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第38話〜ゲームをしよう

「面倒だ」
 不意に俺の口をついて出た言葉は、今日一日の始まりにしてはやけに後ろ向きだったが今日と言う日の重大性を考えたら、こんな季節外れの陽気をもたらした太陽に恨み言の一つも言い出したくなる。
 季節は秋。これは間違いないはずだ。しかし、俺を含む生徒の全員はその季節に反した格好をしていた。たしかに、この気温ならばむしろこの服装のほうがよいだろうが、季節感も何もあったもんじゃない。本当、秋に半そでハーフパンツと言うのはどうなんだろうか。しかしそれも、これから起こるイベントのことを考えれば嫌でも納得をしなければいけない。
「さて、わかってるわね」
 俺の隣りで溌剌とした表情で話しかけてくる恋も、もちろん他の生徒と同じく秋らしくない格好をしている。しかし、こいつは元から季節感だのお洒落だのには縁のない人間だ。むしろこういったちょっとずれたファッションのほうがしっくりする。
「わかっているさ」
 いつもならばそう答える人間が俺の隣にいるはずなのだが、そいつは今まさに全校生徒の前で演説をしていらっしゃるので今日は俺が相手をしてやることにする。なんとなく聞き流していた演説に耳を傾けると、意外とまともなことを言っている。カンペなしとは、流石生徒会長様様だ。
「皆さん。燃え尽きましょうね」
 演説をしていた藤村の最後の言葉を受け、生徒全体の温度がわずかに上がったのを感じた。始まってしまうわけだ。俺の学生生活最後のこのイベントが。どうも乗り気になれないが周りがやる気になっているのだ、それを潰すような野暮なまねはしたくない。
「目指すは優勝。がんばるわよー」
「おー」
 だから恋の掛け声にも答えてやろう。出来ることならこれが恋にとってよい幕引きとなるように願い。そして、願わくば俺にもこの体育祭がよいものにならんことを。
 長々と続いた先生たちの話も藤村の演説で終了し、プログラムは最初の競技に移ろうとしている。だがしかし、その場から動こうとする生徒は一人も居らず皆その場で待機している。むしろ掛け声までかけている俺達二人は異端だ。
「それでは、最初のプログラムは」
 なぜならそれは、この後に行われる競技に問題があった。
「全校生徒による体操です」
 軽快な音楽に合わせて体操を始める俺達。体育の時間でもこの体操をやっているのだが、その時とはまるで気合の入りようが違う。この体操も点数に入ると言われていればやる気を出さないほうが少数派なのだろう。例に漏れず、恋もしっかりと俺の隣で準備体操をしている。俺達の前方では、生徒会役員やらが手本となるように俺達と同じ方向へと体をひねったりしてくれている。ただ、体操のタイミングが全く一緒なので生徒会役員の方々には申し訳ないが、別に役に立ってない。アレを見て体操をしている人間なんていうのは、よっぽど運動神経が鈍いのか、リズム感がない人間だけだろう。
 そう思っていたのだが、残念なことにその人間は俺のすぐ近くにいた。ひょこひょこと皆とはワンテンポ送れて動く体。小さいのでそんなに目立ちはしないのだが、確実に遅れている。懸命に追いつこうとしているようなのだがやはりワンテンポ遅れている。見ていると自然と笑みがこぼれてしまう。
「いてっ」
 ワンテンポ遅れる長い黒髪をただなんとなく眺めながら体操をしていただけだと言うのに足に激痛が走る。突然の悲鳴にあたりの視線が集中する。俺はただへらへらと頭を下げるしかほかにこの状況を収める手段がなかった。
「どういうつもりだ」
 俺の平謝りにあきれた様子で周囲の注目はまた体操に移っていき、俺は俺が悲鳴をあげることになった原因を睨む。睨んでいると言うのに本人はどこ吹く風で体操に集中している。
「おい」
 再び声をかけるが相変わらず無視だ。人の足を踏んでおきながら無視とはいい度胸だ。
「恋」
「ちょっと、静かにしてよ」
「ご、ごめん」
 また怒られてしまった俺は少ししょんぼりとする。しょんぼりとしていたのだが、隣から聞こえてくる笑い声にまたふつふつと怒りの炎が燃え上がる。しかし、ここで怒こってしまえばまた俺は怒られてしまう。同じ過ちを二度することを本当の過ちというわけだ。なのでここは一つ我慢することにしよう。
「いやらしい」
「んだと?」
「静かにしてってば!」
 俺は過ちを犯してしまった。しかしなんだ、いやらしいって。俺がなにかしたか?ただなんとなく黒須さんを眺めていただけだろう。別にどこかの生徒会長のように人体のラインを見てニヤニヤとしていたわけでもないというのに、不条理だ。
「どっちが勝つと思う」
 体操も終了し、競技は短距離へと移り、俺は適当な応援席に座っていた。もちろん陸上部である恋は出場しており、もちろん優勝候補である。そんな恋に勝負を挑んで勝つか負けるかを聞いてはっきりと勝つだろうといわせない人間は極一握りだ。その一握りの中で俺とこの勝負の行方の聞いてきた人間の知り合いといえばあいつしかいない。
「やっほー」
 なんとものんきにこちらに向かって手を振っている奴こそが恋のライバル。勝負相手ということだ。
「で、どっちが勝つと思う」
 正直どちらが勝つかと聞かれれば分からないと答えたいところなのだが、そんな答えが通用する相手だとはとても思えない。
