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第34話〜陰謀

「おはよう」
 教室の扉を開けるなり一番に目に入った恋に挨拶をする。
 空は晴れ、俺の心もまた同じように快晴である。黒須さんたちが仲直りした事が自分の予想以上に嬉しかったようで、俺の感情は今、達成感と充実感。そして、ちょっぴりの絶望で構成されていた。
「おはよう」
 なぜ絶望が含まれるかと言うのは、いつもなら返ってくるはずの間抜けな返事が返ってこないからだ。虫の居所が悪いのか、それとも朝に何か悪いものを食べたのかは知らないが、とにかく恋は俺の挨拶を返してくれない。それはちょっと残念なことだ。こんなにも自分が上機嫌だと言うのに周りに不機嫌な人間がいたらいい気はしない。もちろん逆もそうだろう。
「何日目?」
 どちらかがあわせればいいのなら俺が合わせたほうがいいだろう。と言うよりは合わせるしかないのだろう。長い間恋と長い間一緒に過ごしてきたが、それの経験を持ってしても恋という暴走列車を止められた試しがないのだからそうするしかない。
「は?」
 ここでやっと俺の言葉に対して反応を返してくれるが、やはりどこか不機嫌のように見えるのは何故だろう。恐らくそれは、恋の冷たい視線の理由に関係しているのだろう。
「便秘」
「違うわよ」
 いつもならここで一発もらってもいいシュチュエーションだと思って頭をガードしたと言うのに、どうやらそれは無駄に終わってしまったようで、恋は頬を膨らませ、さらには俺のほうを見向きもしないで明らかに不機嫌だと言うことを俺に示していた。いったいなんだって言うんだ。
「で? 昨日は授業ほっぽり出してどこ行ってたの」
 やっとこちらを向いてくれたと思えば昨日何度も説明したであろうそれをまた聞いてくる。昨日はこのことについてメールで何十回と説明したと言うのにまだ足りないと言うのか。よっぽど俺は信用されていないらしい。
「黒須さんを探して、それから感動的な場面に立ち会った」
 これもやはり昨日何十回と打った文章だが、今回はじめて声に出して伝えてみる。これで伝わったであろうか?
「海亀の産卵を見に行ったなんて嘘はいいから本当のことを言いなさい」
 俺を信じていないと言うこと以前にまず情報の齟齬(そご)があったようだ。もちろん俺はすぐにでも説明したかったのだが、そう簡単に黒須さんの弟と黒須さんの八年ぶりの姉弟の仲直りを見てましたなんていうわけにもいかず、俺は沈黙で通すしかなかった。他人の家のことを簡単に喋っていいものではないだろう。俺だって自分の秘密を他の人にぺらぺらと話されるのは好ましくない。ずっと沈黙を守る俺に恋もようやくあきらめたようで、ため息を一つついてから首をやれやれと横にふった。
 だが、そんななんとなく気まずい雰囲気もすぐに崩壊した。それは問題のすれ違い姉弟の姉だった。
「おはようございます恋さん」
 いつもより若干明るい声のトーンで挨拶をする黒須さんを見ていると、弟君とはしっかりとうまく行っているのだと把握することが出来る。ぜひともそんな関係をこれからも維持してもらいたいものだ。
 あからさまに疑いの眼差しでじっと見つめられた黒須さんは、恋に少しだけはにかむように笑って見せた。この笑顔を見るのは初めてだ。なんとなく笑顔がぎこちないのがなんともいえない。恐らく何らかの理由で練習でもしたのだろう。理由と言うのも恐らくは弟君と何かあったか、もしくは黒須さんのお母さん絡み、下手をしたら花梨の仕業だろう。誰の仕業かは分からないが今はその人にはっきりといわないといけないことがあると思う。
 グッジョブ!
「白金君もおはようございます。昨日はどうもありがとうございました」
 華麗に恋の疑いの眼差しをかいくぐったと思ったのに、昨日はと言う黒須さんの言葉で俺の言っていたことが真実だと分かったのだろう。恋は俺に小さな声で後でどこの砂浜か教えてほしいなんてことを言ってきた。残念ながらその問いには答えられそうにないぞ恋。
 黒須さんのどこか硬い笑顔の挨拶を受け、ほんの少しだけ心が熱くなった俺は、上機嫌のまま一日をスタートさせた。
 
 
 
