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第33話〜仲直り

「やってやる」
 その、黒須さんらしからぬ強気な発言に俺は喜んでいた。あの時屋上に向かったのは、妹の不始末は兄である自分がどうにかしないといけない。と思って向かったのもあった。フォローのつもりで自分が弟君を連れて来た。だなんていってみたが、実際のところは花梨がどうしてもと言うのでしぶしぶ了解をした程度だ。まぁ、了解をしたという事で言えば自分が連れてきたといっても過言ではないだろう。だが、結果的には黒須さんを奮い立たせることが出来たのだしいいほうに転がってくれた。
 だがその喜びも長くは続かなかった。俺が喜んでいれたのは学校を出るまでだった。学校を出るまではやってやるぞと言うオーラを出して確かに俺の前を歩いていた。いつもは黒須さんが俺の後ろを歩いているほうが多かったのだからこれは快挙だった。だが、それも学校を出るまでだった。自宅に近づくにつれて黒須さんの足取りは、何か重りを背負ったかのようにどんどんと重くなっていき、目線もどんどんと地面に向いてしまった。俺と黒須さんの立ち位置は徐々にいつものように戻っていき、今では完璧に俺の後ろに黒須さんがいるといった状況だ。意気込んでくれたのは嬉しかったが、やはりこちらのほうが黒須さんらしい。変に元気だと俺も少し心配になるのでこれくらいが丁度いい。俺はうつむいたままの黒須さんに合わせるように気づかれないように歩を緩めた。
 俺は他人のことにいちいち口を出して介入するのは好きではない。自分がどんなにがんばろうと所詮は他人なのだ、他人の気持ちなんて自分には分からないし、自分が動かないほうが結果的にいい方向へと流れて行くかもしれない。そんなことはわかっていた。それでも俺は介入してしまった。自分自身、二人には仲良くしてほしかったからだと言う理由で動いているつもりだが、何故かその理由では釈然としない。俺は本当に二人が心配だったのだろうか。
「やってやる」
 黒須さんのその言葉を聞いたときに俺は本当に嬉しかった。だがそれは、二人がこれで仲直りしてくれると言う喜びではなかったような気がする。ではなぜ俺は喜んだんだろうか?
 いくら考えても答えは出ず、気づけばスピードも牛の歩くような速度まで落ちている。流石にこの速度では家にたどり着く頃には日が暮れてしまいそうだ。どうやって黒須さんの歩くスピードを速めさせようかと、一度黒須さんの方向を確認してみるが案の定、黒須さんはうつむいたままで、表情はまるでリストラを宣告されるかもしれないと言うサラリーマンのように恐怖に満ちていた。黒須さんのその表情を見て俺は決めた。
「黒須さん。行くよ」
 自分の説得ではどうにも出来そうにないならば力ずくでもいいからどうにかしてしまえばいい。自分自身どうしてこんな方法をとったのか理解できないが、始めてしまったものは仕方がない。俺は驚く黒須さんの手を引いていそいで目的地へと向かった。



「やっぱり無理……」
 結局、黒須さんの家の玄関前にたどり着いた頃には学校で見た強気な黒須さんの姿は微塵もなく、いつものおとなしい黒須さんに戻っていた。いや、これはいつもよりひどいかもしれない。なぜならば、黒須さんは俺の背中にしっかりと隠れてしまい、さらには俺の裾をぎゅっと握っているからだ。お化け屋敷に入ったカップルじゃないんだから勘弁してほしかったが、怯えている黒須さんを見ていると、さっさと離してくれないないか。なんて冷たい言葉はのど元まで出てきて引っ込んだ。変わりに頭でもなでるべきか、それとも優しい言葉の一つでもかければよかったのだが、俺にはそんな事が出来るはずもなく震える黒須さんが落ち着くのを黙って待つ以外何も出来なかった。それは、周りから見ればかなり滑稽な風景だったに違いない。
 俺もこのまま黒須さんが一向に動きを見せないなら今日は帰ってもいいんじゃないかと考えていた。無理に仲直りをさせてもどうせいいほうには向かわないだろうし、なにより黒須さんが無理だと思うのならば無理なのだ。だがしかし、黒須さんはチラチラと一つの窓を覗いてはすぐに俺の背中に隠れると言う奇妙な行動を繰り返していた。普通なら何をしているのかと思うだろうが俺は違っていた。俺は花梨からあの窓の先がどういうところかを聞いていたのだ。だから今日はまだ撤退すべきではないと考えた。
 