「私は翠さんに」
 赤い髪をかきあげて俺に宣言する西条さん。その様は物凄く魅力的だったのだが、何故それを今やる必要があるのかはわからない。
「俺は恋に」
 相手が翠さんを選ぶなら俺の選択肢は必然的に恋しかなくなる。しかし俺は妥協で恋を選んだのではなく確信で恋を選んだ。長い間一緒に過ごしてきたんだ。恋の事は多少なら分かる。分かるといってもこの前恋を理解してやれずに泣かせってしまったばかりの俺が分かるなどというのは説得力がないのかもしれないが、それでも俺は自分の知りうる恋の情報で十分翠さんに勝てると判断したのだ。
「何を賭ける」
 その自信の表れなのか、俺は西条さんにそんなことを言っていた。
「では勝ったほうが負けたほうの言うことを聞くことにしましょう」
 西条さんも自信があるのだろう。俺の揺さぶりに同様する素振りを見せること見なく、俺にふっかけてくる。ここまで来て引き下がるわけには行かない。俺は当然首を縦に振った。
「翠さん。恋さんに勝ったら好きなものを食べさせてあげるわ」
 俺が首を振ったかと思えば西条さんはすでに声を張り上げているところだった。卓上では、恋と翠さんなら実力的に恋のほうがわずかに上回っている。しかし、それは二人がベストコンディションのときの話だ。二人がいくらアスリートだとはいえ、たかが体育祭のためにコンディションを調整しては来ないだろう。つまりは、ここからはモチベーションの勝負になるということだ。みたところ先程の西条さんの言葉で翠さんは俄然やる気になってしまったようで、勝利の天秤はぐっと俺から遠のいた。
 何か恋を元気づける言葉はないかと考えたが別に何も思い浮かばない。先程連のことなら多少は分かるといったが、俺は恋のことなんかこれっぽちも理解できていなかったようだ。
「あらあら、何も声をかけないんですか? ずいぶんな余裕ですね」
 何も出来ないでいるうちに恋達はスタートラインに立っていた。見た感じ、勝つのは翠さんだろう。俺には恋が喜ぶ物も、言葉も分からない。しかし、恋には負けてほしくない。これは俺が西条さんとの勝負に負けたくないとかそんな理由ではなく、ただ単に恋が悲しい顔をするのが見たくないだけなのだ。
「恋ちゃん頑張ってー」
 聞き覚えのある声に顔を上げてみればそこにいたのは小さな体をめいっぱい大きく使って恋に声援を送っている黒須さんだった。
 黒須さんを見ているといつの間にかスタートを告げるピストルがなっていた。やはり負けている。
「恋ちゃーん」
 そうだな。俺は恋の元気になるようなことはこれっぽちも分からないが応援くらいならできる。
「さっさと追い抜けよ。恋」
 こんな時でさえ優しい言葉の一つもかけてやれない自分に驚いたが、恋とは昔からこうなのだからいまさら変えるのは難しい。
 勝負は一瞬で、およそ二十秒にも満たなかった。それにもかかわらず俺は手に汗を握っていた。
「で、何を命令されますかご主人様?」
 結局勝負の結果は恋の逆転勝利。序盤は思うように伸びていなかったのだが、黒須さんの応援のおかげもあり、後半見事巻き返すことに成功していた。
 目の前で頭をたれている西条さんは、この勝負の結果を明確にさせるものだった。確か勝負の商品は、『勝ったほうが負けたほうの言うことを聞く』だったと思う。もしも、西条さんが勝っていたのなら何をさせられていたか分かったものではない。西条さんは真面目な性格だから、何を言っても恐らくは実行してくれるだろう。しかし、俺に時に願い事はないのでこの商品はどうももてあましてしまう。
「白金ー」
 悩んでいる俺の元に走ってきたのは誇らしげな顔の恋と、負けたというのに大きな口をあけて笑っている翠さんだった。始めは笑顔だった恋も、俺の近くに来るにつれてその笑顔が引きつっていく。
「あ、あんた何してるの」
 俺と西条さんを交互に指差して俺を睨む恋。あ、そういえば西条さんはずっとうつむいたままだった。この起こり具合を見るに、並みの説得では聞いてくれそうにない。
「西条さん。お願い決まったよ」
 西条さんの耳もとで小さく伝えると、西条さんは俺のお願いの通りに動いてくれる。
 願い事は簡単。『恋を説得してくれ』だ。俺には難関だが西条さんにならきっと簡単なことだろう。
「白銀君」
 気づけば黒須さんも来ており、その肌にはこの炎天下の中で外に出て応援をしていたせいかうっすらと汗がにじんでいた。あまりじろじろと見るのも失礼なので俺はグランドへと視線を泳がす。
 グランドでは、クラス対抗の競技が行われており会場全体が熱気に包まれていた。
「わかった」
 と、背後では西条さんが恋の説得に成功したのだろう。恋の声が聞こえてくる。字体はこれでひとまずは安心だ。
「応援ありがとう」
 グランドをぼんやりと眺めていたので、空耳かと思ったが隣には頬を赤らめた恋が立っていたので恐らくは空耳ではないだろう。
「はいはい」
 俺は恋を一度見ただけで、それ以上はそちらを向かず、手をひらひらと振るだけにしておいた。ふと反対を見ると、黒須さんがすねていた。まったく、意味が分からない。
 グランドでは、丁度暮らす対抗の競技が終了したところだった。
 刻一刻と、ゆっくりだが確実に運命のときは近づいていた。

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