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第12話〜ネームレス

「テストを返しまーす」
 あれから一週間が経ち、テストも無事終了した。
 そして今はテスト返しの真っ最中だ。
「今回、がんばりなさいって行ったのに赤点がいることに、先生はショックです」
 教壇に立つ如月先生は、大げさにアクションをしていっそう悲壮感を漂わせる。そのリアクションで教室の一角の温度は一気に下がる。恐らく自分の身の危険を察知したのだろう。
 いつもならば、あの生徒達と一緒に不安に駆られて震えていただろう。だがしかし、今回は違う。俺達四人はそれはそれは勉強に励んだ。
 その努力が奇跡を生んだのだろう。ここまで帰ってきたテストの点数は、いずれも未知の領域八十点オーバー。
 俺達三人はいつもアウトラインぎりぎり組だったので相当、先生たちも驚いていた。
 カンニングじゃないのかと冗談で言われたりしたが、それはない。これは俺達の実力だ。俺達はやれば出来る子だったのだ。
 いままで同じように赤点におびえながら一緒に馬鹿をやってきたやつらは、俺達を見て、両手を合わせるようになるまでになった。それくらい俺達の点数は驚異的だったのだ。
「じゃあ点数のよかった順に返すわね」
 如月先生のその嬉しそうな声に、クラス全員の視線がある一点に集中する。
「初めに、黒須さん」
 クラス中の視線を独り占めした黒須さんは無言で自分の席を立ち、そのまま無言で如月先生の前へと歩を進める。
「満点」
 如月先生は太陽のような笑顔で答案を差し出すが、黒須さんは氷のように冷え切った目線で先生を一目し答案を受け取り、そのまま自分の席へと戻っていく。
「まただよ……」
「全教科やりやがったよ」
 ざわざわとクラスのところどころからは、黒須さんに関する恨みにもにた羨望の声が聞こえている。
 そう、俺の隣の黒須さんは全教科満点をたった今、達成したのだ。
 これだけすごいことを成し遂げたと言うのに、本人は大して興味がないと言った様子で窓の外の桜を眺めている。そりゃ誰でも羨ましいし、にくたらしいと思うに違いない。
「次の人」
 如月先生の声に、クラスの黒須さんへの注目は収まり、みな、呼ばれては自分の答案を見て色々なリアクションをしている。
 やっぱり勉強してないと駄目だ。と言い訳をする男子。
 勉強してないのに結構よかった。と高得点をたたき出すうそつきな女子。
 次は本気を出す。と言って毎回意気込んでいる男子。
 結局はみんな自分のことが一番気になっているのだ。
「後藤ー、藤村」
 続けて名前を呼ばれた二人は、緊張した様子で返事をし、ペンギンのようにヨチヨチと如月先生のともまで歩いていく。なんとも面白い。
「よく出来ました」
 二人とも如月先生笑顔とその言葉に安堵し、力なく崩れる。だらしないやつらだ。
 二人が呼ばれた後も、クラスのやつらが次々と呼ばれていく
 だがしかし、おかしなことに俺はまだ呼ばれていなかった。
 次はくる。次はくる。そう思って祈るように待っていたのだが、帰ってきていないメンバーはどいつもこいつも見覚えのあるメンバーになってきている。

「はい、じゃあまだ名前を呼ばれなかった人は後で先生のところに来てね」
 終わった……俺の休みは消えた。あれだけ黒須さんに教えてもらったと言うのに赤点を取ってしまった。
 ちらりと藤村たちを見ると、固まった笑顔で答えてくれた。そりゃそういう反応になるだろう。
 黒須さんはというと、俺の様子など気にもかけず、相変わらず外の桜を見ていた。

