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第44話〜苛立ち

 教室内でのノイズはもはや騒音クラスになっていた。楽しそうに話をするクラスメイト、トントンと釘を打ち付けるハンマー、ガタガタと運ばれていく机。そのすべてが互いに自己主張し合い、不調和音になって俺の耳を貫いている。そんな環境下で俺が耳をふさがないで普通に過ごせるのは、俺がその環境に慣れてしまっているからなのかそれとも俺もこの不調和音の一部なのだからなのだろうか。
 ガラガラと扉の開く音が聞こえ、また新しい音が追加される。その音は大きな口をあけてわめき散らしている。正確には少し声を張っているだけなのだが、この状況下ではわめいているというのがぴったりだ。
 なぜなら学校は文化祭一色。どこのクラスも常軌を逸脱した盛り上がりを見せている。そんな狂人の集団の中で人を探そうと思えば声を張るよりわめくほどでは無いと相手の耳に到達する前に多数の音の波に飲み込まれてしまう。
 音というのは波であり、波紋である。波紋は静かな水面ではその個を誇示するが騒がしい水面ではどうだろうか。簡単に言えば、静かな湖に一石を投じるのと静かな湖に多数の石を投じるのではどちらのほうがそれぞれを確認できるかということだ。一つならば綺麗に広がる波紋になるだろう。しかし多数ならばそれはお互いの波紋を潰しあい融合しそして一つの大きな別の波紋に変わる。つまりは今のクラスの状況がまさにそれに値する。
 だが人間の耳というのは存外優れているようで、聞こうとすれば一つの波紋を抽出してしまうことも可能なのだ。だから俺にははっきりと聞こえる。文化祭とは別の話で盛り上がっている女子の声が、ハンマーで釘ではなく指を打ってしまった音が、机を引きずりちょっとしたミスでこかせてしまった音が。
「白金ー」
 そして、俺のことを読んでいる声もだ。
「あー」
 俺は声の方向へと手を振りながら答える。相手は俺を探すために大きな声を出さなくてはいけなかったが、俺はそうではない。相手を見つけているわけだし適当に気づかれるのを待つことにしよう。
 それにもし見つかることがなかったら自分から出向けばいいだけのことだ。

