚や貝を入れるのが一般らしい。海鮮チャーハンなのだろうか。
 それに、チャーハンという食べ物は、もっとこう一粒一粒のコメが立っていたり、ピカピカ光っているものだと思っていたが、恋の世界ではべちゃベちゃしたものが一般らしい。
「ちょっと失敗したかな」
 舌を出して困ったというふうにこちらを見ているが、ぜんぜん可愛くない。むしろこいつには殺意すら覚える。
 可愛くないことはないのだが、なんだかこの視倉はしていい人といけない人がいると思う。恋はちょうどしてはいけない部類の人間だ。
「ちょっとでこれなら、とっても失敗したときはどうなるんだろうな」
「う、うるさいわよ」
 俺皮肉に顔を真っ赤にして怒る恋だったが、この料理がこの三つの中で危ない香りがする。よく言えばインパクトはピカイチ。悪く言えば見た目が最悪。要するに一番に食べたくない料理だということだ。
 最後は焼きそばパン。以上。
 何せそれ以上に評価しようがない。何の変哲も無い焼きそばパン。コッペパンにソース焼きそばをはさんで、紅しょうがを乗せただけというだけのポピュラーなもの。言ってしまえばこれが一番安全なような気もする。だが面白みが無いのも事実。
 見た目にインパクトの有るあの西条さんが作ったものとは思えないような質素な料理だ。
「な、なによ」
 俺がちらりと西条さんを見ると、すぐに顔を背けられる。嫌われているのだろうか。
「よし」
 三つの料理を見比べて俺は結論を出した。
「やっぱりくじ――」
「却下!」「だめ!」「ノー!」
 今度は三人一斉に断られてしまった。だめだ。見れば見るほどどうしたら良いのか分からなくなってくる。料理だけを見れば黒須さんのものを行くのが判定的にはいいのだろう。しかしだ、そこは恋や西条さんの目も有る。恐ろしい。もしかしたら選択を間違えば俺は明日、日の光を浴びれないかもしれない。
「じゃあ、黒須さ……恋の料理で」
 俺は力に屈した。怖かったんだ。仕方が無い。誰だって死にたくは無い。そうだろう。
「はーい」
 先ほどまでの鬼のような仮面を脱ぎ去り、笑顔のままチャーハンを差し出す恋。どうやら上機嫌のようだ。変わってサイドにいた二人の反応は冷ややかだった。頼むからそんな目で俺を見ないでくれ。あんな目でにらまれたらどうしようもなかったんだ。
「ん?」
 そんな二人の視線に耐えながらも、料理を食べようとした俺は異変に気づく。このチャーハン、レンゲが付いていない。
「おい恋、レンゲが……」
 レンゲがないぞといおうと思ったのだが、レンゲは案外俺の目の前にあった。
「なんのまねだ?」
 目の前にあるレンゲの中にはチャーハン。そして、そのレンゲは不思議なことに丁度俺の口の高さまで来ている。
「あーん」
 そのレンゲをもったまま恋は大きな口をあけてそういった。つまりそういう事なのだろう。
困ったように周りを見回すのだが、どうも西条さんも黒須さんも目が怖い。
 この場合は素直に食べてしまうのが正解なのだろうか、それともレンゲを奪い取って自分で食べるのが正解なのか。わからない。ただ、俺ではレンゲを奪い取れそうに無いというのは分かる。
 どうも今日は悩み事が多い。いったいこんな状況をどうしろというのだ。進むも死地。進まぬも死地。死ぬなら先に進んでみるのも良いかもしれない。そう思って俺は――
「いただきます」
 一思いに恋のレンゲにぱくりと食いついた。
「え?」
 どうやら俺の行動に一番驚いたのは、西条さんでも、黒須さんでもなく、恋の様だった。自分の持ったレンゲを目を白黒させたまま見つめている。まるで信じれないものがそこにあるように扱ってくれるな。自分でこんな状況を作り出しておいてハイ冗談でした。なんていう気では無いだろうな。
「ひゃ」
 一瞬にして顔を真っ赤にして持っていたレンゲから手を離す恋。いったい何に照れているというのだろうか。
「うーん」
 持ち手のいなくなったレンゲをもごもごと加えながら、俺はこれ以上事態が悪化しないうちに素早く冷静に味の評価をする。
 口の中に広がる魚介類独特の風味。そして普通のご飯のようなまとまった舌触り。そして芯の残ったような歯ごたえ。はっきり言ってこれはチャーハンではない。チャーハンではないのだが、死にたくなるほどまずくは無い。と、言うよりこれはおいしいのかもしれない。
「パエリア?」
 チャーハンではなくパエリアと考えればこれはなかなかにうまい。
「チャーハンよ」
 フォローしたつもりだったのだが、怒鳴るようにして自分の料理をチャーハンだと言い張る恋。こういう強情なところは昔から何一つ変わっていない。まぁ、本人がこれをチャーハンと言い張っているのでチャーハンなのだろう。しかし、これはチャーハンとしてみれば最悪だろう。だが、なんにせよ今日の料理で一番の地雷は回避できたような気がする。 
「さて」
 恋のチャーハンは幸いにも量も少なく、そして味も悪くなかった。なのですんなりと食べ終わることができた。
 食べ終えた俺は再び卓上の皿を見つめる。安全か、安心か。俺の心は大きく揺れていた。恋という不安要素が取り除かれた今、どちらを食べることも恐ろしくはない。それはもちろん料理としての話なのだが。
「じゃあ黒……焼きそばパンください」
 料理としては怖くなかったのだが、作った人が悪かった。ほほを赤らめたままうつむく黒須さんと、こちらをじっとにらみつけたままの西条さんだ。ただえさえ最初に恋を選んだことで機嫌が悪いのだ、これ以上悪くなるとさすがに身の危険を感じる。
「ほら」
 俺は焼きそばパンをくれと言った。確かに言った。言ったのだが、なぜこのパンを俺の口元の高さに浮いているのだろうか。
「早くしなさい」
 その理由は簡単。西条さんがパンを持っているからだ。つまりそういうことだ。レンガやっていたことをもう一度やれということだ。頬をわずかに桜色に上気させ、こちらを向いてくれない西条さん。少し寂しいような気もするが、俺としてはこちらを向いていないほうがやりやすい。 
「いただきます」

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