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第43話〜誤

「なぁ」
 時刻が丁度十二時を回ったころ、授業中にもかかわらず俺に声がかかる。文化祭が近づいてきているとはいえ俺達は受験生だ。授業はいたって真面目に進行しており、居眠りはもちろん隣の席の人間と話そうとしている人間などいなかった。
「おい」
 それだというのに、俺の斜め後ろに座っている男は何の遠慮もなく話しかけてきている。普通の選択肢としては無視をするという選択が正しいのだろうが、この男は普通という枠に縛られない自由な人間なのだ。もちろん、それがいい事なのか悪いことなのかは分からない。
 もちろん俺がこのまま無視をしようものならば、この男の俺に対するアプローチは過激化していき、最終的には気づかれてしまうだろう。そうなってしまえば恐らくこの男だけが怒られるのではなく俺も怒られかねない。
「なんだ藤村」
 教科書で顔を隠し、小さな声で藤村に問い返す。友達が怒られるかもしれないから自分の身を犠牲にしようなんて俺はなんと友達思いな奴なのだろうか。
「何か黒須さんの様子おかしくないか?」
 俺の隣に座っている黒須さんには聞こえないようにぼそぼそと伝えてくる。そんなことのためだけに俺を呼んでいたのか。女の子にうつつを抜かしている暇があるのならば授業に集中してもらいたいものだ。と、言っても藤村は就職先を決定しており大方の進路は決定してしまっているので、こんな授業は受けていても意味が無いというのが奴の本音かもしれない。
 普段から授業や勉強以外に力を入れてきた藤村だったが、少しでも気にしていた勉強がなくなった今、藤村のブレーキはなくなってしまったのだろう。
 適当に聞き流してしまおう。藤村は何かが違うというが俺には何が違うのかさっぱりわからない。ということはたいした事ではないのだろう。それならば少しくらい気づかなくてもいいはずだ。
 だがしかし、ふと昔のことを思い起こす。確かあれは俺が僕だった頃、いつものように公園で遊んでいたときのことだった。一緒に遊んでいたあーちゃんに唐突に何か気づかないかと聞かれた俺は、今と同じように気づかないのならたいした事ではないと言ったのだ。そのとき俺はどうなったか。結果はこうだ、俺は宙を舞った。おまけに俺が痛みに顔をゆがめていると、あーちゃんは鬼のような形相で自分の髪を指差していたのだ。それでも何のことなのかわからなかった俺は、必死に首をひねり考えてみたが答えは出なかった。その後、俺はまた宙を舞った。俺が、いったい何なのかとあーちゃんに聞いたとき、帰ってきた答えはこうだった。
「今日は髪型が違うの」
 しりもちをついたまま見上げるようにしてあーちゃんの髪を見たところ、何も変化は感じることはできなかったのだが、よくよく見ればその日はいつものストレートではなくほんの少しだけ短くなっていたような気がした。事実かは分からない。ただなんとなくそんなような気がしたのだ。
「女の子は違いの分かる人が好きなのよ」
 今の俺なら、たかが数ミリ単位で変化した髪の長さまで男は気にかけないのかと思うが、当時の俺にはその言葉は相当衝撃的だったのを覚えている。というか思い出してからやはり自分はもてる男の条件を携えていないのだと少し自己嫌悪に陥る。そして、何かしらの微細な変化に気づいた藤村に少しだけ尊敬の眼差しを送った。
 藤村は、俺の視線から何を読み取ったのかはわからないが嬉しそうに微笑んでいた。
 別にもてたいとかそういった気持ちは無いのだが、昔のことを思い出してしまったのでここで無視するのはあーちゃんに失礼だと思って黒須さんを見つめる。髪、はいつも通りだ。靴、も学校指定のものだ。爪や顔を見ても何も変化に気づくことができない。すまないあーちゃんやはり俺はもてない男のようだよ。
 