「月曜日に再テストをします。それで駄目だった人は期末テストをものすごくがんばらないといけなくなるからがんばってね」
 授業後の休み時間、如月先生の前に集まった五人の生徒は、まさに処刑台の上に上がった気分だったに違いない。何せ実際に俺がそうだった。
「再テストね、がんばりなよ」
「お前なら何とかなるって」
 放課後、如月先生に言われたことをそのまま三人に話すと、そんな答えが返ってきた。
 二人とも自分が赤点が一つもなかった。そしてすべてのテストにおいて高得点をたたき出したその事実に完璧に酔っているのだろう。俺への返答が適当だし、ずっと薄ら笑いをうかべている。
 黒須さんはというと、帰り道が一緒と言うだけなので特に俺達と会話らしい会話をしたことがない。当然、何のリアクションはなかった。
「じゃあ土日の勉強がんばれよー」
 藤村が別れの際に言った心のこもっていなさそうな言葉を受けて、豆腐の角で頭を打てばいいと思った。
「がんばー」 
 恋の能天気な声に、こんにゃくで頭をぶつけてしまえばいいと思った。
「完璧だったはずなのに、いったいどうすれば……」
 二人が去ってしまった今、これは独り言だ。後ろに黒須さんがいるが、きっと彼女は聞いていないのだろうから、これは独り言だ。
 正直、俺の回答は完璧だったはずだ。満点でもいいはずだ。しかし、現実問題。完璧ではなかったので俺はとんだ勘違い君だ。だが、俺はベストを尽くした。だから、あれ以上の勉強方法も努力の方法も、俺は知らない。
「する?」
 俺が頭を抱えて悩んでいると、黒須さんが俺の隣にやってきて問う。
 いったい何をするのかは主語が欠落しているのでわからなかったが、黒須さんの手元を見て把握した。
「勉強、教えてくれるの?」
 黒須さんの手に握られていたのは、数学の教科書。つまりは、それをするかと聞いていたのだろう。
 と言うか俺の独り言をきちんと聞いてたんだな。
 俺の質問に、一度だけ首を下に振り、同意の意を示してくれる。
「あ、でも、どこでやろうか?」
 俺の家と黒須さんの家のどちらかでやることにはなるのだろうが、黒須さん我教えてくれると言うのだから、そこは黒須さんにきちんと尋ねておきたいと思う。
「こっち」
 そういって黒須さんが指差したのは、黒須さんの家だった。
 いつの間にかこんなに家の近くまで帰ってきていたらしい。
「わかった、夜にでもいくよ」
 この黒須さんのチョイスは正解だと思う。
 正直なところ、俺の家で勉強と言うのはあまり向いていない。なにせ妹の花梨がうるさいのなんのって、そりゃもう騒音レベルだ。あれは勉強できる環境ではない。
「責任は持つ」
 そういって黒須さんはスタスタと家へ帰っていってしまった。
 責任?自分が教えたのに赤点を取ったということに対する責任か?それならば、俺個人の力不足だけだったのに、黒須さんには悪いことをさせてしまったな。

「こんばんわ」
 黒須さんに連れられて玄関をまたぐ。家の中からは返事こそはなったが、人の気配はわずかにした。
 しかし家から出て数秒だったと言うのに、体が少し冷えてしまった。まだまだ夜は寒いな。
「こっち」
 俺は黒須さんに案内されるがまま、黒須さんの部屋へとたどり着く。途中、人の気配のする部屋があったので、
 挨拶をしようと思って立ち止まったが、黒須さんにせかされてそれは叶わなかった。
 俺の中での黒須さんの部屋は、書庫と言ったイメージだった。
 きっと本が大量にあって、それが本の為の部屋なのか、黒須さんの為の部屋かがわからなくなっているのだろうと想像していた。
 だがしかし、目の前のこの光景はいったいなんだろうか?
 明るい色の絨毯にかわいいぬいぐるみ、カラフルな棚やかわいらしい装飾品。
 それはまさに女の子の部屋だった。
 女の子の部屋なのだから女の子の部屋だと思うのは当たり前なのだろうが、俺は黒須さんの部屋と言うのはもっとこう、イメージ的には違うものを想像していたのですこし度肝を抜かれてしまった。
「勉強」
 部屋の中の風景に唖然としていた俺をつついて、そのまま部屋においてあったこれまたかわいらしい小ぶりな勉強机を指さす。
「わからなかったら呼ぶ」
 そういって黒須さんは、放心状態の俺を一人部屋において部屋から出て行ってしまう。
 こんな女の子らしい部屋に残されてしまったら、俺は勉強どころじゃなくなってしまうじゃないか。何かほのかに香る甘いにおいも気になるし。この机の引き出しには何が入っているのか?なんて事も気になってきてしまう。
 そしてだ、今黒須さんはいない。わからなかったら呼べといっていたので呼ばなければこないはずだ。そう思うと俺の手は勝手に机の引き出しに伸びていた。
 だが、その手は引き出しの取っ手に届くことはなかった。俺を信頼してここに一人にしてくれた黒須さんを踏みにじるわけには行かない。しかし、見たい。見たくないのかときかれればもちろん見たい。だがそれをしてしまえば、人間として大切な何かを失うような気がする。
 そうして俺が止まったままうなり声を上げていると、部屋の扉が開いた。
「すすんでる?」
 黒須さんは重たそうな本を五冊ほど抱えて戻ってきた。
「自分の部屋から本、とって来た」
 自分の部屋、と言うと、ここは違う人の部屋なのだろうか?それとも自分の部屋が二個あるのだろうか?
「おかあさんの部屋のほうが色々と便利」
 なるほど、ここは黒須さんのお母さんの部屋らしい。
 黒須さんのお母さんと言えば、確か病院で見かけたあの人だな。なるほど、納得した。
 小さくて、柔らかな印象の人だったからこういう内装もありだろう。
「勉強する」
 俺は重たい本を持ったままの黒須さんにせかされて勉強を開始する。ここで嫌だと言ったらあの本で殴られるに違いない。
 いつもと違う環境だからだろうか?ものすごくはかどったような気がした。
 そして俺は次の日も、次の日も黒須さんの家で勉強をした。

