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第20話〜忘却

「今日のスケジュールは……」
 太陽が昇りきらないころ、見知らぬ天井を見ながらいつになく早起きをした俺はスケジュール確認のために自分のしおりを見た。
「雑巾がけレース?」
 しおりに書いてあったことが嘘のように見えて、思わずつぶやいてしまった。しかし、そんな俺のつぶやきに反応してくれる人間はこの室内には居らず、俺のつぶやきは雑音として朝の空気に溶けて行った。
 しおりに書いていたようにジャージに着替え、部屋の男子と一緒に部屋を後にする。流石に男女で同じ部屋に寝泊りをするといっても着替えをじろじろと見るわけには行かないと。
 朝の刺さるような寒さに身を震わせながら辺りを見回すと、同じように自分の体を抱いて震えている男子生徒がちらほらと見えた。やっぱり男はつらい。
「着替え、終わったよ」
 この肌を刺すような痛みに似た寒さにもなれ、自分の白い息を見てどこかの怪獣のようだなと一人笑っていたところ、部屋の中からジャージ姿の女子が顔を出した。
「なんに笑ってんの」
 怪訝そうに俺の顔をのぞきこんで首をかしげる女子。
「なんでもないさ」
 そんな視線を無視してさっさと部屋に入る。早く片づけをしないと朝礼に間に合いそうにない。
 もう温かみなど残っていない冷たくなった布団をきれいにたたみ、自分の荷物をひとまとめにする。財布や携帯。そんなものは有ったとしてもここでは何の意味を成さないのでもちろん置いていくことにする。
 整理が終わった後、係りに部屋に点検を受けて朝礼に向かう。
 この神社はとてつもなくでかい。何せ建物が五つもあるのだからそれはもういいところの学校のように巨大だった。そんな神社の中央に位置する一番大きな建物で朝礼は行われる。俺達は素足で氷のように冷えた廊下を歩いて中央へと向かった。しかし長い。この廊下長すぎる。
 中央の神社の外回り、つまりその外周の廊下は一辺だけ見てもおおよそ五十mほどもあり、十分にリレーが出来そうな距離だ。
 そんな長い廊下の中央くらいの位置に扉は取り付けられていた。少し大きめの木製の扉は開いたままで、中にはもうすでに他の生徒達が並んでいる姿がポツポツと見えた。
「おはよう白金」
 こんなに寒い早朝だというのに恋は相変わらずだった。これくらいの寒さならなんともないと語る恋は白い歯を覗かして、にっこりと笑った。恐らくは少し歩いてきたからだろう。その笑顔を見て少しからだが暑くなったような気がした。
「よう祐斗」
 こちらは眠そうに大きなあくびをしながらの挨拶だ。学校の代表とあろう物がこれでは、やはりこいつにあれをやらせたのは間違いだったような気がする。
「あの……おは――」
「おはようございます白金祐斗」
 二人と軽い挨拶を交わした後、適当に雑談を交わしていたところに後ろから聞きなれた少し高めの声が聞こえてきた。しかし、何故にフルネーム。俺が声のほうに振り返ると、そこにはやはりあたり前のように長い真っ赤な髪を携えた西条さんの姿があった。隣のクラスだというのに俺に挨拶をしに来てくれるとは、なんとも律儀な人だ。というか西条さんはいつも一人で来るな。いや?さっき誰かいたような気もする。
「西条さんはクラスに友達いないの?」
「は?」
 俺の質問に流石の二人も固まってしまった。しまった、思ったらすぐに口に出してしまう癖がまた出た。西条さんはまだ朝早く、血圧も上がりきっていないだろうに顔を真っ赤にして震えている。その姿は、まるで沸騰したやかんだ。
「青葉(あおば)、翠(みどり)!」
 そう大きな声で言ったかと思うと、どこに潜んでいたのか二人の女子生徒が音も立てずに現れた。
 一人は、小さいめがねのたわわな果実の女子生徒。一人は、恋と同じにおいのしそうなまな板の女の子。うん。目の保養になる。
「あなた達は私の何?」
 そう西条さんが二人に問う。
 俺は当然ここで二人が友達だけど?という反応をするのだろうと思った。しかし、現実はなかなか面白いもので、俺の予想は大きく裏切られる。
「お姉さま!」
「うまい物くれる人」
 二人は元気よく答える。うっとりと頬を赤らめているのと、おそらくは前にもらった食べ物でも思い出しているのだろう。どこか遠くを見つめたままへらへらと笑う二人。どちらがどちらのリアクションをしていたかを言う必要性はないと思うが、確認のために言おう。百合なのがたわわな果実で食者がまな板だ。
「ずいぶんといい友達をもったな」
 笑いをこらえきれずに西条さんの肩を叩きながら言う藤村。だめだ、俺も笑いをこらえ切れない。
「あ、あ、あんた達ねぇ」
 顔は今までにないくらいに真っ赤に染まり、両手もわなわなと震えている。
「とりあえず逃げましょう」
「それがよさそう」
 二人は自分の危険をすばやく察知したのだろう。蜘蛛の子を散らすように去っていく。
「まちなさーい」
 そういって走り出していった西条さんを見ながら、元気だなと笑ってしまう。
「あのまな板……危険ね」
 隣りでは、何故か恋が走り回るまな板の子を見ながら、敵対心を燃やしていた。大丈夫だ。二人とも胸の大きさなんて比べるだけ無駄だと思う。