 俺が悩んでいる間に授業終了を告げるチャイムが鳴り、いつの間にか授業は終了していた。なんと言うことだろうか、この時点で俺の授業は三十分ほど空白になってしまっていた。いくら進路が決定していない俺だからといってこの三十分はなかなかに痛い。また後で誰かにノートを借りなければいけない。面倒だ。
「黒須さん何か変わった?」
 俺が必死に答えを探していたというのにあっさりと聞こうとしている藤村。なんだ、もてる男の条件を満たしていると思ったのに答えを聞くなんてナンセンスな男だ。もてる男の称号は剥奪しよう。
 剥奪しようと思ったのだが、藤村の質問に黒須さんははにかむようにして頬を赤らめてうなづいた。もしかしたら俺の間違いかもしれないが、少しだけなら黒須さんの感情を読み取ることのできる俺からすれば、アレは間違いなく喜んでいる。喜んでいる反応なのだ。
「やっぱり? いつもと少し違うと思ったんだ」
 得意そうに話す藤村を見て悟る。これはどこが変わったかが気づくのがいいのではなく、何かが変わっているというのに気づくことが正解なのだ。たしかに、どこが変わっているのかを見抜くのがベストなのだろうがそういった答え方もあるのか。やはり藤村にはもてる男の称号を贈呈しておこう。
 しかし、藤村の質問には恥ずかしそうに黒須さんはうつむいたまま答えず、答えはそのまま闇に溶けいってしまうものだと思われた。
「恋ちゃん胸大きくなった?」
 しかし、答えは意外なところから現れた。丁度昼休みになったこともあり、隣のクラスから来ていた西条さんが黒須さんの変化に気づいたのだ。流石は女の子同士というのだろうか、細かいところによく気がつく。というか何故そんなにすぐに分かったのだろうか?
 女というカテゴライズで言えば、丁度近くにいた恋もそれに分類されるはずなのだが恋がそんな細かいところまで気がつくなら、俺はこいつを嫁にもらってもいい。
「やっぱり……」
 がっくりとうなだれる恋を見て驚く。まさかこいつ気づいていたのか。困った……こいつが嫁なのか。それはそれで楽しそうでいいが、やはりこういうことでそんな大切なことを決めてはいけないので保留にしておこう。大体、恋が俺のことを恋愛上で好きになるなんてことは絶対にありえないだろうし無理な話なのだ。実に残念だ。
「よかったな祐斗」
 何がよかったのかは分からないが藤村は俺の肩を微笑みながら叩いてくる。その笑みはなんと言うか、すがすがしいものは感じられなかった。
「胸が大きいの好きなのはお前だろ」
 恐らくそういうことだろう下賎な笑みを浮かべる藤村に哀れみの笑顔を浮かべて肩を優しく叩き返してやる。別に俺は胸なんていうものに興味は無い。あんな脂肪の塊になんに意味があるのが分からないのだ。大きいだけなんていうのは愚の骨頂だ。
「そうだった。お前は無いほうがいいんだったな」
 そんな藤村の悪ふざけに反応する元気もなく、俺はああそうだよと適当に答えるだけにしておいた。いちいち反論するのも面倒だ。俺はノートを書き写さなくてはいけないのだ。
「え!」
 適当に答えただけだというのに何故か黒須さんは机を倒す勢いで立ち上がり、恋は何故か小さくガッツポーズをとっていた。全く意味が分からない。
 
 色々とあったがいつものように昼食をとることにする。今日はたまたま家に林檎があったので、いつものようにウサギの形にして持ってきた。我ながらもう少し工夫は無いのかとあきれてしまうが、目の前で嬉しそうに林檎をほおばる黒須さんを見ていると工夫はしなくてもいいのかもしれないと思ってしまうのが不思議だ。
「そういえば文化祭の準備はどう?」
 西条さんは隣のクラスだからだろうか、俺達のクラスの進行状況を知りたがる。ただ単に話についていけないから聞いているだけなのだろうが、一応自分のクラスの秘密だというのにそれをあっさりと教えているこの二人もどうかと思う。まぁそれだけ信頼しているというか仲がいいという風に取ったらよいのだろう。
「赤のクラスは?」
 今度は恋が西条さんに聞いていた。この会話、角度を変えて見てみればお互いの情報を交換し合っているスパイの会話というように取れるかもしれない。
「赤さんはどんなことをするの?」
 今度は黒須さんも西条さんに聞いているが、何かがいつもと違う。何かが違うのでここは聞くべきなのかと考えたのだが、よくよく会話を聞いていれば何が違うのかはすぐに分かった。恋と黒須さんが西条さんへの呼び方を変えているのだ。もちろんその逆の西条さんから二人の呼び方も変わっている。これは言ったほうがいいのかと思ったが、仲良くなることができた。この事実だけで十分だろう。というか西条さんの名前はセキというのか。覚えておこう。いつか下の名前で呼ぶことがやってくるかもしれない。
 
「そういえば、この頃また殺人犯が出没してるらしいね」
 女の子というのは話が移り変わる。先程まで楽しそうに文化祭の話をしていたというのにいきなり血なまぐさい話に乗り変わるなど、俺達男には到底出来そうに無い。
 というかその話題は俺にとって酷だ。あのときのことを思い出すとまだ胸が痛む。
 俺は少し前に殺人鬼と合ったことがあった。その時俺の取った行動はヒーローのように戦ったり、助けを求めに走ったわけではなく、ただみっともなく逃げ出した。恐怖に負けてひたすらに走ったのだ。何とみっともないのだろう。
 俺の本能はこう告げたのだ。アレの近くにいたら死ぬ。本能が告げた事を無視して、俺は立ちつくす黒須さんを連れて行くために犯罪者に近づいた。その結果が今もまだ胸にはっきりと残る傷跡だ。黒須さんを引っ張っていたときはただ逃げるしかなかったのだ。そうすることしか自分は出来なかったのだ。戦う力も何も持たない俺には本能に従うという選択しかなかったのだ。
 犯罪者の話で盛り上がっているみんなに乾いた笑いだけを返しながら、俺の視線はどんどんと机の傷を追い始めていた。
「今回の犯人の特徴なんだけど」
 話が進むにつれて何故か西条さんが声を潜める。俺のテンションも西条さん声のトーンのように落ちて行った。出来ればもうあんな出来事はごめん被りたいのだ。
 誰も進んで女の子の前で逃げ出した挙句、思い切り自分の体の中を見たくは無いのだ。だからもうその話は聞きたくない。
 というよりそれ以上に何故かそれより先は聞いてはいけないような気がしていた。

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