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第40話〜お疲れ様

 スタートと同時に声をかけて勢いよく歩を進められたペアは片手に収まった。全員でその三倍はいたと言うのにスタートの時点でもう差が開いていた。好スタートを切ることの出来たペアはひたすらにゴールをめざして歩を進める。そんなペアの中に私と彼もいた。
 恋ちゃんに練習させられたことが生かされたのだろう。二人の足は、まるで一人ものかのようにスムーズに動く。恐らくシンクロ率といった面では出場ペアの中で最も高いだろう。それだと言うのに、私達二人のペアは先頭集団から少しずつ離されていく。理由は簡単。シンクロ率が高い代わりに進む速度が遅いのだ。もっと正確に言うと私の速度に彼があわせているので進むのが非常にゆっくりになっている。
「1,2,1,2,1,2」
 先頭集団から離されていく私達とは対照的に、大河と花梨ちゃんのペアは先頭集団を突き放していく。シンクロ率なんて中の下だろうがお互いの運動神経でそれをカバーしあっている。あれも一つの戦術か。
「先頭に二人、いいコンビだよ」
 場外からの野次にも全く動じることなくゴールに向かって走っていく二人。少なくとも私にはそう見えていた。
「照れてるな、花梨」
 それだと言うのに私の隣で息も切らさず二人を見つめていた彼はそうつぶやくのだ。彼の目から見ると、どうやらアレはてれているように見えるらしい。
「もうすぐこけるぞ」
 彼がそういったときだった、恐ろしいくらいぴったりと二人は勢いよく転んだのだった。場外から起こる笑い声にうつむいたまま動かなくなってしまう二人。どうやら大河は集中していたから回りが気にならなかっただけらしい。いい意味で馬鹿というかなんと言うか……。そんな二人の様子に感染するかのように、先頭集団が続々とこけ始める。
 私達はそんな中をゆっくりと通過していく。一瞬だが、私は童話のウサギとカメを思い出してしまった。それくらいのんびりとしたごぼう抜きだった。
 トップに躍り出た私達に黄色い声は集中していき、それに伴って私の視線も地面へと向かっていく。だめだ、これは耐えられない。
「これだけ言われたら本当に付き合わないといけなくなっちゃうかもな」
 もう耐えられないかもしれないと思っていたのに、そんな言葉を言われてしまったら私の頭はもう沸騰寸前だ。冗談だと言うのは分かっているのだが、彼の口から出た付き合うという言葉に過剰に反応してしまったのだ。
「ほらほら、もうすぐゴールだよ」
 彼の言葉で完全に思考回路がショートしていて周りの声など聞こえていなかった。ただただいま彼が私のそばにいて、体温を感じるということがやけに恥ずかしかったのだ。何度も何度も練習を重ねて慣れたはずだったのに彼が付き合うだなんていうから悪いのだ。
 ぶつぶつとまとまらない考えを言葉に載せて垂れ流していると、いつの間にかピストルの音が聞こえた。どうやらゴールしてしまったらしい。しかもトップで。
「はいはいベストカップルベストカップル」
 ゴールした私達を待っていたのは藤村君の冷やかしの言葉だった。
「そんなんじゃ」
 彼はいたって冷静に対処していたのだが、付き合うと聞いて混乱していた私は藤村君のカップルと言う言葉にまた過剰な反応を示して、飛び掛ろうとした。
「ちょっと黒須さ――」
 飛び掛ろうとしたまではよかった。しかし足がいまだに繋がっていると言うことを忘れていた。繋がれたままの私達は、当然バランスを崩してそのまま地面に引き寄せられるかのように地面に衝突した。
 
 
 
「いたたた」
 結局私達二人は救護テントの下にいた。周りには私達と同じように怪我をした生徒が集まっていたのだが、競技後に怪我をしてここに来たのは私達だけだろう。
「ごめん」
 消毒をしている彼に取り合えず謝る。せっかく無傷でゴールしたと言うのに何と情けないことだろうか。
「今度からは気をつけてね」
 相変わらず彼は私が悪いことをしても笑顔で許してくれる。そんな優しさに甘えてしまっているのかもしれない。
 