「以上で朝礼を終了します。以降は半の担当の先生の指示を聞いてください」
 出発時のように長くはなかったが、それでも十分すぎるほど長い朝の朝礼を聞き流して、最後にわずかに記憶に残った担当の先生の指示に従うという言葉に従い、クラスの皆が集まるところへとなんとなくよって行く。
「お前と一緒かよ」
 集まる生徒達の視線の先には、如月先生が居て、いつもは見ないジャージ姿だったので新鮮だなと思って俺がじっと眺めていると、藤村がそう俺に伝える。どうやら皆が群がっていたのは、如月先生のジャージ姿が見たいわけではなく、如月先生の持っている今後のクラス分け表が見たいようだった。
 俺もなんとなく表を見てみるが、結構見知った名前があったので安心する。
「じゃあクラスごとにわかれて行動するように」
 如月先生の言葉で俺達はばらばらになった。

「はい、Aクラスのこはこっちにきてねー」
 隣りで聞こえてくる、若い先生の声を聞きながら自分の不運さを恨みたくなる。
「よし、Fクラス集まったな」
 俺達の目の前に居るのは男くさい体育教師。そして、さらに恨めしいのが、このクラス編成はどうも学力で分けられたらしい。クラスはFクラスまで。つまり、俺は最下層のクラスに居るということだ。今後の課題で昇格やら降格なんかがあるらしいのだが、まぁ適当にやってつらいことを出来るだけしないようしようと思う。
「お前らのようなFクラスの人間は他のクラスよりもがんばらなければいけない。なので、このクラスは他のクラスとは勉強量が違うぞ」
 よし前言撤回だ。がんばって上を目指そう。
「白金……」
 先生の言葉を聞いて不安そうに俺を見つめる恋。やはりこいつもこのクラスだったのか。
「白金、たいしたことはないですね」
 そういって俺に笑いかけるのは西条さん。クラスは俺の一つ上、E。絶対に抜いてやる。
「あれ?さっきの白何とか君じゃないかー」
 なれなれしく肩を叩いてくる奴だと思ったら、先ほどのまな板ではないか。
「私は翠、高槻翠(たかつき みどり)よろしく」
 肩に手を置いていたと思ったのに、もう俺の手を握ってぶんぶんと振り回している。肩が外れそうだ。
「白金が痛がってるでしょ」
 苦痛に少し顔をゆがめたところで助けに入ってくれたのは恋で、物凄い剣幕でまな板。もとい翠さんをにらみ見つけている。
「ふーんそうかー」
 なにやら翠さんは俺と恋を交互に見て納得したようにうなづきながら、健康的な褐色の肌から真っ白な歯を見せ、ニヤニヤと不気味な笑みをうかべている。
「まあよろしく頼むよ、えーと……」
「後藤恋だ、こいつは」
「おう、恋と白なんとか、よろしくな」
 困っているから助けてやったというのにひどい扱いだ。
「親友である僕、藤村の紹介はどうした祐斗」
「さて行こうか」
 約一名何かをいいたそうにしていたが、厄介なので放置して先生の話を聞くことにする。
「今から行われるのは、雑巾がけレースだ。内容はその名の通り雑巾がけでレースをする」
 先生はホワイトボードにこの神社の地図を張り、今いつこの中央の神社の長い長い六角形の廊下を赤いペンでなぞっった。
「コースは自由。ゴールはここを左に一周してスタート地点に戻ってくればいい」
 再び、強調するようにぐるぐると回り六角形の廊下を赤く染める先生。もはや、神社の周りが血の川のようなことになってしまっている。
「Fクラスは最後だからそれまではここで勉強だ」
 ホワイトボードの後ろにあった箱からどっさりと課題を抱えて俺達に笑顔を振りまく先生。きっと恨みで人を呪い殺す能力があったら、この先生は今死んだだろう。