 日もすっかりと暮れてしまい。結局、あのまま歩いて居たら家につくだろう時間になってしまった。黒須さんは怯えるようにして震えることはなくなったが、以前としてチラチラと窓に視線を投げかけては俺の後ろに隠れるだけだった。きっと今黒須さんは決めかねているのだ。ここで行くべきか行かざるべきかを。黒須さんは今戦っているのだ。自分の中で渦巻く色々な感情と。
 八年と言うのは実に長い。日付にすれば二九二四日、つまりは二九二四回はおはようとお休みの挨拶が出来たはずだ。それにもかかわらず、この姉弟はその二九二四回をすっ飛ばしてしまったのだ。久しぶりに話す。それも今までのことを清算しようと謝罪しに行くのだから踏ん切りもなかなかつかないのだろう。普通ならここで悩んで悩んで答えを出すものなのだが、黒須さんは生憎そういった経験は初めてのようでかなり戸惑っている。初めての初心者を助けるのはこの計画を実行している俺だろう。おそらく黒須さんは後一歩なのだ。ならば俺がその一歩を一押しするしかないだろう。二人のためにも、黒須さんのためにも。
「このままだと日が暮れちゃうよ。覚悟を決めなよ『お姉ちゃん』」
 少し意地悪だったかもしれないが、後一歩が足りない黒須さんにはこれくらいが丁度いいはずだ。念のために俺の背中から引き剥がし、インターホンの前へと立たせてからチャイムを押す。家の中にチャイムが響いていく音が聞こえてくると、それまでは俺をにらんでいたと言うのにとたんに黒須さんは固くなってしまう。俺は笑いながらだが黒須さんの肩をやさしく叩いた。
 返事の変わりに無言でこちらを見てうなづく黒須さん。どうやら覚悟が決まったようで、その表情からは恐怖が消え、代わりにやる気が現れていた。これならばきっとうまくいくに違いない。そうでなければ俺が困る。まぁ駄目になりそうだったときは俺と花梨が何とかしよう。それがこの計画を立てた俺と花梨の責任だと思うから。
「あにぃー」
 落ち着いたところで花梨の声が聞こえたような気がした。そういえば花梨の奴はどうしているんだろう?黒須さんが弟君の姿を見かけて走り出してしまったのを追いかけていたから授業には出ていないし、携帯の入った制服は黒須さんの毛布代わりに使っていたから携帯も見ていない。恐らくあいつは弟君と一緒に居るだろうし、ここらで連絡を入れておくのもいいかもしれない。俺は、まだ黒須さんの柔らかな香りの残る制服から携帯を引っ張り出す。
「げっ」
 携帯のディスプレイには『着信アリ五十三件』の文字が不気味に光っていた。恐る恐る発信者の番号を見てみるが、やはり花梨のようだ。これはかなり怒っているに違いない。この件が終わったら何とかして機嫌を直してもらえるように善処しよう。そうしないと俺の生活に支障が出そうだからな。そんなことを考えながら、今だどこか硬い黒須さんを眺めながら小さく笑う。
「この件が無事に終わったならね……」
 口にしてもう一度笑う。なぜならば、この件は無事に行くような気しかしなかったことに俺は人を過信しすぎかなと少し自嘲してしまったのだ。
「っんの馬鹿あにぃー」
 連絡しようと携帯のボタンをプッシュした途端だった。俺の連絡相手の声が受話器ではなく俺の下から聞こえてきた。靴先は見事、俺のわき腹に突き刺さっており、まさにクリティカルヒットといったところだろう。なんとも熱烈な愛情表現だ。
「連絡しても返事しないし、やっと見つけたと思って声をかけても無視とはいい度胸じゃないの?」
 何故か俺は自分より身長の低いはずの妹の花梨に見下ろされていた。別に花梨が特注のシークレットシューズをはいているわけでもなく、もちろんいきなり大きくなったわけでもない。俺が小さくなったのだ。それも、地面が目の前に見えるくらいに小さくだ。
 熱烈な妹からの愛情表現を受けた箇所をさすりながらゆっくり立ち上がる。今のは効いたぞ花梨!なんてどこかの漫画のように叫んでやりたかったが俺にはそんな余裕はない。だが絶対に許しはしないぞ。
「い、今、連絡しようとしてたんだよ」
 花梨はいかにも俺を疑ってかかっているがどう説明したものか……。
「はぁはぁ……なんでいきなり走っちゃうんだよ白金さ……」

「……大河」

 長い長い。いや、もしかしたら一瞬だったかもしれない沈黙の後で言葉を発したのは黒須さんだった。てっきり俺は家で待機しているものだと思っていたのにこれでは予定に狂いが出来た。このまま行くと黒須さんが逃げ出してしまうなんていう最悪のパターンも計算に入れないといけなくなってしまう。黒須さんはまだ花梨が言う様に強くないはずだ。だからこんな状況は非常にまずい。
「くっ」
 やはり俺の悪い予感は当たってしまったようで、黒須さんは走り出してしまった。
「待ちなさいよ馬鹿あにぃ」
 とっさに飛び出そうとした俺を制したのは花梨だった。一体何をしているのかと怒鳴りたくもなったが、目の前の光景を見て力を込めた足を引き戻す。
「俺の負けだよ花梨」
 やれやれと花梨に負けたとジェスチャーしてから、大人しく自分の家に向かって歩き出す。花梨の言った通り黒須さんは俺が思うほど弱くはなかった。花梨に負けたのは悔しかったが、今は負けてよかったとさえ思える。それはもういきなり蹴られたことも帳消しにしてもいいと思えるくらいにだ。俺は隣りを歩く花梨の頭を乱暴になでてやる。子ども扱いをするなと何らかの反撃が返ってくるかと思ったが、花梨は嬉しそうに笑っていた。そんな可愛い妹の笑顔を見て不機嫌になる兄貴がどこに居るだろうか。俺は一度だけ振り返る。
「ごめんね、ごめんね大河」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
 泣きながら抱き合う二人を見て俺も花梨と同じように頬を緩ませる。あの二人の間には八年間の長い長いすれ違いも、長い長い沈黙も、短い短い言葉だけで解決してしまったようだ。やはり俺達兄妹の出る幕はなったのかもしれない。だが動いてよかったと思う。なぜなら黒須さんが喜んでくれたのだから。
 だがそれは空気も読まず唐突に、干渉に浸っている俺のポケットを震わせた。

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