「なんでもっと大きな声で呼んでくれないわけ?」
 ぶらぶらと手を振っていた俺のあまたに落とされたのは手だった。出会い頭にいきなり暴力を振るうのは人間として間違っているとは思うのだがグーでなかっただけありがたいと思うことにしよう。
「あーごめんごめん」
 制裁を加えられた頭をさすりながら適当に答える。ただでさえこちらは面倒なことになっているのにこれ以上面倒ごとにかかわりたくは無い。
「ちょっと来なさい」
 かかわりたくは無いと思っていたのだがどうやらそれは無理らしい。俺は猫の様に首根っこをつかまれて廊下まで引きずられていく。あぁデジャブを感じてしまうのは何故だろうか。
「よし」
 無事に廊下まで引きずられた俺は新事実を発見する。俺のイラつきの原因であるこの音。それはクラスから放出されているのではなく、この学校から放出されているということを。普通学校の廊下というものは各クラスを等間隔で配置されており、異なる階層にへと続く階段へと向かう以外のカーブというものは少ない。まっすぐなのだ。何故このような構造なのか一度考えてみたことがあるのだが、これは災害時に逃げやすいようにしているのかそれとも単に作りやすかったからなのかは結局わからずじまいだった。
 とにかく、この直線で等間隔にクラスの扉があるというのは今となっては最悪の状況だ。音が響いて仕方ない。
「分かってるでしょうね、白金」
 今すぐ耳をふさいでやりたい衝動に駆られたが、目の前で俺に話しかけているこの赤髪の女性はそれを許してくれはしないだろう。むしろそんなことをすれば今度はグーが俺の脳天に落下してくるかもしれない。
「わかってるよ」
 俺がそう口にすると嬉しそうにうんうんと美しい赤い髪を上下になびかせながらうなうなずいている西条さん。その表情はもちろん満足そうだった。
「ならいいのよ」
 それだけを言い残してくるりと方向転換してしまう西条さん。もしかしてそれを伝えに来ただけなのだろうか。そうだとしたらかなりの暇人だ。この忙しい時期に作業もせずにぶらぶらと俺のところにあれのことを確認に来るなんてかなりの暇人に違いない。
 そもそも、あの事というのが決まったのはつい先刻のことだ。
 昼休み、クラスは今のように騒音を撒き散らしていた。昼休みといったらのどかに昼食を食べるというのが日課になっていた俺にしてはこの状態は腹立たしい以外に表現しようがなかった。
 なぜならばいつもの席に座っていたのは、俺と西条さんの二人だけだったからだ。藤村は生徒会で忙しく駆け回っており、恋はクラスメイトが作ったお化けに目を回して保健室、そして黒須さんは他のクラスメイトによって拉致されてしまった。
「今日は二人っきりなわけね」
 しかも今日は流石の西条さんでも机と椅子を確保するのは難しかったらしく、確保できたのは椅子だけだった。つまり必然的に俺と西条さんとの距離はいつもの机二個分という距離より近い、机一個分の距離となっていた。
「そうだね」
 たとえ二人きりになってしまっていたとしても、隣のクラスからわざわざ来てくれた西条産に今の苛立ちをぶつけるわけにもいかず、いつものように振舞おうとする。
 しかし、西条さんは俺の表情を見てため息をついてしまう。
「引きつってるわよ、笑顔」
「なに?」
 自然にしていたと思っていたのにどうやら顔に出ていたらしい。俺は急いで頬を触り確認してみる。
「なんだ、やっぱり作り笑いだったんじゃない」
 頬を触っていたところ、頬杖を付いていた西条さんはため息をつきながらそう俺に吐いた。しまった、ブラフだったか。
「ちょっと……ね」
 まいったと降参のジェスチャーをしてから歯切れ悪く西条さんに弁解する。まさかいつものメンバーがいないからイラついたなんて本音が言えるわけが無い。
「なによ、いつものメンバーがいないからってイラつくこと無いでしょ」
 俺は思考と言動が逆になってしまうような奇怪な人間ではないと思っている。思っているのだが、どうしてばれたんだろうか。
「なんだか分からないんだけどこの頃やたらといらいらするんだ」
 そう、俺はいらいらしていた。理由は分からない。今日の事だって普段の俺ならば仕方ないなと笑ってスルー出来ていたというのにこのイラつきだ。
「私がいるじゃない」
「え?」
 何かが聞こえたような気がしたので聞きなおしてみる。
「なんでもないわよ馬鹿」
 聞きなおしたというのに馬鹿といわれてしまった。
「胸、痛むの?」
 心配そうに机に頬付きをしたまま西条さんが上目遣いで俺に問いかけてくる。その視線に一瞬絡めらとれらしまうかと思ったが、ふと自分の手がいつの間にか胸をきつく握り締めているということに気づいた。
 そういえばこのイラつきはこの町に新しく来た殺人鬼の話を聞いてからだったと思う。今日のニュースによると被害者はすでに五人に上るという。
 殺人鬼と聞くと昔に出会ったあの警官を思い出してしまうのだ。あの仮面のように張り付いた笑顔、体の中に何かが入ってくる嫌悪感、逃げる時に感じた恐怖。そのすべてがフラッシュバックされて俺の思考の邪魔をするのだ。吐き気、めまい、苛立ち、このすべてはあの体験のせいだ。
 たち悪いことに今回の犯人は前回のように死体が血まみれだ。前回は臓器を引き釣り出していく奴だったが、今回はまた違う種類だった。そいつは自分の腕に自信があるのか、警察をあざ笑うかのように真昼間に堂々と犯行を行う。しかも、ご丁寧に死体の横に血文字でメッセージを添えてだ。
 これまでのメッセージは死体の数と同じ五つ。
 『さあじめよう』
 『かりのじかんだ』
 『さぁぼくをつかまえて』
 『まだまだころすぞはやくしな』
 『さちなききみにやくそくを』
 五つをつなげると、『さあ始めよう狩の時間だ。さあ僕を捕まえて。まだまだ殺すぞ早くしな。幸無き君に約束を』となる。このままではいったい何の事かわから無い。だが、これが一つの文章ならばこんなくぎれの悪いところでは終わらないはずだ。つまりはまだ犠牲者は増える。それが一人なのか百人なのは分からないがこれだけははっきりと言える。また人が死ぬ。
 それだけでも俺をイラつかせるのには十分だった。何も出来ないのはわかっている。分かったいるからこそ悔しいのだ。もしも俺に力があったのならば、もしあの時俺に戦う力があったのならば。そう思ってしまうとどうもいらいらする。
「白金、あんた文化祭でうちの店に来なさいよ」
 考え事をしているといきなり西条さんがそういった。何故か西条さんの顔が赤い。熱でもあるんだろうか。
「いい? 来て下さいじゃ無くて来るのよ」
 身を乗り出して俺に接近する西条さんだったが、その距離はまずい。俺が少し体を前に出せば唇を奪える。
「分かったら返事は」
 と思ったのだがすぐに西条さんは離れてしまう。惜しいことをした。
「はいはい」
「ハイは一回」
「はーい」
「伸ばさない」
「はい」
 そんな一連のやり取りをしてから気づく。俺はなんだかとっても面倒な約束をしてしまったのではないのか?
 しかし、時すでに遅し。西条さんは嬉しそうに微笑みながらこちらを見ている。だめだ、この笑顔に向かってやっぱりうそですなんて言えやしない。
 俺がそんなことをしたのがつい先刻。だいたい一時間前。正確には一時間五分前である。
「そうそう」
 俺に背を向けて廊下を歩いていたはずの最上さんがいきなり方向転換をしてこちらには知ってくる。
「これ」
 それだけ言って何かを俺に押し付けてまた去っていく。
「絶対来るのよ」
 押し付けられたものを見ると、そこにはピンクの紙に綺麗な百合のイラストをプリントした西条さんのクラスのカフェの招待券だった。
「西条赤特製スペシャルケーキね……」
 招待券には普通の割引以外に可愛い丸字でそう書いてあった。どうやら西条さんがケーキを作っているようだ。これは少し文化祭に希望が持てた。また皆を誘って顔を出してみるとしよう。
 さて、そろそろ教室に戻って誰かの手伝いでもしようかな。そう思って俺はまた雑音の波の中に消えていった。
 

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