「さて、あつまったわね」
 如月先生に呼び出しを受けて、俺達五人が集まったのは月曜日の放課後のことだった。
「開始ー」
 再テストが開始したのも放課後だった。
「はいおわり」
 そして終了も放課後だった。
「くっ」
 そして俺達五人は今、直立不動のまま判決の時を待っていた。
「田中」
 俺の隣にいた太めの男子が、自分の名前を呼ばれたのと同時にビクッと震えてから声のほうへと歩いていく。後姿が非常に心ともない。
 その後も一人、また一人と仲間は減っていき、最後に残ったのは俺一人だけとなってしまっていた。
「白金」
 とうとう俺の順番が来たか。
 今度こそは完璧のはずだ。むしろ百点をとってもおかしくないと思う。

「なんでかなぁ」
 よくあるキャスター付の椅子に深く腰をかけたまま、如月先生はあきれた様子で頭を乱暴にかいて俺に聞いてくる。
「赤点はお前だけだよ白金」
 ため息混じりに語る如月先生。なんと、また俺はやってしまったのか。金曜日の夜からずっと黒須さんと勉強をしていたと言うのにまたやってしまったのか。
 しかもあいつらは無事突破したのか。
「な、何点なんですか? 俺は」
 いまだにやれやれと頭を掻いている如月先生に結果を聞いてみる。
 アウトラインぎりぎりアウトなのだろうか?それともアウトなのか?
「ゼロだ」
「ゼロ……だと……?」
「そう、まん丸ゼロ点」
  椅子のきしむ音と、先生の深いため息が漏れた。
「何せお前だけ答案用紙がないからな」
 なんともめんどくさそうな如月先生の声に、絶望で頭をかかえる俺だったが、その一言に疑問を感じる。
 俺は確かにテストは提出したはずだ。
「今回のテストとこの補充の再テスト、二枚だけ名前のない答案があったんだよ」
 そういって俺の目の前に置かれた答案、それはまさしく俺の筆跡だった。
「こまるなぁ、だれだろうなぁ」
 そう言って先生はテストの上にすっとペンを置いたまま窓の外を眺め始める。
「誰か名前書いてくれないかなー」
 少しの沈黙の後、そうつぶやく先生に心から感謝し、急いで自分の名前を欄に記入する。
「これ俺のですよ先生。困るなあ見逃してもらっちゃ」
 わざとらしくそういって答案を渡す俺に、先生は笑って本当の点数を書き込んでくれる。
「次からは見逃さないからな」
「ありがとうございます」
 そういって俺は二枚の答案を持って家へと急いだ。あたりはもう暗い。

「黒須さーん」
 肩で息をしながらも、黒須さんの家の玄関前で大声で黒須さんを呼ぶ。息がとても白い。
 そういえばこんな時間に叫ぶのは、すこし近所迷惑かもしれない。が、後の祭りだ。
「なに?」
 玄関から出てきてくれた黒須さんに、自分の持って帰ってきた答案をしっかりと掲げる。
 もちろん笑顔でだ。
「……百点?」

 そう、俺は満点だったのだ。
 名前を書いていなかったので零点。名前を書いていれば百点。まさに天国と地獄だ。
 驚きを隠せない様子の黒須さんは、穴の開くほど答案を見つめ、そしてそのまま両手を組んだまま考え出してしまう。
「黒須さん。勉強教えてくれてありがとうね」
 きちんとお礼を述べて、黒須さんに報告を完了する。
 黒須何は俺の言葉には反応せずなにやら難しい顔で考え込んでいた。
 そんな黒須さんにもう一度お礼を言って、俺はまだ冷え切らぬ体で家に帰り、妹に自慢を開始する。
 
 
 
「赤点……じゃない?」
 おかしい。
 彼が帰ってからも、そのまま玄関で立ったまま考えてしまう。
 私は彼に迷惑を掛けたくなかったから、何も考えないようにしようと思っていた。
 しかし私は『赤点を取らないでほしい』と願ってしまったはずだ。
 それがどんな結果を生むかわかっていたのに、だ。
 何故そんなふうに願ったのかはわからない。それは責任?それとも謝罪?
 大嫌いな彼のことを思いながら、私はまた深くうなり声をあげる。
 また、彼が私の能力を破った?
 いや、これは偶然。よくある偶然。
 そう思うことにして、指先が冷たくなり始めたところで家の中に入った。
 体は冷えていたと言うのに、心はなんだか温かかった。

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