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第三話〜トイレ

 俺がトイレのドアノブに手を伸ばしたと同時に、いきなりトイレの扉が開いた。
「あっ……すいません」
 中から出て来たのは細めのどこか影のある30代後半のスーツ姿の男性で、俺がすっと道を空けると男は音もなく立ち去っていってしまう。
 そんな男を見送ってから、トイレに入り大きなため息を一つつく。
 トイレというのは、考え事がしやすい空間だと思うのは俺だけだろうか?
 トイレもせずにそんなつまらないことを思いながら、チャックを下ろし始めたところで唐突にそれは起こった。
「動くなお前等!!」
 突然の大きな声とともに、何人かの男が立ち上がる音と乗客のざわめきが聞こえる。
 そんないきなりの声にぎょっとしてトイレの隙間から外を見ると、何人かの男が銃のようなものを持って集まっていた。
「死にたいやつは動いてもいいぜ」
 男の中の一人がさも愉快そうに笑顔のままで言い放つ。
「な、なんだ君達は」
 一人の乗客がおどおどした様子で男たちに話しかける。
「ハイジャックだよ」
 そう自称ハイジャックは、さも当然だといわんばかりに短く、問いかけてきた男にそう答える。
(そりゃ、みたらわかるだろうよ)
「いいかよく聞け」
 自称ハイジャックの男たちの中の一人が、前に出てさっきより大きな声で言い始めた。
「たった今より、この飛行機は俺たちがジャックした。さからうやつは容赦なく殺す。」
 男はできるだけ遠くまで聞こえるように大きな声で演説をしている。
「あと、この飛行機のどこかに爆弾を仕掛けた、われわれの要求が通らなかった場合、皆さんにはすまないいが我々とともに海に沈んで貰う」
 最後にはそんなことを言って、手元に何かスイッチのようなものを見せ付け乗客に不安の種を植え付けた。
「なんてこった」
 そんな様子をトイレの扉の隙間から覗いていた俺はその場に座り込みトイレの扉にもたれかけ、どうしようか考え始める。
「ふざけるなよ」
 必死にどうしようか考えている最中にいきなりトーンのずれた男の声とものすごい物音がする。
 同じようにまた、扉の隙間から外を見るとそこには、体つきのいい男がハイジャックの一人につかみかかっていて組み伏せようとしているところで、男がそのまま何度かハイジャックを地面にたたきつけると、ハイジャックは気絶してしまったようで動かなくなってしまう。俺を含めそこにいた乗客の誰もがこの男ならやってくれるかもしれない、そう淡い期待を抱く。
「残念でした。君は強いけど人数を考えてから行動してね」
 男はいきなりの背後からの声に目を見開いて口をあけていた。
「惜しかったね君はここで脱落だよ」 
 俺も乗客もやはり淡い期待は淡い期待だったと暗い表情を見せる。 
「クソ」
 男はあきらめた様子で両手を挙げている。
「なにそれ?抵抗したのに助けてもらおうって魂胆?」
 ハイジャック犯の手に力がこもる。
 そして、次の瞬間にはとてつもなく大きなクラッカーを破裂させたような音と共に、体格のよかったはずの男は何か鈍器で殴られたように吹き飛びそのまま、一、二度痙攣をしてから電池の切れたおもちゃのように動かなくなってしまった。
 その場には渇いた音と、その音とは正反対なネットリとした真っ赤な液体が男から湧き出ていた。
「う゛っ」
 俺はたまらず便器に急いで手をついて、胃の中身をぶちまける。口の中に独特の酸味が広がる。
 俺がそんなことをしている間に、外では女性の甲高い金切り声が聞こえてえ来る。また、その金切り声も二度のクラッカーの音で一瞬にして粛清された。
(そういえば、死体を見るのは親父とお袋が殺されてとき以来だ)
 ふと、そんなことを思い出す。
「かくれているやつが居ないか探せ」
 昔のことを少し思い出していると、ハイジャック犯の一人が指示を出した。少し外が騒がしくなる。多分周りのやつらが周囲を警戒し始めたのだろう。
「抵抗したら容赦なく殺せ」
「はっ」
 追加された命令文に短く答えると、どんどんと足音はまとまりをなくして数を減らしていく。
 そんな足音の一つがゆっくりと、しかし確実にこっちに近づいてくる。死神の足音に聞き耳を立てながら背中を冷たい汗が滴り落ちる。
(今見つかれば殺される)
 理由もない、しかし確実なことを頭をよぎる。
「こっちにくるなこっちにくるなこっちにくるな…」
 俺は祈るように何度もつぶやいたが、それがいけなかったのか足音はトイレまでやってきた。
 つぶやくのをやめて、ひたすら沈黙を守ることに徹し、早く立ち去ってくれと心の中で叫ぶ。
 足音はため息を一つつくといきなり、俺のすぐ隣のトイレに向かって音と鉄の暴力の雨を振らせ始める。
「居ないのかな?」
 足音はそう問いかけながらも隣に向かって鉄の雨を――継続。
 そのクラッカーの鳴らす音は――轟音。
 そして、銃弾は何度も何度も何度も何度も壁を殴りながら――跳躍。
 もちろん、壁や便器などは――崩壊。
「おいおい、弾の無駄遣いはやめろよ」
 轟音にまぎれて違う人間の声がする。
「聞こえているのか?」
 少し苛立ったように男は足音の男に問う。
「聞こえてますよ」
 足音の男は、轟音を発しながらのんきな声で言い返す。
「なら、弾の無駄遣いをするなという意味はわかるかな?」
「わかりましたよ『リーダー』」
 足音の男はけだるそうに答えて轟音をとどろかせ続ける。
「もういい、だが中に人が居るか確かめずにいきなり撃っても中からは血だるましか出てこないことを覚えておけよ」
 リーダーといわれた男は轟音に足音をかき消されて存在を確認できなくなってしまう。
「弾は無駄遣いしない、弾は無駄使いしないぃ」
 言ってることとやっていることはあべこべの男は弾の消費を緩めない。俺はそんな音の暴力を必死に耐えながら俺は思った。
 助けてほしいと心の中でひたすらに――懇願。
 死にたくない、生きたいと生への――執着。
 絶対に許さないとひたすらに――憎悪。

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