第三十九話〜死
家に入る、居たのは真っ赤な化粧を体中にしている母と、それを抱き抱える父と、驚いて止まってしまっている俺だけがいた。
「雄……介……?」
母が血だらけの手で俺の名前を呼びながら、頬を撫で言おうとするが声はない。
口の動きから見てこうだろう。
『ご・め・ん・ね』
あの日と同じようにその口の動きを見た瞬間に俺も、空中で見ている俺も瞳から涙を流す。
俺は母の離別を理解して。
飛んでいる俺はこの後の事を悲観して。
それっきり母は動かなくなってしまう。
「雄介」
父も泣きながら俺に話し掛ける。
「隠れろ」
父はたんすを指差して俺に指示を出す。
「父さんは?」
俺は聞き返している。
「父さんは仕事でもう帰れないかもしれない」
父は極めて真剣な顔でそう告げる。
「嫌だよ」
俺は当然のように嫌がっている。
「ごめんな」
父は俺の頭を母のように優しく撫でる。
「嫌だ嫌だ嫌だ」
今の言葉と仕草で幼い俺でもそれの意味を理解することは出来たようで激しく抵抗している。
「雄介! 頼むから……」
父の必死の頼みかけで俺も渋々たんすに向かっていく。
俺は今頃たんすの中で泣きながら父の腕時計を見ている頃に違いない。何故なら、この時の時間は忘れたくても忘れられないからだ。
自分でも部屋の時計を見てカウントダウンを開始する。
5、4、3、2、1……。
「0」
俺の0と言う言葉と同時に玄関が蹴破られる。
「武藤!」
ドアを蹴破った男は、怒鳴りながら土足で家に上がり込んできて、父の胸倉を掴む。
「貴様! あれをどこに隠した」
父の胸倉を掴んでいる男の顔がはっきり見て取ることが出来る。
やっぱりあのときの記憶とは違い、あの時は声しか聞こえなかったはずの男の顔が見れた。
確かこいつは後で捕まったな。
「どこだと言っている」
男は父を地面にたたき付けて暴行を加える。父の体を殴る音だけが部屋に反響している。
「さっさとはけ!」
男は必死に父からなにかの在りかを聞き出したいようで、なんども「あれ」とか「どこだ」とかを言いながら父を殴り続けている。
「糞……」
俺は目の前で両親がいたぶられているというのに冷静でいるほどの人間ではなく自分の拳をかたくにぎりしめる。
「やめろおぉ」
我慢できなかった俺は、かたくにぎりしめた拳を無防備な男の顔面に叩き込む。
が、しかし霊体である俺の拳は当然、何の手応えもなくすりぬけていく。
当然、男は何のリアクションもせず父を殴り続けてた。
「駄目です。見つかりません」
家の中を捜索していたのだろう、数人の男達が現れる。
その中に大西がいた。
大西はその当時は下っ端だったようで、集団の中でじっとしている。
「しゃべらないなら仕方ないな……」
男は殴るのをやめて一呼吸おくと冷たく言い放つ。
「実に残念だ」
男はしゃがみ込んで父の髪の毛を引っ張り、顔が見えるようにしてから耳元で小さくささやく。
「息子さん可哀相に」
その瞬間父の瞳孔がキュッと細くなり、今まで死体のように動かなかった父が動き出した。
「や……めろ」
呻くように搾り出しながら男の足を掴む。
「どけ」
男は足にまとわり付く父を何度も蹴って引きはがそうとするが、父は接着剤で引っ付いているかのように離れない。
「なんなんだよこいつは」
男は蹴る力をさらに強める。
「やめろ」
しかし、父は離れない。
「糞」
男は父を引きはがすことを諦めて交渉に入る。
「なぁ分かったよ、息子さんは殺さない。ただしあれの在りかを教えてくれたらだ」
「本当か?」
「本当だとも」
男は極めてわかりやすい営業スマイルを浮かべるが、今の父には信じるより他に道はなく、父は目の前の棚を指差す。
「どうもご苦労さん」
男は父の肩を二、三度叩いてから棚を漁り始める。
しばらく漁ると黒いビデオテープを見つけたようでにんまりと笑う。
「テープはこれ一つか?」
男はテープを掲げながら父に聞く。
「後一つはその食器棚だ」
父は素直に二つ目のテープのありかを話す。
「おい」
男が顎で大西に指示を出すと、大西は直ぐに食器棚に飛んで行ってテープを探し始める。
「テープのありかは全部言った。もういいだろう」
父が頼んでいると大西はテープを持ってきた。
「そうだな……最後の一つを破壊してから帰るか」
「最後だと?」
父は不思議そうな目で男を見ていたが、男が懐から出した黒い筒を見て理解する。
「最後の一つはおまえの記憶だよ武藤」
男は銃の先を父の頭に突き付けるが、父は動揺する様子を見せず、むしろ安堵していた。
「私が死ねば息子は助かるんだな」
父は自分の命より俺の命を重要に考えて行動していた。
「そうされると、こちらもきちんと息子さんは助けないとな」
男は悪役の癖に最後には約束を守るようだ。
「ありがとう」
父は笑顔で答える。
「すまないな」
男はそう言うと大西に銃を渡し、その場を立ち去る。
「出来るだけ苦しまないようにな」
男はそう言い残し、他の男達を引き連れて去った。