「では次はFクラスの番だ。このタイムは課題の点数にもかかわってくるからしっかりとやれよ」
 ペンをずっと持っていたことによりジンジンと痛む右手を揉みほぐしながら廊下に向かう。廊下には、今までのベストタイムであろうタイムと、廊下の向こう側の壁には、丁寧に矢印が張りつけられていた。そもそも、六角形の廊下なんだからコースを間違えることはまずないと思う。
 しかしだ、俺はこのときにはもうすでに気付いていた。このレースの必勝法を。
 係りから湿った雑巾を受け取り廊下の端まで移動する。恋や翠さんは入念に雑巾選びをしているようで、どちらもこいつだけには負けたくないというオーラが出ている。
「位置について」
 このレースの全長はおおよそ五十m×六辺の三百m。はじめから飛ばしていたら体力が持たないだろう。そういうことも考慮して、俺は出発を最後尾に陣取っていた。
「よーい」
 雑巾を硬く握りなおす。周りの奴らも同じような体育会系ばかりで、皆やる気十分だ。
「どん」
 勢いよくスタートしだす一行。はじめからあんなに飛ばすなんて体力は本当に持つのだろうか?俺は一人周りとは違うゆっくり目のスタートを切った。
 俺が廊下の二十五メートルほどに差し掛かった頃、すでに他の人間は五十mに達していた。おかしい。何故こいつらはスピードが落ちない。
 しかし、俺はあせらなかった。しっかりと全員が曲がったのを確認して俺は廊下の中央でいきなり左折した。中で勉強をしていた他の生徒達が、何が起きたんだという目で俺を見る中、俺は颯爽と中央を突破して行った。
 このレースの必勝法。それはスタートのスピードや雑巾の握り方、ましてや体力なんかではまったくない。このレースを制するには、いかにこのレースの穴を見つけるかということだ。今回のこのレース、ルートは得にここを回れというのは指定されなかった。つまりは、どこを通ってもよいということだ。恐らく、先生がやたらと地図をぐるぐるとしていたのも、間違えるはずのない道にわざわざ道しるべを置いていたのも、それを感づかせないためだろう。
 俺は悠々と五辺目に入り、徐々にスピードを上げていく。これならば確実に追いつかれることはないだろう。余裕過ぎて鼻歌も歌えそうだ。
 しかし、運動馬鹿というのは恐ろしいもので、俺が五編目の終わりに差し掛かった頃にはすでに恋の姿が見えていた。
 いくらなんでもあの速さはおかしい。そう思いながらも俺はまたスピードをあげた。戦略が単なる戦術に負けるなど思いたくない。
「白金ー」
 後ろから迫った繰る足音はどんどん近づいてきており、もう追いつかれてしまいそうだ。
 ゴールまで後数メートル。俺はもう無理だと悲鳴を上げ始めた体に鞭をうち、さらにスピードを上げる。
 
「ゴ、ゴール」
 ゴールに滑り込んだ俺が少し横を見ると、恋の他に翠さんまでもが倒れ込むようにしてゴールに滑り込んでいた。なんと言う超人的体力。
「白金祐斗君が一位です」
 係りのその声に俺は歓喜した。しかし飛び上がって喜ぶことも出来ず。その場で倒れこんだまま動けなかった。
「白金、これであそこを通ったのは史上二人目だ」
 どこから現れたのか如月先生が嬉しそうに俺に教えてくれる。
「前やったのは恋の姉だったよ。そのときは藤村の姉に体力で結局負けたが、今回はそうは行かなかったらしいな」
 そういって如月先生は俺を一度だけ叩いてその場を離れていった。
 なるほど、麗子さんならあのコースを思いつきそうだ。

「よし、では再び課題を配る」
 レースでへとへとになった俺達は、レスーで全力を出しすぎたことに後悔しながらも、自分に課せられた課題をただひたすら解いていった。

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