「ユニホーム回収します」
 藤村君が救護テントまできて二人三脚で使ったセータを回収し始めていた。
「黒須さんも」
 手を伸ばしてセーターを脱ぐように催促されるのだが、どうにも動くことが出来ない。これはのわがままなのだが記念にこのセーターをもらいたいのだ。いつまで経っても脱ごうとしない私に困ったように頭をかく藤村君だったが、私は依然として無言だった。
「もらえない?」
 ずっと沈黙なのもなんなので、だめでもともと藤村君にそういってみた。すると、藤村君は困ったように微笑んで、そのまま去っていった。
「趣味悪いな」
 セーターを嬉しそうに握る私を見て、彼はぼそりとそういった。
「うるさい」
 私もそうつぶやき返した。 
 
 
 
「つ、つかれた」
 深い深いため息を吐きながらベットに倒れこむ。足は棒になったかのように硬い。これからは少しは運動をしたほうがいいのかもしれない。このままでは文字通り丸くなってしまう。性格が丸くなるのは一向に構わないが体格が丸くなるのは勘弁願いたい。
 今、私は心地よい疲労感を感じながら、胸元に抱いた趣味の悪い柄が編みこまれたセーターを見て笑みをこぼす。普段はめったに笑うこともないと思うし、笑ったとしても自覚がないことが多い。しかし、今はしっかりと笑っていると実感できる。
「お姉ちゃ……」
 ノックもなし扉が開かれたかと思えば、目を丸くして私を見ている大河がいた。大河がこんな表情をしているのは恐らく私がめったに見せない笑顔だからなのだろう。
「な、なんでもないよ」
 私の笑顔がそんなに衝撃的だったのだろうか、大河はそのまま引きつった笑顔で静かに扉を閉めた。
 そんなに私の笑顔はおかしいのだろうかと鏡で確認しようとするが、あいにく私の部屋に鏡なんてもの都合よくは落ちていない。しかたがないので部屋のどこかにあるだろう鏡を探して部屋を動き回る。しかし、すぐに体中を貫く鈍痛に耐えられなくなりそのまま尺取虫のように地面に寝そべる。なんだか胸元がやけに涼しいし、夜風も気持ちい。
「黒須さん。黒須さん」
 少し遠くから聞こえてくる彼の声はきっと私の幻聴だろう。きっと疲れからくる幻聴に違いない。本当に、あんなに動いたのは久しぶりだ。
「寝ちゃったかな?」
 幻聴だと思っていた彼の声が残念そうに沈んだのを聞いて、若干の違和感を感じる。幻聴と言うのは落ち込んだりするのだろうか?
 そして冷たい夜風を体に受けながらふと気づく。夜風を感じるというのは窓が開いているのだと言うことに。さらによく聞けば、彼の声は窓の向こう側から聞こえてきていると言うことにもだ。
 彼の部屋の窓は私の部屋の窓からは約三メートルほどの距離にある。まさに届きそうで届かない微妙な距離だ。それは私が普通の生活をおくれるかどうかと言う距離と等しいように感じられた。つまり、彼に手が届けば私は普通の生活に戻ることも夢ではないのかもしれないと言うことだ。そして今日はその距離を少しでも詰めるいい日になったと思う。
「なに」
 今まで一ミリたりとも動きたくないと訴えていた体も、聞こえていた幻聴が幻聴ではないと知った瞬間に元気に動き出す。私が寝てしまったものだと思ってぼんやりと夜空を眺めていた彼にかなり遅くなった返答をする。それも出来るだけ緊張を悟られないように淡々とだ。
「起きてたの……ってうわ」
 私のほうを向いたかと思うとすぐに視線をそらしてしまう彼。暗くてよく見えないのだが、恐らくは顔が赤い。
 
