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第五話〜鬼

 近くにいた線の細い、見るからに弱そうな男に駆け寄る。
「な、なんだおまえ」
 男は、完璧に動揺しているようで攻撃をしてくる気配はない。
「おい」
 男の元へと駆け寄りながら声をかけ、そして両手を突き出して。
「抵抗はしない。助けてくれ」
 両手を挙げたまま、降参の意を表して助けを求める。
「抵抗はしないって、してるよね」
 そのとおりだ。動揺しながらも男は、確実に俺の痛いところをついてきた。
「抵抗したものはどうするんだっけな」
 一瞬背筋がぞっとしたが、男は俺に特に何もせずに額に手を当ててなにやら考え始める。
「あぁ。まいったなぁ」
 男は扉の下敷きになっている男を見ると、かなり悩んでいる様子で、俺のことを忘れているのかというほど集中している。
「殺してやる」
 今度は、背後からぞっとした感覚が襲ってくる。
「あぁ。やっぱり面倒な事に」
 やれやれといったように男は、ため息をつきながら声のほうを見ている。
俺もそれにつられて声のほうを見ると、俺が蹴破った扉と、人という枠を超えてしまったかのような目で、俺を見ている男が一人居た。
「絶対に」
 男のマスクは扉で頭をぶつけたときにどこか切れたのだろうか、少し赤く染まっている。
「血祭りに」
 頭から血を流しながらも俺をじっと見つめる目。その目はまさに鬼のそれだった。
「あげてやる」
 鬼は、そういうと体の上に乗っている扉より先に、落ちていた銃を拾おうと手を伸ばす。
「止めときなよ」
 俺は、その異様な風景に完全に身動きができなくなってしまっていたが、どうやら隣の男は違うらしく母親が子供をしかりつけるかのような口調で男に注意を促していた。
「五月蝿い」
 鬼は血まみれのままで、寝転がりながらも俺に銃口を突きつけてくる。
「止めろというのが聞こえないのかな?」
 表情、口調は一切変わらないというのに鬼は、まさに蛇に睨まれた蛙のように動かなくなってしまう。理由は簡単、隣の男の異様なまでの殺気に押されたのだ。
「っち、リーダー様にはかなわないね」
 そう言うと、鬼は殺気を消してただの人に戻る。そして、やっと銃をおろして体の上にある扉に手をかけて扉をどかし始める。
「本当にリーダー様はおっかないねぇ」
 男は、扉をどかすとゆっくりと立ち上がり服についたほこりをはたき始める。
「しかし、君もあいつに目をつけられるとは災難だね」
 リーダーと呼ばれた男は、苦笑いをこぼしながら俺に言った。男に目をつけられるとかそれ以前に、ハイジャックにあったことのほうが災難じゃないかと思ったが、口に出すのはやめておいた。
「ところで君はどこから?」
 男は俺にさりげなく聞いてくる。
「日本です」
「そうじゃなくてシートだよ」
 男は、またも苦笑いをこぼしながら俺に問いかけてくる。俺がシートの位置を教えると男は、
「じゃぁ行っておいで」
 などといって俺を解放してくれた。
「おい」
 やっぱり何か用があるのかと思って首を声の方向に回す。
しかし、俺はすぐにまた首の方向を変えることになった。一瞬の痛み。口の中に広がる鉄の味。頬に残る鈍痛。明らかに俺は殴られた。
「これですんだと思うな」
 声の主は見なくてもわかる。たぶんあの鬼だろう。なので俺は振り返ることもせず、もとの席へと歩き始めた。
「無事だったか雄介」
 シートに戻るとすぐに前田が心配そうに尋ねてくる。
「何とかね」
 平静を装いながら答える。
「何とかってお前口元」
 何かと思い口元を拭うと、そこには俺の血液が付着していた。
「その血どうしたんだよ」
 ちょっと真剣な顔で前田が聞いてくる。
「転んだ」
 信じるはずはないだろうが俺は適当なことを言ってみる。
「転んだのか……そうか」
 案外簡単に信じた。
「俺達どうなるのかな?」
 もう俺のことには興味をなくしたのだろうか、すぐに次の話題が出てくる。
「ハイジャックなんだから要求があるはずだ、その要求さえ通れば俺たちは助かるさ」
 俺がもっともな意見を述べると、前田は納得した様子でうんうんと頷いていた。
「ハイジャック……」
 前田はなにやらぶつぶつと念仏を唱えるように呟き始める。
そんな前田を放置して周囲を確認すると、怯える乗客と乗務員。そして、通路をマスクを被り文明の凶器で武装した非文明的なハイジャックが我が物顔で闊歩している。
そんな風景に見飽きて視線を自分の近くに向けるとそこには、俺が居なくなった時とは様子が違うチェス盤を見つける。ここにおいたのか、ナンセンスだな。
「これでおまえチェックな」
 なんの断りもなくいきなり駒を動かす。
「え?あ、ちょっと」
 突然の出来事にうろたえる前田。さっきまでハイジャックだの何とかといっていたのに、もう忘れてしまったようだ。
まったく便利な頭だ。
俺は再び鞄から取り出したサバイバルブックを読み始めた。
前田は頭をひねってどうにかして俺のチェックから逃げる方法を探していた。
「残念なお知らせだ。どうあがこうが次でチェックメイトだ」
 そう宣言しても前田は唸り続ける。
本にも飽きて退屈になった俺は鞄からボールペンを取り出して二、三度回してからすばやく三回ノックした。それを何度か繰り返して、それにも飽きてペンをポケットにしまう。
「うー」
 しばらくしても、前田は悩み続けたままだった。

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