「ふぅ」
 授業の終了を告げるチャイムが鳴り昼休みが始まったとき、俺が始めて聞いたのは隣りから聞こえてくる大きなため息だった。見れば黒須さんはぐったりと机に突っ伏しており、今にも溶けてしまいそうだ。恐らくは、なれない笑顔を作ってみたり、無理に明るく振り舞おうとした反動だろう。確かに明るい黒須さんもいいと思うが、やっぱり俺はいつもの黒須さんのほうが良い。
「誰に何を言われたか知らないけど、無理しないでいつも通りで良いと思うよ」
 俺の言葉が届いたのかはわからなかったが、黒須さんの頬がわずかに上気したような気がしたのは目の錯覚だろうか。
 机に突っ伏したままの黒須さんを何とか復活させ、昼食をとることにする。目の前に座っていた恋は、朝とは一変してそれはもう嬉しそうに微笑んでいた。その微笑が不気味なものにしか感じられなかった俺は何を感じたのだろうか。少なくとも良いことではないのは確かだ。
「そういえば、昨日花梨ちゃんが言いに来た大河って誰?」
 何事もなく食事を続けていたところで恋が思い出したように言った。
 花梨の友達だとか、知らないとか適当に答えればよかったのだが、昨日のことがフラッシュバックして一瞬それまで動いていた箸が止まり、反応が送れてしまう。
「へー知り合いなんだ」
 その反応の遅れは一瞬だったのかもしれない。しかし、人とに疑われるのには十分すぎるほどの遅れだったようで、すかさず恋が深く掘り下げようとする。一度だけ隣りの黒須さんを覗いてみたが、黒須さんはうつむいたまま無言だったので俺もそれに習うことにする。どちらかが話さなければこのことがばれることはない。もちろん、花梨や弟君が喋らないことが絶対条件なのだが。それに、ほおって置けば勝手に黒須さんが自分で話すだろうと思ったからだ。
「黒須大河、一年三組十三番。昨日まで学校を欠席。身長は169cmで体重は50kg。クラスでの評判は上々。編入テストでは合格ラインぎりぎりでしたね。そして、黒須美穂さん。あなたの弟ですね」
 いつもなら食事を取るメンバーと言うのは俺に黒須さんに恋に藤村。そして隣のクラスの西条さんなのだが、何故かそこには満足そうに黒須さんを指差している青葉さんと、俺の玉子焼きに手を伸ばしている翠が居た。何かとても久しぶりのような気がする。全く見なかったわけではないが、特に会話らしい会話なんてしていなかったのでこうして俺達の話に割り込んでくるのは非常に久しく感じる。
 久しぶりの会話に喜びたいところなのだが、あまりにもタイミングが悪すぎた。なにもわざわざ人が話したくない事を暴露してしまうなんてひどいと思う。そのうち黒須さんが言うだろうと思って放置したと言うのに、これでは俺の口から言った方がよっぽどましだったに違いない。
 それに、こんな紹介のされ方をされたのでは弟君が可愛そうだ。このままだと悪いイメージが残ってしまうにちがいない。
「大河君は――」
「大河は私の弟で、昨日は白金君に手伝ってもらって八年ぶりに仲直りしました」
 俺が説明してしまおうと顔を上げたときだった、黒須さんは俺以上に身を乗り出して説明をした。また無駄だった。どうしたものかと目を泳がせていると、翠が俺の弁当のシューマイを狙っているのが分かったのでシューマイをさっさと食べる。
「昨日のはそういうわけだったのね、白金」
 悔しがる翠を笑いながら指差していると、いつの間にか恋が俺の隣まで来ていた。なんともすばやい。この場合は俺が鈍感すぎるのか?
 その後は恋のきつい説教を俺だけが受け、黒須さんは詳しいことを伝えていた。喧嘩をしていたなんて自分の悪いところを簡単に言ってしまうあたり、警戒心がなさ過ぎると言うか、真面目と言うか、まぁ俺達を信用してくれていると言うのが一番嬉しい。
「白金、じゃあそろそろ帰るわ」
 昼休みの終わりが近づいてきたところで西条さん達が帰って行く。相変わらず目立つ。容姿端麗な西条さん。それに寄り添うようにして活発そうなスポーツ少女とメガネの文学少女。全く異なるタイプの二人がついて歩いているのだから目立つのは当然といってもいい。それ以外に少し気になると言えば、青葉さんの殺気だけだった。俺を見るときだけは何故か殺気に満ちた視線なのだ。恋や藤村に入ったって普通だと言うのに、まぁ黒須さんと西条さんには、別の意味での熱い視線が注がれていたような気がしなくもないが、そこら辺はきっと触れてはいけないところなんだろう。触れてしまえば恐らくやけど程度では済まなさそうなので見てみないフリをするのがいい選択だろう。
 周りの人間が机をガタガタと移動させ始めたので、自分達も元の位置に戻る。次の授業を確認したところで昨日のことを思いだす。俺が兄弟の感動のシーンに心を打たれ、感傷に浸りながら家に帰ろうとしたときだった、ポケットで携帯が震えたのは。今思えばあそこでメールを確認知ることがなければもう少しだけ感傷に浸れたのかもしれない。
 いまだに俺はメールの意味は把握できていない。ただ、これから始まろうとしているホームルームで悪いことがおきると言うのだけは何故か分かった。
「では体育祭の昨日に引き続き話の続きで、競技の出場者決めの続きを」
 如月先生が教室に来て初めて話したのはそんな言葉だった。別にそんなのはどうでも良かった。やれと言われればやるし、順位は保証できないがやれるだけやろうとは思う。だがこれはひどいだろう。
「二人……三脚?」
 隣りに居た黒須さんも俺と同じ物を見つけてしまったのだろう。おもわずつぶやいてしまっている。昨日の恋のメールの内容はこうだった。『明日楽しみにしておくことね』
 やってくれる。確かに楽しいだろう。しかし、それは俺にとってではなく恋にとってはとても。
 着実に競技の出場者の最終決定がなされていく中で俺は頭を抱えた。昨日休んでいた俺達なんかの意見など、この会議の中に取り入れてもらえるはずはない。意見したところで休んでいた者がすでに決定したことを覆すのは面倒だ。といって取り入ってもらえないのが関の山だ。
「畜生」
 俺は黒板に書かれた二人三脚の出場者を読み直してつぶやく。やはり白金と黒須と書いてある。二人三脚と言えば家の体育祭での一番の目玉。クラスで男女を一人ずつえらび、トラックを一周するという単純な競技だ。単純なのだが、面倒でもある。トラックは一周200mもあるし、おそろいのユニホームを着なければいけないと言う訳のわからない決まりまである。しかもユニホームは生徒会の指定。たしか、去年は見るのも恥ずかしくなるような派手な水玉のペアルックのセーターだった。ようはこの競技はさらし者を作り出す恐ろしい競技なのだ。しかも生徒会というと今年は藤村が会長を勤めている。まともなものがユニホームとして出てくるはずがない。去年までは笑いながら見ていたというのに今年はそうもいかないようだ。
 俺は黒須さんと顔を見合わせ、ニヤニヤと微笑む魔女のいたずらに大きくため息をついた。

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