「そ、その格好はいただけないよ……」
 うつむいたままの彼は私が不思議そうに見ているのに気づいたのだろう。私の異常を伝えてくれる。何事かと思って自分の服装を確認して驚愕する。何とそこには見事なまでまっ平らな私の胸板がさらけ出されていたのだ。いつの間にボタンが外れてしまっていたのだろうか。
「みた?」
 急いで胸元を隠して彼に聞く。今度は私がうつむきことになってしまった。彼は暗くて見えなかったよと必死に私にアピールしているが、本当かどうかは分からない。と言うかもともと見るほどのものが個々に備わっていないと言うのが現実なのだが。大河が驚いて扉を閉めたのもきっとこの胸元のせいだろう。部屋に入ろうと扉を開けて、そこに胸元をさらけ出した姉がセーターを嬉しそうに抱いていたら誰でも驚くだろう。というか、指摘くらいしてくれてもよかったのではないだろうか。まったく、大河姉貴は思いの弟とはかけ離れている。
「本当に見てないよ」
 必死に言い続ける彼を見ていたら、大河のことも別にどうでもいいかと思えてしまうのだから不思議だ。八年も引きこもりだった大河を部屋から引きずり出し、さらには体育祭なんて大きなイベントに出場させてしまったことといい、私のサカサマサカサをある日いきなり回避して見せたり、あの家の住人はもしかしたら魔法使いの家なのかもしれない。
 魔法使いの家だなんて考えてすぐにありえないと否定する。第一、魔法使いなんてメルヘンなものを思い浮かべた自分のほうがよっぽどメルヘンに違いない。
「何笑ってるんだよ」
 くすくすと笑い出した私に多少の怒りを覚えたのだろう。彼は謝るのをやめて窓から身を乗り出してそういった。どうやら彼は、私が必死に謝る自分を見て笑っているのだと勘違いしてしまったらしい。私からすればその勘違いのほうが笑う理由としてふさわしい。
「いえ、あなたの家、魔法使いの家じゃないかって考えていたらね」
 自分でも何故こんなことを言ってしまったのかは分からなかったのだが、彼ならば私のこのおかしな話しでも真面目に聞いてくれるだろう。
「魔法使いの家ね」
 思ったとおり、彼は私のくだらない妄想についてでも真剣に考え込んでくれている。
 
「奇遇だね、俺も黒須さんの家は魔法使いの家じゃないかと思っていたんだ」
 こちらは予想と反して彼も同じことを考えていたと言うことが判明する。しかし何故、私の家が魔法使いだと思ったのだろうか?ふと疑問に感じたのだが、彼も同じだったようで首をかしげている。
「あんなにわがままだった妹の花梨がいきなり人のことを思えようになったんでね、俺の出来なかったことを黒須さんの家の子が簡単にやってのけたんだから魔法と呼ぶしか俺のプライドが保たれないよ」
 あくまで声は弾んでいるのだが、その表情は悔しさであふれているようで口元は空っぽの笑いを浮かべている。
「私は大河のこと」
 多くは語らなくてもきっと彼ならばわかってくれるだろうとそれだけで口を閉ざす。もちろん、私を色々と変えてくれたあなたも魔法使いかもしれないと言う言葉は飲み込んだ。私を見つめる彼の顔が一瞬ゆがんだのは、もしかしたら私も空っぽの笑顔を浮かべていたからかもしれない。
 八年。八年間も私が何も出来なかったあの大河を出会って数週間であそこまで変えられてしまっては姉としての立場がない。と言ってももともと大河をあんなふうにしてしまったのは自分なのだし私に姉の資格があるかと問われれば微妙なところである。
 
「そういえば」
 お互いなんとなく気まずい空気になってきたところで私が彼に声をかける。 
「私を呼んでた?」
 こうして会話しているのも彼が私を呼んでいたからなのだ。魔法使いの話題だなんてくだらないことをしていないで彼の用件を聞こう。
「あーたいした事じゃないんだけど……」
 歯切れ悪く考え込んでしまう彼だが、何をそんなに考えることがあるのだろか。もしかしたら、何も考えていないと言うことはないだろう。
「た、体育祭お疲れ様」
 頭をかきながら一言だけつぶやいた彼だったが、それ以上言葉が続く様子はない。どうやらその言葉を言いたかっただけらしい。そんな言葉は帰りに何度も聞いたのだがここで聞くお疲れ様はまた違った風に聞こえるのだから不思議だ。
「じゃあもう遅いから」
 そして最後にはそんな言葉で窓を閉めてしまう。まだこちらからはお疲れもありがとうも何も言っていないと言うのにせっかちな人だ。しかし、どうせ私がその言葉をあの場面で言うことは出来なかっただろうしこれでよかったのかもしれない。私は彼がそうしたように扉をゆっくりと閉め、そしてカーテンを閉める。久々に動いたことだし睡魔が私をベットへと誘っている。今から特にすることはない。なので今は彼と一緒に着たこの趣味の悪いセーター抱きながら、一時のサカサマサカサのない世界へと旅立とう。
 今はまだ、先のことは考えずただひたすらに、夢を抱いて。

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